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大陸戦乱末の英雄伝説  作者: 楊泰隆Jr.
際会編
1/184

シャマタル独立同盟

別の世界のお話です。戦記物ですが、近代兵器はもちろん火薬を使った兵器は出てきません。作者自身があまり詳しくないもので………………

一人だけこちらの世界の人間が紛れ込んでいます。「気がつくと異世界にいた」などという文節はありませんが、それが誰かすぐに分かると思います。

大陸乱世末期英雄譚などと大層なタイトルになっていますが、当面は小国と大国の戦争でお話が進んでいきます。

拙い文章ですが、読んで頂けましたら幸いです。

 シャマタル人。イムレッヤ帝国に属していた白い肌の人種の総称である。彼らが住む北の辺境をシャマタル領と呼んだ。人種差別、過度の税に苦しめられた民族である。そんな彼らを解放したのは、イムレッヤ帝国軍で当時、双壁と称されていた将軍の一人、アレクビュー・ネジエニグだった。アクレビューは、占領地で乱捕りを行った貴族の子息を粛清し、貴族の反感をかった。これが原因で北方総督府へ左遷される。

 アレクビューが左遷され、シャマタルが独立、現在に至るまでの経緯は以下のとおりである。

 シャマタル暦前七年――アレクビュー・ネジエニグ、北方シャマタルへ左遷される。

 シャマタル暦前六年――アレクビュー、シャマタルの名家の娘ハイネ・アーレと婚儀を結ぶ。

 シャマタル暦前四年――ハイネ、アレクビューの子、ドワリオを出産する。

 シャマタル暦前年――シャマタル人による反乱が勃発。アレクビューが反乱軍の総帥、ハイネが総参謀長となる。

 シャマタル暦元年――ファイーズ要塞にてイムレッヤ帝国軍(三万)と反乱軍(一万)、相対す。反乱軍、イムレッヤ帝国軍を撃退する。この年をシャマタル暦元年とし、『シャマタル独立同盟』を宣言。

 シャマタル暦二年――イムレッヤ帝国、八万の大軍を持って再びシャマタル領へ侵攻。シャマタルの名家『グーエンキム』の頭首ボスリューがアレクビューの元へ馳せ参じる。アレクビュー、三万のシャマタル独立同盟軍を率いて、オロッツェ平原まで進軍。イムレッヤ帝国軍に大勝する(第一次オロッツェ平原会戦)。

 シャマタル暦三年――フェーザ連邦、イムレッヤ帝国領に侵攻。イムレッヤ帝国はシャマタル独立同盟に対し、大軍を差し向けることが困難になる。シュナイ・エルメックが北方方面軍総帥に着任。

 シャマタル暦八年――イムレッヤ=フェーザ戦争終結。ハイネ・アーレ逝去、享年三一歳。

 シャマタル暦一三年――シャマタル=ゼピュノーラ同盟成立。

 シャマタル暦十四年――アレクビューの息子、ドワリオとグーエンキム家のカリンが婚儀を結ぶ。

 シャマタル暦一五年――フェーザ連邦に属するアスバハ公国・ピュシア王国・カデュパフ王国連合軍、五万の大軍を持ってシャマタル領へ侵攻。同じくフェーザ連邦に属するゼピュノーラ王国、グヒル・ゼピュノーラはシャマタル独立同盟へ味方する。ドワリオは作戦参謀、カリンは連隊長として戦いに参加する。ドワリオとグヒルの情報操作により連合軍に軋轢が生じる。ボスリュー・グーエンキム、独立同盟軍三万を率いて、ランオ平原に進軍、連合軍と相対する。シャマタル独立同盟軍、大勝する。ドワリオ負傷する。

 シャマタル暦一六年――ドワリオ急去、享年二十歳。クラナ誕生。カリン失踪する。ゼピュノーラの第二王女ユリアーナ、シャマタルへ。

 シャマタル暦二一年――シャマタル独立同盟軍(三万)、総帥アレクビュー・ネジエニグ。イムレッヤ帝国軍(六万)、総帥シュナイ・エルメック。オロッツェ平原で相対す(第二次オロッツェ会戦。またの名を双璧会戦)。勝敗着かず。シャマタル独立同盟軍、副総帥フィラック・レウス負傷。フィラック、一線を退き、クラナの世話役となる。イムレッヤ帝国皇帝、フーリッヒ三世崩御。後継者問題で帝国に内乱が勃発。


 第二次オロッツェ会戦は両軍痛み分けに終わり、帝国は後継者問題で内乱に突入、これによりシャマタル独立同盟は以後十年以上大きな戦が無かった。

 その間に帝国では新たな英雄が誕生しようとしていた。

 若き英雄、名を『イムニア・フォデュース』という。


 シャマタル暦二六年――第二次イムレッヤ=フェーザ戦争勃発。

 シャマタル暦二七年――ゼピュノーラ王国滅亡。ゼピュノーラ王国第二皇女ユリアーナ、失踪。エルメック、北方方面軍の総帥を辞任、イムニア・フォデュースの後見人となる。イムニア、初陣でフェーザ連邦の将軍を討ち取る。その功績で連隊長になる。

 シャマタル暦二九年――ターテスー平原会戦において、イムニア一個連隊でフェーザ連邦軍二万を撃破する。イムニア、将軍に任じられる。

 シャマタル暦三〇年――イムニア、テェアト平原会戦でフェーザ連邦軍に壊滅的打撃を与える。イムニア 、西方(フェーザ連邦)方面軍の総帥となる。

 シャマタル暦三一年――イムレッヤ帝国とフェーザ連邦、停戦協定を結ぶ。イムニア、北方方面軍の総帥となる。

 シャマタル暦三三年――シャマタル独立同盟軍(三万)とイムレッヤ帝国軍(六万)、バーンファル平原で相対す。アレクビュー負傷。シャマタルは多大な被害を出しながらも勝利する。イムニア、初陣以来、初めて敗戦を経験する。

 シャマタル暦三四年――イムレッヤ帝国、イムニアを総帥として、再びシャマタルへ侵攻する。



 シャマタル歴三四年、九月。

 シャマタル独立同盟軍はオロッツェ平原でイムレッヤ帝国軍を迎え撃つべく進軍していた。

 そこへ凶報が届く。総帥、アレクビューが倒れた。

 アレクビューが率いてくるはずのシャマタル独立同盟軍の最精鋭軍団の姿が無い。シャマタル独立同盟軍は浮足立った。

 連隊長たちは、緊急の軍議を開いた。

「総帥が来られぬ以上、我々の不利は明白。ここはファイーズ街道まで後退し、街道の狭さとファイーズ要塞を背後にする有利の元、戦うべきだ」

 進言したのは第五連隊のアーサーン連隊長だった。

 肌は浅黒く、これはもちろんシャマタル人でないことを意味している。そんなアーサーンがシャマタル独立同盟連隊長の一人に抜擢されたのは、アーサーンの才覚が成せるものである。

「敵はあのイムニア、戦争の天才と称される青年だ。フェーザ連邦との戦争では、フェーザ連邦軍を壊滅まで追い込んだと聞く。それに……」

 アーサーンは言葉を濁した。アーサーンが言おうとしたことを理解しなかった者はいない。アレクビューが倒れた遠因には、去年、戦場で負った傷がある。

「総帥がいないからと言って、後退するなどもってのほか!」

 力強く否定したのは、第一連隊のフォドリュー・グーエンキム連隊長である。齢は四十六、髭を生やし、いかにも武人と言った風貌の人柄である。グーエンキム家はアレクビューの妻だったハイネのアーレ家に匹敵する名族で、シャマタル独立当時から現在に至るまでアレクビューを支えている。先代のボスリュー・グーエンキムが三年前に死去してからは、長子のフォドリューが家督を継ぎ、ボスリューの率いた兵力を譲り受けた。フォドリューは七光の暗愚というわけではない。父やアレクビューの期待に何度も応えた。

 しかし、今回に至っては些か視野が狭くなっていると言わざる負えない。アレクビューが倒れた今、新たな英雄になる。その野心を抱いたからである。

 結局、フォドリューはオロッツェ平原で決戦することを変更しなかった。

「待て、なぜグーエンキム殿が指揮をとるのか?」

 不服そうに言ったのは、第三連隊のアムサス連隊長だった。フォドリューとアムサスの不仲は有名だった。それでも、今まではアレクビューの存在が致命的な決裂を招くことを回避していた。

「グーエンキム家はシャマタル独立同盟成立から、軍の中枢を支える名家である。総帥がいない今、私が指揮するのは当然のこと」

「何が名家だ。グーエンキム家は日和主義で始まりの戦い『第一次ファイーズ要塞攻防戦』には不参加だったというではないか!」

「父は愚弄するか! そんなに不満ならアムサス殿は帰られよ」

「なんだと!」

「二人ともお待ちください!」 

 白熱する二人を制止したのは、第十連隊のユーフ連隊長だった。

「敵を目の前に味方同士で口論など、総帥が知ったら悲しみますぞ」

 ユーフに言われ、二人は歯切れが悪そうに口論を止めた。

 軍議はまとまりを欠き、最低限の布陣と作戦構想を決定するだけで終わってしまった。

「ユーフ連隊長」

 アーサーンは軍議が終わると、ユーフに声をかける。

「今回の戦い、勝てるとお思いですか?」

「私に聞く前にアーサーン殿の意見を聞きたいものだ」

「私の経験上、総大将とその下で動く指揮官たちが同階級であった場合、勝ったという話をほとんど聞きません」

「同感だ。失礼だが、グーエンキム殿は器ではない。だが、アーサーン殿、勝てない、と思っているとすれば、何か手はあるのかな?」

 アーサーンは黙り込む。

「シャマタルの独立は、総帥と今は亡きハイネ・アーレ様、このお二人がいたからこそなったことだ。シャマタル独立同盟に寿命が来たのやもしれん…………私としては、やるべきことはやるつもりだ。イムニアはまだ若い、それに去年の敗戦で少なからず、自尊心を傷付けられただろう。希望的観測だが、大きな過ちを犯すやもしれん」

「もし、犯さなければ?」

「その時はシャマタル独立同盟が、歴史の一瞬に存在したと記憶されるだけであろう」

 それだけ言うと、ユーフは立ち去る。



「イムニア様、アレクビュー急病の報は真のようです」

 銀髪の青年、リユベック・ジーラーが言った。イムニアの右腕であり、イムニア麾下六将軍の一人である。

「なんだと! あの英雄と私は戦えないのか!」

 アレクビュー不在と聞けば、相対した者は喜ぶのが当然であろう。しかし、イムニアは酷く落胆したのだ。青年の名はイムニア・フォデュース。金髪を靡かせ、容姿は男でも色欲を覚えるほど可憐である。

「残念にお思いですか?」

「そんなことはない…………と言ったら、嘘になるな。私が唯一敗北した相手だ。もう一度戦い、雪辱を晴らしたかった」

「英雄も体一つ、心臓一つの人間ということですね。年齢には勝てなかったのでしょう。ですが、シャマタルに引く気配が無い以上、流血は避けられますまい」

「英雄無きシャマタルの力など多寡が知れているが、油断は大敵だな。リユベック、今回もお前の騎兵隊の力に期待しているぞ」

 善処します、とリユベックは答えた。

 イムニアの躍進には、リユベック軍団の騎兵隊の力が常にあった。

 昨年の会戦では、全体において破れたが、リユベックはシャマタルの二個連隊を壊滅させ、連隊長を討ち取った。

 オロッツェの会戦に参加したのは六大将軍の内、五名である。

 守勢に定評のあるハルツァー・ミュラハール。

 猛攻を得意とするビィト・フェルター。

 攻勢、守勢、後方支援、どれも水準以上の結果を出す紅一点のアンシェ・カタイン。

 騎士団という乱戦に特化した集団を持つ最強の武人、リンク・ガリッター

 そして最強の騎兵隊を指揮するリユベック・ジーラー。

 これ以外にエルメックというイムレッヤ帝国最年長の大将軍が後方に控えている。

 イムニアは各将軍に一万の兵力を振り分けた。総兵力は六万である。

 イムレッヤ帝国軍は戦略上、十分な情報と補給。戦術上、十分な指揮官を揃えた。

 対するシャマタル独立同盟軍は、フォドリューの第一連隊、アムサスの第三連隊、ホードの第四連隊、アーサーンの第五連隊、リントの第八連隊、ボーディンの第九連隊、ユーフの第十連隊、投入した。総兵力は約三万五千万である。

「数では、私たちが有利だ。が、これは今回に限ったことではない」

 イムニアの言う通りだった。イムレッヤ帝国軍はシャマタル独立同盟軍に対し、常に兵力では上回っていた。

 それでも勝利と呼べる戦歴はない。

「だが、今回は英雄アレクビューもいない。シャマタルの、そして私の、命運はどう転ぶかな?」

 そうは言ったが、イムニア本人は、勝利を疑っていなかった。



 戦場に開戦の笛が鳴り響いた。

 ″第三次オロッツェ会戦〟は開戦から一時間ほど、一進一退の展開が続く。

 初めに戦局が動いたのは、開戦から二時間後、十一時頃だった。ガリッター軍団の思惑にはまり、左翼を担う第三連隊が混戦状態に陥っていた。

「連隊長、総司令部に救援の要請を出しましょう」

 参謀の一人が進言する。

「グーエンキムに頭を下げろと言うのか? 馬鹿を言え! 我々は我々の兵力だけで戦う。グーエンキムになど頼らん!」

 そうは言ったものの、アムサスの表情には焦りと恐怖が映っていた。

 ガリッター軍団に開けられた傷口は徐々に広がっていく。シャマタル独立同盟軍の左翼は総崩れするかに見えたが、結局のところ、それは防がれた。同じく左翼を担うボーディン連隊長が機転を利かせ、ガリッター軍団を撃退したのだ。その代償にシャマタル独立同盟軍の中央と左翼は完全に分断されてしまった。

 右翼では、アーサーンとユーフが巧みに連携し、カタイン軍団を押していた。

 これに対し、イムニアはフェルター軍団を投入し、シャマタル独立同盟軍の右翼を崩しにかかる。

「猪の手、いえ牙を借りるのは癪に障るけど仕方ないわね。敵もどうして中々やるものだわ。どうせフェルターにまともな連携なんてできないでしょうから、私たちは彼の邪魔にならないように動きましょう」

 カタインは不満を言いながらも、フェルター軍団の突撃を援護した。

 アーサーンはこの動きを察知した。フェルター軍団を受け流し、第十連隊と挟撃する。

「後ろの敵に構うな! 前面の敵を突破し、一気に敵の本営を突く! 突撃だ!」

 フェルター軍団は、司令官の性格を体現するような軍団である。イムニア麾下の将軍の中にあって、最強の破壊力と称される。それは〝猛攻〟の一言だった。

「ここを突破されれば、全軍が崩壊するぞ! 何としても踏み止まれ!」

 ユーフが檄を飛ばす。

 ユーフは一流の指揮官である。フェルター軍団の攻勢を防ぎ切り、戦列の伸びたフェルター軍団に逆撃を加えた。フェルターも応戦するが、すでに攻勢の限界点だった。

「くっ、止む負えんか…………一旦撤退する!」

 フェルターは致命的な損害を被る前に一旦後方へ下がる。

「さすがにただの猪武者ではないか。こちらも一旦、後退し、陣形を再編する。急げ!」

 ユーランは戦闘が止んだ隙に自軍を再編した。が、副将が戦死するなど手痛いの損害を出してしまった。 中央ではイムニアの直属部隊とミュラハール軍団が、ボスリューの本営を何度も脅かしているが、完全崩壊とはいかない。

「全体では、我が軍の優勢は揺るぎないが、敵も中々やるな」

 イムニアは、笑いながら言う。そして、急に真剣な表情になり、

「決定打が必要だな。リユベックに連絡しろ! 孤立した敵の左翼を急襲しろとな」

 リユベック軍団が行動を開始する。シャマタル独立同盟軍の左翼に対し、騎兵が突撃する。側面攻撃。単純だが、強力な騎兵の必勝戦術である。

 リユベック軍団が戦線に参加したことで、イムレッヤ帝国軍の士気は高揚した。イムレッヤ帝国軍は総攻撃に転じる。

 騎兵は第三連隊を突撃した。ガリッター軍団との戦いに疲労していた第三連隊にそれを押し返す力はなく、あえなく敗走した。

「逃げるな! 戦え! 戦って死ね!」

 アムサスは自ら槍を振るったが、共に戦おうとするものはいなかった。圧倒的多数で迫る騎兵の突撃に巻き込まれ、アムサスは戦死した。

 ボーディンの第九連隊は孤立無援となった。

「全隊、密集せよ! 槍を前に出し、騎馬の突撃に備えよ!」

 ボーディンは的確で、素早い対応をしたが、それは延命に過ぎなかった。迫る帝国軍に対し、ボーディンは抵抗を続けたが、ついには戦線を支えきれず、潰走する。


「ここまで多勢に無勢では、小さな戦術などなんの意味も持たぬか…………これまでだな」

 ボーディンは兵士が止めに入る間も無く、短剣を自ら喉元に突き立てた。それを見た兵士たちも続いた。

 左翼の崩壊から勝敗が決するまでは短時間だった。

「ええい! 何をしている!? 左翼から迫る敵を迎撃せぬか!」

 フォドリューは今更ながら、側面から迫る敵に対応するが、遅すぎた。

「リユベック軍団が本陣に迫りつつあり!」

 兵士の言葉にフォドリューは青くなった。自軍のことで精一杯になり、劣勢であった左翼に予備戦力を投入しなかった。フォドリューは全軍の大将としては、判断は遅すぎた。視野は狭すぎた。フォドリュー自身が大将の器でないと気付いたのは、死の寸前だった。

 シャマタル独立同盟軍中央は成す術なく壊滅した。

 勝利したのはイムレッヤ帝国軍。大勝利だった。

「〝英雄アレクビュー〟無きシャマタルに勝っても虚しいだけだな…………」

 イムニアは、勝者とは思えない溜息を吐く。

「残敵を殲滅後、一度全軍を引きますか?」

「ああ、そうしてくれ」

 兵士の言葉に対し、イムニアは興味が失せたように返す。

 中央軍が壊滅したのを確認すると右翼のアーサーン、ユーフ両連隊長は退却を決定する。

 しかし、すでに戦場は敵で埋め尽くされており、撤退は容易ではなかった。

「アーサーン連隊長、敵の追撃を振り切れません! このままでは…………」

 一人の兵士が言った。

「ユーフ連隊長より伝令! 我らが殿を務める。アーサーン殿は残兵をまとめ、撤退されたし、とのことです!」

「ユーフ殿が…………すまぬ」

 アーサーンは歯軋りをした。

「全軍撤退せよ!」

 シャマタル独立同盟軍はファイーズ要塞まで撤退した。そこでユーフ連隊長戦死の報が届く。

 シャマタル独立同盟軍は五割の兵力を失った。フォドリュー、ホード、アムサス、リント、ボーディン、ユーランの六連隊長が戦死した。シャマタル独立同盟発足以来、初めての大敗であった。

 アーサーンはファイーズ要塞で抵抗を続けた。イムレッヤ帝国軍の攻勢は凄まじかった。ファイーズ要塞は陥落する。誰もがそう思った。

 しかし、例年より一カ月も早い雪がシャマタル独立同盟を延命させた。イムレッヤ帝国軍は侵攻を断念し、ファイーズ街道から退却する。



 ベルガン大王国領内、傭兵〝獅子の団〟野営地。

 春が恋しい季節。

 傭兵稼業を行う『獅子の団』に契機が訪れようとしていた。

 始まりは副団長ユリアーナの様子がおかしいことからだった。

 時間さえあれば、自分の癖のある栗色の髪の毛を弄んでいる。それはユリアーナが考え事をしているときの癖だった。

「ユリアーナ、なんだか最近元気がないみたいだけど?」

 リョウが尋ねる。

 ユリアーナは、「何でもないわ」と答えただけだった。

 それを見たリョウは、カマをかけることにした。「シャマタル」という単語を口にする。

 瞬間、ユリアーナはピクリと反応する。

「やっぱりか」

 リョウはいかにもすべてを知っているかのように装った。

「なんであんたがそれを……? ルピンが話したのね!?」

「水臭いじゃないか。なんで僕らに話してくれなかったんだい?」

「言えるわけない。せっかく大きくなったこの団を危険にさらすことになるもの」

「危険って傭兵稼業も十分危険だと思うよ」

「それとはわけが違いわ! シャマタルはイムレッヤ帝国を相手に戦争をしているのよ!」

 話が読めてきた、とリョウは思った。シャマルタ独立同盟とイムレッヤ帝国は慢性的戦争状態だ。今までは英雄、アレクビューの力で戦線は膠着していた。

 しかし、去年の夏、アレクビューが病に倒れた。

 アレクビュー不在のシャマタル独立同盟軍は、国の内外に勇名を馳せる名将イムニア・フォデュース率いるイムレッヤ帝国軍に、オロッツェ平原会戦で大敗した。さらに大兵力を持ってシャマタルへ侵攻。冬になり、大雪に見舞われたため、イムレッヤ帝国軍は撤退するが雪解けと同時に再侵攻してくるのは明白、それはすぐそこまで迫っていた。

 ユリアーナが気にかけていたのは、シャマタルのことだ。無論、滅んでほしいなら心配などしない。

「ユリアーナ、その話もう少し詳しく話してくれないか?」

「詳しくって、あなた知っているんじゃないの?」

「知らない。知っているふりをしていただけさ。兵は詭道なり、ってね」

 ユリアーナはキッとリョウを睨む。リョウは怯んだ。

 一発くらい殴られる覚悟した方がよさそう、とリョウは思い、目を瞑り、歯を食いしばる。

 ユリアーナは自制する。

「はぁ…………まぁいいわ、話してあげる。私は昔、アレクビュー様の元にいたの。そこでアレクビュー様から文武を学んだわ。アレクビュー様には恩がある。私が一生を捧げても返せない恩があるのよ。そのアレクビュー様が死ぬところを私は見たくない。耐えられないのよ」

 リョウは殴られなかった。

 ユリアーナは事情を簡潔に話した。

 ユリアーナは本来、こんな場所にいる身分の人間ではなかった。一国の姫君、それが彼女の地位だった。しかし、母国は滅び、父は死に、一族は四散、今では何人生きているか分からない。そんな有様だ。残酷だが、珍しいことではない。乱世とはこういうものだ、とユリアーナ自身納得している。ユリアーナは、自身が生きている分、運の良い方だ。

「そのこと、グリフィードには話したのかい?」

 ユリアーナは頭を振る。

「話せない。何を話せばいいの? 戦いに参加してほしいとでもいうの? 私たちが参加してきた小競り合いや国境紛争とはわけが違う。『戦争』なの、しかも敗戦必死な。副団長が私事を口にしたらいけない……この団、五〇人を巻き込むことなんてできないのよ…………」

 ユリアーナの声が震える。

「なるほど。で、あるらしいが団長閣下はこの件どうする?」

 ユリアーナがハッとし、振り向く。

 立っていたのは団長のグリフィードと、ちんまりしたのが一人、ルピンである。

「ユリアーナさんの気持ちは分かりましたが、私はあえて進言します。この戦争には関与しないのが賢明でしょう。我々は義勇集団ではありません」

 童顔の年長者、ルピンの言い方は冷徹だった。見た目と言い方が不釣り合いだ。

「ずいぶんと冷たいことを言うじゃないか。ルピンちゃん」

「誰かが慎重論を唱えないとあなた方を止める者がいなくなってしまうじゃないですか」

 ルピンが視線をグリフィードに向ける。

「ユリアーナ、シャマタルへ向かうぞ」

 白髪の青年、グリフィード。彼は迷いなく宣言した。

「グリフィード、行ってどうするの? 今回は今までとは違うのよ」

「ユリアーナが死なせたくない、その英雄に俺は興味が出た。だから行く」

 グリフィードは無邪気に笑った。

 ルピンは自分の慎重論が予想通り棄却されて苦笑いだった。

 ユリアーナは複雑そうだった。内心はうれしいだろうが、副団長としての立場があるからだ。

 結局はシャマタル領へ行くことになる。グリフィード、ユリアーナは傭兵団員の信頼が厚い。ユリアーナの事情を知り、拒絶する者はルピン以外にいなかった。

「ルピン、俺とお前の関係は対等だ。嫌なら付いてこなくてもいいぞ」

「私に帰るべき家や国があれば、帰りたい事態ですけどね。残念ながら家はなく、国に戻れば死刑でしょうから帰れませんね」

 ルピンは苦笑いする。

 結局、ルピンも行動を共にすることを決めた。



 シャマタル領へ入るとまだ雪が残っていた。

「で、どうやって俺たちを売り込むんだ?」

 シャマタル領の街に着いたリョウたちは、方針を相談していた。

「ユリアーナさん、あなたがネジエニグ様とあったのは十年前ですよね。ここ十年でユリアーナさんは自分が風変わりしたと思いますか?」

 ルピンが尋ねる。ルピンはフードを被っていた。

「そんなこと聞いてどうするのよ? 私の姿ね…………そんな四六時中見てるわけじゃないから絶対とは言えないけど、そんなに変わってないと思うわ。私、子供のころから大人っぽい顔だったから。身長が少し伸びたかしら。それから…………」

 ユリアーナの視線が自身の胸元へ。

「ルピン閣下、ユリアーナは胸が成長したそうです! これは幼児体型のルピン閣下に対する宣戦布告と…………がはっ!」

 ユリアーナが、リョウを殴る。

 ルピンが、リョウを蹴る。

 ルピンの蹴りよりユリアーナに殴られた方が痛かった。

「声が大きい! それにあんたが指摘することじゃないわよ!」

「リョウさん、話を脱路させないでください。それから幼児体型とは失礼です! …………話を戻しますよ。こういうのはどうですか?」

 ルピンが提案する。

 交渉事でルピンに敵う者はいない。ルピンは、ユリアーナの私兵団として売り込むことを提案した。ここに至った経緯も「国を失い、再起のため力を蓄えていた。そこへネジエニグ様の窮地を知った。昔の恩を返すため加勢に来た」とした。

「なるほど俺たちはユリアーナ私兵団、か」

 グリフィードは面白そうだった。

 ユリアーナはからかわれたと思ったのか、グリフィードをキッと睨む。

「僕はルピンの案に賛成だよ」

 リョウは肯定派についた。グリフィードも続く。ユリアーナも露骨に嫌そうな表情で「それしかなさそうね」と同意した。

「じゃあ、いつも通り頼むよ。ルピン」

「私は今回、遠慮しておきましょう。慣れない土地まで来たせいで団員に体調不良を訴える者が出ています。少しは医療を知っている者がいないといけないでしょう。ユリアーナさんならうまくやってくれますよよ」

「ルピンに言われてもお世辞にしか聞こえないわね。で、他の随員は誰が良いかしら?」

「グリフィードさんとリョウさん、それと一個小隊でどうでしょうか? 二人なら不測の事態にも柔軟に対応してくれるでしょうし」

 グリフィードは二つ返事で了承する。

「過大評価だな」と言いつつ、リョウも了承した。

 リョウたちはシャマタルの首都へ向かった。


 シャマタルの首都はアーレ家の本拠地であった場所にある。首都の名をシャマタル独立に尽力したハイネの名が付けられ、『ハイネ・アーレ』という。

 シャマタルの中心に位置し、三つの大きな街道が通っている。ここが交易の中心地である。交通の便は言うまでもなくいい。反面、侵略された場合は東西南北、どちらを見ても守りにくく、攻めやすい。首都決戦には向かない場所であった。そのため、イムレッヤ帝国の度重なる侵攻を、ファイーズ街道・城塞で防ぐことがシャマタル独立同盟軍の基本構想になっていた。逆を返せば、ファイーズ要塞の陥落は、戦略面からみても、現在のシャマタル独立同盟軍の戦力からみても即滅亡を意味していた。

 シャマタル領へ侵攻する街道はもう一つ存在する。それがフェーザ連邦との接地にある『ザーンラープ街道』である。

 しかし、一度の例外を除き、この街道からの侵攻はなかった。フェーザ連邦にとっては、イムレッヤ帝国の後背に憂いがある状況の方が望ましいからだ。それに好き好んで北の極地を征服するなど、叛徒討伐を掲げるイムレッヤ帝国ぐらいである。

 イムレッヤ帝国はフェーザ連邦、ローエス神国、ベルガン大王国、リテリューン皇国などの大国と国境線が接しており、多方面に戦力を分散配置しなければならないかった。

 反面、シャマタル独立同盟はただ一つ、ファイーズ街道を守るために戦力集中できる。

 そのような事情と英雄の存在によって、戦力差一:十といわれる状況で、シャマタル独立同盟は三五年余りの存続が可能だった。



 グリフィード傭兵団、もといユリアーナ私兵団はすんなりと登用された。ユリアーナの振る舞いの功績である。

 リョウが唖然としたのはその直後のことだった。リョウ、グリフィード、ユリアーナの三人は、揃ってアレクビューの屋敷に招待されたのだ。

 ユリアーナは貴族だが、現在は無位。ユリアーナの名前に力はない。ルピンもユリアーナの元立場を利用することしか、考えていなかった。不利な状況のシャマタルに僕らが手を貸す理由、それにユリアーナの名前を使っただけだ。

 それなのにリョウたち、というよりユリアーナはアレクビューの屋敷に招かれた。リョウとグリフィードは待機。ユリアーナはアレクビューのいるらしい奥の間へと案内された。

 ユリアーナは驚いていた。自分の名前を出しても心底は信じてもらえないと思っていたからだ。

 奥の間には二人が座っていた。一人はシャマタル独立同盟軍総司令官アレクビュー・ネジエニグ。もう一人はユリアーナの知らない人物だった。

「腰掛けられよ」

 アレクビューに言われて、ユリアーナは着席する。

「どうやら、おぬしは本当にあのお嬢ちゃんのようだな」

 アレクビューは静かに言った。老体で、病中でも巨躯と威圧感は一線を画していた。

「お元気そうで…………という言葉が使えないのが残念です。私がユリアーナ本人だとなぜ信じられるのですか?」

「ワシは人を見る目をもっとるつもりじゃよ。お嬢ちゃんをここに招いたのは本人か確認したかったからじゃ。もしあの国の者を名乗る偽物ならこの場で斬るつもりじゃったよ」

 アレクビューは淡々と話す。冗談は含まれていない。

 ユリアーナは幼少期をシャマタルで過ごした。

 ユリアーナの父、グヒルは謀略によって国を奪った。国の名はゼピュノーラ。フェーザ連邦に属する一国であった。相手は実の父、ユリアーナの祖父である。ユリアーナの祖父は国政を蔑にし、重臣たちは民に多額の税を押し付けた。父はそんな祖父から民を救った。幼少期のユリアーナには父が輝いて見えた。

 しかし、父に味方は少なかった。

 謀略によって国を奪ったグヒル。家臣団の印象はよくなかった。加えて、重臣の持っていた特権を廃したことで不満も出た。グヒルはそんな状況を打開すべく、様々な策を打つ。その一つが、シャマタルとの同盟だった。

 ユリアーナは幼少期、アレクビューの元で文武を学んだ。自分が成長すれば、父の味方になれる。その一心だった。シャマタルとの関係も良好だった。

 事態が急変したのはユリアーナが十四才の時の冬だった。グリルが隣国のアスバハ公国に攻められた。それだけなら対処できた。問題は内部にあった。アスバハに呼応して反対派が反逆。グリルはまともに戦える状態ではなかった。シャマタルは大雪で軍事行動が取れない。春になってアレクビューが軍勢を派遣できるようになった時には遅かった。国は滅び、父は死んでいた。その直後、ユリアーナは姿を消したのだ。

「おぬしと会うことはもうないと思っていたが、まさかこんな形で会えるとはな」

 今日は八年ぶりの再会だった。

「あの時は感謝の言葉もなしに姿を消して申し訳ありませんでした」

 ユリアーナは深々と頭を下げる。

「気にせんでいい。わしこそグヒル殿を救えず面目ない。……というわけじゃ。今回、おぬしに加勢される義理はない。今すぐこの国を出よ」

「それには及びません。これは私の自己陶酔のようなものですから。もしネジエニグ様が父のことに関して少しでも面目ないとお思いなら私たちを最前線にお送りください。私はそれで満足です」

「…………一度は止めるのが礼儀と思うたから言った。好きにするがいい。最前線へ送ろう。できることならワシが直接指揮をしたいが、この様ではな。ワシの代わりにフィラックが行くことになっとる」

「フィラック様ですか? アレクビュー様の腹心ですよね。ずいぶん前に引退されたはず」

「ワシの危機に前線復帰を申し出たのじゃ。お主はフィラックとも面識がある。あやつを助けてやってはくれぬか」

「喜んで引き受けます」

 配属の話は一段落した。

「話はまとまったようですね。伯父上」

 二人のやりとりを静観していた男が口を開いた。

「ゼピュノーラ殿、私のことは覚えているかな?」

 男は親しげに話しかける。

「えっと、その………」

 ユリアーナは困り果てた。目の前の四〇前後の質素な男が誰なのか思い出せない。

「無理もないな。君と会ったのは数度だけだから、私はアーレ・ハイネの甥で、今はシャマタル独立同盟の元首をやっているフェロー・アーレという者だ」

「元首!?」

 ユリアーナは驚いた。フェローの風貌がそのようには見えなかった。

「申し訳ありません!」

「何を謝ることがある? 元首などただのまとめ役だ。偉そうにする道理などない。そんなことより、今日は疲れたのではないか? ゼピュノーラ殿が良ければ、この後食事などどうだろうか?」

 ユリアーナは少し考え、口を開く。

「大変光栄なのですが、非礼を重々承知の上で、お断りします」

 総司令官と元首、この二人と長くいてボロが出るのは避けたかった。

「私は近くの街に、他の者たちを待機させているので急ぎ戻り、決まったことを知らせなければなりません」

「そうか、ならこの戦争が終わってからにするとしよう」

 それに関して、ユリアーナは快く承諾する。



「この屋敷は広いな! 俺たちは完全に場近いだ」

 グリフィードが笑いながら言った。

 場違いは僕一人だよ、とリョウは返す。

 グリフィードは高貴な服を纏い、言葉遣いに気を付ければ、貴族で通る。白髪の青年は、そんな容姿と雰囲気を持っている。

 リョウとグリフィードは、屋敷の中央の庭にやっていた。

「見ろ、リョウ、池だ、池! 屋敷の中にこんな広い池があるぞ」

 グリフィードは子供みたいにはしゃいでいた。何事にも興味を持ち、楽しむことができるのはグリフィードの才能かもしれない。

 少し疲れたリョウは、中庭の中心にある大樹の下に座り込んだ。すると、頭上から不自然に枝が落ちて来た。リョウは見上げた。人がいた。女の子だ。相手もリョウに気付き、二人は視線が合った。人がいたことに驚き、女の子はバランスを崩した。

「危ない!」

 リョウは落下してきた女の子を受け止める。年は同じくらい。金髪と白い肌が印象的な美少女だった。この少女にはもう一つ特徴があった。それは……………………

 ムニッ……。

「おお! こ、これは……」

 リョウは、偶然掴んでいた女の子の胸を揉んでみた。

 ムニッ……ムニッ……。

「ひゃうっ!」

 恥じらいの声を漏らす。

「すごいユリアーナ以上か……」

「きゃ~~~~~~~~~~~~」

 絶叫が響く。

 ほとんど反射的に、少女はリョウを殴った。

 リョウは意識を失った。



 リョウは目を覚ます。ベッドの上だった。

「ここは?」

 リョウは周りを見渡した。

 グリフィードとユリアーナ、リョウの知らない男が三人。一人は隻眼だった。

 そして、先程の女の子もいた。

「リョウ、リョウ、大丈夫!?」

 ユリアーナが、リョウの肩を掴む。

「痛いよ、ユリアーナ、心配してくれるのはうれしいけどね」

「ごめんなさい、でもあなたがクラナ様を助けるために倒れたって、聞いたから」

「…………クラナ様?」

「それは私のことです。リョウさん。自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はクラナ・ネジエニグと申します。先程は助けていただき、ありがとうございました」

 先ほどの女の子が名乗り出た。

そして、木登りをしていた理由を「巣から落ちた雛を戻していたから」だと説明した。

「君はさっきの…………ごめんなさい、悪気はなかったんです。魔が差したのです」

「なんで助けたあんたが謝ってるの?」

 リョウは言えなかった。言ったら、ユリアーナに殺されてしまう。

「あ、あの、私、男性の方に触れられるの、初めてで…………驚いて、そ、その、殴ってしまったのです。本当にすいませんでした」

 クラナが頭を下げた。

「いや、こっちもいい思い…………じゃなく、男として当然のことをしたまでだよ」

「かっこよかったぞ、リョウ」

 恐らく、全てを見ていたであろうグリフィードは含み笑いをした。

「ワシの孫娘を救ってくれたこと、礼を言うぞ」

 リョウは英雄に名前を呼ばれ、背筋が伸びた。

「リョウ青年。ワシはアレクビュー・ネジエニグ。こっちはフィラックじゃ」

 紹介された隻眼の男が、無言で頭を下げた。

「ユリアーナ殿から話は聞いておる。中々にできる参謀らしいの。フェラックを助けてやってくれ」

 微力を尽くします、とリョウは返答した。

「クラナ様、御立派になられましたね。お元気そうでなによりです」

「ユリアーナさんこそ、御無事でよかった。またお会いできるとは思えませんでした。すごいですね、ユリアーナさんは、国を再興するために団を作ったらしいじゃないですか」

「え、ええ…………」

 ユリアーナは少しだけためらった。嘘を言っていることに、後ろめいた気持ちはある。

「そんなことより、クラナ様は勇ましくなられましたね。まさか、人を殴るなんて」

 ユリアーナは話題をずらしたかっただけだった。

 しかし、話は望まない方向へ向かった。リョウにとって望まない方向へ。

「そ、それは、その、先程も言いましたが、男性の方に触られたのというか、揉まれたことに驚いて…………」

「はい?」

 ユリアーナの表情が歪んだ。

 リョウの鼓動が早まる。やめるんだ、と心の中で願ったが、無駄なことである。

「揉まれた? 触られたではなく? 誰に? どこを?」

「リョウさんに、胸をです。それで驚いて…………」

 ユリアーナが、逃げようとするリョウの肩を掴んだ。先程より強かった。

「痛い痛い!」

「でしょうね、今度は痛くするのが目的だから! そうだ、あんた、どうせ首から下は役に立たないいんだから、このまま脱臼させるわ」

 リョウの肩からメキ、ということが聞こえた。

「ユリアーナさん、やめてください。きっと不可抗力だったんです。リョウさんだってわざとやったわけじゃないんです」

 ユリアーナの力が僅かに緩んだ。

(よし、話を合わせれば、僕は生き残れるぞ)

 リョウは醜い笑みを浮かべた。

「そうだよ、ユリアーナ、不可抗力だったんだ。わざとじゃないんだ」

「そうですよね。リョウさんはそんなことする人じゃないですよね」

 クラナが頬笑みを、リョウに向けた。

(うっ、人を疑うことを知らないのか。そんな、純粋な瞳で僕を見ないでくれ)

「助けてくれたこと、本当に感謝します」

 クラナの疑いを知らないの無垢な頬笑みで、リョウは浄化された。

「すいませんでした」

 リョウは土下座した。

「わざとだったんです。なんか、ユリアーナのより触り心地がよさそうだったのでつい…………」

 ユリアーナが優しくリョウの肩に手を乗せる。

「正直に話すことは良いことよ。立派だと思うわ」

 ユリアーナは穏やかだった。

「来世では、あなたに幸福があることを願っているわ」

「えっ、ユリアーナさん、今なんて? 僕、死にませんよ」

「うっさいわね! 私が粛清してあげるわ。それにさっきの言い方だと、私の胸も触ってるみたいだったけど、そんなこと一度もなかったでしょ! あんたって、首から下は役立たずよね? だったら、役に立たない部分を斬り離しましょうか!」

「ユリアーナ、人間の体は首だけで生命活動ができるようにはなっていないんだ!」

 リョウは逃げた。

 ユリアーナは追いかけた。

 グリフィードとアレクビュー、フェローは笑っていた。

 フィラックは無言だった。呆れているようだった。

 クラナは、茫然としていた。



 イムレッヤ帝国領。

「では行ってくる」

 老人が言った。老人の名前はシュナイ・エルメック。かつてアクレビューと共に、イムレッヤ帝国の双璧と呼ばれた屈指の用兵家である。

「ああ、頼んだぞ」

 イムニアはムスッと答えた。

「これこれ、自分の思い通りにならんからといって、へそを曲げるでない」

 エルメックは子供をあやすように言う。

「だがなエルメック、なぜ私が皇帝のおもりをせねばならぬのだ? フェーザ連邦の国力が低下した今、フェーザ連邦はこちらの要求を受け入れるしかなかっただろう。シャマタルは昨年の大敗で弱体化した。…………とはいえ、あのファイーズ要塞がある限り、こちらにも無視できない被害が出る。去年の戦いでそれを実感した。シャマタルを滅ぼすのに、ファイーズ街道へこだわらないのは当然だ。だから、私はこの戦略を考えたのだ。皇帝は三男までの皇子を今回の親征に同行させるらしい。奴らはハイエナだ。皇帝は私の武勲を横取りし、実子どもに与えるつもりなのだ…………!」

「これこれ」

 エルメックは五〇以上歳の離れた年少の上司の頭を撫でる。イムニアは恥ずかしかったが、嫌悪はしなかった。

「やめろ。私を子供扱いするな。…………エルメック、ファイーズ要塞方面は頼んだぞ」

 わかっとるよ、とエルメックは言った。

 イムニアの部屋を出ると、リユベックが控えている。

「リユベック、イムニアを頼んだぞ。あやつは激情家なところがあるのでな」

 リユベックは頷き、「御武運を」とエルメックに言った。

「これはこれは、帝国の最年長の将軍と最年少の将軍に会えるとは」

 その声は冷気のように冷たかった。

「失礼ですが、あなたは?」

「申し遅れました。私はマチアン・ウルベルと申します。中央軍で参謀の任に就いております」

 中央軍、その言葉でエルメックとリユベックは警戒のレベルを上げた。

 ウルベルと名乗る者は、男か女か判断しがたい中性的な容姿だった。しかし、イムニアのように可憐とは程遠く、その印象は陰険の一言だった。

「ほう、今回の戦いでは中央軍も動くと聞くがどのように動くか、少し聞きたいものじゃの?」

「それは公式の場で発表するのが筋なのでは?」

「おおっ、ワシとしたことがそなたの言うとおりだ。不適切な発言を忘れてはくれんかの? どうも老い先短いと結論を焦ってしまうのじゃ。ワシはファイーズ要塞の攻略に全力をあげるとしようかの」

 エルメックはわざとらしく笑う。

「お気になさらずに。それにファイーズ要塞は簡単に落ちるやもしれません」

「はて、ワシのような老いぼれにそのような魔術的な策はないのじゃが?」

「エルメック様の策ではございません。私の策でございます。それでは失礼致します」

 ウルベルは自分の策をそれ以上言わなかった。

「不思議な方でしたね。それに何か暗躍しているように思えます」

 リユベックは、不気味と言いたげだった。

「ウルベル、確か上級貴族にそんな名の一族がおったな。二十年ほど前に権力闘争に負け、それ以降は名前を聞かなくなったが。リユベック、あの男には少し注意するのじゃ。どうも中央軍の無能たちとは違う気がしてならん」

 それだけ言うと、エルメックが自室に戻る。

 ウルベルの言葉の意味をエルメックはすぐに理解していた。

「内応者がいるのか」

 エルメックが呟く。

「もし、内応でシャマタルが崩壊するとすれば、それは団結により成立した独立同盟の、シャマタルの寿命ということやもしれん」

 ドアをノックする音がした。エルメックが入室を許可する。入ってきたのは、エルメックの幕僚の一人だった。

「で、現状はどうなっていおる?」

「フェルター・ガリッター、両将軍共、すでに帝都を出立しております。我々も早くしましょうぞ!」

「これこれ、あまり年寄りを急かさんでくれ。我々は遅れていくとする。あの二人には、最善と思う行動を取れ、と伝えよ」

「よろしいのですか?」

「よい。あやつらは今までイムニアの指揮の元で武功を重ねてきた。自らで考え、一個軍団の運用を経験するいい機会じゃろうて」

 エルメックの口調は、教師のようだった。。

 イムレッヤ帝国最年長の将軍は、のんびりと出立の準備に取り掛かる。



 シャマタル領。

「気持ち悪い…………」

 リョウは真っ青だった。現在は、馬車でファイーズ要塞へ移動中である。馬車の中は、武器や食料、その他諸々の物資が一緒に積まれ、閉鎖的で空気も悪い。それでなくても、リョウは馬車というものが苦手だった。

「大丈夫ですか? 水を飲みますか」

 ルピンが声をかける。馬車のなかには、傭兵団の兵士しかいない、そのため、ルピンはフードを被っていない。リョウを心配する表情が窺える。

「いや、いいよ。何か口に入れたら、吐きそうだ…………」

「ちょ、ちょっと、ここで吐かないでよ!」

 ユリアーナが後ずさりをした。

 道の窪みで、馬車が跳ねる。リョウはよろめき、近くの木箱にぶつかった。

「ひゃうっ!」

 木箱から小さな悲鳴が上がった。

「……………………」

 リョウは木箱の蓋を開ける。

「ちょっと。リョウ、勝手に箱を開けちゃだめじゃない! それはファイーズ要塞に運ぶ物資なのよ。封が開いていたら、盗難を疑われるわ」

「僕たちが何も盗んでいないことは、この中の物資に証言してもらおうかな」

「はぁ、あんた、何言っているの? 物がしゃべるわけないじゃない」

「確かに物はしゃべらないけど、者はしゃべるよね?」

「えっ?」

 ユリアーナは木箱の中を覗き込んだ。

「……………………」

 かくれんぼをしていて、「てへっ、みつかちゃった」みたいな顔をするクラナ。

「……………………」

 信じられないものを見て、口をパクパクさせるユリアーナ。

「クラナさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 ユリアーナは絶叫した。

 ルピンは咄嗟にフードを被った。

「リョウ、あんた、ついにやったわね!」

「えっ? ええっ!?」

「と、とぼけるんじゃないわよ! クラナ様を誘拐するなんて、とりあえず首を刎ねてあげる!」

「待って、待ってよ! とりあえずって、それ明らかに〆だよね!? 冤罪もいいところだ。僕はユリアーナが水浴びをしているところを覗いたり、気持ち良さそうにうたた寝しているルピンに抱きついたりはしたことはあるけど、犯罪に手を出したりはしないよ!」

 リョウの中で覗き、痴漢は犯罪にならないらしい。

「まったく、私が寝ている時に抱きつくのはやめて頂きたいのですが…………今はそれよりも、ネジエニグ嬢がここにいる理由を聞くことが先決ですね」

「そ、それは…………シャマタルの大事に私も何かしないと思って…………」

「嘘ですね」

 ルピンは言い切った。

「私に下手な嘘は効かないと思ってください。もし、満足いく答えが返ってこない場合は今すぐに首都へ帰っていただきます」

「そ、それは……………………」

 クラナは黙り込んでしまった。

 ルピンは、クラナを覗きこんだ。そして、何かに気付き、溜息をつく。

「やはりいいです。大層立派な理由でもあるのかもと思いましたが、果てしなく単純で、つまらない理由な気がしてきましたので。あなたがここにいる理由は問いません。ただこの後はどうするつもりですか? ファイーズ要塞には民間区画もありますが、身一つで暮らせるほど甘くはありませんよ。娼婦の真似事でもしてみますか?」

「ちょっと、ルピン、クラナ様にそんな言い方をしなくてもいいじゃない!」

 ユリアーナは感情的に言う。

「いえ、いいのです。ユリアーナさん。私は確かに世間知らずです。ですから…………」

 クラナは頭を下げた。

「私をユリアーナさんのところで使ってください。武術もできます。戦場に立てと言われれば、立ちます。雑用をしろと言われれば、やります。なんでもしますので、私をここに置いてください」

「んっ? 今、なんでもするって…………」

「リョウ、あんたは黙っていなさい! えっと、クラナ様、本気なんですか!? グ、グリフィード、意見を聞かせて頂戴」

「お嬢様、覚悟はあるのか?」

 グリフィードは、クラナに顔を近づけた。

「あ、あります!」

「そうか、俺がやらせろって言えば、あんたはやらせてくれるのか?」

「グリフィード、あんたまで何言い出すの!」

 ユリアーナの顔が真っ赤になる。

「やらせる? 一体、何をやるのですか?」

 クラナはキョトン、とした。

 ユリアーナを除く一同が笑う。

「なるほど、さすが温室育ち。俺たちとは生きる世界が違うな! いいか、お嬢様、やるっているのはな…………」

 グリフィードが言う必要があるのか? ということまで全て言い終えると、クラナとユリアーナは真っ赤になっていた。

「なんであなたまで、そうなっているのですか?」

 ルピンは呆れ顔だった。

「う、うるさいわね! 苦手なのよ。そういう話は…………」

「まったく、生娘じゃないんですから…………で、そちらの生娘さんはどうしますか?」

 クラナは大きく深呼吸をした。

「け、経験が無く、い、至らぬ点が、あ、あるとお思い、ますが、ご指導のほど、よ、よろしくお願い致します」

 クラナはこれ以上ないほど、真っ赤になりながら、頭を下げた。ユリアーナは、クラナに詰め寄り、肩を掴んだ。

「クラナ様、もっと自分を大切にしてください!」

「おじい様が以前、何事も経験だと言っていました!」

「こんな経験はしちゃダメです!」

 ユリアーナは泣きそうだった。

「そ、そう言えば、屋敷はどうしたのですか? クラナ様がいなくなったと知れば、大騒ぎになりますよ」

「それは大丈夫だと思います。侍女の一人に私の代わりを頼んできました」

「そんな安直な…………」

 ユリアーナは頭を抱えた。

「思った以上に面白いお嬢様だ! 分かった。いいだろう。うちの団に置くとしよう。ただし、人目は避けてくれよ。英雄の孫娘が前線に居るなんてことになったら、大騒ぎだ。リョウ、お前のところで使ってやれ」

「えっ、僕のところ? でも僕は教えてやれることなんてないと思うよ」

 ユリアーナが、リョウの胸倉を掴んだ。

「あんた、クラナ様に指一本触れてみなさい…………あなたのアレをちょん切って、ブタの餌にするから…………」

「き、君から空前の殺気を感じるよ…………」

「落ち着け、ユリアーナ、別に俺はお姫様に娼婦の真似事をしろっていうわけじゃない。お嬢様、リョウはな、言葉はしゃべれるが、文字を書いたり、読んだりするのがあまり得意じゃない。だから、あんたには翻訳兼書記をやってほしい。できるか」

「は、はい、できます。リョウさん、よろしくお願いします!」

「まったくグリフィード、あなたは甘いですね」

「美人には優しくしてやらないとな」

「よしこれで一件落着だね。よろしく」

 リョウは、クラナに握手を求めた。クラナはそれを受ける。

 ユリアーナは、リョウの肩をポンと叩いた。

「ところでリョウ、どんな制裁を喰らいたい?」

「ユリアーナ、これはただの握手だよ」

「ええ、分かっているわよ。これは指一本触れる、には関係ないわ。同意の上だもの。けどね、リョウ」

 ユリアーナは笑顔だった。

「私の水浴びを覗いた件はどう弁解するの?」

 リョウは寒気がした。

「ユリアーナさん、それだけじゃありませんよ。あなたが無防備に寝ているところを…………」

「おい、ルピン、ばらすんじゃない! 僕の命に関わる! ユリアーナ、落ち着いて話をしよう。僕は乗り物酔いが酷いんだ。今はよそう」

「そう言えば、そんなことを言っていたわね。なら簡単よ。馬車を降りればいいんだわ。あら、でもそうすると徒歩で移動することになるわね。ファイーズ要塞まではまだ距離があるから、歩くのは大変だわ。こんな時、馬に乗れればいいのだけれど。あなたは馬にも乗れないのよね。そんなリョウに朗報よ。なんと、こんなところにちょうどいいロープが!」

 ユリアーナの言い方は、とてもわざとらしかった。

「これで両手両足を縛って、ファイーズ要塞まで引きずって行きましょう」

「待て、待って、待ってくれ、待ってください! もうしませんから、許して下さい」

「大丈夫、もうそんなことができない体にしてあげるから!」

「ゆ、許して~~~~~~~~」

 リョウは絶叫した。




読んで頂き、ありがとうございます。

これからの展開で一つ宣言しておきますと冬将軍には頼りません!

なるべく早く投稿していきたいと思います。

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