5.勇者
がっくりと項垂れる洋介に、アリシアはどう言葉をかけていいのかわからないでいた。
洋介の思考は止まらず、魔術が使えない――異世界チートが――現代知識無双しか――魔術使いてえ――、と言った思念を、アリシアに送り続けていた。
アリシアはどう反応すべきか迷い、現状を再考する。
そもそも、これほどの魔力を有し、魔術適性が皆無など、聞いたことがなかったのだ。
魔力は誰にでも存在するものだが、一定以上の魔力を持つ者はそう多くはない。
また、そうした魔力を多く持つ者は決まって、なにかしらの魔術適性があるはずなのだ。
それが、一つもないなんて――。
――精霊に嫌われているとしか思えない。
この世界【イルセア】では、魔力を精霊に捧げ、魔術を行使していると考えられているからだ。
しかし、同時になぜ、という疑問が残る。
この世界に来たばかりの人間が、なぜ精霊に嫌われているのか。
そこで、一つの可能性に思い至る。
――もしかして、何かの呪い。いや、加護の副作用?
過去に、加護の影響で精霊に嫌われたものは一人――『死神』の加護を得たものだけだった。
その人物も、王国の総力を挙げて排除したと伝えられている。
でも、もしかしたら――そんな思いがアリシアの中で渦巻く。
加護の二つ持ちは確認されていない。『見る』加護を得た洋介には当てはまらないはずだった。
「ヨウスケさん、例えばですけど、自分の加護が何か、見えたりなんてしませんよね……?」
「えっと、ちょっと待って。――えっと、こういう時は、ステータス、とか? お、見えた、ゲームみたいだけど、レベルとかの数値はないのか。えっと……『見る』加護と、称号? 『精霊の敵』――なんで!?」
「精霊の敵――聞いたことがありません。まさか、本当にイルセア様が関わっている――?」
アリシアは驚愕したようにぶつぶつと呟いていた。
「その、イルセアって言うのは、どういう人なんだ」
「イルセア様は、この世界を作ったと言われている『魔法使い』。そして、ハイルドラ王国の、初代国王の妻――と言われています。イルセアは『魔法』を使い『魔術』を創り出した、とも」
「それは……実在したのか?」
――魔術を一人で創り出すなんて。
そんな内心を漏らす洋介の疑問ももっともだった。
「……分かりません。でも、ハイルドラ王国が作られる前の、歴史が存在しないんです」
「歴史が、存在しない?」
「はい、ハイルドラ王国ができる以前からある国もある、と言われています。けれど、それらの国でもそれ以前の記録が一切残っていない。まるで、誰かが意図的に消したみたいに――あるのは、『魔法使い』の記した歴史だけ」
「それを、イルセアがやったってことか?」
「恐らくは。でも、何故そんなことをしたのかは分からない。そのせいで魔法が失伝したのではないか、っていうのが学者の考えみたいです」
「それは――」
話が大きすぎて、洋介はついていけていない。
アリシアはそれに気付き、コホンと咳ばらいをし、話を変えた。
「それより、これから始業式です。ヨウスケさんは――どうしましょう」
「――始業式?」
突然の身近な単語に、洋介は驚きの声を上げたのだった。
「はい、ここは学院ですから。そして今日は新学期初日です。私は、始業式前の暇つぶしに散歩をしていたらあの場面に出くわしたのです。そろそろ時間なので私は行きますが――ヨウスケさんはどうしますか」
「それは、俺も居てもいいの?」
「問題ありません」
「なら、俺も参加で」
「分かりました。では、ついてきてください」
◆
「あれ、アリシア! 久しぶり。始業式に行くの?」
「レシナ。お久しぶりです。そうですよ」
始業式に向かう途中、アリシアは知り合いに出会い、話していた。
レシナと呼ばれたその女性は、黒く長い髪の毛を靡かせ、青みがかった瞳をしている。
しかし、その顔立ちは日本人にも似ていて、制服に身を包むその姿は人目では日本の女学生と大差はないように、洋介の目には映った。
その様子を、話を理解できない洋介はただ眺めていたのだが――。
「その人は――黒髪で……黒目? え、王族の方!?」
「えっと、違うんですけれど……なんと言っていいか難しいところです」
「王族じゃない……黒目黒髪。もしかして、召喚された人?」
「はい。よく分かりましたね」
「へえ、なるほど」
レシナは洋介を面白いものでも見つけたように見る。そして、洋介に話しかけた。
「はじめまして、レシナ、です。日本語ダイジョブ、ですか?」
――片言の日本語で。
「レシナは、召喚されたのか?」
驚いたように洋介が訊ねると、レシナは悪戯をするような笑みで、
「転生、です」
そう言った。
聞くところによると、レシナは前世――アメリカ生まれで日本には仕事で来ていたらしい。
その途中で事故に遭い、気付けばこちらの世界に来ていたと言う。
――見た目が日本人っぽいだけに、片言だと不思議な感じがするな。
そんなことを考えつつ、しかし会話をできる人物がいることに洋介は安心した。
「ときどき突拍子もないことをやっては、でも成功していたのはその知識だったのですね」
アリシアはレシナが転生者だということを知らなかったようで、非常に驚き、しかしどこかで納得したように頷く。
「えっと、ヨウスケ、くんは、魔術の詠唱、聞いたこと、ある?」
「へ? そういえば、アリシアは無詠唱でやってたし聞いてないけど。何かあるの?」
「それじゃ、短め、詠唱するから、聞いて」
そう言い、レシナは手を前に出し、
「水よ」
詠唱した。すると、水がその場に現れ、バシャンと地面に落ちる。
「――日本語?」
「そう。魔術、詠唱は、日本語でする。理由は分からない、けど」
洋介は驚きと疑問の混じった表情で、思案する。
――魔術はイルセアが作ったとすれば。そうならば、イルセアは。
その時、チャイムが鳴り響いた。
アリシアとレシナは走り出し、洋介もそれに続いた。
◆
「これは……すごいな」
洋介の眼前には、数百はいるのではないかと言う生徒が犇めいていた。
アリシアが言うには、始業式には出ない生徒も多いという。それでこの人数がいるのだから驚きだ。
洋介は、アリシア、レシナと共に、校庭――と呼ぶべきであろう外の広場にいた。
そこに、その人数が集まっているのだ。それはまさに圧巻の一言だった。
並び順は適当だが、整列はきちんとしているようだ。この人数が整列していると、軍隊のようにも思えてしまう。
舞台のようなところに、数名の、恐らくは教師と思われる人物が立ち並んでいる。
その中心、一際大きな机の前に――幼女が立っていた。
何かを話しているが理解はできないので、洋介はアリシアに念話を通じて通訳をしてもらう。
「生徒諸君、私が学園長のエメラダだ」
――学園長は幼女。いや、ロリババアかな……定番だな、うん。
洋介は茶々を入れつつ話を聞いていた。
ありふれた挨拶は異世界でも同じなようで、あまり長々とは喋らなかっただけありがたいと洋介は思った。
学業に励むように。そう言った締めで、学園長の話は終わる。
「それでは次に、勇者に挨拶をしてもらおう」
その一言で、生徒たちは騒めき立つ。
かくいう洋介も、驚きを隠せないでいた。
――いきなり勇者とご対面かよ。いや、対面はしてないけど。
そんなことを考えつつ、壇上を眺めていると、黄金の鎧に身を包んだ、騎士然とした男が前に出た。
途端、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る。
そして、勇者は宣言した。
「俺が、ハイルドラ王国に呼び出された勇者――アーサー。アーサー・ドラゴンだ!」
勇者は、そう言い放った。
――日本語だ。
洋介が聞いて理解できたということは、そうなのだ。勇者は異世界から召喚されるのだから、当然と言えば当然なのだが。
――アーサー・ドラゴン……ペンドラゴンじゃなくて? でも、どこかで聞いたような。
洋介は、勇者の顔をじっと見つめる。
本来は見えるはずのない距離――しかし、洋介の加護によって、それはなされた。
――『望遠』とでも名付けよう。
そう洋介は考え、勇者の外見を眺める。
「ん? なんか、変な感じが――」
何かに感づいたのか、勇者は違和感を覚えたようだった。
そう言った、勇者の顔は――見たことがあったような気がした。
洋介は嘗ての知人を思い返し、そして気付く。
金髪、碧眼となってはいたものの、洋介の幼馴染の顔に似ていた。
小学校から、高校までともに過ごしたそいつを、少しだけ老けさせたような、そんな顔。
「――修?」
思わず呟いた洋介の声は、静まり返った校庭に響き渡り、勇者の耳に届く。
アリシアは不思議そうに、周囲の人間は迷惑そうに洋介を見る。
そして、本来なら壇上まで届かない、聞き取れないほどに小さな声を、しかし勇者は聞き漏らさなかった。
勇者は声の方向――洋介を見つめ、口を開けたまま固まった。
やがて驚いたように声を絞り出す。
「…………洋介か?」
そう言った勇者、アーサー・ドラゴンの顔は、まさしく洋介の知る、朝野修その人だった。
「よ、よう。ひさしぶりだな……」
なんと返していいかわからず、洋介は片手をあげそう答えた。
周囲の人間は、何が起きているのかわからず、しかし、焦ったような勇者の姿を見て再び騒めく。
そして。
「はああああああああああああああ!?」
校庭には、クールでいかなる時も焦らないと言われていた勇者の、絶叫が響き渡ったという。
レシナ登場場面を書き加えました。