連戦
ハイネルを出発したシャマタル独立同盟軍はすぐに姿を消した。
皇帝ルードバームが次にシャマタル独立同盟軍の存在を知らされたのは、補給部隊が襲撃され、壊滅したという報告だった。
「おのれ、占領した街に食料はない。井戸には毒草が入れられ、飲むこともできん」
ルードバームは悪態をついた。皇帝軍は四万である。数では同盟軍を圧倒していたが、それは正面から決戦になった時に有効なことである。現在はその大軍を維持するだけの兵糧がそこを尽きかけている。
「皇帝陛下、敵の狙いは我らを飢えさせることにあります。ここは余力のあるうちに一度撤退し、イムニア統帥に采配を任されては如何でしょう?」
進言したのはウルベルだった。ウルベルの言葉は至極全うで受け入れるべき言葉だった。
「黙れ、皇帝である余が退くなどあり得ぬ。我の威光の前にシャマタルの叛徒どもを根絶やしにしてくれる!」
不自由というものを知らない皇帝は、世の中に自分の思い通りにならないことがあることが分からなかった。
兵糧の問題が解決しないまま進軍していく。
皇帝軍に一つの報告が入る。
「何? シャマタルの食料庫があるだと!?」
無計画な進軍で食料はそこを尽き、下級兵士などは草と沸き水で飢えを凌いでいた。
「しかもその食料庫は砦などの障害がなく、容易に奪取が可能だと言うことです」
「首都侵攻の前にそこで食料を確保するとしようか」
ルードバームは報告のあった食料庫へ進路を変更する。
「お待ちください。敵の食料庫が無防備というのは余りに不可解です。何か罠があるやもしれません」
「また貴様か。そんな弱気なことばかり言っていては、戦には勝てん! 敵は余たちがここまで侵攻してくることを予想できなかった。だから、食料庫が無防備になったのだ」
「ここまで侵攻してきた街や村の様子を思い出してくださいませ。パンの一つも残していなかったではありませんか。ここまで周到に焦土作戦を行った敵がここで手緩いことをするとは思えません」
「ええい、黙れ黙れ! 貴様との問答は不愉快だ!」
そう言って、皇帝はウルベルを下げてしまった。
軍議場の外へ出されたウルベルは表情一つ変えなかった。
「賢者は一度の忠告で気付く。馬鹿でも二度言えば分かるだろう。だが、愚者は三度でも分からないどころか、警鐘を鳴らした者を処断する。私はどうやら仕えるべき人を間違えたようだ。三度目の忠告をして死ぬよりは、どうにかこの死地から生きて帰ることを考えるとしよう」
「ウルベル殿」
ウルベルは、引き留められ足を止めた。
「アンスーバ将軍」
男の名前はファート・アンスーバという。中央軍の中では実戦経験に長け、兵からの人気も高かった。
「あなたには何か考えがあるようだが、それを教えて頂きたい」
「私はすでに皇帝陛下から下がれと言われましたが?」
「私は言っていない。頼む。我々は攻めている。いくつもの街や砦を攻略した。だが、まるで手応えがない。このような時は必ず敵の反撃に遭う」
「私が言ったところで何か変わるとは思えませんが、良いでしょう。答えます。まず、食料庫がある場所ですが、自然の要害もなければ、高い塀や堀もない。容易く攻略できるでしょう。これが問題です」
「攻めやすいが、守りにくいか」
「その通りです。食料庫を奪う。それは敵に我々の動きを制御された結果なのです。敵が四方に兵を配置していれば、効率の良い包囲殲滅戦を行えるでしょう」
「だが、敵の兵力は我らに劣る。包囲されたところで突破が可能ではないだろうか?」
「地の利は敵にあります。それに食料があったとして、無事だとも思えません」
「毒が盛られていると?」
「そうです。我々は空腹です。下級の兵士たちは何の疑いもなく、食べてしまうでしょう。こちらの兵は半減、逃走する者も出るやもしれません。そんな状態では戦いはままならないでしょう」
アンスーバは一度だけ大きく頷いた。
「そなたはすぐにこのことをフォデュース閣下に伝えよ」
ウルベルにとってそれは願ってもいない命令だった。
「よろしいのですか?」
「敵のやろうとしていることは分かった。しかし、私の主は、私の意見を聞いては下さらないだろう。ならば、負けた後のことを考えるべきだろうな。フォデュース閣下がこちらに向かっていることが分かれば、敵も追撃を止めるやもしれん」
「分かりました。必ずや、フォデュース様をお連れしましょう」
「全く、皇帝陛下は気の毒な方である。イムレッヤ帝国は皇帝と門閥貴族、一部の人間に特権を与えすぎた。自分の行いが間違っていると気付けないようになったのは、このような歪んだ体制の悪疫であろうな」
「聞かなかったことにしておきましょう。ですが、私も一言、無能な者の下で死ぬのはそれ以上に気の毒ではありませんか?」
アンスーバは苦笑した。
「その通りだな。私はできる限りの兵士をこの死地から帰還させることを努力しよう。出来れば、生きてまた会いたいものだな」
「ご武運を」
ウルベルは急いで、フォデュースの元へ駆けた。
皇帝軍に失い難い人材が二人もいることを伝えるために。
シャマタルの食料庫は呆気なく、帝国軍に奪取された。
「やはり罠か」
アンスーバは確信する。
「よし、全部の食料庫を開けよ! 宴を開くのだ!」
皇帝は呑気なことを言う。
「お待ちください」
「なんだ、アンスーバ?」
「恐れながら、敵の置き土産の存在が気になります。数名の兵士に毒味をさせるのよろしいかと」
この進言には、さすがの皇帝も一考した。
兵士がどうなっても構わないが、自分に危害が加わると考えると話は別である。
「ならば、早くしろ」
兵士がシャマタルが残していった食料を口にする。
一時間が経過した。
体の異常を報告する兵士はいなかった。
「通り越し苦労だったな。敵の食料だ。首都攻略の前祝いに派手にやろうではないか」
全ての食料庫が開けられ、兵士は久しぶりにまともな食事にありつけた。
しかし、アンスーバ麾下の兵士だけは、一切食料に口を付けなかった。
アンスーバは麾下の兵士数名と高台に上った。
「敵影もありませんな」
兵士の一人が言う。
「ああ余計妙だ。夜襲があるやもしれん。すまないが、私の部隊のもので警備にあたる。食料は干し肉と水で我慢してくれ」
アンスーバは高台から、下を見下ろした。まるで戦いが終わった後のように馬鹿騒ぎをしている。
「まったく、非常識極まりない」
アンスーバは本音が漏れた。
その日の夜、シャマタル独立同盟軍の来襲はなかった。
異変は朝に起きた。
ほとんどの兵士が体の痺れを訴え、まともに歩くことも出来なくなったのだ。
「しまった! そういうことだったのか!」
アンスーバが全てに気付いたときは遅すぎた。
「毒殺で殺せるのはせいぜい十数人だったろうね。けど、こうすれば、帝国軍の全てが無効化できる」
リョウは初めから、毒殺など考えていなかった。リョウは遅延性の痺れ薬を大量に用意させ、食材や酒に混ぜたのだ。
「さて、報告だと敵の中には皇帝がいるそうだね。皇帝を生け捕りにすれば、この戦争は意外に早く終わるかもしれない。みんな、頑張って」
シャマタル独立同盟軍の攻勢が始まった。
「敵軍接近! 如何しましょう!?」
「出来ることなど限られている。逃げるのだ。まともに戦えるのは私の部隊だけ、勝ち目など無い」
「では、早く逃げましょう。さもなくば、完全に包囲されてしまいます!」
「…………待て。皇帝陛下だけはお連れせねばなるまい。そうせねば、生きて帰ったとて、我ら全員、死罪は免れないであろう」
兵士は心底嫌そうな顔をしたが、従うしかなかった。
「おおっ、アンスーバ、これは一体どういうことだ!?」
「敵の策に嵌まりました。今は転進すべきでしょう。殿は私が勤めます」
皇帝も例外なく、リョウの用意した痺れ薬の罠に嵌まっていた。動けない皇帝を厚い木の板の上に乗せた。
「ぶ、無礼な!」
「お許しください。今は非常事態です」
そう言って、アンスーバは皇帝が落ちないように紐で固定する。
さらに文句を言われたが、取り入っている時間は無かった。
「敵の包囲が完成する前に脱出する! 私に続け!」
アンスーバの采配は見事だった。
シャマタル独立同盟軍の第十一連隊の脇を掠めるように進軍した。
ローランは攻勢に出ようとするが、帝国軍の思い切った行動に初動が遅れた。進路を阻むことは出来ずに追撃戦の形になってしまう。
アンスーバは弓隊と槍隊を巧みに指揮し、ローランが総攻撃に出る隙を与えなかった。
しかし、それも第十三連隊の白獅子隊が到着するまでだった。白獅子隊の強襲で戦線は一気に崩壊した。
「粘れるのはここまでだな。全軍、引くぞ!」
アンスーバは号令し、帝国軍は退いていく。
「皇帝を取り逃がしたかな」
各所からの戦況報告を聞き、リョウは呟いた。
「勝ち戦、それで十分ではありませんか?」
ルピンが言う。
「皇帝を生け捕りにしていれば、戦争が終わっていたかもしれないんだ。そう思うと悔しいかな」
「ですが、大勝利には間違いありません。大きな問題がありますが」
ルピンの言う問題とは、捕虜の数だった。
「占めて約三万です」
戦闘が終わると一カ所に集められた捕虜を確認にした。
「これだけいると恐ろしいね」
「ええ、数では私たちより数が多いですからね。手足は縛っていますが、それでも気を抜いてはいけません。この者たちの処分はどうしますか?」
「捕虜のままだと駄目なのかい?」
「分かりきったことを言わないでください。三万人の捕虜を養う余裕なんてありませんよ。いっそ、全員の首を刎ねて、帝国軍に送りつけましょうか?」
それが耳に入った捕虜たちの顔が真っ青になる。
「三万人の捕虜を虐殺かい? そんなことをすれば、帝国軍との和平の道は完全に無くなるよ。僕はこのまま、三万に全員を帝国軍に返すのが良いと思っている」
「気前が良いですね。どんな策でしょうか?」
「内通した者がいると噂を流すのさ。その者を三万の中に紛れ込ませたと言うんだ。帝国軍には不協和音が生じるだろうね」
「なるほど、大敗に内通者と続けば、帝国軍は案外簡単に瓦解するかもしれませんね。ネジエニグ嬢、そのような策でどうでしょうか?」
「えっ? あっ、はい! 良いと思います!」
「…………あなた、半分寝ていましたね」
ルピンはジト目でクラナを見る。
「す、すいません。また昨日も寝れなくて………………」
「戦の前に寝られなくて、戦が終わったらすぐ睡魔に襲われる。全く、小物なんだか、大物なんだか分かりませんね」
ルピンは苦笑いだった。
一方、同盟軍の追撃を振り切った帝国軍は部隊を再編し、退却の最中だった。
その道中で、イムニア軍がこちらへ向かっているいう情報が入った。
「そうか、ウルベル殿がやってくれたか…………」
アンスーバは安堵した。
次の日、両軍は合流を果たす。
アンスーバはすぐにイムニアを尋ねた。
「援軍、痛み入ります」
「何があったか、言ってみろ」
二十は年下であろう金髪の統帥は、遠慮を全くしない言い方だった。
アンスーバは淡々と、ありのままのことを話した。
「当然の結果だな。補給線が壊滅した時点で撤退すべきだったのだ。そうすれば、ここまでの事態にはならなかった」
「このような結果を生んだ責任は私にあります。この責は命を持って…………」
「馬鹿を申すな!」
イムニアは怒鳴った。
「そこの者がなんと言って、私に助けを乞いに来たか、教えてやろう」
イムニアは控えていたウルベルを指差した。
「中央軍にも失い難い人材がいる。その者を死なせては、私のためにならないとまで言ったのだ。私が動いたこと途方に終わらせるな。私がどんな手を使ってでもそなたを生かす。だから、約束しろ。私に仕えると」
「そこまで直接的に勧誘させるとは思っていませんでした。もし、敗残の身でよろしいというなら、今後は閣下のために尽くしましょう。助命が叶ったらの話ですが」
「同じことを何度も言わせるな。私はお前を死なせない。安心しろ」
イムニアはすぐに行動した。
「陛下、お疲れのところ申し訳ありません」
「なんだ、イムニアか。私は疲れた。誰とも会いたくない!」
この男一人のせいで多くの兵士が死地に立たされたと思うと、イムニアは嫌気がさした。
「アンスーバ将軍のことに関して、私から提案がございます」
「アンスーバ? 奴には敗戦の責任で死んでもらう」
ならお前が死ね、そのような言葉が出てきそうになった。
「あの男、殺すにはほしい人材でございます。私に良き案がございます」
「なんだ」
「生き残った部下も含め、戦功を立てなければ死罪だと言い渡して最前線で使うのです。そうすれば必死に戦うでしょう」
「なるほど、確かにただ殺すよりそちらの方が良いだろう」
「では、私の軍に彼を加えてもよろしいですか?」
「なんだと?」
「恐れながら、今動けるのは私の軍しかありません。シャマタルを攻略するために私に指揮権をお与えください」
「それなら余がそちの軍を借りれば良いだろう」
「!?」
イムニアは黒い感情が表に出るのを押し殺す。
「問題はあるまい。余はイムレッヤ帝国全軍の頂点に立つのだからな。これより復讐戦だ」
「分かりました」
イムニアはそういうしかなかった。
ここで皇帝の機嫌を損なえば、せっかく救ったアンスーバのことがどうなるか分からない。
イムニアはまず補給線の確保を最優先に考えた。
皇帝もイムニアのやり方に口出しはしなかった。さすがにイムニアの軍事的才能は理解している。気に食わなかったが、イムニアに任せておけば、負けることは無いと思っていた。
補給にはカタインを当てた。
このことはすぐにシャマタル独立同盟軍も知る。
「補給というと軽視する指揮官もいるけど、イムニアはそんな甘くは無いか。彼はいままで劇的な戦術家として有名になったけど、どうやら広い視野も持っているようだね。彼の戦略家としての才能も油断できない
な」
リョウは素直な感想を言った。
「敵を賞賛している場合ですか」
ルピンが呆れながら言う。
「補給経路は大方分かっています。仕掛けますか?」
リョウは首を横に振った。
「補給を大事と思ったから、カタインを当てたんだ。カタインの勇名は僕でも知っているよ。なるべくなら戦うべきじゃ無いだろうね。イムニアとの決戦の前に痛手を負うのは避けたいから」
「イムニアさんとの決戦、そんなものがあれば良いですが」
「そこまで持って行くのが僕の役割さ。さて、当分は引っかき回そうかな」
イムレッヤ帝国軍は方針を変え、シャマタル独立同盟軍の砦の攻略に徹底した。
三つの砦を落とし、戦争は再びイムレッヤ帝国軍有利に進むかに思われた。
「捕虜が全員、戻って来ただと?」
イムニアは報告を聞いたとき、素直に喜べなかった。
第一に捕虜の中に間者がいる可能性があるからである。
第二に軍が再び膨れたことで兵糧の問題が浮き上がった。シャマタル独立同盟軍は徹底した焦土作戦を行っており、略奪は望めない。となると、本国からさらに補給をするしかないが、間に合わない。それをしていては兵糧が尽きてしまう。
「もはや役に立たん。まずはウルヴァーへ送れ。そして、順次、帝国に帰還させろ」
イムニアは帰ってきた捕虜を兵力とは数えなかった。
リョウの期待していた内部崩壊は、こうして防がれる。
「そうかい。イムニアは懸命だね」
リョウは報告を聞いた。悔しがったりはしなかった。リョウにとってはこれも想定内だった。
「とりあえず、敵の兵力を半数まで減らしたんだから良しとしないとね。厄介な四万が残っているけど。さて、今度はこっちから仕掛ける番かな」
先日、ミュラハールが奪取したばかりの砦をシャマタル独立同盟軍は強襲した。砦には最低限の守備兵しか置いていなかったため、容易に再奪取が可能だった。
「砦は落とされたか。兵力でも分散している分、私たちが不利だ。ここは退くが得策だろう」
ミュラハールの判断を正しく、迅速だった。
「名将とは退くべき時に退くことが出来る将のことを言うんだよね。もし、ここでミュラハールが僕らとことを構えてくれたら、イムニア麾下の将軍を一人、打ち取れたかもしれない」
「イムニアさんの元へ集まる人材の有能さには悩まされますね。これでファイーズ要塞方面の兵力まで加わったら、と思うとゾッとしますよ」
「そちらの方は幸運なこと大丈夫そうだね。とにかく、この勝利をシャマタル中に知らせてほしい。そうすれば、各地で義勇兵が出てくるかもしれない。それ自体は大した脅威にはならないだろうけど、無視は出来ないはずだ。進軍の速度も自然と遅くなるだろうし、それだけで冬まで粘れるかもしれない」
その後もシャマタルは小競り合い、戦術的勝利を重ねていく。戦果としては微々たるものであるが、確実に帝国軍の侵攻は止まった。
「このまま冬に突入すれば良いけど」
リョウは言う。そうすれば、地の利は最大限に発揮でき、帝国軍に壊滅的打撃を与えられるかもしれない。
「まぁ、それを予期しないほどイムニアは愚かじゃ無いだろうね」
リョウはそれ自体には期待していなかった。もっと単純に考えていた。
イムニアが居なくなれば戦争の脅威は無くなる、と。
「こちらが勝ち続ければ、イムニアは必ず前線に出てくる。彼の性格上。これ以上の傍観は出来ないだろう。その時が好機だ」
リョウはイムニアとの決戦を構想し、戦略を立てる。どう考えても不利であるが、シャマタルが勝つにはそれを実現するしか無かった。
イムニアはこれに対し、占領した土地を一旦放棄させ、兵力を再集結させた。シャマタル独立同盟軍が兵力の少ないところを正確に攻めていることは明白であり、それをこれ以上許すわけにはいかなかった。
「撤退か、強攻か、選べと言うことか。再び全軍でシャマタル首都へ迫った時、どのような策が待っているか楽しみではあるが…………それはよそう。リユベック、カタイン、ミュラハール、それにウルベルとアンスーバを呼べ。軍議を開く」
将軍たちはすぐに招集に応じた。
「敵は我らを引きつけ、殲滅するつもりであろう」
イムニアは初めに言った。
「今から全軍で首都へ向かっても、シャマタルは何十にも防衛戦を張り、冬まで粘り、そして雪を味方に付けて戦うつもりだろうな。地の利も無く、冬の戦闘となっては我らの数の有利は完全に失われ、全滅することは必至である」
「では、撤退なさいますか?」
カタインが言う。
「それにはまだ早い」
「では、強攻なさるのですね」
「ああ、だが、シャマタル側の都合に合わせてやる必要は無い。我らは二手に別れて行動する。そうすれば、敵は選択を迫られる。あちらも軍を二手に分けて迎撃させるか。首都決戦のために兵を退くか。時間差を付けての各個撃破を目指すか」
「それはあまりに危険ではありませんか?」
ミュラハールが言った。
「なぜそう思う?」
「敵はこれを好機と考え、閣下を狙う可能性がございます」
「ああ、それが狙いだ」
ミュラハールは意味が分からなかった。
「シャマタルにはよほど優秀な参謀がいる。そいつなら必ずこれを好機、この戦争に勝つ方法だと思い、私を打ち取りに来るだろう」
「それは危険すぎます!」
意味を理解したミュラハールは声を上げた。
「ミュラハール、お前は私が負けると思うか?」
「そ、それは…………」
ミュラハールは言葉に詰まった。
「心配せずとも、私はお前たちが来るまで防御に徹していよう。戦いが始まれば、お前たちは軍を私のところへ向かわせろ。そうすれば、シャマタル独立同盟軍は包囲殲滅されるしか無いだろう。ネーカ平原、ここがシャマタル独立同盟軍の墓場だ!」
イムニアの声には熱が入っていた。
「閣下は活き活きとなさっていますね。閣下は戦を嗜むお方、この策を止めるなど私には出来ませんわ」
「閣下の決定に私も従おう」
カタイン、ミュラハールは作戦を受諾する。
「リユベック、お前には期待している」
「微力を尽くします」
イムレッヤ帝国軍は、イムニア直属軍団とリユベック軍団の一軍とミュラハール・カタイン両軍団の二軍に分けた。別街道から進めて、首都へ迫る。一軍の大将はイムニア、副将がリユベック。二軍の大将はミュラハール、副将がカタインである。
このことはすぐにシャマタル独立同盟軍、もっと言うならリョウの耳にも入った。
「なるほど、そう来たか…………」
「一番、嫌な展開ですね」
リョウとルピンは不景気な表情を付き合わせていた。
「あ、あの、すいません。私にも状況の説明をして頂けませんか?」
クラナが申し訳なさそうに言う。
「敵は二手に分かれて行動を始めた。しかも、イムニアも出てきたんだ。で、僕の当初の予定を貫徹するなら、イムニアの本隊を叩くべきなんだけど、これが問題なんだ」
リョウは地図を指す。
「イムニアとリユベックの軍団と当たるとしたら、ネーカ平原だと思う。だけど。もう一軍の進軍路を見る限り、一日で僕らの後背に出れるんだ。僕らの退路を断って包囲殲滅をするだろうね。逆も同じだね。もう片方から攻撃すれば、リユベックの騎兵が疾風のように現れて、あっという間に僕らを敗走させるだろうね。だから、一日でイムニアを打倒しなければならない。けど、イムニアはそんなこと分かっているから、積極的には攻めてこないだろうし、そもそも兵力だってあっちの方が上なんだ。条件はかなり悪いよ。せめて、三日、いや二日で良い、もう片方の軍を足止めできれば…………」
「方法ならあるじゃない」
言ったのはユリアーナだった。
「カタインとミュラハール、両軍団に対し五千、いえ三千でいいから兵を配置しておくのよ。アルーダ街道、ここは川と斜面のせいで狭くなっているわ。ここなら十分に時間を稼げるはずよ」
「………………」
「私でも考えつく策よ。あんたが思いつかないはず無いでしょ?」
「だけど、その三千は捨て駒になる。絶対に生きて帰れない」
リョウは優れた戦略家である。もし、戦略家としての彼に欠点があるとすれば『捨て駒』を作れないことだろう。
「リョウ、あんたはいつもみんなが生き残る道を探してくれる。一番被害が少ない戦い方を選んでくれる。でも、今回はそうは行かないわ。敵はイムレッヤ帝国軍、指揮官は天才、イムニアなのよ。勝つためには非情になることも必要よ」
「でも、僕には出来ないよ。誰かに『死ね』なんて命令できない」
「命令する必要ないわ。志願する兵を向かわせればいいのよ」
「そんな役を好き好んでやる奴なんて…………」
「これがその三千人の志願兵よ」
ユリアーナは名前がずらりと並べられた書状をリョウに渡した。
リョウはそれを乱暴に掴み取る。
「馬鹿げている。ここに名前を書いた人たちも、君も、そしてローランさんも!」
三千の別働隊の指揮官にローラン、副官にユリアーナの名前があった。
「妹分が一人は寂しいって言うもんだから、俺が付き合ってやるさ。だから、十一連隊の四千はそっちに合流させる」
「勝手すぎる!」
リョウは机を叩いた。
「不可能だ。三千程度で六倍以上の敵を足止めするなんて」
「出来るわ。やってみせる。私たちは捨て駒にならない。必ず生きて帰る。リョウ、あんたは前に一か八かの賭けに出るのは後世の歴史家を楽しませるだけだと言っていたけど…………」
ユリアーナは笑顔を作った。
「今がその時じゃ無いかしら? 歴史に残る戦いを、劇的な勝利を掴みましょう。それとも、これ以上の策があるかしら?」
リョウは返答できなかった。ユリアーナの言っていることは正しかった。
「…………僕は英霊っていう言葉が大嫌いだ。意味は分かるね?」
「ええ、分かるわ。この戦いが終わったら、私たちは英雄よ。何しろ、あの帝国に勝つのだから!」
「はぁ…………僕、孫子は好きだけど、呉子はあんまり好きじゃ無いんだよなぁ」
「何の話?」
「気にしないで。分かった。君たちが敵を食い止められることを前提に作戦を立てるよ。ルピン、こっちに合流する四千の兵力、その編成を任せても良いかな?」
「分かりました」
リョウは初めて戦略的な有利を作るより、戦術的な勝利を得るために思考を巡らす。それが脆く細い道であることは承知していた。それでもそれしか選択肢は無かった。
「ユリアーナさん」
ルピンが話しかける。
「何かしら?」
ルピンは袋を渡した。
「中に解熱作用のある薬草と傷口から熱を逃がす塗り薬が入っています」
「…………気付いていたの?」
「まったくこの団は無茶する人ばかりですよ。団長も、副団長も、作戦参謀も」
「情報参謀が抜けているわよ。この薬、かなり無理をして手配したんじゃないの?」
「今の補給は私が管理しています。これくらい楽なものですよ」
「職権の乱用ね。私一人のためにこんなことをして」
「昔の馴染みが減るのは私だって嫌ですから。…………ユリアーナさん、必ず生きて会いましょうね」
当然よ、とユリアーナは強く言葉にした。