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第三話 極上『中トロ』

「さーて、次は中トロだ」


 吉川は手をパンパンと叩いてシャリを握り始めた。


「おお、中トロですか!」

「本当は大トロを食べてもらいたかったなあ。大トロってみんなバカ高いと思って注文しないんだけどね……」


 そうなのだ。

 寿司の王様と言っても過言ではない大トロは、一般認識が「最高級」であるため、多くのお客さんは謙遜してなかなか注文しないのだ。

 それに伴って、入荷の際に大トロは少ししか入荷しないのだ。


 また、余談ではあるが寿司屋にとって大トロのような高級ネタよりも、一般的に好んで食べられる安価な魚の方が利潤が多く、注文も多いので回転率がいい。

 高級ネタは多く仕入れて余ってしまえば、原価が高いので店にとっては大きな痛手となる。

 もちろん「わかぶな」は比較的人気店に分類されるが、やはり売れ残りは避けたいところである。

 故に大トロの入荷は必然的に他のネタよりも少量になってしまうのだ。



「今日はお客さん少ないのに、大トロ全部出ちゃってもうヤマなんだわ。ごめんね森岡さん」

「いえいえ、中トロでも十分じゃないですか。中トロも大好きですよ」

「そう言ってもらえると中トロも報われるなあ」


 さっと手早く握られた中トロがゲタの上に出された。

 赤色の身はよく見ると白い脂身がきめ細やかに差しており、若干ピンク色に見える。

 その見た目だけでも非常に食欲を誘うものがある。

 中トロとは言いつつも、見た目は大トロのそれとは大差はないように思える。


「これって大トロじゃないんですか?」


 浩二はネタの美しさに思わず吉川に聞いてみた。


「そうだね。今回入荷したのはでっぷり脂の乗ったヤツだったから、中トロでも大トロくらいに見えちゃうね。大間おおまのじゃ無くてもいいのはあるんだね。大間のは今の時期じゃ手に入んないからねえ」

「じゃあこれはどこ産なんですか? すごく立派に見えますけど」

「台湾産だよ。台湾産のは脂が乗ってなかったりするんだけどね。そこはやっぱり目で見て良いのを買い付けたってわけよ。これも技だね」


 吉川はハハハと楽しそうに笑った。


 一般的に大トロというのは、マグロの腹須ハラスの一番脂が乗っている部位を差す。

 マグロは腹須から中骨に近づくにつれ、徐々にその身は赤くなっていくのだが、中トロというのは完全な赤身では無く、尚かつ腹須の部分でもないという曖昧な箇所なのだ。

 故に、個体によっては中トロと呼ばれる部位であっても大トロの様な脂の乗りだったりする。

 一般的に脂の乗った近海マグロの入荷時期は秋から冬。

 回遊魚であるマグロはもちろん台湾でも水揚げされる。

 しかし、時期の問題もあり、この時期に上がる台湾産のマグロは若干脂の乗りが薄いモノが多いのだが、「わかぶな」で入荷したものは近海産のマグロに引けを取らない質であった。

 正に今日の中トロは台湾産でありながら、かなり上等なモノだった。



「しかし美味そうですね大将」

「だって美味いもん」


 再び他のお客さんの寿司を握りながら、吉岡はニコリと笑った。


「漬けにしても結構美味しいんだよ。昼間はランチのちらしにも入れるんだけどね、みんな美味しいって言ってくれるよ」

「そう言えばランチは来た事無いですね」

「こんな住宅街に構えてるから、森岡さんみたいな会社員の方はあまり来ないね。ほとんど近所の奥さんたちだよ」


 ちらし寿司の話を聞いて、今度の休みにでもランチに来ようかと考える浩二であった。

 そして目の前の寿司に目を戻す。


 これぞ寿司と言わんばかりの完璧な様相の寿司が二貫、ゲタの上にどっしりと構える。ただ通常の寿司よりも若干ネタが大きい。

 この色、この形、この風貌。

 まさに寿司の王様のようにゲタという王座に君臨する。


「じゃあ早速」


 浩二は寿司の王様に手を伸ばす。


 少しばかり薄めに切られたネタはやや横幅が広く、シャリを両側から覆い尽くしていた。

 通常寿司は横から白いシャリが見えるが、この中トロの握りはネタがシャリを覆っている。


「少し薄くした分、幅を広めに切ってみたのさ。旨味の強いネタが口の中でシャリの一粒一粒を包むイメージね。ちょっと薄いからってケチった訳じゃないのよ」


 そう楽しそうに話す吉川は、寿司が口の中でどのようになるかという事まで考えていた。

 こうして向かい合って話せば何処にでもいそうなおじさんであるが、寿司に関する事になればやはりプロフェッショナルである。


「すごい計算され尽くしてますね」

「算数は得意じゃないけどね」

「算数と寿司じゃ別物でしょう。それじゃいただきます」


 ちょんと醤油につけてゆっくりと口に運ぶ。

 少し広めに切られたネタは、やはり口の中で普通の寿司とは一線を画した舌触りである。

 じっくり味わうようにそれを咀嚼する。


 包み込むかのようにシャリを抱いていた中トロは噛み締められた途端、濃い旨味をじんわりと溢れさせる。

 シャリとの一体感、それが口の中でも散けない。


 甘みのある脂身は吉川の言った通り米一粒一粒に絡み、浩二は口の中で起こる感動的な味と食感の共演に、味わった事の無いような幸福感に包まれた。

 脂は全くしつこく無く、それでいてその旨味はしっかりと口の中に広がり、濃厚な味わいは舌にしっかりと絡み付き、くどくない旨味がいつまでも続く。

 非常に深い旨み。

 このマグロの持つ旨味は他の魚の追随を許さないほどの強烈な旨味だった。

 あまりの美味さに浩二は味を表現する術がなく、「やはりトロは寿司の王様と言われるだけあるな」と稚拙な感想しか頭に残ってなかった。


 無言で二貫目を平らげると、浩二は吉川に向かって一言。


「もう『わかぶな』でしか寿司は食えないかも……」

「ハハハ! それは嬉しいけど、他にも美味い店があったら教えてよ? たまには他所様のところも食べてみないとね」


 こうして台湾産の中トロは浩二の脳に強烈な印象を残したのだった。


 もしこれが大間産の大トロだったらどんなものなのだろうか?

 浩二は大間の水揚げ時期になったら、大トロを注文しようと心に決めたのだった。


さあ、お腹が減る時間帯で読んでしまいましたね?

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