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第25話 なんだか少しだけ寂しい気持ち

「ごめんなさいね、巻き込んでしまって」


 向かいに座るお義母様は、用意されたお茶を前に申し訳なさそうに言った。

 あの後、腕をとられたままお義母様の部屋になかばひっぱり込まれた私は、そのままお茶をいただくことになった。

 ケルシュタイード本家からずっとお義母様に付き従ってきている――私ももうすっかり顔馴染みの侍女たちは、こうなることを予測していたのだろう。

 お義母様の部屋にお邪魔させてもらった時にはすでに、いつもに増して繊細な編み目のレースが丸テーブルにふわりとかけられており、その上には山と盛られた何種類もの焼菓子と、縁に蔦模様があしらわれたティーセットが二人分整えられていた。

 部屋に入るや私とお義母様は、彼女らに促されるまま向かい合わせに席についた。すかさず出てきたお茶を、お義母様はさっきと同じように怒りに任せて、ぐいと一気に飲み干す。

 けれども、空いたティーカップに横からおかわりが注がれるや、今度は反対にすっかり静かになってしまった。

 お義父様と離れて冷静になったのか、お義母様の気持ちが落ち着いたらしいことには、素直にほっとする。

 ただ、いつになく気落ちしているようにすら見えて心配になった。

 普段なら楽しそうに口に運ぶ焼き菓子に手もつけず、ティーカップを縁取る金の蔦を指先でなぞっては、うつろに目を瞬かせている。


「お義母様、大丈夫ですか?」

「どうかしら? ……あの人に言われたからではないけれど、さすがにカザリアさんの前までこれでは段々情けなくなってきたわね」


 お義母様は、溜息混じりに苦笑する。


「確かに突然で驚きはしましたけれど」


 私が冗談まじりに応じれば、お義母様の表情がわずか柔らかなものになった。


「明るくお元気なのはお義母様の素敵なところですもの。それに、申し訳なく思うのは私の方ですよ、お義母様」

「……え?」

「お義父様とのこと、ここにいらっしゃるための口実になさっただけなのではありませんか? それなのに、ここまで出向いていただいたばかりに、こじらせてしまいました」


 私がお義母様をまっすぐ見据えれば、私の問いかけの意味を正しく理解したらしいお義母様は、やおら目を丸くした。

 なんでもおおげさに、おもしろそうに振る舞う方ではあるが、実のところしっかりされている方だと知っている。

 決して自らの感情だけで周りを巻き込む方ではないと思う。

 ロウリィが言った通り、いつも通りであれば、王都《本邸の近く》でうまく気持ちを切り替えて、すぐに戻ったはずだった。


「本当はロウリエ様のことが、心配で様子を見にいらしたのでしょう?」


 思いのほか、緊張して、私は背を伸ばす。


「私は、お義母様のお眼鏡にかないましたでしょうか」


「――違う。違うのよ、カザリアさん。そうだけど、あなたのことは決してそういう意図があったんじゃないの」


 お義母様は、焦燥を隠さず否定した。


「カザリアさん、あなたがあの子のお嫁さんになってくれたこと、本当に心から安心したの。勘違いをしてほしくないから、この際はっきりと言いいますけど、あなたのお母様からあなたのお話を聞いた時から、私はカザリアさんのことがずっと大好きですよ。仲良くなりたいと言ったことも嘘じゃないわ」


 お義母様の思わぬ言葉に、今度は私が言葉を失った。

 そんな私を見て、お義母様はやおらあたたかに目を細めた。

 細くなったまなじりが、とてもよく似ているな、と場違いなことを思う。


「カザリアさんの予想通りよ。前にも言いましたけどね、だってうちの息子が働いているのは、こんな毒やら刺客やらどこに隠れているのかわからない場所だって誰もが言うんですもの。そりゃあ、あの子は無類の毒好きで変わり者だし、他の人たちに比べたらそうそう悪いことにはならないって頭では信頼しているのだけど、やっぱり親としては心配ですもの。それにね、カザリアさんのことも心配だったの。あなたのお母様は、“うちの子なら大丈夫。うまくやりますよ”、ってそれこそこっちが呆気にとられるくらい自信満々に請け負ってくださったのだけど、やっぱりこんなところだし、しかも嫁ぐのがあの変わり者の息子でしょう? いろんな意味で心配だったわ。もしカザリアさんが辛いようなら、連れて帰ろうって、最悪離縁させてもいいって思っていたの」

「離縁」

「そう。だって、私がカザリアさんの立場だったら、いろいろあんまりで早々に音をあげてしまうわ」


 いくらか調子を取り戻したらしいお義母様が、ふふと笑った。


「だって、あなたはまだまだ若いもの。いくらだってやり直せる。あわない場所なら無理する必要はないんですよ」


 そう思っていたのだけれど、とお義母様は申し訳なさそうに両眉を下げてティーカップの縁をなぞった。


「あなたたち二人のことについては杞憂だったわね。いくらか歳をとって、いくらかあなたたちよりも知恵が回ると思い込んでいた、浅はかな私の独りよがりな傲慢でしかなかったわ。ロウリエもカザリアさんも、ちゃんとこの土地に危なげもなく立っていて、あなたたちらしく暮らしていた。私が心配することは何もなかったわ。新年会も無事に終わったようだし。だから、もうそろそろ引き上げようとは思っていたのだけれど……ね?」


 お義母様は気怠げに溜息をつく。

 かと思いきや、急にひくりと口の端をひきつらせた。それをきっかけに、どんどん表情も険しくなっていく。

 お義母様のまわりでは、お義母様の侍女たちが励ますように、うんうんと一様に頷いた。


「ええ、ええ。私たちも、お二人のご様子を見ておりましたし、事と次第も知っておりますけれど、あの言いようはありません」

「迎えにきた、帰ろう、じゃないんですよ、旦那様ったら!」

「もう本当に何回目ですかっていう話ですよ」

「きっと、今回だって、大奥様に尻を叩かれてやってきたんですよ、きっと」

「でしょう!? でしょう!? やっぱり、みんなもそう思ったわよね!?」


 同意を求めたお義母様に、侍女たちは力強く「もちろんですっ!」と声を揃える。


「そうなの。あの人のことはあの人のことで、今ではもうまったくの別問題なのよ!」


 さっきまでの会話はなんだったのかと思うほど、徐々に熱を増し一致団結しはじめたお義母様と侍女たちに、同じ場所にいるのに一人取り残されそうになる。どうやら私たちの様子見だけでなく、お義父様との喧嘩は喧嘩で、それはもう盛大に大きすぎるきっかけであったらしい。


「えっと、……そもそも喧嘩の原因はなんだったのですか?」


 尋ねれば、途端部屋がしんと静まり返った。

 私の問いに答えたのは今回もやはりお義母様だった。

 いわく。


「気づかなかったの」

「気づかなかった?」

「私が家にいなかったことに気づかなかったのよ、ここに向かうほんの直前まで」

「……それは、どういうことです?」


 私は向かいあわせのお義母様に対して首を傾げる。

 なぜなら、お義母様はもう半月以上ここに滞在していたからだ。


「一度入り込むと上の空になってしまう人ではあるのよ。ですけど、私たち家族は昔からずっと可能な限り顔をあわせて食事をとってきたし、私と夫にいたっては寝室も一緒なはずなのよ。それなのに、きちんと会話が成り立たない日が、一週間も続くことなんてことあるかしら? だから私は家を出てここに来たのだけど、あの人ね、私がいないことに気づいたのが昨日だって言うのよ。もうかれこれ半月近くここにいるっていうのに」

「……で、でも、気づいてすぐお義父様自ら王都から離れたこんな遠くまで迎えに来てくださるなんて、……ほら、そこはお優しいし、やはりお義母様のことを大事に思ってこそ、ではないですか?」

「カザリアさん。本気でそう思う?」


 お義母様の気持ちをなだめようと途切れ途切れにお義父様をフォローすれば、お義母様に真剣な面持ちで問い返される。

 こうなってしまうと、私ももうお義父様のフォローにまわれるわけがなかった。

 感じた気持ちのまま、ぶんぶんと首を横に振ってしまう。


「いいえ! 申し訳ありません、嘘をつきました。ちっとも思ってもいないことを申しあげました。半月ですよ。あんまりです。ひどすぎます。ありえません」

「でしょう? しかも気づいたのはお義母様に指摘されて、ようやくなのよ?」

「お義父様がそう仰ったのです?」

「まさか! だけど、あの人が“母が心配している”なんて同情を誘う時は、みかねたお義母様が何度も何度も声をかけてくださった時だけですもの。きっとロウリエだって、私が来てすぐ手紙を出していたはずよ。ここに私がいるのは嫌でしょうからね。その手紙だって、はたして読んだのかしら? それとも読んでも頭に入らなかったのかしらね?」


 憤然と怒り出したお義母様が、盛大に首を傾げる。そのまわりでお義母様の侍女たちは、「あ、怪しい」「私は読んだ方に一票!」「はい! 手紙が埋もれているに一票!」とのんきにはしゃぎはじめた。

 お義母様の眉間がすごいことになりはじめたので、頼むから、はしゃぎながら煽らないでほしい。


「だいたい、あの人、仕事から帰ってきても、薬ばかりつくってちっとも構ってくれないんだもの! 本当にケルシュタイードの男たちは薬品ばっかり! 仕事と薬作りと私とどちらが大事なのなんて言わないけれど、毎日家に帰ってきているのに、いないことに気づかないのはどうかと思うという話なのよ。そう思うでしょう?」


 問われ、私は声なく頷く。

 うきうきと楽しそうに毒薬や薬を調合したり研究したりしているロウリィを思い出す。話を聞く限り、お義父様から受け継いだ素質だったのだろう。

 夢中になれることがあるのは決して悪いことではないし、ロウリィの場合、趣味が周りに大いに貢献しているけれど。

 一緒にいるのに、いなくなった時、もしもロウリィに気付かれなかったら、と想像して、なんだか少しだけ寂しい気持ちになった。

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