5
さあ、実行の日がやって来た。
緊張の為、なかなか眠る事が出来なかった。何度も何度も、寝返りをうった。
マットはどうしているだろう。
マットの心に呼び掛けてみた。しかし、全く返事が帰って来なかった。マットはいつものように熟睡しているようだ。
マットになりたい!
なんて思いながら、また寝返りをうつ。やっとウトウトと浅い眠りにつけたのは、午後四時を回った頃だろう。
そんな時間を過ごしても、いつもより早く目が覚めた。充分な睡眠を取ることが出来なかったためか、少々体が怠いような気がする。勿論、頭
はボーっとしている。
こんな状態で大丈夫なのだろうか。不安が増えてしまった。
両親との食事の時間。僕は、心臓が飛び出すくらいドキドキしていた。僕がグスターに話した時点で父さんには筒抜けになっているはずだ。しかし、二人はいつものようにいちゃついていて、何も聞いてこなかった。期待をしていて、何も言う事がないのか……。それとも、いちゃつくのが忙しくてこれから僕たちがやろうとしていることをすっかり忘れているのか……。どちらにしろ、面と向かって聞かれなくて良かった。
自室に戻りマットから血液をもらう。
マットはいつもよりも元気いっぱいだった。血液の味もいつもと違うような気がする。睡眠不足の僕は、とても元気になれた。もしかしたら、マットに血液は僕の体調によって味や栄養素も変わっているのではない
だろうか。
小さなリュックに詰め込んだ荷物を僕が背負い、瞬間移動でA階級とB階級の境辺りの川沿いまで移動した。
空にはたくさんの星が煌き、風もない。家々の窓にはすでにカーテンがひかれ、ほんの少しの明かりが外にもれている。そして、楽しそうな会話が聞こえてくる。
この国は平和だな……。
僕はそんな事を思いながら、隣国からの合図を待った。
トポン!トポン! トポン!
川に石が三つ投げ入れられた。
合図だ。
僕はマットと一緒に川向こうに瞬間移動した。
通常では、隣国への瞬間移動は出来ない。それは、リオン王国の川の上には、ヴァンパイアの瞬間移動を阻む目に見えないフィルターが張られているためだ。これは、ザイアスがリオン王国の国民を拉致した事件後に設けられたものだ。しかし、今回はグスターがそのフィルターを一部機能停止状態にしてくれたのだ。
そこで待っていたのは、狼人間のジョン。
マットは、僕が生き物を操り隣国を偵察している間、狼にしか感知出来ない方法で呼び掛けていた。
狼たちはその群特有の周波数で呼び掛け合う。普通は、群に一つしかない周波数なのだが隣国の狼たちは二つの周波数を持っていた。一つは、国全体の周波数。もう一つは、相談役の狼ゴーズだけが知らない新しい周波数。
王が表に出て来なくなって相談役が実権を握り始めた頃、王の狼コナリーによってもしもの為にと新たな周波数が設けられたらしい。
その周波数をマットは、試行錯誤の末知ったのだ。
その呼び掛けに応えてくれたのがこのジョンだった。そして、僕たちが安全に王のもとに辿りつける様手配すると言ってくれた。
狼の群は通常、ホワイト狼の下に二頭のサブリーダーがいる。群の絶対的な決断はリーダーであるホワイト狼がおこなうが、細々とした事はサブリーダーにも決定権がある。
サブリーダーの選出方法は、群によって若干違うが多くの場合は、ホワイト狼の妻の出身家庭の家長とその他の狼の中での長老が務める事が多い。
彼は、王のホワイト狼コナリーの妻であるジーンの甥。チェンバレンの狼の群のサブリーダーの一人だ。
僕たちは、ジョンの後に続いて歩いた。
リオンの暖かい家庭の雰囲気が窓からもれて来るのとは対象的で、薄暗い寂しい道を進んでいった。
ジョンが立ち止まった場所は、今にも崩れそうな廃屋の裏口だった。
「どうぞ、お入り下さい」
廊下にはいくつかのロウソクが灯され、儚い光が揺れていた。室内の明かりが外にもれない様に、全ての窓には鎧戸が閉められているようだ。
案内された部屋は、丸い大きなテーブルが中央に置かれ椅子がその周りにいくつも置かれている会議室のような部屋だった。
この部屋は長い間締め切られていたのか、ひんやりした誇りっぽい空気が漂っていた。
「エリック様、本日コナリー様がおこしくださるはずだったのですが、キアラン王の体調が悪く王の傍を離れられなくなってしまいました。その為、代わりの者でお許し下さい」
ジョンは、深々と頭を下げるともう一つのドアを開けた。
そのドアから入って来たのは、金色の瞳をもった女性だった。
女性は、クララよりも一回りは年上なのではないかと思えるほど老けて見えた。纏っている服がとても粗末な物で、そう見えるのかもしれない。顔色も悪く、ガリガリに痩せていて今にも倒れてしまうのではないかと思われた。
「お初にお目にかかります。コナリー・ボナの妻ジーンでございます。このような姿で申し訳ございません。現在、私は自由に外を歩く事が出来ないものですから……。お許し下さい」
ジーンはやつれた顔をさらに歪めて頭を下げた。
「そんな事は気にしないで、頭を上げて下さい。ではすぐに王の所に案内してもらえますか?」
ジーンは、軽く頷くと屋敷の奥へと歩き始めた。
キッチンを抜け、食物貯蔵庫のような場所に着くと、床板をニ枚外した。床下には、岩
を並べたような階段が見えた。
「傾斜が急なので、お気をつけ下さい」
ジーンはそういうと、壁に掛けられた懐中電灯を手に階段を降り始めた。僕たちもそれに続く。最後にジョンが、階段を降りながら床板を元の位置にはめ込んだ。
――エリック、大丈夫かな?
マットが、珍しく不安がっているようだ。
――大丈夫だよ。色々な事を調べてみて、この国は秘密がたくさんある事がわかっただろう。むしろ秘密がなければ、相談役以外は生きていけないんだよ。この地下通路もきっとその一つだよ。
――そうだといいけど……。
しばらく階段を降りると、等間隔に太いロウソクが灯され通路を照らしていた。
通路の空気はとても澄んでいた。何処かに空気を循環するような装置があるのだろう。
階段は一人しか通れないくらい狭い物だったが、この通路は大人が二人横に並んで歩いても余裕があるくらいの広さだ。壁は何で出来ているのか想像もつかないほど、ツルツルに磨かれ鈍い光を反射している。
その通路は、あちこち迷路のように入り組んでいて、始めて入った者は生きて通り抜ける事が出来ないようになっているようだった。
そんな道でも、ジーンは迷う事なく先に進んで行く。
代わり映えしない空間を歩き始めて十分少し経った頃、登り階段が現れた。
やっとこの狭い空間から出られる、と思ったがその階段は、数段登るだけでまた通路が続いていた。しかし、この空間は今までの空間とは違っていた。通路の両脇にいくつものドアが並び、先程よりずっと明るい明かりが灯されていた。ドアの向こうでは、こちらの様子をそっと伺っている気配がする。
「エリック様、ここは人間と狼人間だけを診るこの国唯一の病院なのです」
ジーンは、歩きながら唐突に話し始めた。
「病院? でも、B階級地区にも病院があったのをみたよ」
「あれらは、A階級のヴァンパイアが建てた物です。施設ばかりで資格を持った医師は一人もいません。それなのに、高い医療費を請求してくるのです。何も知らずに、やっと医療費を工面して診察を受けても、殆どの患者はそのまま放っておかれ亡くなっていきます」
「それで、病院だって言えるの?」
「普通なら言えませんよね。しかし、相談役が認可しているのです。亡くなった患者は、勝手に火葬されてから家族の元に返されるそうです。死因を知られたくないのでしょう」
「なんて酷い……」
「そうですね。そこで、この病院が出来たのです。この病院の存在を相談役は知りません。ここで、資格を持った医師がたくさんの患者を診ています。この病院を建てた方にお会いしていただけますか?」
「会ってみたい」
ジーンは、病院のエリアを抜け下り階段を数段降りた。すると、先程と同じ様な薄暗い通路が続いていた。
この通路は、入り組んだところは全く無く真っ直ぐ伸びていた。その通路の一番奥に両開きのドアがあった。
ジーンは、そっとドアをノックし室内の人物に声を掛けた。
案内された部屋には、一人の女性が穏やかな笑みを浮かべ僕たちを迎えてくれた。
その女性は、二十代後半位の年齢で金色の髪に紅い瞳……。
僕たちはハッと息を呑んだ。
彼女は、とうの昔に亡くなったとされていた人物だった。
「驚かせてごめんなさい。幽霊ではないのよ」
金髪の女性キアラン王の妻キャサリンが、話しかけてきた。
「さあ、ボーッと立ってないでお座り下さい
僕たちは進められた椅子に座った。
そに部屋は、こじんまりとしたリビングだった。
僕たちの思考はなかなか動き出してくれなかった。そんな僕たちにキャサリンは、片膝をつき右手を左胸にあてるいう王族がするはずのない、作法で頭を下げた。
「お二人のご訪問を歓迎いたします。この度は、我が国のために多大なるご尽力を賜り心より感謝しております。こっそりと運んで頂いた医療品により、多くの民を救う事が出来ました。なんとお礼を申し上げてよいか……。そしてこれから、私たちの大切な家族を救い出すお力を貸して頂けると……。本当に本当にありがとうございます」
キャサリンは、 涙声だった。
「キャサリン王妃、頭を上げてください。僕たちは、ただきっかけを作れただけですよ。それに、王妃にこれほどまでに感謝されるような事は何もしていませんよ。これから、しようとは思っていますけれどね」
僕はおどけた様に声を掛け、王妃を椅子に座らせた。
「そうそう。エリック、ちょうど良いから持って来た物を渡しておけば」
「そうだね。キャサリン王妃、薬をたくさん持って来たのでもらって下さい」
僕は、背負って来たリュックの中からニリットル位の瓶を二つ取り出した。
この薬は、研究所に通い詰めやっと作ってもらったあの薬だ。
外見は、直径一センチ位の素っ気ない真っ白な丸い錠剤で、味はない。
これは、病気を直接治すのではなく、人間が一日に必要な栄養素を大人が二錠、子供は一錠で取る事が出来、自然治癒力が最大限発揮されるよう調合されたものだ。従って、副作用は全くない。
王妃は、たくさんの薬に驚いたり涙したり忙しいそうだった。
「それから、今日は後二つ持って来たんです。栄養失調気味の狼の子を見つけたし、キアラン王もキーシンもあまり顔色が良くなかったから……」
僕は一リットル位の瓶と五百ミリリットル位の瓶を取り出し、キャサリン王妃に手渡した。
「この大きい瓶の青い錠剤は狼人間用、こちらの小さい瓶の赤い錠剤はヴァンパイア用の薬です。大人はニ錠、子供は一錠」
キャサリン王妃は、また深々と僕たちに頭を下げた。
その後、キャサリン王妃からキアラン王が体調を崩した理由を聞いた。
キャサリンの出産時、命を失い掛けていたのを救ったのはキアラン王だった。自分の力をキャサリンの為に分けたのだ。そのかいあって、キャサリンは命をかろうじてつなぐ事が出来た。しかし、キアラン王の体はボロボロの状態になった。
その状態のキアラン王に対して、相談役のザイアスは「女になど自分の命を分け与えるなど、なんて馬鹿な息子だ」と言って、キアランを斬りつけた。その傷には、治りかけると勝手に開き、大量の血を流し続けるという呪いが掛けられていた。
それが、十三年も続いている。体力が無くなるのも無理はない。
健康体のキアラン王ならば、なんて事もなかっただろう。しかしその後、軟禁状態でコナリーからの血のみで栄養が十分に摂れていない。
コナリーも一回の食事しか摂れていない。
食事を与えると、老いたザイアスとゴーズの力では二人を抑え込む事が出来ないからだ。しかし、弱っている二人を殺す事も出来なかった。他国への体裁があるからだ。
二人がもし死んでしまったら、他国の王からの厳しい尋問を受けなければならない。そんな面倒な事を避けたいが為に、二人をギリギリの状態で生かしているようだ。
その二人を救おうとしたキャサリンとジーンは、地下室に監禁された。
その地下室には、ゴーズの妻カーラもコナリーを産んですぐに「用済み」と言う事で監禁されていた。
その時彼女は、亡くなるまでの数年で地下室に穴を掘っていた。地下室の穴は一目見ただけでは穴と分からないような細工も施されていた。
彼女が開けたその穴から続く道は、先程入って来たB階級の家屋まで続いた。
彼女は、そこで息を引き取った。
カーラは彼女を最後に看取った狼の家族にある事をお願いしていた。
それは、自分が掘った地下道に迷路の様に脇道を掘ること。それと、次に選ばれるであろうホワイト狼の妻が自分と同じ目に遭ったら、この地下通路から助けてやって欲しいと言う事だった。
その後カーラの意思を継いだ狼の家族は、他の家族へもコッソリ呼び掛け、少しずつ地下道に手を加えていった。
それが今、キャサリンたちがいるこの地下空間だ。
その後、キャサリンの力で、この地下空間は地上から感知出来ないようシールドが張られた。その為、キャサリンの死亡連絡が来た時に、探ってみても何も感知する事が出来なかったらしい。
ザイアスが王になった時からの長い年月を思うと、この国の人々はたくさんの秘密を作り、目立たず逆らわず何とか生きて来たようだ。
それを、キアラン王が変えようとした矢先、またしてもザイアスに邪魔をされ、国は以前以上に酷い状態になってしまった。
この国の立て直しには、ザイアスの消滅が絶対条件のように思えて来た。
そんな事を僕が考えている事を感付いたのか、キャサリン王妃は少し低い声で話だした。
「お二人は、隣国のお人。お二人のお心が今ざわめいているようですが、この国の王になった者の命をやめる事は出来ません。お二人のお気持ちはとても嬉しく思いますが、くれぐれも冷静に行動して下さい」
「分かっています。キアラン王にも迷惑を掛ける事になりますからね。そろそろ先に進みます。貴重なお話をありがとうございました」
僕とマットはキャサリン王妃に挨拶をすると、ジーンの娘のローラに案内され、城の中へと入っていく事にした。
下空間を歩きながら、僕たちはローラに色々な話を聞いた。
たくさんの人間の家族を川岸まで連れて行ったこと。納税額に満たない分を裕福なA階級の家庭から少しずつ拝借しあちこちの家にそっと置いてきた事。納税の変わりに連れていかれた者たちの捜索など。
ローラは、それらを数人の雌狼と共に行っているらしい。雌狼ならば、数人集まって話をしていても、誰も怪しむ者がいなかったからだ。
その中でも、納税の変わりに連れていかれた人間たちの捜査は僕たちと同じところで止まってしまっていたようだ。こっそりと屋敷中を歩いてそれらの鍵を探そうとしたが、見つけることが出来なかった。ひょっとしたら、ザイアスかゴーズが肌身離さず持ち歩いているのかもしれない。
地下空間をしばらく歩くと、地下牢のような場所に出た。
ここが、カーラが閉じ込められていた場所かもしれない。
地下牢の鍵はすでに朽ち果てていて、簡単に開く事が出来た。
「私はこの先へは行けません。私たちの家族をどうかよろしくお願いします」
ローラは、深々と頭を下げると今来た道を引き返していった。
「さあ、ここからが本番だね。気を引き締めて行こう」
僕の言葉にマットは笑顔で頷いた。
地下牢の目の前の階段を登って行き、屋敷へ入るためのドアをそっと開けてみた。ドアには鍵がかかっているらしく、ビクともしない。
そこで、鍵がかかっているだろう場所に指先をあて鍵を開けた。少し錆びているのか、重く軋んだ音がした。
しかしドアは、何の音もせずに軽く開ける事が出来た。
ドアの向こう側の景色をざっと見渡し、またそっとドアを閉めた。そして、ポケットにしまっておいた地図で現在地を確認した。
王の部屋に辿りつくためには数回廊下を曲がらなければならなそうだ。
この屋敷には最低限の使用人しかいないが、定期的に巡回しているため見つかる可能性がある。使用人の中にも、王を不憫の思っている者もいるため、僕たちを見逃してくれるかもしれないが、その逆の方が現実的だろう。
そこで僕は、指先を噛み偵察用のコウモリを作り天井付近を飛ばせ、僕にだけ分かる超音波で周囲を感知しながら先に進む事にした。
あまり大きなヴァンパイアの力を使うと、ザイアスに気付かれてしまうかもしれないが、この位なら何とか大丈夫だろう。あとは、ゴーズの鼻が悪くなっている事を祈るだけだ。
二つ目の角を曲がろうとした時、前から使用人が歩いて来るのを感知した。僕たちは、手近にあるドアをそっと開けてやり過ごした。偵察用のコウモリにも気付かれる事はなかった。
――スリル満点だね。
マットがクスクス笑を浮かべながら、心に話掛けて来た。
――楽しんでいる場合じゃないよ、マット。真剣にやってよ。僕たちの命もかかっているんだからね。
――大丈夫! エリックは僕が必ず守るから。
マットは胸を叩く真似をした。しかし、顔はクスクス笑を浮かべいる。
僕は、ひっそりと溜息をついた。
廊下のコウモリの様子を伺ってから、そっとドアを開け、廊下に出た。
後一つ角を曲がって、階段を三階分上がらなければならない。
ザイアスやゴーズが居るのは、二階だ。
廊下を歩くのは、隠れる場所があるのでまだいい。しかし、階段は、隠れる場所がない。
この屋敷の階段には、立派な飾りが足元まで施された手摺が付いているだけで、隠れられるような壁がない。
他にも階段はあるが、そちらは召使い用の為いつ誰だ使用するか分からない。
確率的には、この飾り手摺の階段を使う方が安全といえる。
僕たちは、階段に一番近い部屋にそっと入り込みコウモリだけを先へ進ませて、様子を見る事にした。
コウモリは、上階に着くと廊下をパタパタと飛び回り様子を知らせて来た。
ニ上階の廊下には、点々と等間隔に灯りが灯されていた。
この階の一番奥の部屋が、ザイアスが好んで過ごす部屋がある。その部屋の前には、狼人間が二人つまらなそうな表情で立っていた。
その隣の部屋が、どうしても鍵を開ける事も室内を伺う事も出来ない部屋だ。
僕は、壁とドアの隙間からコウモリを室内に入れてみた。
室内に入るとコウモリは元の姿に戻り、部屋の中を飛び回った。
室内の窓は外側から全て塞がれている。照明器具は一つもない。大きな家具の様な物もない。そんな部屋に人の気配がした。
とても弱い気配だが、何十人もいる様に感じられた。
――マット、今まで分からなかった部屋の中には、人がいる。
――人?何人くらい?
――正確な人数は分からないけど、何十人もいるよ。
――じゃあ、今僕たちだけでは救い出せないね。
――残念ながらそうだね。
あまり長居をすると、隣室のザイアスにも廊下に立つ狼人間にも気付かれてしまう恐れがある為、そうそうに退散させた。
コウモリは元来た廊下を戻り、今度はその上の階へパタパタと飛んで行った。
三階は、廊下を照らす灯りは全く無くひっそりとしていた。
コウモリは、一通り廊下を端まで偵察するよパタパタと一階へ戻って来た。
一番気を付けなければならないのは、やはり二階のようだ。
僕たちは、そっと部屋を出て階段を昇り始めた。一階と二階の中間の踊り場まで来ると、ザイアスの部屋の前にいた狼人間が廊下を歩き階段のすぐ側まで来ていることが分かった。
僕は、隠れる場所も無く慌てていると、マットが
――エリック、あいつの意識を乗っ取ってしまえ!
と、悪戯を企てている事が丸見えの顔で僕の心に話し掛けて来た。
僕は、階段を降りて来る狼が声をあげる前に意識を乗っ取る事に成功した。間一髪といった感じだ。
僕の背中には冷たい汗が流れ落ちた。
――マット、それでどうするの?長時間はキツイんだけど……。
僕は、額の汗を拭いながら聞いた。
――食料貯蔵庫にでも入っていてもらえば。敵が一人減るよ。あっ!もう一人も呼んで来て入っていてもうおうよ。貯蔵庫には、鍵もあるんじゃないかな。
――上手くいくかどうか分からないけど、やってみるよ。
意識を乗っ取った狼人間をそのまま階段においたまま、僕たちは先程の潜んでいた部屋に身を隠した。
僕は、大きく深呼吸をし階段においたままの狼人間を操り始めた。
狼人間は、何の抵抗も無く言う事を聴いてくれた。二階へ戻り、一番奥の部屋の前にいるもう一人の狼人間を手招きして呼び寄せた。その狼人間が近付いて来ると、その大きく人間の意識も乗っ取る事に成功した。そして、二人を一階の奥にある食料貯蔵庫へと歩かせた。偵察用のコウモリからは、何の障害もない事が伝えられて来ていた。貯蔵庫にも、誰もいなかった。
貯蔵庫の鍵は、空いていた。そのまま二人を貯蔵庫内に歩かせ、外からコウモリにカギを掛けさせた。
その瞬間、狼人間の意識を開放した。もちらん精気を少しずつもらうことも忘れなかった。これで、狼人間はしばらく意識を失い、僕は体の疲れを癒す事が出来る。一石二鳥だ。本当は、マットから血をもらいたい気分なのだが、血の匂いで気付かれたら困るので、仕方なくこの方法で我慢だ。
さて、邪魔者がいなくなったところで先へ進み始めた。
二階へ昇り、廊下を見回してみた。あの二人の狼人間がいなくなった事は誰も気付いていないようだ。そのまま、コソコソと三階へ昇った。
三階は、人間や一般の狼人間の気配が全くしなかったため、堂々とキアラン王の部屋へと向かった。
部屋に近付くにつれ濃厚な血の匂いがしていた。その為、僕たちはノックをするのを躊躇っていた。
すると、中からスッとドアが開いた。
顔色の悪いコナリーが、ドアに寄りかかるようにやっと立っていた。それでも、優しい笑顔で部屋に入れてくれた。
ベッドでは、血塗れのキアラン王がグッタリとしていた。
ベッドの上は、キアラン王がもがき苦しんだ跡が分かる程乱れていてた。そして王は、疲れはてて眠りについたように見えた。
キアラン王の血は、まだドクドクと体の外へ流れ出ている。
寝具は大量の血を含み、吸い取りきれなくなった血は床にまで滴っている。
キャサリン王妃が、話してくれた傷が開いているのだろう。
僕もマットも絶句した。
こんな状態が、十三年も続いているなんて……。
「エリック様、お出迎えも出来ずに申し訳ございませんでした。キアランの傷が、夕方頃から開いてしまったものですから……」
コナリーは弱々しい声でそれだけ言うと、気絶しているように眠っているキアランを起こそうとした。
「コナリー、そのままにしてあげて。やっと眠れたんじゃないの?」
「はい、ですが……、エリック様がみえたら起こすように言われていますので」
「じゃあ、起こす前にこの薬を飲ませて。キャサリン王妃にも渡してきたんだ。白い薬はコナリーも知っているよね。それのヴァンパイア用と狼用。僕が臨床試験を受けたものだから安全は保証するよ」
僕は、先程よりも小さな瓶を二つ取り出しその中かコナリーの分のニ錠とキアランの分の二錠を取り出し手渡した。
コナリーは、先に自分の分を飲み、次にキアランの口に薬を入れ水差しで水を流しこむんだ。キアランは何の抵抗も無く薬を飲み込んだ。
するとすぐに変化が現れた。
ドクン、ドクンとキアラン王から音が聞こえてきた。
ぐっしょりと血で濡れていた寝具から見る見るうちに、血が消えていく。そして、寝具に血の跡が全くなくなると、キアランの顔色が良くなっていった。キアランの体から溢れ出していた血がキアランの体に戻ったようだ。
キアランの体は淡い光に包まれた状態で、ベッドから浮上し始めた。
「エリック様、危険です。すぐに頑丈なシールドを貼って下さい」
コナリーの鋭い声が飛んできた。
僕は、マットを抱きかかえるようにして体を丸め、部屋の隅に何重にもシールドを張った。
僕がシールドを張り終わると同時に、キアランの本来の力が爆発するように体の外へと飛び出した。僕たちの前にコナリーが立ってくれたため、直接その余波を浴びる事は無かったが、僕の張ったシールドは大きく歪んだ。
部屋の中は、何もかもが音を立てて粉々に砕け散り、キアランを軸に余波が不気味な音をさせながら渦を巻くように回転を始めた。その回転は段々と速度を増し、不気味な音はやがて耳を覆いたくなるほどの高音へと変化した。
その高音は、鋭い刃のように僕のシールドを切りつけ始めた。
シールドに亀裂が入り始めた時、コナリーの力が解放された。
キアランの力を浴びた事で、コナリー本来の力も回復したようだ。
コナリーの力は、キアランの力と体を包み込むように押さえ込んでいき、徐々に渦は回転を緩めながら小さくなっていった。
渦に巻き上げられていたこの部屋のあらゆる物が、パラパラと床に落ち始めた。モウモウとしていた視界も少しずつクリアーになっていった。
コナリーがキアランの真下まで近づくと、それを知っていたかのようにキアランの体はドサッとコナリーの腕の中に落ちてきた。
「キアラン、気分はどうですか?」
コナリーの優しい声が静まり返った部屋に響いた。
「生まれ変わったようにとても良い気分だよ」
キアランの穏やかな声が答えた。
「エリック様が、薬を持って来て下さったのです。これで、本来のあなたでいられますよ。良かったですね」
コナリーは、キアランをそっと床に立たせると後ろを振り向いた。
僕とマットは、腰が抜けたように座り込み、隣国の主従をポカンと見詰めていた。
「二人とも、ありがとう」
キアランの穏やかな声に、ハッと我にかえり僕たちは立ち上がった。
「あ、いえ……」
「今のとっても凄かったです。僕もコナリーのようになりたいです。すっごく感動しました」
僕が、おずおずと言葉を口にしている横から、瞳をキラキラさせながらマットが割り込んできた。マットは、狼の姿でないと僕の力を押さえ込むことができないため、コナリーの行動に相当感動したようだ。この先、ずっとこの話を聞かされることになるだろう。
僕は、こっそりと溜息を一つついた。
そんなマットに、キアランもコナリーも穏やかな笑みを浮かべていたが、急にキアランが厳しい顔つきになった。
「この部屋は他の部屋よりも、中の情報が外に漏れないようになっているけれど、気付かれたかもしれない。コナリー、キーシンとカーシーの元へ行ってくれ」
コナリーは、神妙は面持ちで頷くと部屋の隅の小さなドアからそっと部屋を出て行った。
それと入れ替わりに、廊下へ繋がるドアが荒々しく開け放たれた。
そこには、ザイアスと狼の姿のゴーズが立っていた。
その後ろには、この屋敷の使用人らしい狼たちも数人見えた。しかし、その狼たちは尻尾を丸めみるからに怯えていた。ゴーズによって無理やり連れてこられたため仕方なくこの場にいるのだろう。
突然、ゴーズが僕に飛び掛かり、僕の首にその鋭い牙を食い込ませた。僕は、飛び掛られた勢いで後ろに勢いよく倒れ床に頭を打ち付けた。
「エリック、エリック、大丈夫かい」
僕は、キアラン王の声で目を覚ました。
しかし、頭がガンガンしていて周りの状況をすぐに把握する事が出来なかった。でも、部屋の中には濃厚な血の匂いが充満していることだけは分かった。
ボーッとしている僕の顔を覗き込むようにしてキアラン王がまた話掛けて来た。
「エリック、大丈夫かい。まだ頭がボーッとしているみたいだけれど、急を要するだ。私の話をよく聞いてくれ。 君がゴーズに首を噛まれ倒された事で、マットが暴走してしまった。私もコナリーも彼を止める事が出来ない。彼を止められるね」
僕の焦点が少しずつ合うようになり、部屋の中を見回すと、あちらこちらに血飛沫が飛び、濃厚な狼の血の匂いが充満していた。
僕はその光景を何処か違う場所から他人事のような感覚で眺めていた。
突然、廊下で大きな悲鳴が聞こえた。
僕は、無意識に瞬間移動してその現場に立っていた。
その場所にも、おびただしい血が流れ、傷だらけの狼たちが数人倒れていた。それと、何かが焦げるような匂いも微かにしていた。
今度は、背後から狼の低い威嚇する声が聞こえてきた。
振り返って見ると、壁に張り付く様に立つザイアスと、その前で守るように威嚇しているゴーズが見えた。ゴーズは、体のあちこちから血を流しフラフラの状態だった。もう、攻撃をしてくるような力は残っていないだろう。
そして、それらと対峙している一頭の狼がいる。
その狼からは僕が慣れ親しんだ匂いがする。しかし、その狼は、ホワイトの毛皮にビリビリとした電気を帯びた赤い衣を纏っていた。
赤い衣の粒子が、ザイアスとゴーズ目掛けて音もなくシャワーのように降り注ぎ始めた。
粒子は、二人に当たると静電気のようにパチパチと弾け、火傷を負ったようにあちらこちらが赤く爛れていった。二人の周りの壁や床にも焦げ跡がアッという間に出来ていった。
「……マット」
異様な雰囲気を漂わせている狼の名前が、僕の口からこぼれ落ちた。
僕の頭の中は、この異様なマットの姿を受け入れきれずに動く事が出来なかった。
今まで、こんな姿のマットを見たことがない。
僕が知っているマットは、いつも笑顔でクヨクヨしない、食べる事と寝る事それと悪戯も大好き、誰にでも優しくて、誰とでもすぐに友たちになれる。
そんなマットが、今僕の目の前いる狼と同一人物だとは、僕で無くても信じられるはずがない。
僕がゴーズに噛まれただけでこんな風になってしまうなんて……。マット自信、僕がどんな怪我をしてもすぐに治る事は知っているはずだ。それなのに、こんなに怒るなんて……。
しかし、そんな僕の思いにはお構い無しにマットから飛び出す赤い粒子の粒はドンドン大きくなっていく。それを防ぎながら、ザイアスもマットに向けて色々な技を繰り出している。しかし、赤い衣に守られたマットには何の意味も持たなかった。
ザイアスは、イライラした表情でフラフラのゴーズを罵り始めた。
「早く、お前も赤い衣を纏え! 何をしている! 私があんな狼に苦戦するはずがない。お前がもっとしっかりしていないからだ。何のためにお前はいる。私を守るためではないのか。お前も、あやつと同じ力を持っているはずだ。早くその力を出せ!」
「恐れながら、私にはあのような力はございません。あれは、レヴィンの家の者だけが持ち得る力なのです」
「なんだそれは! どうして、隣国ばかり……。私の計画が、また隣国の餓鬼どもに邪魔されると言うのか!」
「ザイアス様、ここは一旦引きましょう」
「誰が、引くか! あの忌々しいレオンの餓鬼どもを、この場で滅してくれる!」
ザイアスは、そういうと今度はマットよりずっと離れた後ろにいる僕目掛けて、片手を挙げ掌をこちらに向けると攻撃をしてきた。
僕はとっさに両手を前に出し、その攻撃を受け止めるよう身構えた。
ザイアスが放った力の塊は、僕の両手にあたるとアッという間に消えてしまった。痛くも痒くもない。
えっ! こんな物なの?
僕は、拍子抜けしてしまった。カミン先生が教えてくれた各国の力の差は、こんなところにも出ているのかもしれない。それにしても、弱すぎるように思う。ザイアスの力には何かあるのだろうか?
それでもザイアスは、諦め切れずに何度も何度も繰り返し繰り返し攻撃をしてきた。しかし、どれも僕にとっては風船が当たっているようなものでしかなかった。
僕って、無敵!
そんな、事を考えていたその時、マットの後ろ足に力が入るのが見えた。
ザイアスに襲いかかるつもりだ。
僕は、ハッと我にかえると瞬間移動して、マットの目の前に立った。ザイアスの攻撃は続いていたが、僕にとっては全く気にするようなものではなかったが、しつこい攻撃に飽きてきてしまったので、ほんの少し手加減をしてザイアスに向かって力を放った。
すると、ザイアスはゴーズを連れて瞬間移動してしまった。
マットは、ザイアスを逃がしてしまった僕に向かって低い威嚇の声をあげた。
「マット、もう良いんだ!」
マットには、僕の声が全く聞こえていないのか……。
――マット、もう良いんだよ。
今度は、心に直接話し掛けてみた。
――何が良いんだ! あいつは、僕のエリックを傷つけるようゴーズに支持を出した。
返事が帰ってきた。
その返事の内容はともかく、マットの意思を確認出来た事で僕はホッとした。
――マット、僕のっていうのはやめてよ。僕はマットの所有物では、ないんだから。
――でも、僕のエリックだよ。ザイアスのでもゴーズのでもない。エリック、どいて!
――どかないよ、マット。僕たちの目的は達成したんだ。だから、もう帰るよ。
――嫌だ! ザイアスを懲らしめないと、僕の気が済まないよ。
――ザイアスは、この国の前王だ。他国の者が手を下す事は出来ないんだよ。もし、そんな事が起こったらキアラン王がマットを裁かなければならなくなる。
――それでも、いいんだ。
――僕は、嫌だよ。結果によっては、マットを失う事になるんだよ。
――それでも、僕はザイアスを許す事が出来ない。
マットの怒りは、僕と話すだけではおさまらないようだ。話して駄目なら、後は力でねじ伏せるしかない。
僕がそう考えた事をマットも気付いたらしく、僕に向かって威嚇の声をあげた。
そして次の瞬間、僕はマットに倒され、のし掛かられていた。僕には、よける事も出来ない速さだった。
マットの体からは赤い衣の粒子が僕に降り注いで来た。
その赤い粒子は、僕の体に当たるとパチパチと音を立てた。しかし、僕の体は火傷を負う事はなかった。
この粒子を僕が弾いてしまえば、誰に当たるか分からない。当たった者は、怪我では済まないかもしれない。
しかし、僕なら何とかなるかもしれない。現に痛くも痒くもないのだから。
僕は、その粒子を全て自分の体の中に吸収する事にした。押さえ込んでいた力を全てマットに向かって開放した。
僕の力は透明なゼリーの様な形状をとり、マットを包み込み赤い衣をグングン吸い込ん
でいく。その赤い衣は、僕の力の中でバラバラにされ僕の体の中へと入ってきた。
それらは、いくら小さくされてもそれぞれがマットの怒りの力を持ち、僕の体の中でも
抵抗し暴れまくった。それは、体の中を殴られ蹴られているように感じられた。
僕は、それを抑え込む為に歯を食い縛った。
僕の中の力を抑え込もうとすると、マットを包み込んだ力が緩んだ。
それを待っていたかのように、マットが僕の力から出ようともがき始めた。
マットがもがけばもがくほど僕の力に薄い部分が出来、ついに右の前足が外へ出てきて
しまった。
僕は、慌ててマットの中に蓄積されている僕の力の多くを奪い取った。
すると、マットは抵抗をやめパッタリと倒れ、僕の体を抑え付けるものはなくなった。
――ちょっと辛抱してね、マット。
その少しの時間を使って、僕の体の中で暴れるものをいっきに抑え込んだ。
マット自身が気絶してしまっても、その力は抵抗を続けていた。
よほど悔しかったのだろう。
父さんに言われた言葉を今実感していた。
僕はマットの思いを抑え付けながら、涙を流していた。
――マット、ごめんね。
僕は、マットの力を抑え込み終わると、肩で息をするような状態で残りの力をマットに
戻した。
もう僕の体はピクリとも動かなかった。
――グスター、迎えに来て……。
心の中で言葉にすると、僕は意識を手放した。




