擦れ違い
ルルドの母親フェルシド・ネルラ・ラルドは|癒手《ヒーラー》を宿す精霊属の女性だった。精霊属の特徴は透明感にあふれ、|彼彼女《かれかのじょ》らが通った後は淡い燐光が漂うことだろう。フェルシドはそれに加えてオド同様に背が高くけれども、女性らしい華奢な体つきをした美女だったと伝え聞いている。
ルルドは母親のことをあまり覚えていない。ただ儚げな女性だったと記憶している。
七歳の時、ルルドを託児所に置いて戦場へ行ってしまった。救護兵としてではなく、敵味方関係なく癒す一般人として。
何を考えてそうしたのか、以来、彼女に会っていないルルドには分からない。
「そう、だね。うん」
ルルドは黄色い盛装をなかば引っ手繰るように奪い取って、胸に強くかき抱いた。
涙が零れる前にと、早口に捲し立てる。
「メシスおばさん! これ、ありがとう! 着て来るね!」
居間を後にして、階段を慌ただしく上る。
メシスはオドを白い目で睨みつけた。
「あんたは。いや、自分で分かってるならもう何も言わないさ。でもね、もっと言い方ってものを考えなさい」
メシスがルルドの後を追って立ち去ると、それまで円卓の下に蹲っていたグルドがのっそりと顔を出した。
愚か者。受肉種が犬のわりに表情豊かに語る。
全くだと、オドは戦友に返した。
屋根裏部屋に逃げ込んだルルドは、衣装棚を開けて、真白な盛装を取り出した。ずっと仕舞いっぱなしだったのに襖臭さはなくて、懐かしい母の香りがした。
「ルルド」
労わるように名前を呼ばれて、ルルドは涙を拭って顔を上げた。
メシスはルルドの隣に寄り添い、口を開いた。
「すまないねえ、ルルド。あんたの気持ちを全く分かっていなかった」
「違う。あのね、メシスおばさん。黄色い盛装はとっても嬉しい。皆が言ってるようにお母さんの盛装を受け継ぐことに憧れはあるけどね、でもね、わざわざ用意してくれたことが嬉しいの」ルルドは一旦、口を鎖して躊躇いがちに問うた。「メシスおばさん、伯父さんとお母さん、仲が良かった?」
言葉足らずな問い掛けの真意を汲み取り、メシスは答える。
「普通かねえ。あたしが知る限り、あの二人は魔属みたいに依存したり、鬼属のように独占したりする関係にはなかったよ。まあ、あんたのお母さんがお父さんに出会って除け者にされ始めてからは酒を飲みながら愚痴を零すくらいの仲良しだったかねえ」
ここだけの話と、メシスは密やかに耳打ちする。
「オドが淋しがったのは妹に親友を取られたからなんだけどね」
「えっ!?」
ルルドの驚いた顔を見て、メシスはくつくつと喉の奥で笑った。
「別にオドが男色家だってわけじゃあないよ。あれは馬鹿で、一つの物事にしか集中できんくてねえ。当時は戦争がおっぱじまりそうな緊張感に溢れててね、力を欲していた。その稽古の相手が雑用係の頃からの悪友だったあんたの父さんだったわけさ」
「お父さん、|火竜《サラマンダー》だったもんね」
「そう。|星竜《リンドウィル》相手に釣り合いが取れる相手なんてそうそういないからねえ。色恋に現を抜かしやがってなんて、まったく、うっとおしいったらありゃしない。二人の出会いの場を設けたのはあいつだってのにねえ」
「そうなの?」
ああと、メシスは遠くに思いを馳せて語る。
「ほとんど偶然だった。あの馬鹿どもが限界が知りたいとか言って、倒れる無茶をやってさ、救護班に担ぎ込まれたのさ。そこに居たのがあんたのお母さんってわけさ。あの親バカっぷりからは考えられないだろうけど、当時、オドは血気盛んで喧嘩っ早くてねえ、面と向かって説教垂れられる人物なんざ限られてたのさ。そんなあいつにガツンと言ってやったあんたのお母さんの姿にお父さんが惚れて、あんたが産まれたのさ」
ルルドは押し黙った。
そんなに仲が良かったなら、一層、双親と似ていない自分の存在を伯父は好ましく思っていないのではないかと、思ってしまった。
「ルルド。あたしはね、アイオーンが好きだよ。子供がどんな姿をしててどんな気性をしてても親が愛情深く子供を育てる。これはね、稀な事なんだよ。|純肉種《ただのにんげん》なんかは醜かったり、言動がおかしかったりするとすぐに差別する。アイオーンはそんなことはない。宿る聖霊によって容姿も気性も変わってくる。それがあたしらにとって普通だからね」
メシスはルルドの頭を撫でながら、そう諭した。
身に覚えのあることだ。村人は妖精や精霊属が多くて野菜や果実が好まれるが、行商の護衛の鬼属や獣属の人たちは魚や肉を好み、不満げだった。
他にも親友のべリルのこともある。べリルは豪奢な金の髪と蕩けそうな夕日色の瞳が特徴的な魔属の少女だが、お父さんは小さい茶色の目と団子鼻が愛嬌のある小人属で、黒髪のお母さんは獣属。容姿は全く似ていない。
「ルルド、気づいているかい? あの盛装、どうしてあんな細やかな裁縫が為されているのか。オドがあんたの好きなものを一生懸命、ばれないように探ってたからなんだよ」
「メシスおばさん、今からでも伯父さんにお礼、言っていいかな?」
メシスは口元を引きつらせ気味に笑った。
「メシスおねえさん! 今言わずにいつ言うんだい? ほら、しょぼくれてる馬鹿のとこに行ってやりな」
背中を押されて、ルルドは恐る恐る階下に下った。オドは円卓に突っ伏して呆けている。足下にはグルドが寝そべっていて、ルルドに気がつくとオドの足を甘噛みした。
意思疎通ができるのにわざと言葉ではなく行動で示すのはグルドなりの腹いせだろう。
オドはルルドと顔を合わせると、情けない表情を浮かべた。
「ルルド、さっきはすまんかった。俺が言いたかったのはだな、その、なんだ」
「オド伯父さん」
煮え切らない言葉を遮って、ルルドは満面の笑みをオドに向けた。
「服、ありがとう!」
心なしほっとした面持ちのオドはすぐに面を崩し、ルルドを抱きしめた。
ルルドの胸の内に温かな光が灯った昼下がりだった。