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第32話 ロウリィはそんなことしないわよ

 あの日から三日続けて降り積もった雪が、十日かけてようやく溶けてしまうと、急に空気がほんのかすかやわらかさを帯びた。

 春が、近づいている。

 そうやってあと二回ほど、暖かい春そのものの日和と、凍える冬の寒さを繰り返すと、ここの春がやって来るのだと、春蒔きの種の準備をしながら、庭師のルーベンが教えてくれた。

 庭先にしゃがみ込んで、群れ咲く黄色いスイセンの一つを指先で突けば、うつむく花が、ふるりと揺れる。


「確かスイセンも毒を持っていたんじゃなかったかしら?」

「奥様まで急にどうされたんですか」


 呟けば、ルーベンが鉈で手際よく枝を小さくしながら、呆れた風に言った。

 庭師の仕事場にもなっている小屋の外壁に沿って積み上げられた大きさも種類も異なる枝は、どれもこの間の雪の重みで折れてしまったのだという。


「……うん」


 しなやかに伸びた緑の葉をさすって、私は黄色いスイセンを見つめる。

 間違っても野菜と一緒に取って食べないように、畑の側に安易に植えないようにと、農家のみんなの前で、野菜と見た目がよく似た毒を持つ植物を並べて教えていたことを思い出す。

 スイセンはその中の一つだったはずだ。


「本当にお二人して……どうして根をつめると、この年寄りの仕事を奪おうとなさるのですか」


 まだ他に何か手伝うことはない、と聞いたばかりの私は、返答に迷ってルーベンを見あげた。

 何かすることがあればざわついた心が落ち着くのではないかと、期待してやって来たものの、あいにく今日の仕事はもう枝を整えるばかりで、春に植える花の種類を決めた他は、草取りすら私はさせてもらえそうになかった。


「その、……ロウリィも来たの?」

「風邪をひいて以来、奥様に避けられている気がすると嘆いていらっしゃいましたよ」


 穏やかに告げられた言葉に、動揺した私は恐らく一瞬で顔を赤くしてしまった。おや、とルーベンの目が瞬く。


「何か嫌なことでもされましたか。そうならこのルーベンが懲らしめてさしあげますよ」

「ロウリィはそんなことしないわよ」


 言いながら、声が尻つぼんでいく。

 おやおや、とルーベンは今度こそ声に出して言った。


「奥様、もしかしてようやくご自身のお気持ちにお気づきになりましたか」

「ど、どうして!?」

「わかるか、と?」


 問われ、私はこくこくと首を振ることしかできない。

 そんなの、とルーベンは皺を畳んでゆるやかに微笑った。


「屋敷中のみんながとっくに気づいていましたよ」

「嘘でしょう!?」

「むしろご本人が気づいていらっしゃらないのが不思議なくらいで」


 よかったですね、とルーベンはまるで親類の祝い事を寿ことほぐように親愛のこもった眼差しで見つめてくれる。

 途端、泣き出しそうになって、私は慌てて膝頭に額を押しつけた。


「まともに顔が直視できないの」


 絞り出した声が、震える。

 ちゃんとしたいのに。求められたケルシュタイード家の嫁として、エンピティロの領主を支える者として、恥ずかしくなく役目をこなして横に立ちたいのに。

 ロウリィのことを意識してしまう自分を自覚するほど、どうすればいいかわからなくなる。

 よくもまぁ、あんなにも、平然と近くにいられたものだと、いっそ今までの自分の肝の太さに感心してしまうくらいだ。


「そんな悲壮な顔をなさらなくても」

「そんな顔をしているつもりもないのよ」

「今までだって恋の一つや二つ、したことはあるのでしょう?」

「だだだって、こんな優しく接してもらえたり、傍にいても許される立場になったことなんて今までなかったんだもの」

「おやおや。のろけていらっしゃる」

「そ、そうじゃなくて。だって、前のは、こんなっ……全然違っていて」

 むしろ会うたびに喧嘩しては常に睨み合いの一触即発だったのだ。

「どうしよう」


 こんなにやわらかで、あやふやな感情を私は知らない。

 当たり前のように繋いでくれる手を、許してくれる範囲の深さを、差し出されるたび、なんだか胸がいっぱいになって、どうにかなってしまいそうになる。


「あと、一週間。せめて、あと一週間あれば、きっと平静になれるから」


 そうしたらきっと元通りに戻れるはずと、顔を伏せたまま深く呼吸をして、うごめく鼓動を押し留める。

 元通りになって、うまくやらなければと、目を閉じて決意する。


「私にはよくわからないのですが、そもそも平静になる必要はあるんです?」

「あるの」


 強くあらなければならない。

 なぜなら約束をしたのだから。

 ロウリィに誓った通り、もしもロウリィに何かあった時には、私が彼の代わりに取り仕切って、この土地(エンピティロ)を守り通さないといけない。

 なのに、こんなことになっていると知られてしまったら、安心して任せてはもらえないかもしれない。

 この気持ちのせいで、ロウリィとこの土地の重荷にだけはなりたくないのだ。


「……ありがとう、ルーベン。話せて少し楽になったかもしれない」


 決意をして、顔をあげる。あげたその先で、小屋の角から姿を現したロウリィに、私は喉の奥で声にならない悲鳴をあげた。


「ルーベン、敷地内で手当てが必要な樹木はこれで全部確認できたと思うのですが……」


 書類を片手にやって来たロウリィと、はたと目があう。

 反射的に、私は立ち上がっていた。

 平静になる、と今しがた固めたばかりの決意が、瞬く間に霧散して消えていく。


「カザリアさん」


 呼び声に、怯んでしまった。たじろいだ足が、ひとりでに後ろに逃げをとり出す。


「カザリアさん、待って。本気で逃げられたら、追いつけない」


 駆け出しそうになる間際、それよりも早く目の前まで来たロウリィは、私の手を掴んだ。


「逃げないで、お願いだから」


 懇願され、こんな顔をさせたかったわけではないのにと、跳ねてしまう鼓動を恨めしく思う。

 ロウリィは私の手を掴んだまま、ルーベンに書類を手渡す。

 ルーベンは、困ったものを見るように、私たち二人に苦笑をもらした。


「お二人とも、よくよくお話をなさった方がよろしいかと」


 思わず眉を下げてしまった私に対して、ロウィまでみるみる眉を下げてしまう。


「カザリアさん」

「はい」


 お嫌じゃなければ、とロウリィはどこか他人行儀に前置いて「このまま、お散歩しませんか」と私に提案した。

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