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車イス少女  作者: 君鳥
第三章 青空ランチ
14/23

3-3.書を捨てよ、町に出よう


  ―3―


 弁当を食べ終わった後も、二人は芝生の上で足を延ばして、青空の下で色々とお喋りを続けていた。

 二人の頭上で学校のチャイムが鳴り響いた。

「しまった、もうこんな時間か」

 すっかり話しこんでしまい、時間が経つのを忘れていた。

 周りにいた生徒たちは次の授業に備えて既に教室に戻っていて、中庭にはもう誰も残っていなかった。

 遥は慌てて車イスの上に戻り、二人は校舎の中に戻った。

 階段の前まで移動する。

 二人して眼前に立ちはだかる白い階段を見上げた。

 車イスの彼女を上まで連れて行くのを手伝ってくれるような人間は辺りにはおらず、廊下はガランとしていた。人っ子一人いない。

「あー…・…どうしよう?」

 遥が困ったような顔をして和隆を見上げた。

 やはりこの学校にはエレベーターが必要だと思った。



「んー……」

 和隆は階段を見上げてしばし逡巡した後、気だるげに腰に手を当てて言った。

「四階まで春川をおんぶして上がって、一階まで戻って、また車イスを持って四階へ……っていうのはさすがに面倒だな」

「ご、ごめん……」

 遥は恐縮しながら頭を下げた。

「なんなら赤坂くんだけ教室に行ってくれても構へんよ」

「お前はどうするんだよ?」

「私は……どっかその辺ブラブラしとくわ」

 大分親しい間柄になったとはいえ、相変わらず彼女は人に物を頼むのが苦手というか、遠慮があるようだった。



 和隆は言った。

「四階まで階段を上がっていくのは面倒だ。つーことで、もう午後の授業はサボっちまおうぜ」

「えっ?」

 遥は驚いたように目を見開き、和隆の顔を見詰めた。

「学校を抜け出してどっか遊びに行こう」

「遊びにって……え? 私も一緒に?」

「うん」

「どっかって……どこへ?」

「どこへでも」

 和隆はチェシャ猫のように、にやりと大仰に笑ってみせた。

「引っ越してきてからしばらく経ったとはいえ、まだこの町に慣れてないんじゃないか? どこに何があるとか知らないだろ?」

「まあ、あんまり詳しくはないけど……」

「よーし、俺がこの町を案内してやるよ」



 でも、だけど……と躊躇っている彼女の後ろに回り込み、和隆は半ば強引に車イスを押して遥を玄関の方へと連れ出した。

「こんなことしててええんかな?」

「いいんだよ」

「校則を破ることになるし……」

「校則は破るためにあるんだよ」

「受験生なのに、授業をサボったりして……」

「学校では学べないことだってあるさ」

 和隆は訳知り顔をして気安い口調で答えた。「今のなかなか深いセリフじゃね?」などと、上機嫌に車イスを押していく。



 下駄箱に行き、彼女の靴を履き替えさせた。

 遥はまだ不安げな表情を浮かべていた。

「今からでも、赤坂くんだけでも教室に戻った方がいいんじゃない? 見つかったら怒られるよ」

 真面目な委員長のようなことを言う。

「もう遅い。脱走が見つかった時は、お前も共犯だからな」

「ええっ!?」

 彼女は面食らったように声を荒げ、次いで、朗らかな口調で答えた。

「じゃあその時は、私は『赤坂くんに誘拐されました。私は無実です』って言うわ」

 開き直ったようにくすりと笑う。

「なんだよ、自分だけ助かるつもりかよ。ひどい奴だ」

 彼女は楽しげに笑っていた。和隆も笑って言い返す。

 教師たちに見咎められないように二人はこっそりと学校を抜け出し、町に出た。



  ―4―


 みんなは教室で勉強をしているというのに、二人だけ学校を抜け出して授業をサボるというのは何だか少しスリリングでワクワクした。

 いつもの通学路を外れて適当に歩き出す。

 川沿いの道に出た。

 和隆はゆっくりと車イスを押して土手の上を歩いた。グリップにくくりつけ直されたスヌーピーの人形が、風に揺られてプラプラと揺れている。ひどくのどかだった。

「こっちの方は始めて来るなぁ。いつも同じ道しか通らないから」

 遥は車イスにゆったりと腰掛け、なすがままに車イスに揺られていた。風景を楽しむように遠くを眺める。

 通行人とすれ違うたびに、物珍しげにじろじろと見詰められた。

 こんな時間に高校生がこんな所で何やってんだ、ということもあるのだろうが……やはり、あまり気持ちのいいものではなかった。遥と目が合うと、相手は気後れしたように慌ててすっと視線を逸らしていた。

 和隆はいちいち「車イスの女子高生がそんなに珍しいかよ」と突っかかりたくなったが、遥は慣れているのか、素知らぬ振りをしてそれらの視線をやり過ごしていた。遠くの景色を眺めている。



「いい天気やなぁ」

 遥はうーんと大きく伸びをし、手でひさしを作って空を見上げた。心地よい風が頬を撫でる。

「こんな風に学校をサボるのは、初めてかもしれない」

「そうなのか?」

「うん。何だか少し、ドキドキするね」

 背もたれに頭を預けて、後ろにいる和隆のことを逆様に見上げてきた。にこっとイタズラっ子のように微笑する。

 その笑顔に、なんだか和隆の方までドキドキした。



 二人は工事現場の側を通りかかった。

 マンションの解体工事をしているのか、ショベルカーやダンプカーなどが忙しなく土煙を上げて働いているのが土手の上から見える。

「あっ」

 工事現場の中を見下ろし、遥が声を上げた。

「どうした?」

「男の人に混じって、女の人が働いてた。重そうな袋を軽々と担いでた」

 立ち止まって和隆も工事現場の中を見回してみたが、遥の言う女性は見当たらなかった。どこかの物陰に隠れてしまったのかもしれない。

「その女の人がどうかしたのか?」

「いやぁ、背が高くて筋肉もムキムキしてて、よく日に焼けていて……。すごく格好良かったなぁ、と思って」

 ちょっと想像してみた。

 背が高くて、筋肉がムキムキで、褐色の肌の大女……。

「なんだそれは、アマゾネスか」

 ジャングルに生息していると言われる幻の女蛮族の姿が浮かんできた。

「そういうんとは違うよ。なんかこう、いかにも強そうで大らかそうで……ああいうのに憧れる」

「え?」

「私も体鍛えてみようかな?」



 和隆は遥のことを見下ろした。

 目の前の少女は体も小さく色も白く、いかにもひ弱な感じのする女の子だった。障害にもめげずに一生懸命頑張っている姿も、逆に庇護欲をかき立てられるというか、放ってはおけないという気持ちにさせられる。

 そんな遥が体を鍛え、褐色の肌のムキムキ女になった姿を想像してみた。

 車イスに乗ったアマゾネス。

 ボディービルダーのように、ムキッとポーズを決めている。

「……春川は今のままで十分だと思うよ」

 そっと進言しておいた。

 ちょっとした化け物じゃねえか。



「でもあの体は羨ましかったなぁー」

「そんなに格好いい女性だったんだ?」

「うん」

 彼女は興奮気味に頷いていた。

 そして自分の平べったい胸元を見下ろし、ため息交じりに、独り言のようにぼそりと何かを呟いた。

「それに胸もすごく大きかった。私なんてぺったんこやし、すごく羨まし……」

「何か言った?」

「や、何でもないです!」

 彼女は慌てたようにブンブンと首を振った。


  ☆


「目の見えない人は聴覚が異様に発達する、って話あるやん?」

 話を切り替え、遥が唐突にそんな話題を振ってきた。

「ああ、あるな」

 人は五感の一つを失ったとしても、それを補うために別の器官が特出して進化することがあるらしい。

 どんな小さな音でも聞き分けられるようになったり、人の声の調子から嘘を見抜けるようになったり。世の中には、チッチッと舌打ちをすることで、その反響音からどこに何があるかを立体的に把握することが出来る盲目の人間もいると聞いた事がある。まるでイルカや蝙蝠のように、エコロケーションを用いて世界を視る。

 遥は自分の腕をペタペタと触りながら言った。

「それみたいに、足が悪い人も、なんか能力がつかないかな? 主に腕関係で」

「能力?」

 和隆は首を傾げて尋ね返した。

「例えばどんな能力が欲しいよ?」

「動かなくても遠くの物が取れるように、こう……腕が伸びたり?」

「どこのダルシムだよ」

 そんな人間がいたらホラーである。



 二人は橋を渡って商店街に向かった。入り口の部分に大きな鳥居が立っている。

「ここは来たことある?」

「ううん、初めて」

 和隆は車イスを押して鳥居をくぐった。遥は物珍しそうに辺りをキョロキョロ見回している。

 遥がぽつりと感想を漏らした。

「……なんだか、寂しい感じがするね」

 折からの不況や大型デパートの進出などの影響で、世のご多分に漏れずこの町の商店街も店じまいをしてシャッターを下ろしている店が多かった。昔はもっと賑やかだったらしいが、今では見る影もない。



 大判焼きを売っているお店を発見した。中に餡が詰まっている、円盤状のタイ焼きのような和菓子である。

「あれ食おうぜ」

 おやつ代わりに二人で買い食い。

 制服姿の二人を見て店のおばちゃんに「学校はどうしたの?」と尋ねられたが、「午前授業だったんだよ」とナチュラルに嘘をついておいた。最近、自分の嘘吐きスキルがぐんぐん向上しているような気がする。

 道の端っこに移動し、二人して大判焼きをパクついた。

 遥はリスのように両手で大判焼きを持ち、うまうまと美味しそうにそれを頬張っていた。

「うまいな、この大判焼き」

「おいしいね、この回転焼き」

 二人同時に感想を言い、和隆と遥は「えっ?」という顔をしてお互いの顔を見やった。



「なんだ、回転焼きって?」

「ああ、こっちでは大判焼きって言うんだ? 関西だと回転焼きとか、太鼓焼きとか呼んでたから」

「へえ。地域によって名前が違うのか」

 またしてもカルチャーショックだった。こういう些細な所で、自分たちの育った土地や風土の違いを実感する。

 中学の頃から長期休暇のたびに日本中をフラフラと旅して彷徨ったりしたが、そういう所にはあまり注意していなかったな。今度から気を付けてみようか。



 和隆は遥に質問してみた。

「関西人の家には一家に一台たこ焼き機があるって聞いたことがあるんだけど、あれってマジ?」

「うーん、どうだろ? 家にはあったよ」

「大阪のおばちゃんは、みんなヒョウとかチーターの絵柄が入った服を着てるんだって?」

「確かに、大阪の商店街でのエンカウント率は高いかも」

 遥は故郷を懐かしむようにくすりと笑った。

「道端で一人がボケると、通行人全員で『なんでやねん』ってツッコミを入れてくるんだろ?」

「いや、さすがにそれは……てゆーか、どんな町を想像してるんよ?」

 軽く怒られた。



 遥は所々歯抜けのようにシャッターの下りている寂れた商店街を見回し、語りだした。

「私は関西で育ってんけど、私の両親は、元々こっちの人やってん。両親とも、実はこの町で生まれてんて」

「そうなの?」

「お母さんは、今の私たちの学校に通ってたらしいねん」

「あの高校のOGなんだ?」

 色んなところをタライ回しにされたあげく、遥は母親の母校に転入してきたらしい。何だか不思議な縁である。

「で、そこでお父さんと出会って恋をしたって……」

「ん……? ちょっと待て。お前の所の両親は、高校の時から付き合ってたのか?」

「らしいよ」

「そしてそのままゴールイン?」

「うん」

 彼女はこくんと頷いた。

「はあ……なんかすげーな」

 和隆は感嘆の声を上げた。

 学生時代の恋愛は長くは続かないものだ、などと言われているが、世の中にはそんなカップルもいるのか。



 遥は自分が生まれるよりもずっと昔のことを追想するように、両親の学生時代のことを夢想するように、そっと瞳を閉じた。

「お母さんたちも、学生の頃はこうやってこの商店街を歩いたりしたのかな?」

 そこは今のように寂れたシャッター商店街ではなく、もっと活気があっただろう。

「こうやって買い食いをしたり、手を繋いで歩いたり……」

「かもな」

「若い頃は、見てるこっちが照れるくらいラブラブだったらしいよ」

 彼女はそれを誇るように、楽しげな口調で両親のことを話した。



 和隆は遥のことを見下ろした。

 その顔は夢見るようでもあり、そして、何かを諦めたようでもあった。ひとしきり語った後で、ハァと小さくため息をつく。

 彼女は車イス生活者だ。

 もしもこの先、彼女に恋人が出来たとしても、普通の恋人同士のように「手を繋いで並んで歩く」ということは出来ないだろう。他にも色々、普通の恋人同士と違って障害は多いはずだ。憂いは絶えない。

「……次行くか」

 遥が気落ちしてしまう前に、和隆は大判焼きを口の中に放りこんで立ち上がった。車イスの後ろに回ってグリップを掴む。

 彼女を押して歩き出した。

 例え手を繋いで並んで歩くことは出来なくても、恋人はこうやって、彼女の車イスを押して一緒に歩くことは出来るのだ。遥の未来の恋人には、ぜひとも全力で彼女のことを支え、愛してあげてほしいものだ……などと思った。



「あー……」

 そこまで考え、和隆はふと思った。

 車イスの少女と、その後ろを押して歩いている自分。ハタ目にはどう映っているのだろう?

 身体障害者と介助者?

 ただの学校の同級生?

 それとも、恋人同士?



 思えば一緒に登校したり、一緒にお昼ごはんを食べたり、一緒に学校を抜け出して町を散策したり……。

 自分では意識していなかったが、これではまるで、付き合いたてのカップルのようではないか。

 和隆はその場で石になったように固まってしまった。意識してしまった瞬間、心がカッと熱くなる。

「どうしたん?」

 突然変な声を出して立ち止まってしまった和隆のことを、遥は無邪気な顔をして見上げてきた。綺麗な二重の瞳で上目遣いにこちらを見詰め、子猫のように小首を傾げる。

「な、なんでもねーよ。前を見ろ、前を」

 和隆は遥の頭に手を当て、ぐりんと前方を見させた。



「なによ、どうかしたん?」

「なんでもねーよ」

「いや、なんでもないって事ないでしょ?」

 しつこく問いただされたので、和隆は後ろから遥の髪をかき回した。

「なーんーでーもーねーよー!」

 子犬でもを愛でるように、その頭をわしゃわしゃと撫でて引っかき回す。

「ちょ、ちょっと……! 何なんよー! もぉ!」

 遥はくすぐったそうに首をすくめ、車イスの上で身をよじった。

 それこそ恋人同士のように、二人は道端でじゃれ合っていた。


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