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第15話 違うわ、ちょっと俯いただけよ

「あれ。奥様、もしかしなくっても、立った上に目ぇ開いたまま寝ちゃってるんですかねーえ?」


 ぶんぶんと目の前で掌が振られる。

 どうしてそんなことをされるのかが理解できなくて、目の前を上下する掌をぼんやりと追っていると、ぱちんと両頬が叩かれた。

 びっくりして目を見開く。

 すると私の両頬を挟みこんでいる背の高い男は身を屈めてこちらを見下ろし、にまりと口角を上げた。


「ルカ、ウト」

「はい、奥様、お目覚めですか?」

「……い、痛っ! 首! 首! 離っ!」


 無理な形に顎を上向きにされ、首がみしみしとしなる。慌ててルカウトの腕を叩くと、彼はぱっと手を放した。


「おや、これはとんだ失礼を」


 軽い口調でうそぶくルカウトは、とても反省しているようには見えない。

 恐らく直角にねじ上がっていただろう首を擦りながら、ルカウトを睨めつけた。


「何?」

「別に用はないのですけどねーえ?」


 ルカウトは首を傾げる。


「ただあんまりにも出て来ないから、どうかしたのかと思っただけですよ、奥様」


 怪訝に思ってルカウトを見上げる。

 相変わらず無表情のこの侍従は、一体何を考えているのかさっぱり読めはしなかった。

 だけど。


「なぜここにいるの?」

「おや。あなたがうっかり毒クッキーを食べちゃった時から傍にいてあげているではないですか。きっとあなたが帰るまでしばらく続きますよ。まだ解除されていないものでしてねぇ。こちらも困っているんですけどねぇ」


 答え合わせをするようにルカウトは一息で言いきった。

 本来ならばロウリィの傍についていなければならないらしい彼は『よくできました』とでも言いたげに、弓なりに目をたわませる。


「ロウリィは」

「バノを連れて行きました」

「どこに」

「八割がた東の土手ですかねぇ?」


 よどみなく返答したルカウトは無駄のない仕草で書庫の扉を開く。

 その時にはもう走り出していた私は、開け放たれた扉を遠慮なく踏み越えた。

 執務室を出て、廊下を走る。


「奥様、奥様」

「何よ!?」


 後ろを追ってきているらしいルカウトに視線は送らず、叫び返す。


「あのですねぇ、ロウリィに奥様が必要がないっていうのは本当なんですよねぇ。私がここにいますから」

「うるさい! 知らないわよ、そんなこと! ――あぁっ、もう邪魔よ、どきなさいっ!」


 靴を両方脱ぎ捨てて、前方に投げつける。

 かこーん、かこーん、と気持ちよく跳ねかえった靴は、湧き出てきた刺客二人の額に当たって廊下に落ちた。

 こっちは急いでいるってのに、ほんっといい加減空気くらい読めるようになってほしい。


「あははー。素晴らしい腕前です。すっかり元通りですかねぇ、奥様?」

「笑ってないで、ちゃんとやっつけてほっぽり出しておきなさい!」

「えー。まともに動けるって知られたくなかったからこういう格好してるんですけどねーえ?」


 並走するルカウトは、きっちりと着込んだ侍従用の服の袖を指でつまむ。


「いいから、つべこべ言わず片すっ!」


 睨みつけると、私よりもよっぽどのんびりと気楽そうに走っていたルカウトは、面倒そうに溜息を吐きだした。

 前方に走り出たルカウトが刺客二人を引き掴んだのを横目で見送って、その場を裸足で走り抜ける。


 行き交うみんなが揃って目を丸くした。「奥様!?」と呼ぶ声には「後で!」と叫んで走る。

 だって、間に合うわ。

 私はまだここにいて、帰りの馬車に乗ってすらいない。

 屋敷を出て、小道を越えて、ひた走った。

 真っ向から吹きつける冷たい風は、火照った顔に今は気持ちがいいくらいだ。

 寒い土は長くは踏んでられないから、自然と足は前に出た。

 とうとうと流れる川は、屋敷からそう遠くはない。

 屋敷と領内の畑地を繋ぐ道。何度か通ったことのある道だ。

 すぐに見えてきた土手に生えている草は冬だからか心なしか色味が薄い。

 なだらかな土手の中腹に人影を見つけて、私は土手を駆けおりた。


「ロウリィ!」


 呼んだその人は、ぎょっとして振り返る。

 ロウリィが心配してくれていることを知っている。

 だから、帰れと言われたことを知っている。

 関係ないと言われるかもしれない。

 だけど、もう知らないわ。


「私は、ここに残ります」


 滑りそうになりながらも駆けおりて、驚いているロウリィの両腕を、勢いのままほとんどぶつかるように掴んだ。


「わたしはっ」


 残る。

 そう決めたんだ。

 お義母様に聞かれた時に、そう気づいたのだから。


「だって、違うの。そうじゃなくて」

「カザリアさん?」


 訝しげに覗きこまれて、顔を覆いたくなった。

 私が言おうとしているのは、とんだ我儘で。

 やっぱりどう考えても、ロウリィの言っていることは正しくて、私は邪魔でしかない。


「ロウリィが私に言ってくれたこと、わかってる。だけど、どうしても、ここにいたい。必要なくたっていいもの。私は、ロウリィが心配なの」

「だから、それは」

「うるさい。黙って聞きなさい」


 目の前で眉をひそめたロウリィを、睨みつけて一蹴する。


「いーい?」


 私は、大きく息を吸った。


「怖かったわ。死ぬかと思ったらすごく怖かった。だけど、それ以上に、ロウリィも同じ目にあったらと思って怖かったのよ。そうしたら、ここはどうなるのよ。他に誰もいなくなるのよ。チュエイル家の一人勝ちで万々歳なのよ。ルカウトがいたって、ロウリィは殺気すら読めないのよ、一人だと危なっかしいのよ、そうだと知ってるから、私はどうしたってロウリィを心配しなくちゃいけないのよ」


 私は今日までに学んだのだ。

 相手に何かを言わせたくない時は、ルカウトみたいに、さっきのロウリィみたいに、一気に巻くしたててしまえばいい。


「ロウリィに、必要なくったって構わないわ。私は私があなたに必要だって判断する間はここにいる。何と言われようが私が勝手に安心できるまでここにいるわ。そう決めたの。私に見えるこの範囲で、私が心配しなくていいようにここにいるのよ。私のために、ここにいるのよ」


 決めたの! と宣言して、座り込む。

 枯れ草がちくりと脚を刺して痛んだ。

 仰げば、空はうっすらと白く澄んでいて、ロウリィが呆れたようにこちらを見下ろしている。


「カザリアさん。ちょっと勝手すぎやしませんか」

「ロウリィの言い方だって、随分勝手だったわ」

「だって、さっきは頷いてたじゃありませんか」

「違うわ、ちょっと俯いただけよ」

「カザリアさん」

「何よ」


 膝をついてロウリィは腰を下ろす。

 真向かいに来た彼の顔から、今度こそ逃げてはいけないのだと思った。

 それでも、ひるみそうになって顎を引くと、ロウリィは幾分か弱々しげに相好を崩した。彼は視線を脇に逸らして苦笑する。


「足、怪我してますよ」


 言われて見ると、足の裏の皮がところどころ擦り剥けて血が滲んでいた。

 思えば、屋敷からずっと裸足で駆け通しだった。

 むしろ、このくらいですんでよかったと言うべきなのだろう。

 詰めていた息を吐きだして、掌で足の裏を覆う。


「そうね。見なくていいわよ、血、駄目でしょう?」

「あの、ですね、僕も随分と怖かったんですが」

「我慢しなさいよ」

「なんですか、それ」

「だって、お互い様じゃないの。大体、ロウリィの場合は自業自得だわ」


 呆気に取られたように、ロウリィは口を開ける。

 だって、私が嫁ぐよりも半年前。勝手にチュエイル家と約束を取り付けてしまったのは、ロウリィの方だ。

 一年間、ロウリィが生き続ければロウリィの勝ち。

 そうでなければ、この土地は再びチュエイル家のものになる。

 約束の期限まで、あと三カ月。ちょうど私が、ここにいる日数と変わらない。


「確かに、それもそうですか?」


 諦めた風に笑んで、ロウリィは首を傾げる。

 私は憤然と頷いた。


「そうよ。だから、ロウリィが我慢して。私は我慢したくない」

「仕方がないですねぇ」


 ロウリィは肩を落としてぼやきを零す。

 草の上に尻をついて完全に腰を降ろしてしまった彼は、土手の上方に目を向けた。


「すみません、バノ。もう少し行った辺りによもぎが生えていると思うので、いくつか取って来てもらえませんか?」


 ロウリィの呼びかけに、我に返る。

 ロウリィが見上げた方角を見ると、何とも気まずそうなバノが首肯し、ロウリィに言われた方へ向かうところだった。

 バノの背を見送って愕然とする。ここはスタンじゃなくバノだったというところに感謝すべきかしら、とか、ルカウトを置いて来て正解だったわ、とか思えるわけもなく。


「もしかしなくても全部見られてた?」


 恐る恐る問いかけると、ロウリィは「そうなりますねぇ」と平然と言う。

 恨めしげに睨みつければ、空を仰いでいたロウリィは、息を吸ってぽややんと目を細めた。


「なら、僕が我慢しましょう」  

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