表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/47

第9話 や、やめっ、ひっく、うう……

「そういえば、ロウリィ」


 サクサクと焼き立てのクッキーを食べ進めながら、ロウリィに問いかける。

 気付けば集まった使用人たちも含め、ロウリィの部屋の中では盛大なクッキーパーティが催されていた。

 同じくクッキーを食べていたロウリィは、「何でしょう?」と首を傾げる。


「燻し玉って何なの? さっき言っていたでしょう?」

「ああ、あれですか。まだ、できてはいないんですけどね。チュエイルさんがちょっと新しいものを贈って来たので、こっちも変なものを贈り返してみようかと思っていたんです」

「変なもの?」

「はい。あれは、いくつか考えてみた内の一つです。燻し玉は実用性があるので警備にも役立ちますしね。火をつけて投げつければ、もくもくーってなって、ゴホゴホってなって、涙が出て、マヒして倒れちゃいますよ」


 つまり、やって来た刺客に向かって、火をつけた燻し玉を投げた場合は、煙が大量に出て、咳き込んだり涙で前が見えなくなったり、身体がマヒして動けなくなる、とそう言いたいのだろう。

 ぽやっと説明している割に、よくよく考えてみると彼の話す効能が恐ろしい気がするのは気のせいだろうか。


「ですが、あまりにも効きすぎて、風などの影響でこちらにまで被害が出るのも困りますから。まだちょっと調整中です。中身を詰める入れ物だけならできたんですけどねぇ、何をどのくらい入れるかまではまだ。……そうだ、カザリアさん。ちょっと待っててください」


 言うと、ロウリィは返事も聞かずに立ち上がって、戸棚の方へと向かった。開いた引き戸の内を何やらごそごそと探している。

 待っている間に、クッキーに手を伸ばす。けれども、指先に触れたのは平たい皿の底だった。

 目を向ければ、近くにあった皿からは、あれだけあったクッキーが綺麗さっぱりなくなっていた。残っているのは屑だけだ。

 それでも見渡せば空の皿の近くにも、クッキーの入った四角い箱がある。

 もう少し離れた場所ではこの屋敷の仲間たちが、あちらもどうやらそろそろ形を保てなくなってきたクッキーの山を、雑談に耽りながら摘まんでいた。

 あちらの皿にのっているクッキーには、中央に赤い飴が張られていてまるでステンドグラスのようだ。

 反対に、こちらにある箱に入ったクッキーは飾りも模様もない質素なもの。

 それでも、わざわざあちら側に行くには、ちょっとばかり遠い。それに、ジルの腕は確かだ。質素に見えるものほど、より味が気になった。

 だからこそ何の疑いもなく、手を伸ばして口に含む。

 含んだのが、まずかった。

 そのクッキーの入れ物だけが、唯一箱だったなんてことには気づかずに。


「――待って、カザリアさん! それは……っ!!」


 突然、叫び声を上げたロウリィに、離れた場所で思い思いにクッキーを摘んでいたみんながぎょっとこちらを向く。

 私はというと、ロウリィの声に驚いて思わずごくりとクッキーを呑みこんでしまった。

 変な風にクッキーが気管に詰まったらしく、ゴホゴホと咳が出る。喉が痛い。


「カ、カザリアさん!」


 戸棚の前から慌てた様子で走って来たロウリィに、背をバンバンと叩かれる。

 さっき頬をつねられたのなんて、目じゃない。痛すぎて、余計に咳き込んでしまったほどだ。

 ――が、呑みこんでしまったものが、そう簡単に出てくるはずもなく。

 あまりにも真っ青になったロウリィを見て、さっと血が引いていく気がしたのはこっちの方だ。


「な、何、何か入ってたの!?」


 毒? 毒なの? そうしたら、何。私って、死んじゃうのかしら。

 急に、現実味を帯びた事柄に、背筋がこわばる。

 目からは勝手にぼたぼたと涙が零れ落ちてきた。自分でもびっくりすることに、ひっくひっくとしゃっくりまで出てくる。

 歪んだ視界の先にいるロウリィは、はっとしたように急に動き出したかと思うと、おもむろに箱に入っているクッキーへと手を伸ばした。

 そのまま毒入りクッキーを口に運ぼうとしたロウリィの手から、慌ててクッキーをはたき落とす。床に落ちたクッキーを即座に足で踏みつけて壊した。

 キッと、ロウリィの方を振り返って睨みつける。


「こっの、馬鹿っ! 何やってるの、ひっく、よっ! ロウリィまで死ん、ひっく、だらどうするのよ! ひっく」

「カザリアさんは死にませんよ、安心してください。これは、死ぬほどの毒じゃないんです」

「え?」

「だから、ちょっと食べさせてくださいね」

「だから、やめな、ひっく、さいって!」


 再び箱の方へと伸びかけたロウリィの右手を、ぎゅーっと握りしめて、阻む。その間もひっくひっくとしゃくりあげながら、涙がぼとぼとと落ち続けた。


「や、やめっ、ひっく、うう……」


 何なのこの人。どうしてわからないんだ。

 死ぬような毒じゃないからって、だから何なのよ。

 毒は毒なのでしょう。

 それなら怖いじゃない。

 私はいいとしてロウリィまで毒の巻き添えになって倒れたら、エンピティロはどうなるんだ。

 チュエイル一族に乗っ取られてしまうじゃないか。

 そうしたら、困る人は、他にも、もっとたくさんたくさんいるのに。

 なのに、自分から毒を食べようとするなんて、意味がわからないのよ!

 しゃっくりが止まらなくて、息が苦しい。頭がぼうっとしてきた。涙のせいで視界が霞む。

 怒鳴りたくて仕方がないのに、上手く声が出せないのがもどかしい。

 とにかくダメなのだ、と首を振って訴える。

 彼を止めたくてロウリィの手を握りしめているのか、息苦しくて倒れそうな身体を支えるためにロウリィの手を握りしめているのかが段々わからなくなってきた。

 私を見ているロウリィの蒼色の目に、痛ましげな苦しそうな翳が落ちる。


「すみません」


 ふにふにとした大きな掌に涙を拭われる。

 けれども、効果はあまりなくて、拭かれた分だけ、やっぱり涙がぼろぼろと零れ続けた。


「カザリアさんたちが入って来た時点で、きちんと片づけておくべきでした」


 口を引き結んだロウリィが、私から視線を斜めにずらし俯く。

 だから、ロウリィはぽやっとしてないと気持ちが悪いって言ったばかりなのに。

 彼は深い溜息をついてから顔を上げた。決然とした表情で再び私に向き直る。


「カザリアさん、いいですか。クッキーの中には催涙性のものと横隔膜に働きかけるものが入っているんです。涙としゃっくりが止まらないのはそのせいなので、あまり不安になってはいけませんよ。いいですね」

「ひっ、く、チュ、エ、ひっく?」

「そうです。チュエイルさんのところから贈られてきたもので……さっき言っていた新しいものがまさにこのクッキーだったんですけど」


 本当に申し訳ありません、とロウリィが消え入りそうな掠れ声で謝ってくる。

 ロウリィは、スタンとケフィ、それから彼自身の侍従であるらしいルカウトを呼び招いた。

 同時に、動揺していた他の面々もわたわたとそれぞれ動き出す。


「ルカにカザリアさんを運ばせますので、ケフィは寝台を整えておいてください。スタンは彼らに付いて行くように。そのうちバノが戻って来るのでこちらは問題ないですから、気にせずそちらに付いていてください。それからルカは、ぬるめの白湯を出してカザリアさんに飲ませておいてください。しゃっくりだけでも抑えられれば少しは楽になるでしょうから。できるだけ早く解毒薬を処方しますので」


 ロウリィの指示が切れると同時に浮遊感が襲って、ルカウトに抱きあげられていた。

 ロウリィを止めた形のまま握りっぱなしだった彼の右手から、手をはぎ取られる。はぎ取った本人はというと、自由になった右手をそのまま毒入りクッキーに伸ばして、今度こそぱくりと食べてしまった。


「――だっ、ひっく!?」


 だっから、何で食べるんだ、この人は!

 ひくひっくと喉を引きつらせながら暴れれば、同じようにロウリィの行動を目撃していたはずのルカウトは溜息をついて、スタスタと歩き出した。


「はいはーい、奥様、暴れないでくださいね。さすがの私でも落としてしまいますよ?」

「ひ、だ、っくぅ!」

「はい、何と仰っているのかさっぱり理解できません。結構痛いので、肩を叩かないでいただけると非常に助かります。程よい力で叩いてくださるのなら、別に構わないのですが。最近、ホント肩こりが酷くてですねーえ?」


 ルカウトはスタスタスタスタと歩き続ける。

 部屋から廊下に出て、角を曲がって。

 スタンとケフィが小走りで付いてきているほどだ。ロウリィの部屋なんか、とっくの前に見えなくなってしまった。

 飽きもせずにぼたぼたと涙を落しては泣いている私を、ケフィが心配そうに見上げ、きゅっと両手を組み合わせた。まるで祈るように、不安でいっぱいの顔を俯かせる。


「……領主様は大丈夫なのでしょうか」

「あれ、何か心配ごとですか? ああ、奥様につねられていたほっぺの心配ですか? ――っ、て痛いですよ、奥様。足をバタバタなさらないでください」


 この状況でどうやったら頬の心配の方に行くのよ。

 ルカウトを睨むと、「本当におもしろいくらいの涙としゃっくりですねぇ」と真顔で言われる。

 名前を知っているくらいで、きちんと言葉を交わしたことも数回しかなかったから、まさかルカウトがこんな意味不明な人物だとは思わなかったわ。

 いつもだったら、この意味の通じなさが、さすがロウリィ付きと感心していたところだけど、今はそういう場合じゃない。


「そうではなく、領主様がお食べになったクッキーのことですっ!」


 どこか怒った口調でケフィが代弁してくれる。


「ああ、あれですか。クッキーの味は美味しいって前に仰ってましたよ。どうやらチュエイル家にも腕のよいコックがいるようですね?」


 同意を求められて、ケフィは言葉を失った。

 スタンも心なしか、口元を引きつらせているように思う。どうも苦笑することにすら失敗したらしい。

 だから、どういう思考回路でそっちに行くんだ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ