ガンルレック要塞攻防戦一日目⑥~ユリアーナの災難~
「何とかなったみたいね…………」
ユリアーナは、二人のいる部屋の外で腰を下ろしていた。
趣味が悪いと思いながら、クラナとルパ、二人の会話を聞いていた。
「情けないけど、クラナ様がいないとシャマタル独立同盟は成り立たないわ。本当に良かった…………」
ユリアーナは急に睡魔に襲われた。久しぶりの戦場は、少しだけ緊張した。少しだけ気を張っていた。少しだけ勘が鈍っていた。少しだけ体が鈍っていた。
多くの『少しだけ』がユリアーナに大きな負荷をかけた。唯一心配だったクラナのことも解決し、ユリアーナはホッとした。ルパの部屋の外で、ユリアーナは寝てしまった。
「ここはどこかしら? って、私、寝ちゃった!?」
ユリアーナはすぐに起き上がろうとしたが、それは出来なかった。
「これは一体…………」
ユリアーナは両手両足を広げた状態で、拘束されていた。手足を拘束している縄は力では解けそうになかった。
「目が覚めましたね」
ユリアーナの視界にルパが入った。
「これはどういうつもりかしら?」
ユリアーナは混乱する一方だった。
「ゼピュノーラ姫、こうやってまともに話すのは初めてですね」
「ごめんなさい。私の常識では拘束された状態での会話はまともは言わないけど!? それに急展開過ぎて、気付かなかったけど、私、裸!」
「いえ、下着は付けているじゃないですか」
「下着しかつけてないって言ってくれるかしら!? ねぇ、私、あなたに恨みを買うようなことしたかしら?」
「いいえ、それどころか、クラナ様やシャマタルを救ってくれたことに関して、感謝しかありません。ゼピュノーラ姫が行動を起こさなければ、あの奇跡はありえませんでしたから」
「なら、この拘束を解いてくれるかしら? というか、寝ている私を随分手際よく運んで、拘束したわね!?」
「協力者がいましたから」
ルパは目を移した。ユリアーナは首を動かし、ルパの視線の先を見た。
「クラナ様?」
ユリアーナと目が合ったクラナは、ビクッとした。何があったのか、柱に腕を回した状態で手首を縛られていた。
「ご、ごめんなさい! まさか、こんなことになるとは思わなかったんです!」
「んっ? んっ!?」
ユリアーナは訳が分からなかった。
「ゼピュノーラ姫、だいぶ混乱しているみたいですから、説明してあげますね」
ルパは説明を始めた。その間、手際よく何かの薬品を用意していた。
ユリアーナが拘束される三十分程前。
「さて、もう一杯、同じものを入れてきますから待っていてください」
「ありがとうございます」
クラナはやっと気持ちを落ち着かせることが出来た。まだ、目は赤く、顔から血の気は引いていた。人前に出るのにはもう少し時間がかかる。
ドサッという音がした。部屋の外からである。
「今のは?」
クラナが言う。
「ちょっと見てきます」
「それなら私が…………」
「もしも兵士の方だったらどうするんですか? そんな顔を見たら、みんなを不安にしてしまいます」
「………はい」
ルパはドアに近づき、少しだけ開けた。
「この方は…………」
そこにはユリアーナが寝ていた。汗と血と土の臭いがした。
「こんな状態で寝れるなんて逞しいお姫様ですね…………そうだ」
ルパはあることを思い付いた。
「クラナ様~~、ちょっと手伝ってもらってもいいですか?」
「な、なんですか? って、ユリアーナさん!?」
「しーっ、静かにしてください。疲れて寝ちゃっているみたいなんです。だから、私のベッドへ運びましょう。手伝ってくれますか?」
「はい」
クラナはルパに従い、ユリアーナを運んだ。
「っと、防具を着ていたら、寝苦しいですね。防具、それと汗で冷えてもいけませんから、下着以外も脱がしちゃいましょう」
「えっ、大丈夫ですか?」
「医者の言うことが聞けないんですか? 指揮官が風邪を引いたら、大変じゃないですか」
「言われてみれば、そうですね」
クラナとルパは、ユリアーナの服を脱がした。
そして、ベッドに寝かせる。
「これでいいんですよね?」
「はい…………ところでクラナ様、ちょっとこっちの柱に手をまわして、手首を合わせてみてくれませんか?」
「へ? 別にいいですけど、なんで…………」
ルパはクラナの手首を拘束した。柱に手を回したせいで、クラナは身動きが取れなくなった。
「ええっ!? これは何ですか!? って、ルパちゃん、その縄は?」
「実験、いえ、医療中に暴れられても面倒なので…………」
「んっ!?」
クラナは寒気がした。ルパの瞳が、クラナに薬を進めてくる時と同じだったからである。
そして、現在である。
「巧妙な罠に嵌められたんです…………」
クラナの声は震えていた。自分は騙された、自分は悪くない、と主張したそうだった。
「そうですねー、仕方ないですねー」
ユリアーナは虚ろな瞳で、投げやりに言う。
「で、私は拷問でもされるのかしら?」
「そんなことしませんよ。私は医者です。これからやるのは医療行為です」
「ごめんなさい。私の知る限り、拘束されて行う医療行為って聞いたことがないのよ」
「暴れられても面倒ですから」
「それって、本当に医療行為!?」
「ユリアーナさん、相当、勇ましく戦ったんですね」
ルパはユリアーナの体に触れた。
ユリアーナはピクリとし、「あっ!」と思わず声が出てしまった。それが恥ずかしくて、ルパから視線を逸らす。
「擦り傷が三カ所、切り傷が二カ所、浅いですが、刺し傷もありますね」
「これくらい、いつものことよ。私は頑丈なの」
「しかし、傷をそのままにしておくのはいけません。私が治療してあげます。クラナ様の友人なので、無償でやります。お得でしょ?」
「あなたの悪名は聞いているから、嫌な予感しかしないんだけど?」
「へ~~、どっから漏れたんでしょう。情報の漏洩は重罪ですね」
ルパはクラナに視線を移した。
クラナは、ビクッとした。
「今、追及するのは止めておきましょう。さて、治療を始めますか。あっ、舌を噛むといけませんから、これでも噛んでいてください」
「えっ、ちょっと…………」
ルパはユリアーナの口に布を噛ませて、固定させた。
「む~~!」
「何か言いたそうですが、もう分かりません。まずは殺菌ですかね」
ルパは消毒剤(酒)を布に含ませ、ユリアーナの患部にあてた。
ユリアーナは一瞬だけ、ピクリと動いただけだった。
「これくらいなら暴れませんか」
ルパは悪役っぽい笑みを浮かべた。
ユリアーナはルパを睨みつける。
「あ~~、良いですね。その不安と怒りが混ざった瞳、一体これからどんな瞳に代わっていくか。考えただけで興奮してしまいます」
といか、完全に悪役だった。
「さて、次はいよいよ、私特性の薬の登場です」
ルパが手に取ったのは、ドロッとした濃い緑色の液体の入った容器だった。強烈な臭いがした。
多くの戦場を切り抜けてきたユリアーナは、それが危険なものだと直感した。
「む~~! む~~!」
「あぁぁ、良いですね。やっぱりに薬は人間に対して、使うのが一番面白いです。動物は鳴くだけで反応が面白くありませんから。本当は悲鳴を聞きたいんですけど、このままで我慢します」
ルパは緑色の液体を布に染み込ませながら、うっとりとした表情をした。ユリアーナの知る限り、苦しんでいる人間に、こういった表情を向けられる人種は碌な奴がいなかった。一番身近な例はルピンである。
ルパは一番小さい傷口に緑色の液体を塗った。
「ヴォ~~~~!!?」
ユリアーナは堪らず、叫んだ。傷口に激痛が走り、熱を感じる。と、思ったら、ヒンヤリとして、物凄く痒くなった。
「ぬーー!」
ユリアーナは精一杯、暴れたが拘束は解けなかった。
「なるほど、こうなるんですね」
ルパは冷静にユリアーナを観察していた。
ユリアーナはルパを睨みつける。
クラナは眼を閉じて、ガクガクと震えていた。
「さて、次、行きましょうか」
「ぬっ!?」
「えい」とルパは別の傷口に緑の液体を塗った。
「ヴォ~~~~!!」
ユリアーナはまた絶叫した。
それが何度も繰り返されたが、次第にユリアーナの反応は薄くなっていった。
「叫び疲れちゃいましたか? それとも慣れました?」
ユリアーナは、無言でルパを睨んだ。
「でも、最後に残ったこの傷口の治療をした時、どんな声を上げますかね?」
ルパは刺し傷の周りをスーッと人差し指で一周させた。ユリアーナの顔から血の気が引いた。
ユリアーナはブンブン、と首を横に振った。
「すいません。なんて言っているのか分かりません」
ルパは笑顔で答えた。
「たぶん、やめてって言っているんだと思います…………!」
クラナは恐怖に引き攣る顔で言った。
「えっ、そうなんですか」
ルパはユリアーナに視線を移した。
ユリアーナはコクリコクリ、と頷いた。
「そうだったんですね。まぁ、やめませんけど」
ルパは刺し傷に薬を塗った。
「ヴァ~~~~~~~~~~!!!!」
ユリアーナは今まで以上の絶叫して、ガクッと体から力が抜けた。
「気絶しちゃいましたか。この薬は失敗ですね」と冷静に言うルパ。
「ユリアーナさ~~ん!」と涙目で叫ぶクラナ。
「私は…………」
ユリアーナは再び目を覚ました。
「何かとってもひどい目に遭ったような…………」
ユリアーナは額に手を当てて、あったことを思い出そうとする。
「ただの医療行為ですよ」
その声にユリアーナは寒気がした。
「そんな目で睨まないでください。傷、塞がっているでしょう?」
「えっ?」
ユリアーナは傷口を確認する。痛みも熱も痒みもなかった。
「私、三日ぐらい寝てたの?」
「三時間くらい寝ていましたよ」
ルパは窓を開けた。外はすっかり夜になっていた。
「というより、三日であの傷が治ると思っているあなたに驚きですね。それにいくら、薬が効いているからって、三時間でここまで治るとは思いませんでした。あなた、本当に人間ですか?」
「人を縛って、悦楽に浸っていた人間に言われたくないわね。でも、素直に感謝するわ。傷が無ければ、また明日も思う存分戦えるもの」
「そうですか。怪我をしたら、また治療してあげますよ。それにこの薬はユリアーナさん、専用にします。普通の方に使ったら、刺激が強すぎて死んでしまいそうですから」
「ごめんなさい、今その薬を見せないでくれるかしら。気分が悪くなりそう」
ユリアーナは嫌そうな顔をした。
「ところでクラナ様は?」
「戻りました。あなたのことを心配していましたけどね」
「そう」とユリアーナは返した。
「それ以上は聞かないんですか?」
「戻った、それだけ分かればいいわ。あなたは怒っているかしら。クラナ様に大変な役割を作った私たちに」
ユリアーナは、先ほどドアの向こうで聞いていた「一緒に逃げますか?」という会話の内容からそんなことを思った。
「そうは思いません。今のクラナ様はやることを見つけて、生き生きしています」
「そういって貰えると少しは気が楽だわ。鎧はどこかしら? 私も戻らないと、ね」
ユリアーナは立ち上がった。