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第17話 雪が降る、降る、降る

 こんこんこん、と扉を叩く。


「どうぞ」


 のんびりと告げられた入室許可に、私は取っ手を回した。

 はじめにこっちの部屋に来たのは正解だったらしい。

 今日も今日とて、たいして領主の仕事はないらしいロウリィは、そろそろこちらが本業だと言ってもおかしくないんじゃないかという薬作りにいそしんでいた。

 火にかけている小鍋は、ことことと湯を煮立て揺れている。

 部屋に充満している胸をすく独特の匂いは、混ざり込んでいて一体どれがどの匂いなのか判別がつかなかった。

 鍋をかけた暖炉の火加減を調節していたロウリィは、火を整えるとこちらに顔を向ける。


「どうしました?」


 私は静かに息を殺して後ろ手に扉を閉めた。

 扉の前で立ち止まる。


「――お話があります」

「話?」


 ロウリィはほんやりと首を傾げた。

 かすかな緊張を胸に、私は決然と頷く。


「一緒に、散歩に行きたいの、よ」

「え」

「だめかしら?」


 私は恐る恐るロウリィの様子を伺い見た。

 みるみるうちに蒼い双眸が驚きを孕む。


「カザリアさん……また熱がでもでたんですか?」


 それはそれは嫌味かと言うほど至極真面目な顔をして、ロウリィは問い返してきたのだ。



 何をどうしたら熱が出たなんてそんな失礼な結論になるのよ、と散々なじれば、「だって雪が降ってるんですよ」とロウリィは焦ったように窓を指差した。

 確かに窓の外ではくるくると雪が散らばり舞っている。

 風がない分、今日の雪は目にも軽やかで、辺りはひどく穏やかに思えた。


「カザリアさん、寒いの嫌いじゃないですか」

「嫌いだけど我慢すれば平気よ、このくらい」


 ことりとロウリィが机に置いてくれたカップをありがたく引き寄せる。

 ほこほこと湯気を吐くお茶のあたたかさは掌にもじんわりと沁み渡った。


「一体、急にどうしたんですか?」


 ロウリィは自分も椅子を引き寄せて、私の対面に腰かけた。

 火にかけた湯は放っておいてもいいのか、彼は後ろでことことと鳴りつづける鍋を気にかける様子もない。


「別に。私も散歩に連れて行ってもらおうと思っただけよ」

「散歩に?」

「だから、さっきからそう言ってるじゃないの」


 気詰まりしそうなって、私はお茶に口をつける。

 ごまかすように含んだ茶は、黒々と渋そうな見た目に反して甘みを帯びていた。

 何のお茶だろうか、と覗きこんでいると、ロウリィは「散歩といっても本当にそこら辺をまわるだけですよ?」と不思議そうに言う。


「特に何か目新しいことがあるというわけではないのですが」

「いいのよ、それで」

「そうですか?」


 こくり、と首を縦に振る。

 それがいい、と口に出すのは気恥ずかしい気がして、おずおずと甘いお茶をもう一度口に含む。

 ロウリィが決まって夕方に散歩に出かけていることは知っていた。

 珍しく急ぎの仕事が立て込んでいる時や、天候がひどく荒れている時は、さすがに出かけはしないけど、それ以外は、毎日かかさず出かけている。

 特に場所は決めていないらしい。帰って来る時間もまちまちだ。

 けれど時折、野菜やら花、卵なんかをどっさり持たされて帰って来るから、彼が何をしているのかは想像するに容易かった。

 思ったのだ。

 私が知っているこの土地(エンピティロ)のことなんて、所詮この屋敷が中心で、他はほとんど上辺ばかりだ。

 だけど今回のことがあって、もっときちんとエンピティロのことを知ろうと思った。

 知りたいと思った。

 なら、ロウリィの散歩にくっついていくのが一番の近道だ。

 前に、彼についてこの土地を実際に歩いた時に、この土地で働く人たちに会えたように。

 あたたかく迎えてくれた人たち。退屈なくらい同じ景色が続くのどかな場所。

 エンピティロをつくっている人たちやものをもっと知りたかった。

 歩いてまわれるのがたとえ領地のほんの一部だとしても、それはやっぱりエンピティロにかかせない一部だ。

 何を考えているのか黙り込んでいたロウリィは、ちらりちらりと雪の降る窓の外に目を移して「そうですねぇ」とぽやりと相好を崩した。


「残念ですが、今日はだめですよ」

「だめ?」

「ええ。だめです」


 てっきり承諾してくれるものと思っていた私は、ロウリィにあっさりと断られ肩透かしを食らわされた気分になった。

 つい眉根を寄せてしまう。


「なぜ」

「なぜってカザリアさん、足治ってないでしょう」

「…………」


 確かにロウリィの言う通り、この間、裸足で外を走り回った時にできた怪我は完治していない。

 今も靴ではなく、ふかりとしたスリッパを履いていた。

 傷の大半は擦り傷で二日もたった今ほとんど治りかけている。

 ただ、石で切ったらしい気持ち深めの傷のいくつかは、ケフィが毎度薬を塗ってくれるたびに小言を零すほどには、当初の見立てより治りが遅かった。


「……このくらい問題ないでしょう」

「途中で痛くなっても、僕は運べる自信がありませんし」

「歩けるわよ、普通に」

「では、散歩かチュエイル家の新年会か、どちらか一択にしてください」

「どうしてそうなるのよ」


 じとりとロウリィを睨めば「僕はどちらでもよいのですが」とほやほやと微笑まれた。の割に目が笑っていないのは、勘違いではないだろう。


「無理に歩くと、治るものも治りませんよ?」

「……わかってる、けど」

「ケフィから聞いています。治りが遅いのだって、カザリアさんが屋敷中を走り回っているからでしょう。警備は警備に任せてください。スタンとバノにも言われたのでしょう?」

「うぐ。はい。すみません」


 何から何までロウリィの指摘通りで、反論のしようがなかった。

 それでも久々に外に出るつもりで来ていたから、がっかりしてしまう。

 チュエイル家の新年会まであと五日しかない。

 何かあった時、立ち回ることを考えれば、少しでもよい状態であったほうがいい。

 むしろそっちを優先すべきなのも頭ではわかっていた。 


「そもそもカザリアさんのことですから、ここに来る前に大方のことは勉強してきたのでしょう? 今すぐと焦る必要もないのでは?」


 ロウリィは諭すような口調で重ねて聞いてきた。

 あぁ。どうやら私の考えは見透かされていたらしい、と知る。

 そう思うと、なんだか肩の力が抜けた。


「チュエイル家の部分だけは、きっちり抜かれていたみたいだけどね」

「それは、そのようですが」


 ロウリィは、苦笑する。

 その表情を見ていると、無性に溜息をつきたくなった。


「そうなのよ。チュエイル家のことを除いたとしても、私はエンピティロが実際はどんな場所なのか、まだよく知らないことに気づいたのよ」


 ちょうどここ数日、エンピティロに来る前に読んでいた資料と本を読み返していた。

 読み返して、私が知るエンピティロの大半は、地理や気候、生産物といった表面的な情報でしかなかったことを思い知らされた。

 だからこそ余計に、実際に目で見て、耳で聞いて、足で歩いて、確かめたかったのに、どうしてこうもままならないのか。


「靴を投げるんじゃなかったわ」


 せっかく思い立ったのに、間が悪いったらありゃしない。

 私は頬杖をつく。思い通りに治ってくれない足をぶらりと振った。


「早くよくなるといいですね。そうしたら一緒に行きましょう、散歩にも」


 お茶を飲みながら、ロウリィは穏やかに蒼い双眸を細めた。

 晴れた冬の空に似た色が、細まって消える。


「そうね。その時は、雪が降っていないと嬉しいけれど」

「雪が積もりだす前には治りますよ、きっと」


 軽やかだった鍋の音が、ぐらぐらと勢いよく音を変えた。ロウリィは慌てて立ち上がる。

 窓に意識を移すと、この部屋に来た時よりも雪の勢いが心なしか増していた。

 風はまだない。聞こえるのは、火からおろされてもぐらぐらと、とめどなく揺れる小鍋の音だけだ。


「本当にこちらは王都に比べてよく降りますねぇ」


 ロウリィはほとほと感心したように言った。

 雪が降る、降る、降る。

 空気を孕んで、雪は静かに落ちてくる。


「そうね」


 寒いだけだった冬が、はじめてひどく白いものだと気づいた。

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