ガンルレック要塞攻防戦一日目⑦~アーサーンの忠誠~
クラナはルパから、
「もうだいぶ顔色は元に戻りましたね。なら、戻ってください」
と言われて、兵士たちの元へ戻ることにした。
クラナはユリアーナのことが気になったが、自分に出来ることはないと思った。
「ルパちゃん、無茶苦茶やりますけど、医者としての腕は確かなんですよね…………」
クラナは幼い頃、病弱だった。その為、医者の厄介になることが多かった。
シャマタルの医者が無能だったわけではないが、ルパの持っていた医学が先進的だった。そして、クラナとルパは年が近く、同性だったこともあり、ルパはクラナの専属医になった。
ルパは自身の持つ知識を秘密にせず、シャマタル独立同盟の医療関係者に提供した。そのことでシャマタル全体の医療技術は驚くほど進歩した。
ルパは現場の参加にも協力的だったが、事件が起こった。
一人の医師が興味本位で、ルパの医学の出所を聞いたのだ。初めは軽くはぐらかしていたルパだったが、追及が複数人から、しかも次第に強くなるにつれて息苦しく思うようになった。
結果的にルパは家に引き籠ることになり、限られた人間としか会わなくなった。
ルパがほとんど面識のないユリアーナの治療をしたことに、クラナは驚いた。その治療方法は、見るに堪えないものだったが、恐らく最良の結果が帰ってくるはずだと、クラナはルパを信用していた。
クラナは人の心配より、自分のことをすべきだと思った。
戦場から逃げ出した。司令官として、兵士に謝罪しないといけない。人を殺すということがどれだけ精神を擦り減らすか、本当の意味で理解した。そんなことを知らずに今まで司令官をしていた自分が恥ずかしくなった。投げ出したい、という気持ちが全くないと言ったら嘘になる。それでも逃げようと思わなかった。自分を支えてくれる人がいる。自分を慕ってくれる人がいる。
そして、クラナ自身がまた会いたい人がいる。リョウにまた会う時に堂々としていたい。もう頼りにならない、なんて思われたくない。どんな時でも肩を並べて一緒にいたい。
「皆さん!」
クラナは兵士に元に戻った。
声を張った。少しだけ震える。
兵士の視線がクラナに集まる。
「クラナ様だ。クラナ様が戻られたぞ!」
兵士が歓喜の声を上げた。非難する言葉は一言もなかった。
「クラナ様、敵兵と交戦したと聞きました。お怪我は大丈夫ですか!?」
と左足を引き摺る若い兵士が言う。
「だ、大丈夫です! それよりあなたの方が重症じゃないですか!? 横になって休んでください」
「そのような言葉をかけて頂けるなんて感激です。明日までには直しますから。今度はクラナ様を危険に晒すようなことは致しません!」
その言葉に多くの者が賛同した。
クラナが敵戦逃亡した、と思っている兵士は誰一人いなかった。
なんで? という言葉がもう少しで出そうになった。
「これが兵士にとってのクラナ様の存在です」
その声にクラナは振り向いた。
「アーサーン…………」
「思ったより元気そうですね。安心しました」
「どうして皆さん、私を非難しないのですか?」
「簡単です。兵士にとってあなたは英雄だからです。シャマタルを救った英雄、戦えば必ず勝ち、敵を恐れず、気高き存在。それがあなたです」
「別に私はそんな高尚ではありません」
「ええ、知っています。あなたに近い方々は素のあなたを知っています。しかし、兵士たちはそれを知れません。だから、あなたに自分たちの理想を思ってしまうのです」
「英雄って、重いですね」
クラナは苦笑する。
「やめたくなりましたか?」
「逃げたい、という気持ちが全くないというわけではありません。でも、私は逃げません。私は広い世界を知りたくてあの屋敷を飛び出しました。もう後戻りはしません。それに今逃げたら、もうリョウさんに会えません。私は決めているんです。次にリョウさんに会った時は私だって戦えるんだって、言うと。少しでもリョウさんの力になりたいです。今日、初めて人を殺しました。とても心が乱されました。でも、今はもう大丈夫です」
アーサーンはクラナの声が震えていることに気が付く。
「もう大丈夫」という言葉はアーサーンにではなく、自分に言い聞かせているようだった。アーサーンは若すぎる司令官に頼らなければならない自分自身の非力さを情けなく思った。
「クラナ様、あなたが私の司令官である限り、私はあなたの為に全力で戦い、忠誠を誓う、と改めて宣言しましょう」
アーサーンは頭を深々と下げる。こんなことしか言えなかった。こんなことしか出来なかった。
「えっ!? えっ!!? 急にどうしたのですか??」
クラナはあたふたとする。その姿はとても英雄には見えなかった。年相応の女の子に見えた。
「私は幸運です。祖国を追われた私をシャマタルは受け入れてくださり、連隊長の地位を貰えた。一度は裏切った私を信頼してくださる器量のある司令官にも出会えた。あなたのような司令官に出会えてよかった」
「そ、そんな、それは過大評価です!」
クラナは顔を真っ赤にしていた。
賛辞を贈られて慌てる司令官というのも珍しい、とアーサーンは思った。面白い巡り合わせに対して、今は捨てたはずの神に対して感謝しそうになった。