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車イス少女  作者: 君鳥
第二章 暗雲
9/23

2-4.物理準備室B


  ―6―


 間山は横手にあった引き戸を開けて、その部屋めがけて遥の車イスを突き飛ばした。車イスが逆走する。

「きゃっ……!」

 入り口の段差にタイヤが引っかかり、バランスが崩れた。

 ガシャンと大きな音を立てて車イスが転倒し、遥は地面に投げ出された。受け身も取れず、強か肘を打ちつける。

「んん……」

 遥は呻きながら床に手をつき、お姉さん座りのような体勢で上半身を起き上がらせた。リノリウムの床がひんやりと冷たかった。

 部屋の中を見回す。

 そこは、物理準備室だった。

 木製の棚にはビーカーや天秤などの実験器具が並んでいて、ホルマリン漬けにされた奇妙な生き物の標本が鎮座していた。剥製のイタチが、ガラスのような無機質な瞳でこちらを見下ろしている。

 ジメジメとした空気。細かいホコリが、チラチラと宙を舞っていた。



 間山が入り口の扉に手をかけて、部屋の中に入ってきた。

 地面に投げ出されたまま、立ち上がれずにいる遥のことを見下ろす。

「歩けないって本当に不便だよねー。満足に立つことも出来ないなんて。ほんと、同情するよ」

 同情的なセリフを吐きながら、その瞳は、まるで檻の中のマウスでも観察するような冷淡な色をしていた。

 転倒した拍子に遥の制服のスカートはめくれ上がり、細い足が剥き出しになっていた。その足を見詰めながら、彼は「いい恰好だね」と言ってにやりと笑った。

 遥は慌ててスカートを払って足を隠した。



 間山は後ろ手に引き戸を閉めて、部屋の鍵をかけた。

 カチャリ、と。

 錠が落ちる。

 室内にはカーテンが掛けられており、薄暗かった。入り口の扉が閉ざされたことで、さらに部屋の中が暗くなる。暗がりの中で、間山の二つの瞳が獣のように爛々と光って宙に浮いているように見えた。

 ぐいっとネクタイを緩めながら、間山はゆっくりとこちらに歩み寄って来た。相変わらず、何を考えているのか分からないニコニコヘラヘラとした笑みを浮かべている。

 密室の中に二人きり……。

 遥の心臓は、ドクンドクンと痛いほどに強く打っていた。

 体が強張る。粘っこい嫌な汗が背筋を伝う。

「な、何するつもり……。こ、来ないで……!」

 動かない足を前に投げ出したまま、下半身を引きずるように後退りをした。

 大声で叫ぼうとしたのだが、舌は喉に張り付いてしまったかのように動かず、声を出すことが出来なかった。口の中がカラカラに乾いている。



 後退りをする遥の手に、転倒した車イスが触れた。

 遥は倒れた車イスを立て直して逃げようとしたのだが、それを見た間山は不愉快そうに眉をしかめた。

「どこに行こうっていうんだい?」

 大股に歩を進めて迫って来る。

「無ー駄ーだーよっ! 君はどこにも逃げられない」

 目の前で、間山は足を振り上げた。

 蹴りつけられると思い、遥は反射的に両腕で顔を覆った。

 遥の代わりに、間山は靴の底で車イスのシートを蹴りつけた。

 無人の車イスは物理準備室の中を逆走し、壁に激突して、ガシャンと大きな金属音を立てて止まった。

 車イスは予想以上に大きく不快な音を立てた。その音に反応し、遥の体はビクンッと震えた。



 遥は怯えたような瞳で、側に立つ間山の事を見上げた。

 間山は今までの、表面を取り繕うかのようなニコニコとした笑顔を引っ込め、侮蔑的な瞳をして遥のことを見下ろしていた。猫かぶりを止めて本性を露わにする。

「君は、自分がどれだけ人様に迷惑をかけてるか分かってるの?」

 乱暴な口調で語りかけてきた。

「階段の上がり下りやトイレの世話だけじゃない。教室の通路にいても、君は邪魔なんだよ。車イスって意外に場所取るんだよねー。どこにいたって、嫌でも目についてしまう。みんな受験や何だで大変だっていうのに、君に気を遣わなきゃいけないし……超うざい。目障りなんだよ」

 彼は吐き捨てるように言った。

 そして、にやりといやらしく唇を吊り上げて笑った。

「こんなにも人に迷惑をかけてるんだ。遥係りになった者には、それなりのご褒美があってもいいと思うんだよね」



「ご、ご褒美……?」

 遥は震えそうになる声を必死に押し留めて、上目遣いに相手を見詰めた。

 自分は地面に座っているが、相手は目の前で仁王立ちに立っている。間山はいやに威圧的で、巨人のように大きく見えた。逃げ道が見つからない。

「恩返しってやつだよ。ごめんだとかありがとうだとか、言葉だけじゃない。誠意を見せなよ」

 間山は尻ポケットをごそごそと漁り、手のひらサイズの小さなビデオカメラを取り出した。

 遥は訝しげに眉をひそめた。

 この人は一体……。



 間山は液晶モニターを広げ、撮影を始めた。ビデオカメラにrecの赤いランプが灯る。

 レンズを遥に向けた。

 彼は舐めるようなねっとりとした手付きで、足の方から順に、遥の姿をカメラに収めていった。怯えた表情をしている遥の顔をアップで撮る。

「その顔いいね……」

 間山はニヤニヤと笑っていた。心なしか、興奮でハァハァと息が荒くなっている。

 間山は右手でカメラを構えたままその場にしゃがみ、ハイハイをするようにすり寄って来た。

 彼の左手が、遥の足に触れた。愛しいものを愛でるように、さわさわと足を撫でられる。



「いやっ……!」

 ぞわりと全身に鳥肌が立った。

 不快な感覚はあるのに、自分の意志では、足を引っ込めることも出来ない。遥は慌てて間山の手をピシャリと払いのけ、自分の足を体の方に引き寄せた。

 ずりずりと腕の力だけで部屋の中を後退する。

 そんな無様な遥を見下ろし、鼻で笑いながら間山は言った。

「どうせそんな体だ。この先、男なんて出来ないだろうぜ。むしろ君は、僕に感謝するようになるよ」

 彼は取っておきの冗談でも言うように、ニヤニヤを笑っていた。

 遥は間山の目的に気が付いた。

 目の前には、興奮した獣のようにハァハァと息を荒げて、目を爛々と輝かせている同級生の男子がいる。

 ああ、まさか。

 物理準備室に押し込まれた時からもしやとは思っていたが、まさかこの人は、本当に、私のことを……。


  ☆


 滝のように降り続ける暗鬱な雨音が、二人きりの室内に響く。

 物理準備室内は薄暗く、まるで光の届かない深海に引きずり込まれたような気分だった。優しさを餌に獲物をおびき寄せるチョウチンアンコウ。自分はまんまとその疑似餌に引っかかってしまった愚かな子魚か。

 このままではいけない。

 何か……場繋ぎのためにも何か喋らなければ……。

 ドクンドクンと痛いほどに早鐘を打つ心臓を押さえ、遥は彼に質問した。

「し、将来の夢は介護職とかいう話も……嘘なんか?」

「ああ、あれね。うん、嘘だよ。君に近付くための口から出任せ」

 彼は悪びれた風もなく、両手を広げてさらりと答えた。



「ボケ老人の面倒をみるなんて冗談じゃない。あんなもん、前途ある若者の仕事じゃないよ。だいたいさぁ、爺さん婆さんが無駄に長生きするから悪いんだよ。ちゃっちゃとポックリ死んでくれたら、老人介護の問題なんてなくなるのに」

 酷いことを言っていた。

「障害者だってそうさ。池沼の人間が生きてたって何の役に立つんだよ? 使い道がない。介護だ支援だなんてせず、さっさと殺してしまえばいいのに。無駄だから」

「な、何を……」

「役立たずが無駄に幅を利かせているから、僕ら普通の人間が苦労するんだよ」

 彼は根っからの差別主義者なのか、猫かぶりを止めて、日頃の鬱憤でも晴らすように饒舌に喋り続けていた。「僕ら普通の人間」という部分を強調して語る。



 遥は車イスを失っているから逃げられない。目の前の少女は、いつでも自分の好きなように出来る……。

 そんな圧倒的有利な立場にいるこの状況に酔っているのか、彼は余裕な顔をして、政治家のようにペラペラと偉そうに演説を繰り広げていた。遥の前を行ったり来たりしている。

「役立たずはみんな死んでしまえばいいんだ。無駄なんだよ。目障りなんだよ。……でも、君は違う。顔もかわいいしね。君は人様の役に立てる、有用な人間なんだ。君にも出来る、ぴったりな仕事があるよ」

 間山は急に立ち止まった。

 そして、まるで内緒話でもするかのように、遥に顔を近付けてそっと耳元で囁いた。

「そう、例えば…………とかね?」

 彼はひどく、卑猥な言葉を口にした。



 遥は声もなく息を飲んだ。

 一瞬何を言われているのか意味が分からなかったが、間山の冷血動物のような冷たい瞳で見詰められて……遥の全身の毛は、ぞわりと逆立った。さぁっと血の気が引いて青くなる。

「まったくね、『遥係り』とは先生もいいネーミングをつけるじゃないか? これからは溜まったら遥ちゃんに抜いてもらう事にしよう。それが遥の仕事、遥の係り、遥係りってね」

 言いながら、間山は動かない遥の足を靴の先でコンコンと小突いた。

 遥は化け物でも見るような目で間山の事を見詰め、ずりずりと後退した。

「い、いやっ……」

 声が震える。

「昔は慰安婦っていう仕事もあったくらいだしねー。ちょうどいいじゃないか。そうだ。クラスのみんなにも話して、みんなにも協力してもらおうか? みんなが遥ちゃんの世話をするんじゃなくて、遥ちゃんがみんなの世話をしてあげるんだよ。それこそ遥係りっぽい。車イスだからって、それくらい出来るでしょ? ほら、口とか手を使ってさ」

 間山はひどく上機嫌に言い、鼻歌を歌い続けていた。カッカッと、踊るように靴を鳴らす。

 二人きりの薄暗い室内に、調子っぱずれのSingin' in the Rainが不気味に響いていた。



 間山はビデオカメラ越しに遥の事を見下ろしていた。

「その表情いいよぉ。女優になれるよ、遥ちゃん」

 カメラのモニターをくるりと回し、その小さなモニターに映っている遥の姿を見せつけてきた。

 そこには、足が動かず、逃げることも出来ないでいる一人の少女が映っていた。お姉さん座り気味に体勢を崩し、その場にぺたりとへたり込んでいる。怯えたような瞳をして、カメラを見詰めて震えている。

「息が詰まったようなその表情! 怯える様! いいよいいよぉー。凌辱物のAVとかあるけどさー、あれは女優の演技が素人臭くてていけない。やっぱりこう、真に迫っていないとね」

 彼は一人でぶつぶつと呟きながら、ニヤニヤと笑っていた。映画監督気取りでカメラを回す。

「や、止めて、撮らないで!」

 カメラを叩き落そうと手を伸ばしたが、ひょいと簡単に避けられてしまった。



 遥は半ば瞳に涙をにじませながら、キッと間山の事を睨みつけた。

「こ、こんな事をして、許されると思ってるの!?」

「許されるも何も、この事は世間の明るみには出ないよ。君は誰にも、この事を喋らない。喋れない」

「え……?」

「『この映像をバラまかれたくなければ……』ってやつさ。先生や警察に話したりしたら駄目だよ。じゃないと……ねぇ?」

 間山は細い目をさらに細め、にこりと親しげに微笑みを浮かべた。

「今日だけじゃないよ。これから先も、君の『遥係り』は続くんだ。放課後の教室や、トイレの中や、人気のない校舎の裏で……。僕が求めたらどこにいてもすぐに飛んできて、君は僕にご奉仕するんだ……。この先ずーっと!」

 興奮気味に、夢見るように語っていた。

「僕の恋人にしてあげるよ、遥ちゃん……!」

 まるで恋人でも見詰めるような熱っぽい瞳をして、彼は遥の事を見下ろしていた。



 遥は力任せに自分の足を叩いた。

 動け動け、と自分の太ももを拳で叩く。

 しかし、スカートから伸びた二本の細い足は、こんな時だというのに、自分の意識とは無関係にピクリとも動かなかった。この役立たずめと、遥は自分の足を呪った。

 顔を上げる。

 カメラを手にした間山が、ニヤニヤと笑いながらゆっくりと迫って来ていた。

 液晶モニターの淡い光に照らされて、間山の顔が薄暗がりの中にぼうっと不気味に浮かび上がっている。その顔は、暗闇に潜む悪鬼のように見えた。

「い、嫌っ、来ないで……・!」

 遥は腕を伸ばし、棚に納められてあったビーカーを掴んだ。間山の顔面めがけてしゃにむに投げつける。

 狙い違わず、ビーカーは間山の額に直撃した。

「うぐっ……!」

 間山は呻き声をあげて、額を押さえてのけ反った。

 ビーカーは床に落下し、パリンっと砕けた。破片が辺りに散らばる。



 間山が呻いている間に、遥はほふく前進をするように体を引きずって部屋の外に逃れようとした。

 廊下へ続く出口の扉に手を伸ばす。

(あ、後ちょっと……!)

 しかし、復活した間山に上から押さえつけられてしまった。

 キレた間山は右手に持っていたビデオカメラを放り捨てて、憤怒の表情で叫んだ。

「よくもやってくれたな、このっ!」

「きゃあ……!」

 乱暴な手付きで仰向けにされ、お腹の上に馬乗りにされた。

「は、離して!」

 でたらめに腕を動かして跳ね返そうとするものの、男と女の力の差。遥は呆気なく両手首を掴まれ、地面にねじ伏せられてしまった。ギリギリと、圧倒的な粗暴さをもってして、手首を締めつけられる。完全に身動きを封じられ、床に釘付けにされる。

 呼吸を荒げた間山が、遥の事をぎらりとした瞳で見下ろした。

「必死に抵抗する姿もかわいいよ、遥ちゃん……!」



 誰か……!

 遥は叫ぼうとした。

 一瞬、ある人物の姿が脳裏に浮かび上がって来た。

 桜並木の下で出会った、同級生の男の子。

 車イス生活者である遥との接し方、距離の取り方に戸惑い迷いながらも、彼は真摯に遥に向き合ってくれていた。

 口調はぞんざいでぶっきら棒な風だったけれど、その実、いつも遥のことを気にかけてくれていた。

 みんなが車イスの遥のことをチラチラと横目で盗み見て、なるべく関わり合いにならないようにと避けていく中、例えそれが憐みから来るものだったとしても……彼だけは、真摯な態度で遥と向き合い、声をかけてくれた。

 ――よぉ、後ろ押すの手伝おうか?



 瞳に涙が浮かぶ。

 遥は悲鳴を上げようとしたが、ぐっと口を塞がれてしまった。

「無駄さ。どうせこんな所を通りかかる奴はいないよ」

 その時、廊下の方からピンポンパンポーンという場違いな音楽が流れてきた。校内放送の声が校舎に響く。

『体育倉庫の鍵を持っている生徒は、至急職員室に戻してくださーい』

 その放送は、自分とは無関係な、どこか遠くの世界で響いているような感じがした。自分が異次元に飛ばされてしまったような錯覚を覚えた。つい先程まで、教室で静かにお昼ごはんを食べていただけなのに……。

 これは、夢?

 それとも現実?

 間山は顔を近付け、べろりと遥の頬を舐めた。間山の粘着質な唾液が遥の頬を濡らし、つぅと糸を引いた。

「甘い味がするよ、遥ちゃん……」

 この不快な感覚。

 それは絶望的なまでに、現実だった。



「んんっ……!」

 顔を逸らして必死にもがく。

 地面に投げ出されたカメラのレンズが、もつれ合う二人の姿を捉えていた。録画中を表す赤いランプが無慈悲に点灯している。

 遥の上に馬乗りになりながら、ハァハァと息を荒げる間山。

 彼はにやりとシニカルに笑った。

「動かないのは足だけかい? マグロは嫌だぜ?」

 そして間山は、遥の制服のブラウスに手をかけて、力任せに制服を左右に引き裂いた。

 ブチブチと糸が引き裂かれてボタンが弾け飛び、胸元がはだけた。白い素肌と、その小さな膨らみを包みこむ薄桃色のブラジャーが露わになる。

 遥は目をつぶって悲鳴を上げた。


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