帰宅
玄関先では大きな犬が腹を出して気持ち良さそうに寝そべっていたが、ルルドの足音に気が付き、うっすらと瞼を上げた。瞳孔が縦に割けた蜂蜜色の瞳がルルドを捉え、犬が跳ね起きる。
「ただいま、グルド」
そう言って、足元に寄ってきたグルドの頭を撫でる。グルドは無邪気に尻尾を振って答えた。 この人懐こい犬をかつて勇猛に戦火の中を駆けた戦友が見たものなら、思わず目を丸くしそうな光景だった。
扉を開けると、閑散とした室内が見えた。
「ただいま」
帰宅の挨拶をするけれども、返事はない。
「グルド。今日はオド伯父さん、帰りが遅いね」
誰もいない屋内に閉じ籠りたくなくて、ルルドは玄関先に座った。その隣にグルドが伏せる。
彼女らは森へ続く道をじっと見つめた。荷馬車の影はない。
唐突にルルドは不安になり、グルドの温もりに触れた。
(伯父さんに限って、何かあるはずがない。だって伯父さんは強いんだもの)
天空の覇者オド・ラルド。
|星竜《リンドウィル》という竜属の聖霊を宿す飛行部隊の豪傑。今は引退して木こりとして働いているけれども、未だに羨望の声は根強い。
「ほら走れ、走れ。あの子が待ってる。幌馬車追いかけ、疾く走れ」
調子外れな歌が陽気に響き、ルルドは森の入り口へ顔を向けた。
木漏れ日の中を荷馬車が通る。
「伯父さん! おかえりなさい!」
ルルドは荷馬車に向かって走った。伯父の隣にはもう一人、泣き張らした後のように充血した目の女が座っていた。
オドの知人、|哭女《バンシー》の聖霊を宿すメシスだ。
「何だい、ルルド。未だにこの馬鹿をわざわざ出迎えてやってるのかい」
メシスの枯れた声は呆れているようだった。
御者台に座るオドが腹を揺する。
「いいだろう! 俺の自慢の姪っ子だ!」
「本当に。あんたに似なくて良かったよ」
「全く、相変わらずな口だなあ」
二人の気が置けないやり取りを聞いてルルドは笑った。
ルルドは馬車馬の横を歩いた。馬車馬の足元にはグルドもいる。だが、踏まれる心配はない。
馬車馬の目は瞳孔が縦に割けた竜属のもの。同じ聖霊を宿すものは、たとえ受肉種が異なる――馬と犬の場合であっても、血に宿る聖霊の加護により意思疎通が可能なのだ。
それはちょっと素敵なことだと、ルルドは思う。例えば伯父はリンドウィル、ルルドの父親の弟はドラゴン。種族こそ異なれど、同じ竜属。ひどい方言を聞いているみたいだが、大体の意味は通じる。だから、戦場でもはっきりと連携しあえたらしい。
ルルドには分からない感覚でもあるが、とても素敵で羨ましいことだと思う。
だってルルドはゴブリンだ。どの属ともテレパシーが通じない。ゴブリン自体、珍しい存在だから、仲間を知らない。
寂しさをまぎらわせるように、ルルドは二人を仰ぎ見た。
「おかえりなさい、二人とも!」
「ただいま、ルルド」
だが、いいのだ。
我が家に帰ってきてくれる人がいるのだから、それで十分満ち足りているのだ。