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僕と狼の日常  作者: ゆり
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 次の日、父さんもグスターも普段通りの生活をしていた。しかし、いつもと違うのは、二人に笑顔がない事。さらに父さんは、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 母さんも、父さんの様子を心配しているようだったので、こっそりと聞いてみた。

「エドガーの体調は、いつも通り元気よ。でも、何かを考えこんでいるようなの」

「何を?」

「よくは分からないは。でも、昨日爆発した事ではないようなの」

「そうなんだ……。父さんはどこへ出掛けているの?」

「A階級の会合よ」

「そう。グスターは、全部知っているの?」

「知っていると思うわ。あなたが考えている事がマットに伝わるのと同じよ」

 父さんに聞きずらいことは、グスターに聞くしかない。

 僕がグスターの執務室へ行くと、グスターは分かっていたかのように僕を部屋に入れてくれた。

「グスター、隣国の事で父さんの元気がないんでしょ。僕にも話を聞かせて欲しい。父さんが話してくれない事は、グスターも話してくれないの? 僕じゃあ、何の役にも立たない?」

「エリック様、そのような事はありませんよ。エドガー様がお話なさらないのは、まだ、色々とお考え中なのでしょう。エドガー様は、じっくりと考えてから行動するタイプですから。もしも、エリック様が私のところに話を聞きにくるようなら、何でも話して構わないと言われていますので、お話しましょう」

 グスターは、穏やかな笑みを浮かべた。

 グスターの話はこうだ。

 現在の隣国は、王族の持ち物を国民が借りているという考えのもと、あらゆる物に対して税が掛けられている。毎年の国の予算は、相談役のザイアスが勝手に決めている為、国民がどんな状態で生活しているかなどは、一切反映されていない。

 税の徴収は、それぞれの自治体ごとにされているが、その取立ては狼たちがおこなっている。

 納税額に満たない場合、狼たちが家財道具を没収していく。それでも、足りない場合は、その家庭で一番年上の人間を連れ去る。連れ去られた人間は、二度と戻っては来ない。

 今年は、今まで以上に作物の出来が悪く、国が決めた納税額を納める事が出来ない世帯が多く出た。そのため、何人もの老人が連れて行かれた。

 川を渡って来た若い夫婦も、納税額に満たない事が分かった。

 没収されるだけの家財道具もなく、両親もすでに前年までに連れて行かれ、今回は夫が連れていかれることになり、二人で川を渡った。

 グスターの話を聞いているうちに、僕の体はメラメラと燃えるように暑くなった。

「エリック様、落ち着いて下さい。ほら、深呼吸をして……」

 グスターの声に僕は、ハッと我に帰った。

 僕の髪は逆立ち、服もパタパタとはためいていた。僕の中から何か大きな力が溢れ出しているようだった。

「落ち着かれましたか?」

「あ、ごめんなさい 。もう大丈夫。グスター、リオン王国の税はどうなっているの?」

「B階級は収入の一割、A階級は収入の二割、そしてS階級のエドガー様は三割です。あちらの世界での所得税にあたりますでしょうか。その他の税はありません」

「そうなんだ。あちらの世界では、色々な税があったけど、こちらは一つなんだね。シンプルで分かりやすいね。でも、王様の父さんも税を払っているのはちょっとびっくりだね」

「エドガー様は、国内にいくつもの会社を経営されていますから、そこからの収入を税として納めているのです」

「じゃあ、僕の暮らしは税で賄われていないんだね?」

「そうです。エドガー様の収入で賄われています」

「じゃあ、この屋敷で働いている人の給料はどこから出ているの?」

「それは、国から出ています。私たちは、王族のお世話をする公務員ですから」

「国の予算は、どうやって決められているの?」

「国民からの要望をいつでも受け付ける窓口が、それぞれの州にあります。その窓口で集められた要望を元に、王とそれぞれの長の会議によって決められています。決められた予算を国民に提示して、賛否を問います。その結果、賛成が多数ならばその予算が執行されます。反対が多い場合は、反対の理由を国民に問い、もう一度会議に掛けられます」

「みんなが予算決めに関わっているんだね。これなら、隣国のようなことはないね。王様っていっても、父さんと隣国の王とはだいぶ違うね。ところで、さっきの話の中で税を納められないと連れて行かれるって言っていたけれど、どこへ連れて行かれるの?」

「それは……」

 グスターの答えはなかなか返ってこなかった。

「グスター、そのことは僕には教えてもらえないの?」

「いえ、お教えできます。少しショッキングなお話になるかと思います。心を落ち着けてお聞き下さい。その前に、我が国の人工血液の話をしましょう。我が国では年に二度、献血が行われています。それは、人間と狼の治療に必要だからです。しかし、献血希望者がとても多く、その血液を全て使い切る事はありません。その為、古くなった血液を素にヴァンパイアのみなさんが飲まれる人工血液を造っているのです。中には、お亡くなりになる時に、自分の血液を全てエドガー様とナナ様へ献上したいという者も多くおりまして、体が温かいうちに血液を少し分けていただいたりもします。他国でもこの方法を導入した国もあるようです。しかし、隣国チェンバレンではそのような方法を取っているという話は一切入ってきていません。ここからは、憶測でしかありませんが、連れ去られた人たちは強制的に血液を抜かれているのではないでしょうか」

「血液を抜かれている?」

「はい。先日、エドガー様が出席された会合でチェンバレンの相談役が、『今年は、美味しい血液を多量に手に入れた』ととても自慢していたそうなのです。その入手方法は、一切話さなかったそうですが、それがおそらく抜き取られた血液ではないかと……」

「それが事実なら、許せないね。いっその事、チェンバレン一家をやっつけちゃおうよ」

「それは出来ません。王族や狼は他国へ勝手に入ってはいけないルールがあるのです。その国のものに招かれた場合は別ですが……。今まで、チェンバレンは他国の王族や狼の入国を許可した事は一度もありません。エドガー様も、他国ながら人間たちの暮らしが年々苦しくなっている事をずっと以前から耳にしていましたので、チェンバレンの相談役に色々とお話はしていたのですが……。まさか、ここまで酷くなっていたとは……」

「それで、父さんは爆発した訳か。初めて聞いた僕でも腹立つのに、父さんは相当だったんだろうね」

「そうですね」

 その後しばらく、僕もグスターも言葉が出てこなかった。

 沈黙が続いていたが、ふいにグスターが席を立ち上がった。

「エドガー様が戻られます。エリック様も一緒にお出迎えなさいますか?」

 僕は、頷くとグスターの後に続いて玄関ホールへと移動した。

 父さんは、少し疲れたような表情で帰って来た。

「グスター、マットは戻ってきているかい?」

「はい、戻ってきております。書類は全てナナ様にお渡ししてあると思います」

「わかった。では、クララと一緒に私の執務室へ来てくれ。エリック、君もだよ。マットはこれそうかな?」

僕は、マットの気配を探った。穏やかな気配がする。

「きっとダメだと思う。あいつ今熟睡しているよ。噛み付いても起きないよ」

「じゃあ仕方がないね。マットにはお前からちゃんと話してくれるね」

「わかった」

 父さんは、日が登らないうちにマットを呼び出していた。それは、父さんの使いとして国中から書類を回収するためだ。

 書類は、チェンバレンから逃げて来た者へのアンケートだ。

 先日、七州に逃げ込んできた人の話から色々わかった事があった。その他にも情報がないかと配られたものだ。 

 それらの書類は、病院で話を聞いたその日のうちに全州長を通して配られたが、解答後の書類には秘密事項も書かれている事を想定して自分たちの王族にしか絶対に従わないと言われるホワイト狼のグスターかマットが回収する事になっていた。それに、ホワイト狼の足ならば、数時間もあれば回収できるからだ。しかしグスターは、体調が戻ったばかりなので今回はマットがその役目を負った。

 父さんの執務室に入ると、窓の外、門の向こうにたくさんの人集りが出来ているのが見えた。

「父さん、母さん、門のあたりにたくさんの人が集まっているよ」

「みんな、心配性ね」

母さんは、苦笑しながらそう呟いた。

「ナナ、エリック、バルコニーに出るよ」

 僕は両親と一緒にバルコニーから、その人たちへ手を振った。すると、人々から安堵の声が聞こえ、それぞれ戻って行った。

 ホワイト狼がその姿を国民に見せる時は、王族の一大事の時だけだとされている。それが走り回っていたら何事かと国民は驚いたのだろう。

 州長には、その旨を話し州民に知らせてもらってはいたが、心配性の者が、確認にやってきたようだ。



 配られたアンケートは一枚残らず回収され、すでに母さんによって集計を終えていた。州長からの逃亡者受け入れ人数もグラフ化されていた。

 そのグラフを見ると、ある年から急激に増えている事が分かる。それは、王が体調を崩しその代わりに相談役が政権に返り咲いた年だった。逃亡の理由も、生活苦ばかりだ。それ以前も、逃亡者はいたがこれ程多くはなかった。

 大人たちは、硬い表情を浮かべ何も言葉が出てこないようだった。

「あの……、教えて欲しい事があるんだけど、良いかな?」

 僕の言葉に一斉に大人たちが顔をこちらに向けた。

「ああ、悪かったね。エリックにはこれだけでは分からない事もあるよね」

 父さんの硬い表情が一瞬で穏やかなものになった。

「あのね、まず分からないのが、どうして王が体調を崩したのかってこと。ヴァンパイアがそんなに長期間体調が悪いなんて普通はないでしょ? それにね、そんなに長期間体調が悪ければ、その狼はどうなっているの?」

「そうだね。ヴァンパイアは、この世界で一番強い身体を持っているからね。長期間体調を崩すとなると、命を削る程の力を使ったということになるね。そうなると、その狼も命が削られているだろうね」

「命を削る程の力って、どんな力なの?」

「自分の命を分け与え、誰かの命を伸ばすとかかな?」

「じゃあ、誰に分け与えたの?」

「それは、分からないんだ。チェンバレン家は秘密が多いからね」

「そうなんだ。じゃあ、チェンバレン王はどんな人物なの?」

「チェンバレン王キアランは、チェンバレン家には珍しく気の優しい面もあるよ。だから、父親からはあまり良く思われていなかったようだね。彼の狼のコナリー・ボナも似たような感じだったと思うよ。ねえ、グスター?」

「そうですね。ホワイト狼は一般的に面倒見が良いとされていますが、コナリーは一から十まで面倒を見ていましたね。やはり彼も父親からはあまり良く思われていなかったようですね」

「じゃあ、相談役ってどんな人物なの?」

「簡単に言ってしまうと、自分勝ってな独裁者だね。自分の利益だけを考えているような人物だよ。そんな人物にとって、私の父は一番邪魔な存在だったようだよ」

「どうしてお祖父ちゃんが邪魔なの?」

「それはね、当時は今よりもずっと国の順位がはっきりとしていたんだよ。その順位は、人間の人数や国力にも比例していたんだ。この世界で一番格下のチェンバレンは、この世界で一番貧しい国だった。A階級地州ですらライフラインも十分では無く、B階級地州に至っては、井戸もない所もあったんだ。広い土地があっても、とても痩せていて作物を作っても、ほんの少しの実りしか得ることができなかった」

「でも、天候はリオンと変わりないんでしょ?」

「天候は国によって違うんだよ。その国の天候を決めているのは、王なんだ」

「えっ!父さんが勝手に決めているの?」

「勝手にじゃないよ。リオンでは、太陽光発電を多く利用した国だね、だから、昼間にばかり雨が降るのは困るんだ。だから、発電所があるところだけ昼間に雨が降らない様にしているんだよ。そして、発電所に昼間降るはずだった雨は、そのそばに作られた大きな貯水池に降らせているんだ。その貯水池の水も色々な事に利用されている。他国も同じ様に天候に少し手を加えているんだ。それをチェンバレンの相談役は面倒くさがって、川にだけ雨が降る様にしてしまったようなんだ。だから、国土の殆どが干上がった状態なんだ」

「それじゃあ、作物は育たないね」

「そうだね。そこで、我が国から多くの援助がされていたんだ。さすがにチェンバレンでも何とかしようと思ったんだろうね。しかし、その方法をチェンバレンは大きく間違えたんだ。リオンは大国過ぎて手が出せないものだから、反対側のクランマー王国を口八丁手八丁で言いくるめて、クランマー王国の国民を多勢移住させようとしたんだ。働き手が増えれば国力もあがるだろう。それを、父が阻止したんだよ。そうしたら、あろうことか今度は我が国の人間を拉致しはじめたんだ」

「拉致?」

「そう。公に話を持っていけないものだから、こっそりと連れていったんだ」

「それで、その拉致された人たちはどうなったの?」

「もちろんすぐに返してもらったよ」

「どうやって?」

「それは、私とグスターの二人で隣国へ忍びこんで連れて帰って来たんだ」

「えっ? でも、王族や狼は他国に許可なしでは入れないんでしょ。もしも、見つかったら大変だったんじゃないの?」

「そうだね。でも、キアランとコナリーがこっそり手引きをしてくれたから、その時は何とかなったんだよね」

「どうして手引きしてくれたの?」

「良心が咎めたんだと思うよ。私たちが川岸で隣国の様子を伺っていたら、手招きして入れてくれたんだ。当時はまだ、隣国との間に橋も架かっていたからね」

「しかしエドガー様、その後親たちにこっ酷く叱られましたね」

「そうだっけ?」

「そうですよ。叱られた後は、結界を何重にも張りめぐらされた部屋に、一ヶ月も閉じ込められたじゃないですか。覚えていないのですか?」

「ああ、そんな事もあったね。でも、あれはあれで楽しかったよね」

「父さんたちの呑気な思い出話はいいから、もう少し教えてよ。隣国との間の橋はいつ無くなったの?」

「橋は、その拉致が解決した後だね。父がチェンバレンに対してもの凄く怒って援助を全面的にやめてしまったんだ。それで、チェンバレンがひねくれちゃって、我が国が作った橋を全部壊しちゃったんだよ。それ以降、国交は断絶し王の会合にも出て来なくなったんだ」

「そんな独裁者が、よく気に入らない息子に王位を譲ったね」

「王位を譲ったのは渋々だったと思うよ。だってね、リオンの王が息子に王位を譲るって宣言すると他国もそれに習わないといけない決まりになっているんだ。まあ、その宣言をするためには、息子の成長や他国の様子などのいくつかの条件があるんだけどね」

「渋々か……。それでチェンバレンは王が変わって少しは良くなったの?」

「そうだね。キアランは、王になって始めての会合で『国民を助けて欲しい』って頭を下げて来たよ。それで他の五国が、それぞれの得意分野で援助をし始めたんだ。王同士もとても仲が良くてね、連絡を取り合うこともしていたんだ。それは今までにはない事だったんだよ。それがある時からキアランとパッタリ連絡が付かなくなったんだ。もうすぐ子供が生まれるってとても楽しみにしていたのに……。ひょっとしたら、その事で親ともめたのかもしれないよね。親にとっては、命が無くなるのだから。いくら他国がやっているからってどうして自分が死ななければならないんだってね」

「じゃあ、王の命を奥さんにあげたんじゃないの? だから、王は長期間体調を崩しているんだよ」

「エリック、私たちもそうかなと思っていたんだけれど、チェンバレンから息子が生まれたという挨拶状と一緒に奥さんのキャサリンが亡くなったという報せもあったんだ。その報せを確かめる事は出来なかったけれどね」

「どうして? 父さんは何でも出来るんでしょ?」

「一応、キアランの気配を探ってみたんだけれど、とても弱くて、掴みようがなかったんだ。コナリーの気配もキアランの傍にあったんだけれど、話し掛けられる程の体力はないようだった。他に生まれたはずの息子の気配を探る事もできなかったんだ」

「コナリーには奥さんや子供たちもいるでしょ。その人たちは、どうなの?」

「はい。コナリーにはジーンという妻と、ローラという娘、それとカーシーという息子がいるのです。カーシーの気配は、コナリーとは別の部屋に感じられるのですが、その部屋から一歩も出ないのです。そして、ジーンとローラの気配は全く感じられませんでした」

「という事は、カーシーは監禁され、あとの二人は亡くなったって事?」

「そうかもしれません」

「隣の国なのに、わからない事だらけなんだね。苦しんでいる国民がたくさんいるのに・・・」

 僕の心の中で、何かがモヤモヤと動き回るような感じがした。そんな僕の肩を母さんがそっと叩いた。

「エリック、そんな顔をしないで。私たちに何が出来るか話し合うために集まっているのでしょう? 今回のアンケートで一つだけれど、ホッとしたことがあるのよ」

「どんな事?」

「このグラフと分布図をよーく見て。急激に逃げて来た人が増えたのは、王が体調を崩してからよね。その頃は、川沿いや海沿いの人が多かった。これは、誰にも見つかる事無く逃げる事が出来る可能性が高いからでしょう。それでも、国境を渡る前に射殺されてしまっている人もたくさんいるわ。でもね、その数年後を見て。内陸部からの逃亡者も増えているの。そして、生きて我が国に入って来ている人が増えているの。それにね、クララはもっと良い話を聞いて来たのよ」

 母さんが笑顔でクララにふると、クララは満面の笑顔で頷いてくれた。

「マリーが勤めている学校の生徒さんが、マリーの瞳を見て『先生と同じ瞳の女の人をあっちの国で見た』と話してくれたそうなんです。マリーと同じと言うことは、ジーンかローラのどちらかと言う事になります。マリーは、すぐにその生徒さんの母親と連絡をとったそうです。その母親の話では、逃げようと決めた時に何処からか現れて川沿いまで送ってくれたと言うことでした。年格好から、ローラのようです」

「それじゃあ、ローラは確実に生きているって事だね」

「そうです。でも、とても慎重に行動しているようで、マリーが何度も呼びかけたのですが一切返事がありません」

「そこで、エリックとマットにお願いがあるんだ」

 父さんは、悪戯っ子のような表情を浮かべて僕の顔を覗きこんだ。

「何をすれば良いの?」

「隣国の情報収集。それと、ローラーとの接触」

「えっ! どうやって?」

「それは、お前たちで考えなさい。どんな方法でも良いよ」

「分かった。やってみるよ」

 僕は、父さんに頼まれた事が嬉しくてマットにも早く知らせたくて、席を立った。

「エドガー様、本当に大丈夫ですか? 何だか私気が重いのですが?」

「大丈夫だよ。息子たちを信じよう」

 クララは不安そうな表情を浮かべていたが、一応首を縦に振った。



 瞬間移動でたどり着いたマットの部屋は、床から天井までの大きな窓が一つと、腰高から天井までの窓が一つ。ドアが三つ付いている。一つは廊下へのドア。もう一つは、クローゼットへのドア。もう一つは、僕の部屋へ直接入れるドアだ。

 腰高の窓の側には、机と書棚があり、部屋の真ん中には大きなベッドが置かれている。

その大きなベッドにマットは狼の姿のまま眠っていた。

 こちらの世界に戻って来てから、マットが狼のままベッドで眠っている姿をなかなか見る事が出来なくなった。それは、クララに物凄い剣幕で叱られたためだ。

 マットは、人の姿でいる時よりも嗅覚が鋭くなるため、目が覚めると美味しそうな匂いに誘われて、そのままの姿でフラフラと厨房まで入り込み、そこで働くシェフやメイドたちを何人も気絶させてしまったのだ。マットとしては、全く悪気はなかったのだが……。

 その話を聞いた時、僕と父さんはお腹を抱えて笑いころげてしまった。もちろん、気絶した人たちはとても気の毒だけれど、マットらしいと言えばマットらしい行動だ。

 しかし、マットにとっては相当凹む事だったらしくその後はとても気を付けている。

 だから今、僕の目の前の光景はとても珍しい事だ。それも、あろう事かお腹を上にして寝ている。

 僕は勢いを付けてマットの上に飛び乗った。

 マットの毛皮は光沢があり、とても柔らかく温かい。中でも一番柔らかく温かいのは胸からお腹にかけてだ。僕の安眠の場所だ。

 あちらの世界の自宅では、狼の姿をしたマットが常に傍にいたので、暖房器具は殆ど使わなかった。眠る時も、マットは勝手にベッドに入り込んできていた。

寒い時期は僕より少し高い体温のマットにくっ付いて眠る事が好きだった。しかし、暑い時期には、とても困った。涼を求めてベッドから降りて床に寝ていても、いつの間にか体が熱くなり目が覚める。そういう時は、必ずマットがピッタリ隣にくっ付いて寝ているのだ。なぜそんなに僕にくっ付いていたかったのか、今になれば分かることだけれど、当時は全く分からなかったから、何度もマットを叱りつけた。その度にマットは項垂れて部屋を出ていった。

 あの頃は本当に可愛そうな事をしてしまったと反省しながら、ガシッとマットにしがみ付いた。やはり、マットの体は温かかった。あちらの世界に居たときよりも僕の体温が若干低くなっているから、余計に温かさが伝わってくる。そして、フワフワの毛皮はとても肌触りがいい。僕は、何の気なしに頬ずりをした。

――エリック、くすぐったいよ。ハハハハ……。

 堪えきれなくなったのか、マットは目を覚まし体を捩りながら笑い出した。狼の姿で笑っているのは、何とも奇妙だ。しかし、狼の姿のマットを起こす時はこの方法が一番いい。何故かマットは自分から僕に擦り寄って来るのは何の問題も無いのだが、僕から擦り寄るとくすぐったがる。あちらの世界にいた時も、飛び起きていた。

「マット、話があるんだよ。ちゃんと起きてよ」

 マットは、肩を揺らしながらのっそりと起き上がり人型に変化した。

「エリック、お願いだから寝ている時にくすぐらないでよ」

「くすぐったりなんかしてないよ。ただちょっと頬ずりをしただけだよ。そんなにくすぐったいかな……」

「それがくすぐったいんだよ。ところで、話って何?」

 僕は何がくすぐったいのか分からないまま、一つ溜息をつき、父さんから聞いた話をマットに伝えた。

「ねえ、その話だと隣国に忍び込んで偵察してこいってことだよね」

「そうかな? でも、王族と狼は許可が無ければ入れないんだよ」

「でもさ、自分たちが以前忍び込んだことも話したって事は、お前たちには出来ないだろうという僕たちへの挑発だよ。この挑発に乗ってやろうじゃないか」

 マットは、左手を腰にあて右手の拳を高々と掲げた。

 やる気満々だよ。マットは単純過ぎるのではないか……。

親たちに操られている様な感も否めない。僕はまた溜息をついた。

「マット、何か対策をねった方が良いんじゃないの?」

「そうだね。まずは、よく眠ってしっかり食べる」

「それ、対策じゃないよ」

「何を言っているんだよ。立派な対策の一つだよ。体調を整えておかないと非常事態に対処出来ないからね。それから、隣国の地図を頭に叩き込む。情報収集は、自分たちのどんな能力がどんな場面に使えるの、少しずつ試しながら進めていこう。どう?」

「それだけで大丈夫?」

「大丈夫だよ。僕は、きっとうまくいくと思うんだ」

「その根拠は?」

「僕の動物的感」

 感?

 マットは、考えるより先ずは体を動かす事を優先する傾向がある。その為、行き当たりばったりが当たり前。それを僕が色々と補ってはいるのだけれど、今回の件では、マットの単純な思考回路が羨ましく思えた。僕は不安でいっぱいだからだ。

 僕の頭の中は、マットとの会話とは別にもしもに備えての対処法を何パターンも考えていた。しかし、いくら考えてもうまくいく様に結果を導き出す事が出来ない。

 僕は、マットとは反対で石橋を叩いて渡る方だ。そのものによっては、叩き壊す位慎重になる時もある。そんな僕の背中を押してくれるのはいつもマットだ。

 あちらの世界では、話をする事は出来なかったけれど、グジグジ考えている僕の話を辛抱強く聞いてくれ、話の州切りがつくと僕の顔を大きな舌でベロンと舐める。それが僕にとっての一番の励ましだった。

 今は、マットと意見の交換が出来、以前よりもずっと僕の気持ちは楽になってもいいはずだ。しかし、マットとの絆があちらの世界にいた時よりも深まった今、もしも隣国に忍び込んだ事でマットを失うような事があったら、と思うと不安が募っていく。

 カミン先生の話では、A階級のヴァンパイアは僕の足元にも及ばないらしい。そして、隣国はこの世界六つの国の中では一番の格下だ。レオン家の血を引く僕が負けるはずはない。もちろん、マットも……。でも……。

「エリック、僕が死ぬ時は、エリックの孫が生まれる時だよ。だからそんなに心配しないで。僕がピンチの時はエリックが守ってくれるでしょ。エリックがピンチの時は、僕が必ず守るよ」

 僕の心の中を感じたマットは、いつものクスクス笑を浮かべる事なく、真剣な眼差しを僕に向けてきた。

「でも……」

「くよくよ考えても仕方がない時もあるよ。今回がそれじゃないかな。情報が少ないからね。だからこそ、ちゃんと睡眠をとってしっかり食事をする事で、瞬発力と判断力を最大限に発揮出来る様にしておく。それが、怪我や事故を防ぐ一番の方法じゃないかな。僕は、エリックと一緒に冒険が出来てとっても嬉しいよ」

 マットの瞳は好奇心でキラキラと輝いている。そんなマットを見ていると、あれこれ考える事が馬鹿らしくなって来た。

マットと一緒に冒険を楽しもう!

「そうだね」

「そうと決まれば、早く寝よう。今日はエリックと一緒に寝てあげるからね」

「えっ! 一緒に寝たいのは、僕の為じゃなくてマットが興奮気味で眠れないからだろう?」

「そんな事ないよ!」

 マットは拗ねた様な表情を浮かべたが、僕は見ないふりをして一緒にベッドへ潜り込んだ。 



 いつもの時間に目を覚まし、二回目の食事まではいつものように過ごした。

 フクロウ便に、チェンバレンから逃げてきた者が数人いたと知らせが入って来ていた。日を負うごとに増えていくのかもしれない。一刻も早く、隣国へ忍び込む必要がある。

 今日は、カミン先生との勉強がなかったため、マットと二人で隣国の情報収集を行った。まずは地図。

 国が貧しいためかしっかりと測量された正確な地図が一枚もない。その為フクロウを数羽飛ばして簡単な地図を作った。

 大まかな配置は、どの国も同じようだ。

 中立地に一番近い場所に王の屋敷がある。それを囲うようにA階級の家がある。そして海に向かってB階級の家が並ぶ。

 チェンバレンでは、王の屋敷はグルリと鬱蒼とした森が広がり、A階級地州からも王の屋敷を見ることは出来ない。反対に王の屋敷から国の全貌を見渡す事も出来ないだろう。

 なぜ、こんな森が必要なのだろう。

 リオンでは、屋敷の裏側にだけしか森はない。屋敷の前は、等間隔に樹木が植えられ綺麗な花壇がある広い公園になっている。休日には、多くの国民がピクニック気分でやって来て、穏やかな一日を過ごしている。

 こういうところにも、王の考えが出ているのかもしれない。

 A階級地区は、舗装された道路が通り街路樹が並ぶ綺麗な町だ。しかし、街灯が一本もない。家々の窓からもれて来る明かりも少ない。人間は眠っている時間だけれど、ヴァンパイアは活動している時間だ。

フクロウにそっと中を覗かせてみると、ロウソクの明かりが見えた。もしかしたら、電気が通ってないのかもしれない。

 B階級地区には、舗装された道路は一本もなく、線路はどれも単線だ。小さな家が、ポツン、ポツンと寂しげに建っている。時折、乾いた土が勢い良く風に舞いフクロウが嫌がるところがあった。それは、B階級地区でも内陸地だ。川は見えず、ところどころに井戸があった。しかし、枯れているのか、水を汲むための桶も近くにはなかった。畑には、やせ細った野菜が転々と植えられ、風に吹き飛ばされてしまいそうだった。

 これだけの量では、家族二人でも食べていけないだろう。

 家畜もみえたが、どの家畜も痩せていた。今にも倒れそうな牛がフクロウに向かって低い声を上げた。

 海岸の様子もあまり代わりが無い。壊れた船や網が港の端に詰まれ、操業出来る船は数隻だけのようだ。市場らしい建物も傾いている。

 フクロウに、民家を数件覗かせた。とても空き家が多い。五軒に一軒は空き家だ。住民がいる家でも、家財道具は十分ではなく、家族みんなが数枚の薄い布団に包まって寄り添うように眠っていた。

高い税をやっとの思いで納めたのだろう。

 狼の家も数件見つけた。家財道具は揃っているが、食べ物と水が足りていないらしく、痩せた子供が力なく泣いている。お腹が空いて眠れないのだろう。

 僕は、フクロウの目を通して隣国の様子を見ていたのだが、次第に涙が溢れ視界が滲んできた。僕の見たものを地図にまとめたり生き物の気配を探っていたマットも、泣ている。

「……マット、この国は酷すぎるよ」

「そうだね……」

 それ以上の言葉は出てこなかった。

 次の日、僕は王の屋敷の様子を見に行く事にした。ここは、家主に気付かれないよう慎重にいかなければならない。

 フクロウは、王の屋敷を旋回するように飛んだ。リオンの屋敷に負けないくらい立派な屋敷だ。表側の部屋からも煌々と明かりが漏れている。この明かりは電気だ。しかし、屋敷の裏側にある使用人たちの部屋からは、ロウソクの明かりがみえた。王族だけが、電気を使っているのだ。

 屋敷にもっと近づくために、フクロウから蜘蛛に乗り換えた。

 蜘蛛は、弱弱しいヴァンパイアの気配がする部屋へと忍び込んだ。

 その部屋には、ほの暗い明かりだけがともされ、立派な家具を照らしている。そこは、王の部屋のようだった。部屋中に、血の匂いが充満している。

 王は、青白い顔でベッドに横たわっていた。年齢は父さんと同じ歳のはずだか、体調が悪いためかずっと老けてみえる。今、この部屋には王しかいない。ホワイト狼は何処へ行っているのだろう。

 王は、蜘蛛に気付いてビックリした表情を見せたが、すぐに優しい微笑を浮かべた。

「君は誰かな?」

 王は、擦れた声をやっと出しているようだった。

『ごめんなさい。お休みのところを。僕は、エリック・リオン。チェンバレンから我が国へ逃げてくる人たちがとても増えているので、どうしてなのか知りたくて……』

「そうか……、すまない。私が、こんな有様だから……」

『いいえ。僕に出来る事はありませんか?』

「それでは……、私の……息子の……友たちになって……くれないか? 息子の名前は……、キーシン。私にも……会う事を……許されず……、部屋に……閉じ込め……られている。……キーシンの傍には……狼の……カーシーもいる。……気を……つけて」

 王は、隣の部屋を見詰めるように話してくれた。この部屋の並びのどこかにキーシンはいるのだろう。

『分かりました。行ってみます。キアラン王、王の狼は元気ですか?』

「私の……狼は、私よりは……元気だよ」

『そうですか。それなら、安心しました。では、キーシンのところへ行ってみます』

 キアラン王は、父さんが話してくれたそのままの人物のようだ。なぜ、あんなにも衰弱しているのか、僕の疑問は膨れ上がっていった。

 気配のする部屋に入り込むと薄暗い部屋の隅に、ホワイト狼にもたれる様に座り込んでいる少年がいた。少年も狼も、僕たちよりも一回り小さく見える。元気もない。

 蜘蛛はそっと、少年の傍に近づいていった。少年より先に、狼が蜘蛛の存在に気付き尻尾を振って追い払われてしまった。蜘蛛は何度も近づいていき、狼は何度も尻尾で追い払った。

 そのうちに、少年が狼の尻尾を振り払う先に蜘蛛がいることに気付き、ゆっくりと蜘蛛に手を伸ばしてきた。

「お前は、元気があるね。カーシーに何度も振り払われても目的地を目指すんだね。何処へ行きたいの?」

 とても、小さくて穏やかな声だ。これが、キーシンか。

『僕は、君に会いに来たんだよ』

 蜘蛛が答えると、少年は目を瞬かせて辺りをキョロキョロと見渡した。

「カーシー、この蜘蛛しゃべったよ!」

 カーシーと呼ばれた狼は、辺りの気配を探るように耳をそばだててから小さな声で少年に答えた。

「キーシン、その蜘蛛には誰かの魂がのっている」

「そうなの? ねえ、蜘蛛、お前は誰なの?」

『僕は、隣の国のエリック・リオン。君の国の様子を調べているんだ』

「どうして? お祖父様が、みんなが幸せに暮らせるように頑張っているって今日も話してくれたよ」

『君は、この部屋にずっといて幸せなの?』

「お祖父様が、外は危険な事が多いから部屋にいなさいっていうから……。僕は、部屋の中でも良いんだ。でも、カーシーは可愛そうだよね。思いっきり走れないもの。エリックの狼は、外で走っている?」

『僕の狼はマットって言うんだ。マットはね、ジッとしている事よりも体を動かす事の法が好きだよ。だから今、じっと席に座って僕の手伝いをしていることがそろそろ飽きてきたみたい。……そういえば、どうしてこの部屋は薄暗いの?』

「それはね、悪い奴らから僕を守るためなんだって。明かりを見つけるとそこから入ってきてしまうから……」

『悪い奴らってどんな奴?』

「僕には、分からない。僕は生まれてからずっと外に出た事が無いんだ。屋敷の中ですら、一部の部屋の出入りしか許されていない。カーシーも同じだよ」

『そうなんだ。じゃあ、知らないことがたくさんありそうだね。カーシーにはお姉さんがいるって聞いたけれど、何処にいるか知っている?』

「カーシーに、姉さんがいるの?」

『えっ! その事も知らなかったの? カーシーには、ローラというお姉さんがいるんだよ。マットのお姉さんのマリーと仲良しだったんだって』

「そうなんだ。僕たちは全然知らなかったよ。僕たちが会って話が出来るのは、お祖父様たちだけなんだ。お祖父様は、僕が両親のことを聞くと凄く怒るんだ」

『お父さんたちとも話をしないの?』

「うん、一度も会ったことがない。悪い病気にかかっているからって……」

 また、カーシーが耳を高く上げ辺りの気配を探り始めた。

「誰か来る!」

『分かった、じゃあ僕は行くね』

「エリック、また遊びに来てね」

 蜘蛛は大きく頷くとトコトコと窓の隙間へと歩き始めた。蜘蛛の気配が部屋の中から消えると、ドアをノックする音が聞こえた。

 部屋に入って来たのは、大きなホワイト狼だった。カーシーの祖父ゴーズだ。その狼は部屋の中を睨みつけるように見渡すと、何も言わずに部屋を出て行った。僕の気配を感じたのかもしれない……。

 その後も数回、色々な生き物に乗り換えながら偵察し、隣国の正確な地図と屋敷の見取り図が出来上がった。 

 隣国には、絶対に外部から開けることが出来ないドアが三つあった。鍵穴も複雑でいくら小さな生き物でも入って行くことが出来なかった。部屋の中の気配も、小さな生き物からでは感じ取る事が出来ない。

 その部屋に、この国の秘密があるに違いない



 その他に僕たちは、第五州にある研究所へ何度も足を運んだ。

 リオンでは、自然治癒力を高め病気や怪我を治そうという考えのもと、副作用の無い安全な薬が数多く開発されている。 その多くは、人間に対しての薬だ。

 狼人間の薬は、怪我に対しての薬が一種類しか開発されていない。

 ヴァンパイアにいたっては、僕が以前飲んでいた不味い薬だけだ。でも、その薬は怪我や病気を治すための薬ではない。

 僕たちは、研究所の所長に、我侭を言って薬の開発を頼みに来ていたのだ。

 僕たちの要望は、一錠で一日に必要な栄養素が摂取でき、怪我や病気が短時間で回復する薬。それを、一週間で開発し使えるようにして欲しいと頼みこんだ。

 所長は、そんな薬の開発は不可能だと言って取り合ってくれない。研究員たちは、それぞれ自分の仕事を抱えているため、僕たちの要望に時間を割くことが出来ないと、申し訳なさげに頭を下げていく。

 それでも、僕たちは諦めず研究所に通った。

 時間が無情に過ぎていき、僕たちが研究所の喫茶室で項垂れていた時、声を掛けて来た人たちがいた。

「坊ちゃんたち、こんな感じの薬でいいのかい」

「えっ?」

 僕たちは驚いて顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべた老人が数人、僕たちを囲うように立っていた。その中の一人が、僕たちの前に小さな薬瓶を三つ置いた。

「作ってくれたのですか?」

「そうだよ。坊ちゃんたちが日に何度もここに通っていると所長から連絡を受けてね。まあ、私たちは、隠居の身で暇だったから」

「ありがとうございます」

 僕たちは、嬉しくて思わず勢いよく頭を下げた。

「坊ちゃんたちにここまで頭を下げてもらっては、張り切ったかいがあったよ」

「私らにとっても、楽しかったよ」

 老人たちは、次々に喜びを口にした。

「だが、一つだけ問題があるのですよ」

「問題?」

「それはこの赤い薬です。これは、ヴァンパイアの方々の薬なのですが、まだ臨床実験がされていません。何しろ、この国には弱ったヴァンパイアは一人もいませんから」

「それなら、僕が実験台になります」

 僕は、何の躊躇いもなくそう言い切った。

「僕が数日食事を摂らなければ実験が出来るでしょ」

「エリック待って。君が実験台になるなんて僕が許さない」

 マットが噛み付くように反論してきた。

「そうですよ。坊ちゃんが実験台になるなんて、ご両親もお許しにはならないでしょう」

「でも、実験台になってくれるヴァンパイアを探すのは、とても時間がかかりそうだよ。だから、僕が・・・」

「駄目だ!僕、エドガー様を呼んで来る」

 マットは、あっという間に狼になり姿を消した。マットの行動に老人たちは、ポカンとしていた。そのポカンがとけないうちに、マットは父さんを連れて戻って来た。老人たちは、さらに大きな口を開け固まった。僕は、心の中で盛大に溜息をついた。

 そんな中でも、父さんは和やかに話しはじめた。

「やあ、みんな久しぶりだね。元気だったかい?」

「エドガー様、のんきに挨拶をしている場合ではありません。エリックを止めて下さい」

 マットが噛み付くように詰め寄った。

「マット、落ち着きなさい。まだ、みんながボーとしていて話が出来そうにないよ」

 マットは何も気付いていなかったようで、辺りをキョロキョロし、首を傾げている。現状を把握していないようだ。

「マット、君が狼の姿になったからみんな驚いているんだよ」

 僕は、溜息まじりに言った。

「えっ?僕なってた?」

 みんなが一斉に大きく頷いた

「ごめんなさい。僕、頭に血がのぼっていたんだね、全然気付かなかったよ」

 マットは、頭をかきながらへへへと笑った。

「ところで、マットはエリックの何を止めて欲しいんだい」

 父さんが話を本題に戻してくれた。

「あ、そうでした。エリックが、新しく出来た薬の臨床実験を自らすると言い出したのです」

「それで?」

 父さんは、マットの勢いを削ぐような間の抜けた合いの手をいれた。

「それでって、エドガー様、エリックは仮にもこの国の王子ですよ。その王子が実験台になるなんて ……」

「どうして? 良いじゃない。他に適当な実験台はいないでしょ? 何なら私がしようか?」

 その言葉に、老人たちはまたポカンと大きな口を開け固まった。

「父さん、駄目だよ。これは僕が依頼した事なんだから、僕にやらせてよ」

「でも、とても元気になるんだろう? 作ったメンバーを見れば、良い薬に違いない。父さんももっと元気になってみたいんだよ」

「これ以上、元気にならなくてよろしい!」

 親子の会話に割り込んで来たのは、グスターだった。

 いつの間に来たのだろう?

「エドガー様、会議が始まります。さあ、戻りますよ」

「ちょっと待てグスター、今エリックと議論の真っ最中だ」

「議論というより、あなたの好奇心でしょ」

「好奇心って……。グスター、その言い方は酷いんじゃないか?」

「酷くも何ともありません。さあここは子供たちに任せて帰りますよ。マット、後はよろしく」

「父さん、待ってよ。実験台の話がまだ……」

「この人たちはどんな薬を飲もうと死にはしない。好きな様に、させれば良い」

 グスターは、それだけ言い切ると父さんと一緒に姿を消した。

 嵐が過ぎ去り、辺りの空気がひんやりとして来たところで、老人たちが我に帰った。

「という事で、僕が実験台になるから。みんな異論は無いよね。じゃあ、実験開始!」

 という事で、僕は薬を飲む為の準備を始めた。準備と言っても、食事を摂らないだけだ。しかし、これがとても辛かった。

 水分ばかりの食事だけれど、僕とってはとても大事なものだったようだ。三日食事を摂らないと、体は思う様に動かなくなった。ベッドいる時間が徐々に増えていく。

 こんな感じで良いだろうと思った僕は、マットに先日会った老人たちを呼んで来てもらった。

 僕は、ホームドクターと老人たちのいる前で開発された薬を一粒飲んだ。

 すると、体の奥に火が付いたよう暑くなって来た。そして、その火は血管を通して体のじゅうを駆け巡った。いつもは冷たい僕の体は、ほんのりと温まり、抑え込んでいた僕の力を勝手に暴走させようとし始めた。

 マットは、それに気付いたらしく、みんなを部屋から出した。

 僕は、自分で抑えきれなくなった力を開放した。その途端、爆発音が轟いた。部屋にあったあらゆる物が、木っ端微塵に砕け散った。

 誰も怪我をしていないといいな。などと、ポーとした頭で思った。

――怪我人は一人もいないよ。

 マットの返事が帰って来た。

 この屋敷は、床・壁・天井・ドア・窓にもヴァンパイアの力が外に漏れ出さない様な細工が施されている。その為、部屋のドアをしっかりと閉めてしまえば部屋の外にいる人には安全だ。

――マット、僕だけではこの力を抑え込むことは無理みたい。体に力が入らないんだ。

――分かった。僕が抑え込んであげる。

 マットはそっと部屋に入ってくると、狼の姿になった。そして、空中に浮いている僕の体の上にジャンプし、その重みで床に降ろした。

 床は 、僕の開放された力の為に瓦礫となった物ででいっぱいだった。その瓦礫も僕が床に近付くにつれ、何処かへ吹き飛ばされた。

 マットは、僕の体の上に乗ったまま足を折り、伏せの姿勢をとった。そして、大きく息を吐くと体にグッと力を入れた。

 みるみるうちに、僕の体から開放された力がマットの体に吸収されていった。僕は、ホッとすると同時に急激な力の増減に耐えきれず意識を失った。

 臨床実験の結果、少しの改良が必要という事が分かり、老人たりはその改良点を踏まえ新たな薬を開発してくれた。

 そして、それぞれの薬は製薬工場で量産された。



 睡眠をとったら、隣国へ実際に忍び込もうとマットと決めた日の就寝時間少し前。グスターが部屋にやってきた。僕が、誰にも内緒で来て欲しいと頼んだからだ。

「エリック様、お話とはどんなことでしょうか?」

 グスターはいつもの穏やかな笑みを浮かべて問いかけてきた。

「うん。実はね、こちら側からあれこれ探っていても埒があかないから、隣国に実際に忍び込もうと思っているんだ。さっき、準備が出来たから」

 僕は、少し下を向いたまま話した。グスターは怒るだろうか……。父さんには、隣国へ忍び込む事までは頼まれていない。グスターの考えはどうだろうか……。

「エリック様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

「えっ! 怒らないの?」

 僕が顔を上げると、先程と同じようにグスターの穏やかな笑みが目に入ってきた。

「はい。とても慎重なエリック様が行くとおっしゃっているのですから、それ相応の準備が出来たということでしょう」

「でも、マットも一緒だよ。心配じゃない?」

「そうですね。マットが心配と言うよりは、エリック様の足手まといにならないかが心配です」

「そんな心配は要らないよ。僕はマットをとても頼りにしているんだ」

「ありがとうございます」

「それでね、もしもの時の為に僕のコウモリをグスターに預けておこうと思うんだ」

 僕は、指先を少し噛みそこから出てきた血を小さなコウモリの形にし、グスターに手渡した。

「お預かりいたします。このコウモリが鳴くような事はきっとないと思いますが……」

「どうして、そう思うの?」

「私の動物的感です」

 マットと同じ事を言っている。さすが親子!

「その感が当たると良いな。じゃあ、よろしくね」

「畏まりました」

 グスターは、僕のコウモリをそっとポケットにしまうと部屋を出て行った。



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