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車イス少女  作者: 君鳥
第二章 暗雲
6/23

2-1.暗雲


  ―1―


 なぜ担任は『遥係り』なるものを作ったのか?

 恐らく、三年一組の生徒全員を強制的に春川遥に関わらせることで、車イスの少女のことを、3-1全体の問題にしたかったのだろう。

 協調性や連帯感の捏造。

 春川と名字で呼ばず、あえて遥と下の名前で呼ぶことで、どうしてもクラスで浮きがちになる遥に親しみを持たせたかったのか。

 あるいは、単に車イスの少女の事を生徒たちに任せて、自分は楽をしたかったのかもしれない。



 結論からいうと、遥係りというシステムは失敗だった。

 担任はそんなルールを作るべきではなかった。

 毎日交代で遥の面倒をみることを義務付けたことで、彼らの関係は「クラスメートの同級生」というより、「障害者と介助者」という関係になってしまった。親しくなるどころか、余計に距離が出来てしまった。

 さらに「今日は遥係りの当番じゃないから、自分は関係ないや」という意識が生じてしまい、彼女が困っていても見て見ぬ振りをする者が出始めた。

「遥係りの奴が何とかしろよ」と言って責任を押し付け合う。

 あのままいっていたら、遥にはクラスのお荷物、厄介者というレッテルしか残らなかったかもしれない。



 結論からいうと、遥係りは失敗だった。

 そんなルールは作るべきではなかった。

 教師は遥のことを生徒たちに丸投げするのではなく、きちんと生徒たちに正しい介助の知識や方法を教え、学ばせておくべきだった。近くにいる誰かが自然と彼女を助けるような空気を作り、そのためにはどうすれば良いかなどを話し合う機会を設けるべきだった。

 そんな小学生の学級会じゃないんだからという声も聞こえてくる気もするが、問題は、そこなのだ。

 彼らは全員、既にれっきとした大人だった。少年であり、少女だった。

 少なくとも、肉体的においては。

 とにかく。

 新学期がスタートして早々、3-1の遥係りのシステムは瓦解した。



  ―2―


 和隆はカバンを肩に引っ掛けて朝の通学路を走っていた。

「しまった、寝過ごした」

 昨夜は遅くまで本を読んでいたので、目覚ましの音に気付かず、ついいつもの時間まで眠ってしまった。

 和隆は走りながら空を仰いだ。

 頭上には黒い暗雲が垂れこめていた。世界は暗く、空は低い。遠くの方でゴロゴロと雷様が鳴っていた。空気もジメジメとしているし、じきに雨が降りだすだろう。

 時刻は午前八時ちょっとすぎ。

 学校の通学路には、たくさんの生徒たちが歩いていた。

 まだ遅刻を気にしなければならない時間帯ではなかったが、自分は早めに学校に入っていなければならない。和隆は同級生や下級生たちの背中を追い越して、学校に向かった。



 和隆は学校に到着し、校庭内を見回した。

 あいつはもう、来てるかな……?

 キョロキョロと首を振って、車イスの少女の姿を探した。

 遥の姿を発見する。

 しかし、遥はいつものように一人ではなかった。遥の後ろに立ち、その車イスを押して歩いている男子生徒の姿がある。

「あれは……?」

 和隆はぽつりとひとりごちて、小走りに二人の許に駆け寄った。



 遥がこちらに気気付き、声をかけてきた。

「あ、おはよう、赤坂くん」

 和隆も遥に挨拶を返し、彼女の後ろに立っている男子生徒を見た。

 ひょろりとした細い体に、もっさりとした髪。

 彼は狐のように目が細かった。教室で見たことがある顔だ。

「ええと……確か同じクラスの奴だよな? 間下なんとかって名前の」

「間山だよ。間山正志」

 間山は訂正を入れた。

 目が細いせいか、彼は普通にしていても、ヘラヘラと笑っているような表情をしていた。



「ああ、間山か、すまん。えええと、今日はお前が……?」

「そう。今日は僕が、遥係りだよ」

 和隆が尋ねかけると、なぜか彼は、楽しげな口調で答えた。

「遥ちゃん、今日は存分に僕に頼ってくれていいよ!」

 遥の事を見下ろし、頼もしげに微笑みかけている。

 一緒のクラスになったのは初めてなので間山の事はよく知らないが――というか、遥の事ばかりに気を取られて他のクラスメートの事はおざなりにしか記憶していなかったが――彼はなんだか、やけにノリ気だった。



 今まで遥係りになった男子たちは、車イスの少女とどう接していいか分からず、かといって邪険にするのも気が引けるという風に「まあ、よろしく……」などと言葉少なく、あるいは「少しくらいなら手を貸してやるよ」などとぶっきら棒に遥と接していた。おっかなびっくり対応し、必要以上の接触を避ける節があった。

 だが間山は、やけに積極的だった。ニコニコと笑いながら遥に話しかけている。

「困ったことがあればなんでも言ってよねー、遥ちゃん」

 遥が和隆に言った。

「間山くんは、私が登校してくるのを校門の所で待っててくれてん」

「へぇ」

 今までなかなか友好的に接してくれる人間がいなかったので、間山の気さくな態度が嬉しかったのだろう。遥もにこやかに笑顔を返していた。

「間山くん、改めて今日は一日よろしくね」

「うん、任せてよ。何でも頼って!」



 立ち止まって話をしていると、雨が降り出した。

 ぽつりぽつりと地面をまだらに濡らしていき、いきなりザーっと本降りになった。世界に雨粒の斜線が走る。

 周りの生徒たちは「うわぁ、降ってきた!」と頭を抱えて、校舎の中に走りだした。

 遥は膝の上に乗せていたオレンジ色の傘を開こうとしたが、その前に、間山が自分の傘を広げて彼女の頭上に差した。

「僕が傘をさして行くから大丈夫だよ」

「あっ、ありがとう」

 これも一種の相合傘になるのだろうか?

 間山は気前よく微笑み、「じゃあ行こっか」と言って、スマートに遥の車イスを押して歩き出した。



「あー……」

 和隆も彼女が濡れないようにと傘を広げて差し出したのだが、完全にタイミングを逸してしまった。傘を広げたまま、ピエロのようにその場に棒立ちになる。

「……まあ、いっか」

 そのまま、広げた傘を自分の頭上に差した。

「待てってくれよ、俺も行くよ」

 和隆は二人の後を追って校舎に向かった。足元で泥が跳ねた。


  ☆


 下駄箱に到着。

 遥はいつものように自分で棚から上履きを取り出そうとしたのだが、間山がそれを押し留めた。

「無理しないで。僕が履き替えさせてあげるよ」

「いや、これくらいの事は自分で出来るから大丈夫だよ。毎日やってることやし」

「遠慮しないで。一人じゃ難しいでしょ?」

 彼は糸のように細い目をさらに細めて、気遣わしげな表情を作った。

「そりゃあ、他の人と比べると時間がかかったりするけど……」

「今日は僕が遥係りなんだからね。何でも頼ってよ」

「でも、全部を全部、人に頼むのもアレやし……」

 自分で出来ることは自分でやるをモットーにしている遥は、恐縮したように遠慮していた。

 しかし、間山の方も、遥係りになった以上その職務を果たさなければと思っているのか、譲らなかった。



 じっと遥の事を見下ろした後、一呼吸置いてから、間山は語りだした。

「実は僕は、将来は介護職に就こうかと思っているんだ」

「……そうなんや?」

 遥は驚いたように目をしばたたかせた。意外だったので、隣りの和隆も驚いていた。

「世の中には、困ってるお年寄りや障害者の方が大勢いるからね。それを助けるのは若者の義務だよ」

 彼は当然のことだというように頷いていた。

 介護は大変な仕事だ。生きた人間を相手にする仕事だからマニュアル通りに働いていればそれでいいというものでもないだろうし、他人の下の世話までしなければいけない。遣り甲斐はあるだろうが、肉体的にも精神的にもきつい仕事だろう。やりたがる人がおらず、万年人手不足という話を聞く。

「体験学習ってわけじゃないけどさ、せっかくだし、将来のために色々と実践してみたいんだ」

「はあ、立派やなぁ」

 遥は感心したように頷いていた。

「そういうことなら……お願いしようかな」

 遥は車イスに座り直した。間山に身を任せて、ゆったりと背もたれにもたれかかる。

「うん、任せてよ!」

 間山は自信ありげにドンと胸を叩いた。



 間山は車イスの前に移動し、いきなり遥の下半身を覆っていた膝掛けをめくり上げた。

「え?」

 驚いたように遥が声を上げた。

 膝掛けに引っ張られるように、スカートまで一緒にめくり上がっていた。彼女の生足が露わになり、あやうく下着が見えそうになる。

「きゃあ!?」

 遥は慌てて膝掛けとスカートを手で押さえつけた。面食らったように間山の顔を見詰める。

「あ、ごめん。ごめんね?」

 間山はポリポリと頭をかいて謝った。

「じゃあ、まずは靴を脱がせるね」

「う、うん……」



 フットレフトに乗っていた遥の足を持ち上げて、ほとんど汚れていない彼女の外履きを脱がす。

 間山は興味深そうに、しげしげと遥の細い脚を見詰めた。

「しっかし、ほっそい脚をしてるねぇ、遥ちゃん。ちゃんと食べてるの? ダイエット中?」

「まあ、人並みには食べとるよ」

 彼はさわさわと遥の足を撫で始めた。

「歩かないから筋肉も落ちちゃってるのかな? すごく細い。血行も悪いのかも。少し冷たい」

 思わずゾッとするほど、細く肉が落ちてしまったその足。

「この足って、まったく動かせないの?」

 質問しながら、間山は医者が触診をするように、遥の足首を回したり、ふくらはぎなどに手を這わしていた。ぺたぺたさわさわと、気安く触れて撫で回す。



「おい、さっさと靴を履かせてやれよ」

 横で見ていた和隆が注意を入れた。こいつはいつまで人の生足を触ってんだよ。

 好き放題に脚をまさぐられて、遥も居心地悪げに困ったような表情を浮かべていた。

「ああ、ごめんね。つい、珍しくて」

 間山は下駄箱から上履きを取り出し、遥の足に履かせた。

 その動作を行いながら、質問する。

「足に触れられた感触ってあるの?」

「うん。事故に遭って足は動かんようになってしまったけど、足の感覚神経は生きてるんよ。くすぐられたらこしょばゆくなるし、つねられたら痛みもある」

「へえ……」

 遥はスカートの乱れを直し、膝掛けをかけ直した。


  ☆


 三人は校舎内に入り、廊下を進んだ。

 階段の前までやって来る。

「さて、いよいよ階段だ」

 これは難関だぞという風に、間山は階段を見上げた。プラプラと手首を振ってストレッチする。

「ああ、間山。階段はだな……」

 隣を歩いていた和隆が口を挟んだ。

 遥を四階まで連れて上がるにあたって、その方法や注意点を説明しようと思ったのだが……その前に、間山は勝手に動いた。

 遥の前に回り込み、いきなりガバッと遥に抱きついた。

 首の後ろに手を回し、彼女の体を自分の方に引き寄せる。

 いきなりのハグ。

「えっ……?」

「なっ……!?」

 和隆と遥の声が重なった。



「な、何するんよ、突然!?」

 遥は驚いて体をこわばらせ、思わず相手の体を突き飛ばしていた。反動で少し車イスが後退する。

 突き飛ばされた間山は後ろ向きにたたらを踏んだ。心外そうな顔をして遥の顔を見やる。

「……何すんのさ?」

「何って……え? そっちが何なん?」

 間山の突然の奇行に、遥は戸惑い気味の表情を浮かべていた。自分の胸元を押さえる。

 彼はけろりとした顔で答えた。

「一人じゃ階段を上がれないでしょ? だから抱き起こして、運んであげようと思ったんじゃないか」

 彼はエアお姫様だっこのようなポーズを取った。



 今のは遥を抱き起こそうとしての行動だったのか。いきなりフリー・ハグズに目覚めたか、白昼堂々車イスの女の子の事を襲おうとしたのかと思ったぞ。

 和隆は半ば訝しげな顔をして間山の事を見詰めた。

 今まで遥係りになった男子たちは遥に対して変によそよそしかったり遠慮がちだったり、あるいは、粗暴な態度を取ったりしていたが……こいつの場合は、遠慮がなさすぎる。気持ちが空回りしているのか、とにかく無作法すぎた。

「介助のためとはいえ、いきなり抱きつく奴がいるかよ。普通は声をかけて、相手と呼吸を合わせてやるもんだろ?」

 先程の下駄箱でもそうだ。いきなり膝掛けをめくり上げてパンチラさせかけたり、足を無遠慮に撫でまわしたり……。こいつ、わざとじゃないだろうな?

 和隆がそう注意すると、彼はとぼけたような顔をして「そうなの?」と小首を傾げた。



「そうなのって……お前、介護職目指してるんじゃなかったのかよ?」

 和隆は呆れ顔をしながら質問した。

「病院や老人ホームとかで、バイトやボランティアをしたことはあるか?」

「いいや」

「介護の経験は? 他の障害者の人に触れあった経験とかは?」

「ないなー」

「まったく?」

「まったく」

 和隆はがくりと肩を落とした。

 介護職を目指していると言うから、その作法なり何なりを見て色々勉強させてもらおうと期待していたのだが……なんだよ、全くの素人かよ。これでは本を読んで一夜漬けした程度の知識しかない和隆よりもひどいじゃないか。



「とにかく、普通は相手に『膝掛けをめくるよ』とか、『今から抱き起こすよ』とか、一声かけてから行動に移るもんだろ?」

「そういうものなんだ?」

「まあ、俺も女子トイレでいきなり抱きつかれたりしたけど」

「え?」

「……いや、なんでもない」

 和隆はゴホンと咳払いをして話を逸らした。トイレのあれは、まあ、緊急回避のようなものだろう。

 あまりに無知な間山の事を指差しながら、和隆は遥に言った。

「おい、お前からも何か言ってやれよ。当事者なんだから」

「いや、でも……。間山くんも、一生懸命私の事を助けようとしてくれてるんやし……」

 介助を受ける立場の人間としては、なかなか文句を言いづらいらしい。遥は曖昧な表情を浮かべていた。



 和隆はため息をついた。

「こんな所で立ち止まってても仕方がない。とりあえず教室に向かおうぜ。間山、二人で春川を上まで連れて行こう」

 間山は首を傾げて聞き返してきた。

「二人で?」

「こう、前後から挟んで、車イスを持ち上げるんだ。そうすれば春川を車イスに乗せたままでも、階段を上がっていける」

 左右から挟んで持ち上げるとバランスが悪いが、前後から挟んで、車イスを地面に対してややVの字型に傾けて持つと、人を乗せたままでも割と安定して運ぶことが出来るのだと、介護・介助の本に書いてあった。



 和隆は自分の番の遥係りを終えたあの日、帰りがけに本屋に寄って、介護の本を買っていた。

 そこには人を車イスに乗せたまま階段を移動する方法などが書かれてあった。

 その知識を得てから、和隆は遥係りになった男子に声をかけては、二人で協力して遥を四階まで連れて行くようになっていた。おかげでいつも遅刻ギリギリの時間に登校していた和隆も、彼女に合わせて早めに登校するようになっていた。

 二人で協力して運べば、毎日違う男子におんぶにだっこをされて階段を移動することもなくなり、遥の心労も少しは減るだろう。いくら足が悪いから仕方がないとはいえ、親しくもない男子に体を直接触れられるのは嫌だろうから。

 一緒にいれば、遥係りの事を疎んじている者がいてもフォロー出来るし。

「遥係りなんて面倒くせぇ。俺は知らん」

 そう突き放すようなことを言って遥を放置して行こうとする者がいれば、その人物を物陰に引きずり込んで「てめえ、少しは相手の事を考えろや。お前の足も動かないようにしてやろうか、ああ?」などと脅して……もとい、友好的な話し合いをして協力を仰ぐ。

 そうやって、和隆は陰ながら遥の事をフォローしていた。



 担任は遥の事を生徒たちに丸投げするのではなく、正しい介助の知識や接し方を学ばせておくべきだった。和隆が調べて働きかけなければ、遥は毎日違う誰かに体に触られ、気まずい思いをしなければならなかっただろう。

 そもそも遥係りなんて作るべきではなかったように思う。

 というか、そもそもなんつーネーミングセンスだよ。

 遥係りって。

 生き物係りじゃないんだから。

「本当は二人でやるより、三、四人で持った方が、安定して階段を上がって行くことが出来るんだけどな」

 和隆は「誰か手を貸してくれる奴はいないかなぁ」という風に辺りを見回し、聞えよがしに言ったのだが、周りの生徒たちは立ち止らなかった。素知らぬ顔をして、あるいは慌てたように和隆たちから目を逸らして駆け抜けて行く。

「……まあ、いいや。ちゃっちゃと行こう。間山はそっちを持って」

 和隆はそう言って助力を仰いだのだが、間山はその提案を蹴った。

「嫌だ」

「え?」


  ☆


 今までひどく協力的だったのに、ここにきていきなり拒絶された。和隆は驚いて目を点にした。

「……どうしたんだ?」

 間山が言った。

「いいよ、今日の遥係りは僕なんだし。僕が一人で連れて行くよ」

「でも二人でやった方が楽だろ?」

「大丈夫だって。僕一人でも出来るよ」

「いや、その方が春川の負担だって……」

 間山は大きくため息をついた。

「もぉ、うるさいなぁ……。君は小舅かよ?」

 和隆のセリフを遮り、彼はひどく面倒くさそうな顔をして、和隆の顔を見詰めていた。



「君だって初日は彼女を抱っこして四階まで運んだんだろ? 僕だってそれくらい出来るさ」

 ふふんと自信ありげに鼻を鳴らす。

「誰も出来ないとは言ってねーよ」

 和隆は訝しげな顔をしながら切り返した。こいつは一体、何の対抗意識を燃やしているんだよ。

 二人の間に挟まれて、話の中心人物である遥は困ったような顔をしていた。

「あの、私は別にどっちでもかまへんけど……」

 遠慮がちに言い、オロオロとしている。



「ほら、彼女もそう言ってるじゃないか」

「いや、でも……」

「では、改めまして」

 和隆のセリフを聞き流し、間山は再び遥の事を抱き起そうとした。彼女の背中や膝の下に自分の手を滑り込ませる。

「おい、だったらおんぶにしろよおんぶに」

 お姫様だっこをしようとしたので、和隆は再び横からチャチャを入れた。

 しかし、これでは本当に口うるさい小舅のようだったので、「あんまり張り切ると腰をいわすぞ」などと付け加えておいた。

 げんなりした顔をする間山。

「もぉ、横からごちゃごちゃうるさいなぁ。君の番の遥係りは終わっただろ? 黙っててよ」



 彼はやたら『遥係り』という言葉を繰り返していた。

 なんとなく気に入らない。

 半ばケンカ腰になりながら和隆は言い返した。

「なんだよ、んなもん関係ないだろ? 気付いた奴、近くにいる奴が手を貸してあげればいいんじゃねーか」

 それを聞いた間山は、「ご高尚なことで」と言って馬鹿にしたように鼻で笑った。

 狐のように細い瞳で、じっと和隆を見詰める。

「君、偽善者ってよく言われない?」

「……あ?」

 和隆は剣呑な顔をして相手の事を睨みつけた。

「なんだよ?」

「なんだよ?」

 顔を近付けてガンを飛ばしあう。

 二人の間に険悪な空気が走った。



「あの、えーと……」

 二人の男子に挟まれて、春川遥はやたら恐縮していた。和隆と間山の顔をキョロキョロと見比べて、わたわたとしている。

「や、止めて!」

 思い切ったように遥が叫んだ。

「止めて! 私のために争わないで!」

 突然、まるで一昔前のメロドラマのようなセリフを言いだした。



「……えっ?」

 遥としては場の空気を和ませようとして言ったのだろうが、さすがにこの状況でそれはねーよと思った。間山と一緒に「えっ?」という顔をして、車イスの少女を見詰める。

 一瞬にしてその場の空気が凍りついた。

 気まずい沈黙が流れる。

 表では、ザーザーと冷たい雨が降りしきっている。

「……え、今なんて?」

「……ちゃうねん。これはちゃうねん」

 彼女は言うんじゃなかった、穴があったら入りたいという風に、両手で顔を覆って赤くなっていた。

 ここは一つ、笑った方がよかったか。

「……ど、どんまい?」

 とりあえず慰めておいた。

 いたわりの言葉をかけると、彼女はさらに赤くなって、小さな声で「ちゃうねん……」と繰り返していた。黒い髪を揺らしてプルプルと首を振っている。

 なんだ、この可愛らしい生き物は。

 この世のあらゆる争い事が無意味に思えてきた。



「とーにーかーくー!」

 気を取り直し、間山が話を戻した。

「とにかく遥ちゃんは僕が運ぶよ。今日の遥係りは僕だからね。君は僕の荷物や、空いた車イスでも持ってきたまえよ」

 言いながら、自分のカバンを和隆の方に放り投げる。和隆は渋々彼のカバンを空中でキャッチした。

 間山は遥の前で背中を向けてしゃがんだ。

「ほら、乗りなよ」

 遥は「いいんだろうか……?」としばし躊躇った後、遠慮がちに、間山の背中に体を預けた。

「じゃあ、お願いします」

「うん」

 間山は遥の体を抱えて立ち上がった。よいしょ、と彼女の太ももに手を添える。

「じゃあ行こっか」

 階段を上り始めた。



 間山は直接遥の太ももに手を当てておんぶしていた。スカートのお尻の部分が、ひらひらと後ろに垂れて揺れている。

「おい……」

 ちゃんとスカートを押さえてやれよと注意しようとしたのだが、彼はサクサク階段を上って行ってしまった。

「ったく……」

 和隆は軽く舌打ちしながら遥の車イスを小さく折りたたみ、間山のカバンと一緒に持ち上げた。二人の後を追おうと階段に足をかける。

 が、その時、横から声をかけられた。

「おはヨーグルトー!」

 気軽い声が飛んできた。

 見ると、そこにいたのは旧友の渡辺若文だった。



「おはよーっス、和隆ぁ。お前三年になってから、学校に来るの早くなったなー。前はいつも、遅刻ギリギリの時間にやって来てたのに」

「そうだっけ?」

「ああ、あれか。遥ちゃん関係か?」

 若文は得心したようにポンと手を叩いた。

「自分の番の遥係りが終わった後も、毎日四階まで連れていくのを手伝ってあげてるんだって? やっさしいー」

 和隆はぶっきら棒に答えた。

「別に。上に行くついでだよ」

 しかし、人によっては、それは偽善的な行為に見えるのだろう。

「またまたぁ、そんな事言って。よっ、色男! このぉ、憎いねー !頼りになる! 社長!」

 相変わらず、友人のテンションは朝っぱらから軽かった。


  ☆


 和隆たちが一階で立ち話をしている間に、先を行く間山と遥は、既に二階の踊り場の所まで来ていた。

「もっとちゃんとしがみ付かないと危ないよ、遥ちゃん?」

 間山は背中の遥に注意をした。よいしょっと少女の体を抱え直す。

「遥ちゃんって軽いねぇ」

 四方山話をしながら、間山は階段を上がって行った。

「足が動かないって本当不便で大変だよね。君も、周りの人間も」

 遥は改めてお礼を言った。

「ごめんね、おんぶしてもらって」

「まあいいけどね」

 二人の横を、パタパタと軽やかな足音を立てて下級生たちが駆け抜けて行った。



 間山は足を動かしながら、他人には聞こえないような……密着している遥にだけ聞こえるような小さな声で、ぼそりと何かを呟いた。

「ごめん、何か言った?」

 聞き取り切れずに、遥は彼に尋ね返した。

「……遥ちゃんってさぁ、いい匂いしてるよね」

 間山は首を動かし、目の端だけで背中の遥を見詰めた。

 言いながら、彼は抱えている遥の太ももを撫で回すように愛撫した。

 さわさわと。

 スカートの下の素肌をまさぐる。

「……え?」

 遥は自分の動かない足を見下ろした。


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