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第6話 お義母様がいらっしゃいました

「あらあら、まぁまぁ、こんなところに塵が……!」


 すすすいーっと細やかな指が棚の上を滑ってゆく。

 茶の髪を緩く結い上げた貴婦人は、物憂げに薄蒼の双眸をすがめると、人差し指の先についた塵をふぅと吹きやった。

 細かな塵が呼気を受けてキラキラと散る。その様を眺めて彼女は満足そうに一度大きく頷いた。

 こちらへと向き直り「なっておりませんね」と屈託のない笑みをにんまりと口元に浮かべる。

 一体なんと申しあげればよいのやら……とにもかくにも新年早々、王都からお義母様がいらっしゃいました。



「なーんてね、なーんてね。一回やってみたかったのよぅ、嫁姑ごっこ!」


 主にこの領地に住む農家の奥様方が井戸端会議の時によくするように、お義母様はパタパタと手を上下に振りながら、おほほほほー、と楽しそうに笑った。


「ああ! カザリアさん、誤解しないでね。本当に怒ったわけではないのよ。だって掃除は私たちの仕事じゃないしねぇ? 屋敷にいるみんながやってくれるもの」


 にこにこと仰るお義母様に「はぁ……」と頷いておく。

 曖昧だろうが一応笑顔だって忘れずに。

 だって、仮にも夫の母ですしね。

 さすがの私でも、まさか逆らえるわけがありません。

 仮にも私の姑です。

 第一誤解のしようがない。

 棚の上にうっすらと降り積もった塵を発見した時のお義母様の嬉しそうな顔と言ったら――ええ、冷たさや意地の悪さは、ひとっかけらも見当たりませんでした。

 塵を見つけてあんなにはしゃいでいる方、私は初めて見ましたよ。

 まぁ、その前段階を見てきた私としては、お義母様の喜びがひとしおなのも理解できなくはないのだけど。

 とりあえず確信できましたとも。ああ、この女性ひとは確実に我が夫の母親なんだなぁ、と。

 瞳の色にはじまって話の飛び具合までとてもよく似ていらっしゃる。


「それにしても、ここはよく手入れが行き届いているわねぇ。おかげで塵を探すのに手間がかかってしまったわ」


 お義母様は「もう少しくらい残しておいてくれたら助かったのに」と理不尽な不満を漏らした。

 いえいえ、そもそもこれだけのために塵を探そうとなんてしないでください、お義母様。

 集った面々も「はぁ……」と曖昧な相槌を打つ。

 私と同じく何と答えるべきか迷った末に出た相槌だろう。

 それくらい、みんなの表情は困惑に満ちていた。

 それもそのはず、である。

 遠路はるばるやって来たお義母様は、着いて早々、屋敷中を練り歩いたのだ。

 もちろん、塵を求めて。

 まず、ケルシュタイード本家から同行した侍従たちを引き従えたお義母様を先頭に、彼らを出迎えに出た私とロウリィが加わった。

 その次に、警護でついてきていたバノとスタンの二人が。

 ロウリィは珍しく真剣に嫌そうな顔をしていた。

 ぽやぽやぽややーんとしていない彼を見たのは初めてだったように思う。

 ぽやぽやに慣れてしまったせいか、正直気味が悪い。

 けれど、どちらにしろあとで屋敷内を案内させていただくつもりだったから、むしろ都合はいいと思ったのだ。

 その考えがまさか間違いで、それどころか考えなしだったことに気づいたのは、屋敷内での二時間と飛んで十五分に及ぶ塵探しの旅が終わった、今まさにこの時だった。

 塵探しの道すがら、廊下ですれ違う面々にお義母様は声をかけていった。

 出会いがしらに「塵を見なかった?」「いいえ。でも、もしかしたらあちらに」という会話が繰り返された結果、少人数だった団体も増えに増え、もしかしたら屋敷中のみんなが揃ってしまったのではないか、というほどになってしまったのだ。

 この人数で屋敷中をぞろぞろ歩きまわっていたのか、と想像すると最早乾いた笑いしかでない。

 そして、ようやく辿りついたのが、この場所。

 地下倉庫の端にある扉を更にくぐった場所につくられた、“もう使わないモノ”置き場だった。

 ただし使用されなくなったものと言っても、手入れだけは定期的に行われていたらしい。

 結果、この薄暗い部屋の中でも塵探し大会が催され、やっとのことで塵を発見したのが、この部屋の中でも更に隅の方へ避けられていた取っ手の壊れている小棚の上だったのである。

 お義母様が嬉々としてわずかな塵に手を伸ばし、先ほどの台詞を口にしたことで、ようやく大規模な塵探しは終了したのだ。

 おかげで、この屋敷についてはもう知らないところはないように思う。その代償として払った結果の疲労は、言葉にして表現することができそうにないのだけれど。


「母さん……」


 ロウリィがお義母様に声をかけた。

 彼の顔には疲労困憊という文字がにじみ出ているように見える。

 どこまでも似つかわしくなく見えてしまうのは、彼が疲れそうなことをしているところを日頃なかなか見る機会がないからだろう。

 何度呼びかけても華麗にないものとされてきた息子の声は、お目当ての塵を見つけて御満悦のお義母様にようやっと届いたらしい。

 お義母様はにこにことロウリィの方へ目を向けた。


「もういい加減にしてください」

「あらー。だからもう終わったじゃない」


 まともな事を言い放ったロウリィにぎょっとしていると、お義母様はあっさりとその言葉をすり抜けた。


「だけど、ちょっと皆さん疲れすぎじゃなくて? この位で疲労を感じていてはだめですよ。もっと運動して鍛えておかないと」


 おほほーと笑うお義母様に、みんなが一斉に「はぁ……」と頷く。

 もちろん私もこちら側だ。

 唯一ロウリィだけが、「母さん!」と叫んだ。

  ただの『屋敷探検、宝は塵』だったら、どんなによかっただろう。

 こんな時にもわらわらとわいてくる人たちを投げ飛ばすのは一苦労だ。

 その度に「まぁまぁ!」とお義母様から歓声があがるものだから、どう取り繕えばよいのかもわからない。

 とりあえず、こんな時くらい空気を読めと言いたい、チュエイル家。

 みんなも——特にバノとスタンは私と一緒に応戦していたのだから仕方がないと思うのだ。

 この屋敷をまわっただけとは思えないほどの疲労感は。


「ああ、もういいですよ、皆さん。こんなことに付きあわせてしまって、すみませんでした。どうぞ、ご自由に戻っていてください。あ、カザリアさんも大丈夫ですから。こっちは放っておいて、ちょっと部屋で休んでいてください」


 屋敷の主人であるロウリィの言葉に、みんながどうしたものかと顔を見合わせる。

 本当に戻っちゃってもいいのかなぁ、と。

 しかし、お義母様は私の腕に、腕を絡めて仰った。


「あら、何言っているのロウリエ。だめよぅ、カザリアさんは。お茶でも飲みながら一緒にゆっくりするんだから」

「もう本当にいい加減にしてくださいよ、母さん! 怒りますよ」

「ひいぃぃぃん」


 え、や、お義母様、お願いですからこっちを見ないでください。

 そんな潤んだ目で助けを求められたら、逃げ場なんてないじゃないですか。


「……ロウリエ様、よろしいではないですか。せっかくお義母様が王都からいらしてくださったんですもの。本来ならば、こちらから新年の挨拶に出向くべきでしたのに」

「いや、もうカザリアさん。本当に無理しなくていいんですよ?」

「…………」


 む、無理はしていない。たぶん絶対。

 みんなも、そんな『どうしちゃったんですか』っていう目でこちらを見なくてもいいと思うのだ。

 お義母様の前ではさすがに、ロウリィと叫べるはずもなく、ロウリィに対してだって常日頃のように振る舞うことができるわけないじゃない。

 仮にも相手は夫の母、私の姑、ケルシュタイード家現当主の奥方様なのだから。


「お義母様からお話を伺えたら、とても勉強になると思いますし。私も、お義母様と一緒に時間を過ごすことができるのなら、とても嬉しいですわ」


 優雅に微笑をつくってみせる。

 こう、ふわっと、ふふっと、ほんわかした感じに。

 もう本当に、ここにいるとつい忘れてしまいそうになるけれど、私はこれでもフィラディアル王国宮廷では花と呼ばれて称賛されていたのだから。

 私の大好きな親友のリシェルと並んで歩いていた日なんかは振り向かない殿方などいなかったのだから。

 むしろ御令嬢たちまで振り向かせていたのだから。

 ここで『フィラディアル宮廷の花』の異名をとることになったきっかけの一つである笑顔を使わなくてどうするというのだ。


「そうよね! そうよね!」


 嬉しそうなお義母様は、絡めた腕に抱きつかんばかりに身をすり寄せてきた。


「やっぱりね、嫁と姑は仲よくあればあるほどいいと思うのよ。私はねぇ、ロウリエ。あなたのおばあ様にどれだけ泣かされたことか……しかも、結婚してすぐ本家に入ってしまったから」


 お義母様は腕を私に絡めたまま、昔日に思いを馳せ、おいおいと泣きだした。

 おいおいは効果音だと、お義母様の口が動いているので、すぐにわかるものだったけれども。


「だから私は決心したの!」


 お義母様は拳を振りあげる。


「息子が嫁をとったら、うんとかわいがってやるんだ、と! 嫁姑問題なんかまっぴらごめんよ!」


 ほほほほほーと、お義母様は高らかに宣言した。彼女の息子は、うんざりと溜息を吐く。

 これが目を瞠らずにいられようか。


「母さん! もう本当に、いい加減にしてくださいってば」

「カザリアさん、ケルシュタイード家についてわからないことがあったら、いつでも聞いてね。私、嫌というほど覚えさせられたから、ロウリエのおばあ様に」


 息子の言葉を綺麗に流して、お義母様はうふふと華麗に毒を吐いた。


「さあさ、じゃあ行きましょうか」


 お義母様は朗らかに宣言する。私は微笑んで、首肯を返す。

 私たちのやりとりを見ていたロウリィはまたもや溜息を吐いた。

 うん、なんだかもうこうなってくるとちょっと恐いわね。

 ロウリィの背後に不機嫌オーラが出ている。

 もやもやと渦巻いているのが見える気がする。なんでだ!


「……えーっと、ロウリエ様? あとで、お菓子などもろもろを見つくろっていただけると嬉しいのですが。私ではお義母様の御嗜好が、まだわかりませんし……」


 毒が入っているか否かを見わける術もまだ持っていません。お義母様が毒に当たったりでもしたら大変だ。

 先程と同様にふわりと微笑む。


「……それはもちろんそうするつもりですが」


 溜息混じりに応じたロウリィの表情が胡乱になった。


「いいですか、カザリアさん。疲れたら、もう本当にこの人から逃げてくださって構いませんからね」

「…………」

「やあねぇ、母親に対してこの人だなんて。ですけど、ロウリエが見つくろってくれるのなら、久しぶりに薬茶が飲みたいわ。ねぇ、それにしてちょうだいな」

「わかりましたから、ほどほどにしてくださいよ」


 お義母様はにんまりと笑い、美しい仕草で息子に小首を傾げてみせた。それは、とても洗練されていて、見惚れてしまうほど。

 ロウリィは慣れているのか気にも留めていないようだった。

 むしろ私に向き直り、「もうほんっと逃げちゃって構いませんからね」と、言い残し、用意をするため先にこの場を後にしてしまう。


 かくして、私とお義母様――嫁姑の優雅な午後のお茶会が開催されることが決定したのである。

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