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第44話 うさぎは食べないように?

「ロウリィ、起きて」


 今、寝たばかりなのに悪いと頭では理解しているのに手を伸ばしてしまった。

 すぴすぴととても気持ちがよさそうに眠っているロウリィの肩にしがみつく。


「ね、やだ。お願い、寝ないで。あと少しでいいから起きていて」


 眠りについたロウリィはなかなか起きないと知っている。

 知っていたけど、止められなくて、彼の肩を無理に揺すった。

 うう、と眠そうに呻きながら、それでもうすらと目を開けてくれたロウリィが、私を見つめる。


「……朝? ……じゃない、です、ね?」


 ちがう、と声に出せないまま、首を振るう。


「ごめんなさい」


 謝る私を把握しはじめたロウリィは、みるみる目を見開いた。


「……どうしたんです?」


 肩にしがみついた私はそのままに、こちらを向いたロウリィが腕をさすってくれた。

 心配そうな顔を前に、ただ首を横に振るう。


「わからない。眠れないの」

「震えてる」

「目を、閉じられないの」

「カザリアさん」

「疲れているって、わかってるの。でも一人じゃとても起きていられない。ごめんなさい、でも」


 こらえられない。耐えきれない。どうしてこんなことになってるのか自分でもわからない。

 叫びだしたくてたまらなくなる。


「こわい?」


 落ち着いた声音で確かめるように聞かれて、ずんとその重みは腑に落ちた。


「……こわ、い?」

「うん」

「こわい」

「そう」

「こわっ、こわいぃぃ」


 認めてしまうと、感じているのはまさしく恐怖という言葉に当てはまる感情でしかなかった。

 意思とは裏腹に無理矢理眠りに落とされた感覚がこびりつく。

 目を閉じるとやって来る、足元がすくわれて引きずり込まれる恐怖に怯えがとまらない。


「怖かったですね。本当に、怖かった」


 ロウリィにすがりついたまま、壊れたように、こわい、こわい、とうわ言を繰り返してしまう。

 背に手が添えられてゆるく抱き込まれる。あやすように頭を撫でられる。


「大丈夫ですよ。もうここは怖いものなんてないですからね」


 諭される言葉に頷きを返して、ほらもう大丈夫だから、と自分でも自分に心の内で言い聞かせる。

 それでもざわつく怯えは、簡単にはそうと認めてくれなかった。


「すみません。怖かったですね、ずっと。平気そうだからって、こんな当然のこと思い至らなかった」


 見つめてくるロウリィの眼差しも、声も、どこもかしこも痛そうで。

 また自分を責めて悔やんでいるのだとわかった。

 そうさせているのが私だと気づいて、たまらなく情けない気持ちになる。


「ごめん、ごめんなさい」

「次、謝ったら、さすがに怒ります」


 ぐ、とロウリィが眉根を寄せる。

 反論しようとした私を制すように、抱え込んでくれている腕に力が増した。


「きっとあんなまとめ方をしてしまったのも原因ですね」

「違う、の。あの終わりでよかったと思う。みんな解決してしまえる方法があるなら、犠牲が少ない方法があるなら、その方が絶対いい。提案をのんでくれたらいいって私だって思ってるの。ロウリィは、何も間違ってない」


 否定しないで、と必死で首を振るう。


「目を閉じるまでは本当になんでもなかったの。あの人たちが怖いわけでもないの」


 ただ眠りに落ちる感覚がわけもわからず、ひたすらに恐ろしい。怖気おじけづいてしまう自分を止められない。

 安穏な場所にいることを責め立てるように、震え続ける歯を噛み締める。


「覚悟もしていたのに」


 例えばあのまま目が覚めなかったとしても、後悔はするけど、恨めなかったと思う。誰のことも。

 そうなる可能性も理解した上で、それでもいいからロウリィの近くにあることを、私は選んでここにいたはずだった。

 それなのに、あらがったあの瞬間、絶望したのも事実だ。


「そんなの絶対、僕だって同じ目にあったら怖いですよ。誰だって、怖いです」

「ロウリィには効かないと思うわ……?」

「……き、効かないと思うけど」


 なんでそこだけ冷静なんです、と困ったように聞かれる。


「効かなくて、よかった。よかった、の」


 手を動かして、近くにあるロウリィの寝着を握る。

 こんな思いをさせるなんて、考えただけでことさら怖くなった。

 震えれば、温度をわけてくれるみたいに背をさすられて、わずかばかり気持ちが落ち着いていく。


「……ケフィとスタンは大丈夫かしら」

「そうですね。僕らには遠慮するでしょうから、他の人からそれとなく聞いてもらっておきましょう」


 ね、と諭されて、おずおずと頷く。


「ロウリィ、疲れているのに起こして、ご……」


 ごめんなさい、と言おうとして、慌てて口をつぐむ。


「はい、よくできました」


 寸の間、薄暗がりで剣呑な光を帯びていた眼差しが、緩んだ。


「さすがに目が覚めましたから、気にしないで。今、眠るのは無理」

「なら、ちょっとだけ、もっとぎゅっとしてくれない?」


 答えより早く両腕で強めに抱きすくめられる。

 ロウリィの肩筋に鼻先を擦り寄せれば、いつもと同じで、薬草の苦いようなつんとするような、なんだか変わった香りがした。

 これで大丈夫、とほっとする。

 安堵した次の瞬間、予想に反して変な動悸がまた耳の奥で鳴り響きだして、反射的にロウリィの身体を突っぱねてしまった。


「ままま待って。やっぱり顔が見えないの、こわい、かも」


 自分でもあまりにもわがまますぎると思った。

 何を言っているのかわからなくてますます混乱していく。

 その合間もロウリィは文句も言わずに、腕を緩めて待ってくれた。

 暖炉の火が灯るだけの部屋で、薄暗がりでも顔が見えていたら、やっぱり少し楽になる。

 それでもこれはもう、どうにもならないと改めて悟って愕然とした。


「どうしよう。こんな、よわよわなの、私らしくない」

「眠る前くらいよわよわでもいいんじゃないですか」


 ゆっくりゆっくり言い含めるよう、ささやかれる。


「僕なんか、ほら。血も苦手ですし、殺気も読めないですし、雷も嫌いですし」

「雷は……私も苦手だわ」

「そうだったんです?」


 覗きこまれて、変に吸い込んだ息が詰まった。

 強張る顔を労るように、ロウリィがやわやわと私の頬を手の腹で揉みさする。


「カザリアさんは、普段、僕の弱いところちゃんと許してくれているじゃないですか。だからいいんですよ、カザリアさんだって」


 いいんです、と断言される。


「どうしようもないことは、あります。今回のようなことは、なおさらです。普通に生活していたら、経験しなくてよかったはずのことなんです。だからこそ、カザリアさんが感じている恐怖の大きさは、カザリアさん自身にしかわからない。背負わせてしまって、すみません。本当に、ごめん」

「そんな顔しないで、ロウリィ。ちがうから」


 ロウリィのせいなんかじゃない、と指を伸ばす。

 辿り着く前に、ぎゅっと捕まれた手は、そのままロウリィの頬に持っていかれた。

 温度のありかを確めるように頬擦りされる。


「何か、楽しい話をして?」

「……また無茶なこと言いますね」


 私の掌を頬に寄せたまま、ロウリィは息をついて考えあぐねるように唸った。


「楽しい話かぁ。気が紛れるようなの、何かあったかな」

「ひよこがうさぎを食べる話は?」


 ずっと気になっていた話を提案してみると、ロウリィは怪訝そうに目を細めた。


「なんですそれ。それって楽しい話なの? 怪談ではなくて?」

「ロウリィが風邪をひいていた時に寝言で言っていて、ルカウトが懐かしいって」

「あぁ、ルカのか。ううーん、あれ楽しくはないと思うけど」

「いい」

「いいの?」


 頷けば、ロウリィは「それなら、まぁいいか」と言って話し出した。


「眠れない時に、好きなものを数えるといいって言うでしょう?」


 ひとつ、ふたつ、と数えるように、頬に寄せた私の手の甲を、ロウリィは重ねた指先で叩く。


「それで、ルカはひよこを数えていたらしいんですね」

「……ルカウトって、ひよこが好きなの?」

「子どもの頃はね。そうでしたよ」


 今じゃ想像もつかないけど、とロウリィは懐かしそうに微笑む。

 昔、まだ二人が子どもの頃、ルカウトがロウリィに話したそうだ。

 眠る間際にひよこを数えた、と。

 小さなルカウトの頭の中で、殻を割って、ひよこが次々と飛び出していった。

 ぴょこりと生まれた先から、農場の草をひよこがついばむ。

 そうしているうちに、ひよこだらけになった農場で、これではもう生まれたひよこが入り切らないと思った場所に、うさぎがいた。

 溢れかえりそうなひよこに見向きもせずに、のんびり草を食むうさぎが、ひよこたちにとって、それはそれは邪魔だったらしい。

 邪魔だったので新しく生まれたひよこが、ぱくりとうさぎを食べてしまった。

 それで満足して、ルカウトはまた殻からぴよと生まれて農場に降りたったひよこの数を次々数えて眠ったらしい。


「でも、ひよこはうさぎを食べないでしょう?」

「そうね、食べられてしまったうさぎは災難ね」


 くすくすと自然と声が漏れて、「ね?」と言われる。


「次は何にします? 聞きたい話は?」


 ゆるゆると親指で手の甲を撫でられる。

 そっと見つめると、ロウリィが本当にやわらかな目をして私を見ていた。


「キスしてくれないの?」

「……いきなり何の話」

「聞きたい話って、言った」

「言いましたけど」

「今日は食べてないんでしょう。そんな暇、なかったでしょう?」

「……気づいてたんです?」

「そりゃあ……気づくわ」


 不服を込めて、ロウリィを詰る。


「それは……まだ、ダメです、ねぇ?」


 ロウリィは歯切れ悪く言った。

 彼の手の内にあった私の手をロウリィは肩にのせて、あいた手で機嫌を損ねた私の頬をあたためる。


「食べてないけど、気づけないものが紛れていたら、わからないです。僕は死ぬまではしないでしょうけど、カザリアさんはころっと死んでしまうと思いますよ?」

「ロウリィに気づけない毒なんてあったら、もうとっくに死んでると思う」

「そうかもしれませんが、そんな恐ろしい賭け、とてもできません」


 だから無理、とロウリィは重ねて言う。

 そう言われて、あからさまに口を引き結んでしまった私を、ロウリィはおかしそうに笑った。


「そうですね。期日がきて、仕込まれた分も屋敷にはもうないとわかって、カザリアさんが目を閉じるのが怖くなくなったら。逃げないでくれると嬉しい」


 唇のふちどりをなぞっていた親指が、答えを求めるように私の肌に沈む。

 薄蒼の奥に確かに灯った熱が、暖炉の影を映して見え隠れしていた。

 はく、と口は動くのに、鳴らなかった声に動揺する。

 ままならない思考に、私は視線をずらした。


「……も、いい」

「ほら、逃げた」


 ロウリィが私の頭を抱えこんでひそやかに笑う。


「ち、ちがうもの」

「違うの?」

「逃げて、ない」

「そうですね」

「大丈夫になってきた、かも。だから、もう、いいの。もう、起こさないから」

「なら、先にカザリアさんが寝て」


 目線をあげたら、ね、と諭された。

 優しい温度に促されるまま、目を閉じる。

 閉じてすぐ、ぱちりと目を開けてしまえば、今までにない距離で目があった。


「ち、ちかい」

「ねぇ、そんなんでキスなんてできるんです?」

「が、頑張るのよ」

「頑張ってくれるんです?」

「ロウリィなんて避けたくせに」

「……根に持ってる」

「あ、当たり前でしょ」


 あの時みたいに避けられたら今度はもう立ち直れない。

 だから教えてほしかったのに。

 いつからだったら大丈夫か。

 うぅ、と呻いて、近すぎる視線を避けるように目を閉じては、開く。

 瞬きをするみたいに、それを何度も繰り返すうち、こつりと額をあわせられた。


「大丈夫です。ここは安全です」

「……ロウリィ、もう、寝ていい」

「うん」


 あわさった額からじわりと温度が染み込んでくる。

 ゆるやかにやわらかに頬をさすられる。

 薄いまぶたの上を辿られる。

 疲れているから眠たいのは眠くって、やんわりとした掌にさすられると、うとりと眠気が寄ってくる。


「大丈夫ですよ」


 穏やかに諭されるまま、私は顎を引いて頷く。

 意識して目を閉じきると、また心臓が早鐘のようになった。

 どくどくと響く音が耳につく。

 暗闇に気づいてしまうと、どうしても指が震えた。

 ぎゅうとしがみつけば、髪の上から口づけてくれたみたいだった。


「大丈夫です」


 降ってきた声に、心臓がうるさく速度を増してしまうのは、怖いからか、嬉しいからか、とうとうわからなくなった。

 うすらと開いてしまった先で、また目が合う。


「怖いものはないか、ちゃんと見張っておきますから」

「ありがとう」

「ひよこを数えて」

「うさぎは食べないように?」

「そう」


 こめかみに鼻を埋められる。

 くすぐるようにすり寄せられる。


「ロウリィ」

「大丈夫です。ここなら大丈夫」


 鳴りやまない鼓動の代わりに、穏やかな呼吸音が耳にするりと入り込んできた。

 いっそう肩を抱き寄せてもらったら、なんだか心地よさがふくらんで、それから先は覚えていない。

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