特別編~クラナが一歩前に進んだ日~
第100部ということで、何か区切りになる話を書きたいと思いました。
その為、99部とは関係がありません。
内容はいつか書こうかな、でもタイミングがないな、と思っていたお話です。
いつもとは違い、一人称視点で書かれています。舞台はクラナとリョウが出会った日です。
唐突で申し訳ありません。
読んで頂けると幸いです。
屋敷が騒がしいと思いました。
私は世間知らずながらに、シャマタル独立同盟が滅亡の危機にあることを理解していました。
負けたら、皆さんはどうなるんでしょうか、と私が心配することでもないのかもしれません。だって、一番悲惨な目に合うのは私自身と私の周りの人たちでしょうから。
死ぬ、ということにまだ実感はありません。でも、どうせ死ぬなら外の世界を見てから死にたいと今になって思うようになりました。けど、外の世界に繋がる方法を私は知りません。私にもっと行動力があったら、何かが変わったかもしれませんが、それは今更過ぎる話です。私は何者にもなれず、英雄の孫娘として見せしめとして殺されるのだと思います。あるいはそれ以上に酷い目に合うかもしれません。それに耐える自信はないので、そうなる前に自殺したいです。ルパちゃんに頼んで、苦しまずに死ねる毒薬を貰えないでしょうか?
「んっ?」
中庭を歩いていた時です。鳥の鳴き声がしました。声の方へ行ってみると、雛が地面に落ちていました。シャマタルには冬に子供を作る変わった鳥がいます。理由は分かりません。一説には、寒さが厳しくなり、天敵となる他の鳥や蛇などがいなくなる時期を狙って、子作りをするそうです。
「落ちちゃったのですね」
雛は巣に戻りたいらしく、上を見て、泣き続けます。
「あなたは巣に戻りたいのですか?」
せっかく外の世界に出ることが出来たのに、なんで戻りたいと思うのでしょうか? と考えてしまいます。
いえ、違いますね。この雛はまだ自分が外の世界に出て行けないことを理解しているのです。成長して、その時が来たら、空へ羽ばたくのでしょう。
じゃあ、私は?
お祖父様は私と同じ年の頃、すでに戦場に出ていたと聞きます。
お祖母様は私と同じ歳には、アーレ家の『奥館』を抜け出して、お祖父様と運命に立ち向かう決意をしていたと聞きます。
お父様とお母様は私と同じ年の頃、修行したり、恋愛したり、アーレ家とグーエンキム家の今後を考えたりしていたと聞いています。
私は何もしていません。
もう飛べるはずなのに、飛ぼうとしない。何者にも成れない。そして、このまま死んでいく。
雛は鳴き続けます。けど、自力では巣に戻れません。
「あなたはまだ安全な巣にいるべきですよね」
私は雛を拾い上げると胸の中にしまいました。
雛はそれが気に入らなかったのか、とても暴れました。くすぐったいです。
「もうちょっと大人しくしてほしいです」
私は呟きながら、木を登ります。運動は得意な方だと思います。座学より、剣を振っていた方が好きでした。この木に登るのも初めてではありません。子供の頃はよく登って、そして、フィラックによく叱られました。お祖父様は笑っていました。
しかし、いつの間にか木に登ったりはしなくなりました。たぶん、五年ぶりくらいの木登りです。けど、昔の感覚は残っているようで結構簡単に、随分な高さまで来ました。違っていることがあるとすれば、手の届く範囲が広がったことでしょうか。昔なら二動作必要なところを、一回で行けるようになりました。体だけは成長した、と実感しました。
木の七割ほどまで登ったところで私は止まりました。巣を探します。
しかし、枝が邪魔で良く分かりません。私が止まると雛はまた暴れ出しました。雛の嘴が何度か肌を突きました。さすがに痛かったです。私は堪らず、衣服の中から雛を出しました。
「あの、さすがに痛すぎます」と言ってはみましたが、私の言葉なんて、雛は聞きません。雛は上を向いて鳴きます。
上?
見上げるとすぐそばに巣がありました。確かに横や斜め上、斜め下は見ましたけど、真上は見ていませんでした。完全な死角でした。
私は雛の乗った手を思いっきり伸ばしました。雛は巣に戻っていきました。
その瞬間、巣が賑やかになりました。
私はホッとして、今度は下を見ました。さて、帰ろう、と思ったのです。
木を少し降りると、地面が見えてきました。
「んっ?」
上る時は来れたのに、この先の降り方が分からなくなってしまいました。
私はとりあえず、体の向きを変えようと動きました。その時、小枝を折ってしまいました。
大したことないと思いました。けど、小枝が落ちた先に人がいたのです。私は驚いて、声も出ませんでした。
幸い、落ちた枝は本当に小さいものだったので、青年にケガはなさそうでした。でも、私は焦って、完全に平衡感覚を失ってしまいました。
「あっ…………」
私は木から落ちてしまいました。落ちた先には青年がいます。落ちるまでの瞬間、時間がとても遅く感じました。黒髪の青年が、あまり力強そうじゃない腕を伸ばして、私を受け止めてくれました。
思ったより高くなかったようで、衝撃はありませんでした。
「おお! これは……」
青年の声がしました。
私を受け止めた青年は手も動いているので、大丈夫そうです。
よかったです。二人とも無事みたいです。
………………んっ? なぜ、私は青年の手が動いていることを認識できたのでしょうか?
「ひゃうっ!」
私は出したことのない声を出しました。だ、だって、男の人が私の胸を…………!
「ユリアーナ以上か…………」
青年は何か言っていますが、混乱した私には聞こえませんでした。
「きゃ~~~~~~~~~~~~」
今度は覚えがないほど大きな声で叫んで、反射的に青年を殴っていました。
「はぁ…………はぁ…………あっ!」
目の前で伸びている青年を見て、私は我に返りました。
「ご、ごめんなさい! もしもし? もしもし!?」
青年は全く動きませんでした。私はあたふたしました。誰かを呼んでこないと。
「今のは俺の連れが悪いな」
振り返ると白髪の青年が立っていました。気を失っている青年より、体格が良く、年も上のように見えます。
「えっと、あの…………」
「俺はグリフィード。グリフィード・ヤーウェンだ。そっちでノびているのはリョウだ」
「グリフィードさんに、リョウさん?」
「ユリアーナ団長の側近だ」
ユリアーナさん…………私はユリアーナさんが本物か、を問いただしたい気持ちに駆られました。
しかし、それは後回しにしました
「あの、リョウさんを私が殴って、その…………」
「見てたよ。あれはリョウが悪い」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「安心しろ。人間、そう簡単に死なない。死ぬ時は呆気ないものだがな」
死。
その単語が私に引っ掛かりました。
「あんたが気にすることはない。ところで名前は?」
「私はクラナ・ネジエニグです」
言った瞬間少しだけ私は後悔しました。グリフィードさんの目が一人の人間を見る目から、英雄の孫娘を見る目に変化すると思ったからです。
「そうか、あんたは英雄の孫なのか」
グリフィードさんは態度を変えませんでした。
「意外そうな顔をしているな」
グリフィードさんは笑いました。
「えっと、はい」
「血筋や血族のことで何か言われるのが嫌な気持ちなら分かっている。まったく、世の中にはそんなくだらないものを大切にする馬鹿がいすぎて困る」
グリフィードさんには、気品がありました。それは私が感じたことないものでした。本来なら、近づくこともしゃべりかけることも許されない存在ではないかとさえ、思えてしまいます。
「可憐なお嬢さんとの会話を楽しみたいところだが、リョウのことをうちの団長殿に報告しておきたい」
「あっ、えっと、私の部屋にリョウさんを運びます。ここに居たら、風邪を引いてしまいますから。場所はこの廊下の突き当たりの部屋です」
「そうか、なら頼むとしよう」
グリフィードさんはユリアーナさんの元へ。
私はリョウさんを背負って、自分の部屋へ向かいました。
リョウさんを背負った時、グリフィードさんが少しだけ驚いた顔をしていました。そんなに意外だったでしょうか? 私はベッドへリョウさんを乗せて、毛布を掛けました。
そして、雛の羽毛でチクチクする上着を着替えました。
「リョウさん、いったい何者なのでしょう?」
私は広い世界を知っているわけではありません。でも、リョウさんの容姿は特別な気がしました。真っ黒い髪の毛に、見たことのない肌の色です。
私はまじまじとリョウさんを見ていました。とても兵士には見えません。
「瞳は確か黒かったですよね…………ちょっと確認してもいいですよね? た、確か、ルパちゃんが気を失った人の瞼を開けて、安否を確認していた気がします。これはそういうことです」
私は誰に言い訳しているのでしょうか? それに私が瞳を見たところで、リョウさんの状態を把握できるとは思えません。
それでも私は好奇心に勝てず、リョウさんの顔に手を伸ばしました。なんだか、息が荒くなっている気がします。というか、荒くなってます。
「リョウ!?」
突然、戸が開きました。私は驚いて、飛び跳ねます。
戸を開けた人物と目が合います。
「ユリアーナさん?」
「もしかして、クラナ様?」
ユリアーナさん、成長をしていましたけど、昔の面影はありました。
ユリアーナさんも私に気が付いたようです。
「断りもなく、戸を開けるとはうちの団長殿がとんだ無礼を致しました。申し訳ありません」
グリフィードさんが後ろから入ってきました。なんだか、わざとらしい謝罪です。
「だって、あんた、部屋の場所は教えたけど、クラナ様が運んでくれたなんて言わなかったじゃない!?」
「そうだったか?」
「まったく、もう…………あの、申し訳ありません、クラナ様、そして、お久しぶりです」
「本当にユリアーナさんですよね?」
「はい、私はユリアーナ・ゼピュノーラです。シャマタル独立同盟に恩義を返すため、参上しました。これからファイーズ要塞へ向かい、フィラック様と共にイムレッヤ帝国を迎え撃ちます」
「えっと、その、よろしくお願いします」
「心配いりませんよ。ここにいるグリフィードとそこに寝ているリョウ、それからもう一人、うちの団には凄い奴がいますから、きっとイムレッヤ帝国を追い返します」
ユリアーナさん、容姿はあまり変わりませんが、腕や顔には傷跡がたくさんありました。過酷な経験をしたのだと思います。だからこそ、いろんな人に出会えて、仲間が出来たのだと思いました。私は自分の腕を見ます。剣の稽古で鍛えられてはいますけど、傷一つない綺麗な腕です。今までに何度か怪我をしたことはあります。でも、それは後に残らない程度の傷ばかりです。
「失礼します」
フィラックが私の部屋に入ってきました。後ろからお祖父さまとフェロー叔父様も入ってきます。
私の部屋にこんな大勢が入ってきたことはなかった気がします。
「ここは?」
リョウさんの声がしました。
周りが騒がしくなったので、目を覚ましたのかもしれません。
「リョウ、リョウ、大丈夫!?」
ユリアーナさんがリョウさんへ駆け寄りました。
「痛いよ。ユリアーナ、心配してくれるのはうれしいけどね」
「ごめんなさい、でもあなたがクラナ様を助けるために倒れたって、聞いたから」
「クラナ様?」
リョウさんは不思議そうな顔をしていました。
「それは私のことです。リョウさん。自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はクラナ・ネジエニグと申します。先程は助けていただき、ありがとうございました」
私は前に出ました。今日はなんだか積極的な気がします。それが良いことなのかは分かりませんけど。
木に登っていた理由も説明しました。
「君はさっきの…………ごめんなさい、悪気はなかったんです。魔が差したのです」
「なんで助けたあんたが謝ってるの?」
私もユリアーナさんと同意見です。リョウさんは私を助けてくれたのに、なんで謝るのでしょうか?
あっ、私に触れたことを気にしているのでしょうか?
「あ、あの、私、男性の方に触れられるの、初めてで…………驚いて、そ、その、殴ってしまったのです。本当にすいませんでした」
「いや、こっちもいい思い…………じゃなく、男として当然のことをしたまでだよ」
リョウさんの言葉には少しだけ後ろめたい気持ちがありました。なんででしょう?
「かっこよかったぞ、リョウ」
グリフィードさんはなぜか面白そうでした。
「ワシの孫娘を救ってくれたこと、礼を言うぞ」
お祖父様が、リョウさんに話しかけます。
リョウさんは緊張した様子でした。
「リョウ青年。ワシはアレクビュー・ネジエニグ。こっちはフィラックじゃ。ユリアーナ殿から話は聞いておる。中々にできる参謀らしいの。フェラックを助けてやってくれ」
微力を尽くします、とリョウさんは返答しました。
リョウさんが剣を振る姿が思い浮かびませんでしたから「なるほど」と私は納得します。
「クラナ様、御立派になられましたね。お元気そうでなによりです」
「ユリアーナさんこそ、御無事でよかった。またお会いできるとは思えませんでした。すごいですね、ユリアーナさんは、国を再興するために団を作ったらしいじゃないですか」
本当にすごいと思いました。だから、純粋に尊敬します。
「え、ええ…………」
なのに、ユリアーナさんは気まずそうになりました。お世辞を言ったと思われたのでしょうか?
「そんなことより、クラナ様は勇ましくなられましたね。まさか、人を殴るなんて」
ユリアーナさんにこれ以上、この話を続けたくないと言われた気がしました。もしかしたら、あまり語りたくないことなのかもしれません。
だけど、私がリョウさんを殴ったことを掘り下げなくたっていいじゃないですか!?
「そ、それは、その、先程も言いましたが、男性の方に触られたのというか、揉まれたことに驚いて…………」
私はもう一度、説明します。
その瞬間、ユリアーナさんの表情が変わりました。怖い顔になっていました。
「はい? 揉まれた? 触られたではなく? 誰に? どこを?」
「リョウさんに、胸をです。それで驚いて…………」
ユリアーナさんの圧力に押されて、正直に答えました。いえ、圧力が無くても正直に答えてましたけど。
するとユリアーナさんが、逃げようとするリョウさんの肩を掴みました。
「痛い痛い!」
「でしょうね、今度は痛くするのが目的だから! そうだ、あんた、どうせ首から下は役に立たないいんだから、このまま脱臼させるわ」
リョウさんの肩からメキ、という音が聞こえました。
えっ? 何でですか? ちょっと待ってください!? あっ、胸を揉んだ、という言い方がいけなかったのですか!?
「ユリアーナさん、やめてください。きっと不可抗力だったんです。リョウさんだってわざとやったわけじゃないんです」
私は二人の間に割って入りました。
ユリアーナさんの力が僅かに緩みました
リョウさんは笑みを浮かべました。けど、なぜでしょう? その笑みはとても醜い気がしました。
「そうだよ、ユリアーナ、不可抗力だったんだ。わざとじゃないんだ」
リョウさんが私に目で何かを訴えかけてきます。私は一瞬、庇わなくてもいいのでは? と考えてしまいましたが、助けられたのは事実ですし、悪い人には見えなかったので、
「そうですよね。リョウさんはそんなことする人じゃないですよね。助けてくれたこと、本当に感謝します」と笑顔で答えました。
するとリョウさんは何かと葛藤して、諦めたように体から力を抜きました。
「すいませんでした」
リョウは地べたに座り、額を床に擦り付けました。
えっ? ええっ!?
「わざとだったんです。なんか、ユリアーナのより触り心地がよさそうだったのでつい…………」
今のリョウさんは『罪人』と言う他にない姿をしていました。
ユリアーナさんが優しくリョウさんの肩に手を乗せました。
「正直に話すことは良いことよ。立派だと思うわ」
ユリアーナさんの声は穏やかでしたけど、表情は全然、穏やかじゃなかったです。
「来世では、あなたに幸福があることを願っているわ」
「えっ、ユリアーナさん、今なんて? 僕、死にませんよ」
「うっさいわね! 私が粛清してあげるわ。それにさっきの言い方だと、私の胸も触ってるみたいだったけど、そんなこと一度もなかったでしょ! あんたって、首から下は役立たずよね? だったら、役に立たない部分を斬り離しましょうか!」
「ユリアーナ、人間の体は首だけで生命活動ができるようにはなっていないんだ!」
リョウさんは逃げました。
ユリアーナさんは追いかけました
グリフィードさんとお祖父様、フェロー叔父様は笑っていました
フィラックは無言でした。呆れているようでした。
私は、茫然としていました。
その日、夕方と夜が入れ替わる頃、私は自室で考え事をしていました。
フィラックからファイーズ要塞出兵のことを聞きました。ファイーズ要塞は、対イムレッヤ帝国の最前線で、実質的な最終防衛線です。
「最前線、一番危険で、もしもの時は一番先に死ぬ場所…………」
私は毛布に丸まって、呟きます。ファイーズ要塞は一番危険な場所です。でも、シャマタル独立同盟が滅びるなら、死ぬのが少し早くなるだけです。その代わりに新しい世界を見れるなら、それでいいです。
それに…………
「リョウさん…………」
なぜでしょう。あの人のことが忘れられません。
初めて触れた同世代の異性だから?
殴ってしまったから?
胸部を揉まれたから?
ユリアーナさんの仲間だから?
初めて見る黒髪と肌色だから?
なぜか分かりません。どちらが男らしいかと言えば、グリフィードさんの方が男らしいです。でも、リョウさんの方が印象に残りました。分かりません。本当に分かりません。
悶々とした私は行動を起こします。
フィラックの家に向かいました。
現在、フィラックは出兵の準備のために居ません。私が会いたかったのは…………
「あら、クラナ様、どうしたんですか?」
フィーラさんが出迎えてくれました。
その声が聞こえたのか、こちらに向かってくる足音がしました。
「クラナ様、風邪ですか? 病気ですか? どんな薬が飲みたいですか?」
ルパちゃんは目をキラキラさせます。
何も飲みたくありません。事ある毎に、薬を飲ませようとしないでください。私だって、子供の頃より強くなったんですよ。
「今、私の流行りはですね。掘り起こした冬眠中の蛇の生き血を…………」
「聞いていませんし、飲みませんよ!」
というか、ルパちゃん、何やっているんですか!?
叩き起こされた上に、生き血を取られた蛇はいい迷惑でしょう。
フィーラさんは怒ったりしなんでしょうか。
「ルパちゃんのおかげで夕食のおかずが増えて、助かるわ。蛇って結構美味しいのよね」
蛇、余すところなく、頂かれちゃったようです。
フィーラさんあって、ルパちゃんあり、と言ったところでしょうか。
本当に自由な母娘です。生真面目なフィラックが、普段どう接しているのか気になります。
「なんですか。私に薬を貰う以外にどんな用事があってきたのですか?」
「今までも、薬を貰う以外に来たことがあると思うのですが…………今日は相談に来ました」
「なんでしょうか?」
フィーラさんは私が思い詰めているのに気づいたらしく、真面目な表情になりました。
「私、ファイーズ要塞へ行きたいです」
「…………詳しいことは中で聞きましょうか」
フィーラさんは私を居間へ案内しました。
「どうぞ」
ルパちゃんがお茶を出してくれました。
私はまず匂いを嗅いで、それからお茶を少しだけ指に付けて、舐めてみます。
はい、今日は普通のお茶みたいです。
「あの私ってそこまで信頼無いですか?」
「だって、前にお茶を出された時、飲んだら、とっても苦くてひどい目に遭いました」
「今日はしませんよ」
今日は、と言ったことに今は突っ込まないことにしました。全てを気にしていたら、話が先に進みません。
「で、ファイーズ要塞に行きたい理由から聞いても良いですか?」
フィーラさんはとても真面目な声でした。
「死ぬ前に外の世界を見てみたいのです」
私は何も誤魔化さずに言いました。相談に来て、誤魔化すのは失礼だと思ったからです。
フィーラさんは笑いもせず、怒りもしません。聞いた瞬間、少しだけ驚いただけでした。
「死ぬ。それはシャマタルが滅びると思っている、と言うことですか?」
「はい」
「ファイーズ要塞に私の夫、フィラックも行きます。なら、私の夫も死ぬと思っていますか?」
「…………はい」
バンッ!
ルパちゃんが机を思いっきり叩きました。
「クラナ様はやっぱり病気ですね。しかも厄介な心の病気! どうやったら直せるでしょうか?」
ルパちゃんは私に迫ります。
「よしなさい」
「でも…………はい」
ルパちゃんは椅子に座りました。
「クラナ様がこんなにはっきりとものを言うとは思いませんでした。少しびっくりしました。私も、夫は死ぬ気だと思っています」
「母さん!」
ルパちゃんは立ち上がりました。
「ルパちゃん、あなただって本当は分かっているんでしょう?」
「それは…………」
ルパちゃんは悲痛な表情になりました。
「クラナ様、今、シャマタルは窮地にあります。もしかしたら、このまま滅びるかもしれません。こんな言い方はいけないと思いますが、クラナ様はアレクビュー様の血族と言うだけで見世物にされると思います。そんな未来を受け入れるくらいなら、あなたは自由に生きるべきだと思います」
「それって…………」
「私はクラナ様のファイーズ要塞行を支援します」
「母さん、そんなことしたら、アレクビュー様や元首様から怒られます。いえ、怒られるだけじゃ、済まないかもしれませんよ」
「それでも私は新しい一歩を踏み出そうとしている若者を、アーレ家の人間を止めることはしたくありません。私たちは平和な『奥館』を拒絶して、外の世界に出ました。外の世界は過酷です。しかし、刺激的で自分が生きていることを実感できました。クラナ様も羽ばたく時が来たのだと思います」
「クラナ様は嵐の中に飛び込もうとしているんですよ」
「ハイネ様は大嵐の中に飛び込みました。そして、勝ちました。クラナ様にとって何が勝ちなのか、あとどれくらい生きられるのか、私には保証できません。それはクラナ様次第です」
「はい」
「だから、私にできるのは些細なことです。それでもいいですか?」
「十分です。ありがとうございます」
私は頭を下げました。
「で、私は何をしたらいいですか?」
ルパちゃんが言います。
「えっと、気が進まないなら協力しなくても…………」
「何もしないで母さんと同罪になるなら、何かやって同罪になった方がましです。その代わり、次に会う時、少しでも体調を崩していたら、以後の健康管理は私がしますからね」
「ルパちゃん、ありがとうございます」
「クラナ様が消えて数日は体調不良でどうにかします。その後バレたら、まぁ、なるようになるでしょう。ファイーズ要塞ではどうするつもりですか? さすがに何か考えがあるのでしょ?」
「えっと、駄目元でユリアーナさんの元へ置いてもらうつもりです」
「ユリアーナちゃんですか。本物だったんですね」
「確か、滅びたゼピュノーラっていう国の姫様ですよね。信用できるのですか?」
ルパは不信そうだった。
「その辺は大丈夫だと思います。根拠はありませんけど」
「根拠がないのに大丈夫って、クラナ様、凄いですね」
ルパちゃんは呆れていました。それに関しては言い訳ができません。
「確かなことだけでは面白くありませんよ。不確定要素があってこその人生です」
フィーラさんは笑う。
「なら、あとはどうやってファイーズ要塞へ向かうかだけですが、こういうのはどうでしょうか?」
フィーラさんは面白そうに言います。悪戯を思いついた子供のようでした。
クラナの旅立ちの日。
私は木箱の中に居ました。フィーラさんの作戦はこれだったんです。
「ユリアーナちゃんたちが乗る馬車は調べました。そこに乗る木箱が一つくらい増えてもバレませんよ」
とフィーラさんは言っていましたが、本当に大丈夫でしょうか?
少しすると私の入った木箱のそばに人が来ました。息が荒くなり、鼓動が早くなるのが分かりました。それでバレないか、心配になります。せめて、声は出さないように服の袖を噛みました。
少しすると私の入った木箱が持ち上がりました。
そして、乱暴に置かれます。
「!!!!!!」
私はその衝撃で頭を打ちました。袖を噛んでいなかったら、声を出していたと思います。
恐らく、馬車に乗せられたのだと思います。
しばらくして、馬車が動き出しました。一度、止まった時に「開門!」と言う声が聞こえました。
景色は見えません。でも、私は初めて外の世界に出ました。
しかし、問題があります。
「眠いです…………」
昨日は緊張でまったく寝れませんでした。それでも、今まではまったく眠くなかったのですが、今になって気が抜けたのか、睡魔に襲われました。
そして、いつの間にか寝てしまいました。
「ひゃうっ!」
えっ? あっ、寝てました! それに声を出してしまいましたか!?
現状は分からないまま、私の入った木箱が開けられました。外の光は弱かったです。それで馬車の中だということは分かりました。
「……………………」
私を覗き込んだ人がいました。それはリョウさんでした。
リョウさんは驚いた表情をして、その後に困ったように苦笑しました。
「ちょっと。リョウ、勝手に箱を開けちゃだめじゃない! それはファイーズ要塞に運ぶ物資なのよ。封が開いていたら、盗難を疑われるわ」
ユリアーナさんの声も聞こえました。
「僕たちが何も盗んでいないことは、この中の物資に証言してもらおうかな」
リョウさんと目が合いました。初めて会った時、リョウさんは私を見上げていました。今は私がリョウさんを見上げています。木から落ちたり、木箱の中から現れたり、私って碌な登場の仕方をしていない気がします。
「はぁ、あんた、何言っているの? 物がしゃべるわけないじゃない」
「確かに物はしゃべらないけど、者はしゃべるよね?」
「えっ?」
ユリアーナさんが木箱の中を覗き込みました
「……………………」
「……………………」
私は「やっちゃいました」みたいな表情をしたつもりです。
ユリアーナさんは信じられないものを見て驚いたようで、口をパクパクさせていました
「クラナさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
少し予定と違いましたが、私の物語が始まったのだと思います。
私はこの物語が短編で終わるのか、それとも長編になるのか分かりません。けど、精いっぱい生きようと思います。私は自分を確認したいのです。自分の存在を、自分の気持ちを確認したいのです。
私は英雄の血族ではない『クラナ・ネジエニグ』という存在を確認したいのです!
読んで頂き、ありがとうございました。
次からは99部の続きに戻ります。
今後もよろしくお願いします。