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車イス少女  作者: 君鳥
第二章 暗雲
11/23

2-6.雨降って……


  ―8―


 ひとしきり泣いた後、彼女は涙を押さえて和隆から体を離した。すんすんと鼻をすすり上げる。

「……もう大丈夫か?」

 静かに尋ねかけると、彼女はこくんと頷いた。

「うん……」

 手の甲で涙をぬぐう。

 二人はそのまま壁際の棚にもたれかかって、ぼうっとしていた。足を前に投げ出し、意味もなくその爪先を見詰める。

 部屋の向こうでひっくり返っている車イス。棚には、なんだかよく分からない生物の標本瓶や、実験器具などが並んでいる。

 ひどく静かだった。

 五時間目の授業を告げるチャイムは、とっくの昔になっていた。



 ぼんやりと宙を舞うホコリを見詰めながら、ぽつりと遥が呟いた。

「次の授業……なんやっけ?」

「数学。うちの担任の」

「行かなきゃ」

「いいよ、サボっちまえ」

 和隆は投げやりに答えた。真面目に授業なんか受けている気分ではないし、第一、そんな恰好では教室に戻れないだろう。

 遥は和隆が渡した制服の上着で、破れたブラウスの前を隠していた。制服の隙間から、彼女の白い素肌と淡い薄桃色の下着がチラリと覗いている。和隆はばつが悪くなって、すぐに視線を逸らした。



「……先生に話しに行こう」

 タイミングを見計らい、和隆は切り出した。

 自分では身動きの取れない女の子を人気のない所に連れ込んで無理矢理襲おうだなんて、手口が悪質すぎる。

 担任は日和見な事なかれ主義者なのであまり頼りにならないが、校内で強姦未遂事件があったとなっては、動かざる得ないだろう。警察も出張って来ることになる。

 しかし、遥は長い髪をふるふると揺らして首を振った。

「襲われたっていっても服を引き裂かれただけやし、あんまり大事(おおごと)にしたくない」

「でも……!」

 声を荒げて反論しようとしたが、彼女は「いいの」と弱々しく言った。

「早く、忘れてしまいたいから……」

 和隆は遥の横顔を見詰めた。

 遥は小さく肩を震わせていた。未だ顔も青白い。

 きっと、告発した後の報復を恐れているのだろう。逆ギレをされたら今度こそ何をされるか分からないし、セカンドレイプの問題もある。



 彼女がそう言うのなら……。和隆は口をつぐんだ。あいつには二度と遥に近づくなと、しっかり脅しつけておかなければと思った。

 和隆は床に転がっている小型のビデオカメラの事を思い出し、体を起こして拾い上げた。色々と弄ってみる。

 液晶モニターはヒビ割れて亀裂が走っていたが、中のメモリー自体は無事のようだった。そこには怯えた表情で地面に倒れている遥の他に、悠然とした口調でペラペラと喋っている間山の声も収録されていた。

 いざとなったら、これであいつを逆脅迫するか? これをバラまかれたくなかったら、と。編集すれば遥の姿のみ消すことも出来るだろう。



 カメラをポチポチ弄っていると、背後で遥がため息をついた。ハァと、深い吐息を漏らす。

「こんな体なんやし、風当たりが強いのは分かってたけど……。やっぱり、辛いなぁ……」

 彼女は気だるげな表情をして、自分の動かない足を見下ろしていた。

 その声は少し鼻声だった。ぐすんっと鼻をすすりあげる。

 和隆はその場に立ちつ尽くしたまま、ぎゅっと唇を噛みしめた。またも後悔と屈辱感が込み上げてくる。

 狭く、薄暗い物理準備室の中で二人ぼっち。

「……負けんなよ」

 和隆は遥に背を向けたまま、呟くように彼女に語りかけた。



「こんな事で負けるな。不登校とかになるな。全てを跳ね返せ」

 遥は顔を上げて、黙ってその背中を見詰めた。

「こんな所で負けるな。くじけるな。もしまた何かあっても、俺が何とかするから……」

 言いたい事、伝えたい事はもっとたくさん……いくらでも胸の中に湧いて来るというのに、想いはうまく言葉にならなかった。

 心の温度と反比例して言葉はいつも言葉足らずで、口に出した途端嘘っぽくなる。

 この先も、彼女の前には多くの困難が立ち塞がり、苦難が降り注ぐのだろう。

 ちょっとした、ハイハイをする赤ん坊にだって簡単に乗り越えられるような段差にも、いちいちつまづいてしまう日常の中で暮らす彼女。

 健常者の同級生たちの中に馴染めず、クラスで浮きがちな彼女。

 だけど、それでも、彼女には負けないでもらいたかった。明るく笑っていてもらいたかった。悠然とカードを切り、この世の全てのものに真っ向から勝負を挑むようなあの凛然とした空気を無くしてもらいたくなかった。

 彼女の笑顔を守るためなら、自分は喜んで火の海にだって飛び込んでいくだろう。

 その気持ちだけは、本当だった。



 負けるな、頑張れ。

 泣いてもいいし、弱音を吐いてもいいけれど、それでも……こんな世界に屈するな。

「何かあっても、また俺がお前を守るから……お前も、絶対に負けるな」

 和隆は彼女に背中を向けたまま、不器用に自分の足元を見下ろしながら、真剣な顔をして語った。

 彼女は顔を伏せがちにして答えた。

「……うん、分かった。分かった」

 遥のその瞳には、今までとは別種の涙がにじんでいた。


  ☆


 遥は気持ちを切り替えるように、気合いを入れるように目をつぶってパンパンと自分の頬を勢いよく叩いた。ふぅ、と肺の中の空気を全部吐き出す。

「今日はもう授業を受ける気分にはなれないし、早退することにするわ」

「そうか……保健室とかで休んでいかなくて平気か?」

「うん、大丈夫」

 泣きはらして大分すっきりしたのか、彼女は吹っ切れたような表情をしていた。いつまでもヘコたれていてはいけないと、自分自身にうんと頷く。

「じゃあ荷物を取って来てやるよ。ついでに、どこかで着替えもかっぱらってくる」

「うん、ありがとう」

 遥は自分の胸元を見下ろし、改めて頬を染めた。和隆の貸した上着をぎゅっと抱きしめてずり上げる。

 倒れていた車イスを彼女の許に引き寄せた後、和隆は物理準備室を出た。

 人気のない寂しい廊下を歩いて3-1の教室に向かう。

 渡り廊下に出ると、大分風が弱まっていた。

 東の方の空が明るい。じきに雨は止むかもしれない。



 3-1の教室の引き戸は、相変わらずガタガタとやかましい音を立てた。黒板にチョークを走らせていた教師や生徒たちが一斉にこちらを振り向く。

「こんな時間まで何をやっていたんだ。昼休みはとっくに終わっているぞ」

 教師はぶつぶつと文句を言い「他にも何人か戻っていないし……」と、空席の目立つ教室を見回した。

「春川と、遥係りの間山もいないな。お前何か知らないか?」

「春川は気分が悪いから早退するそうです。自分は彼女の荷物を取りに来ました」

 間山については、右から左に聞き流した。あんな奴のことは知らん。

 和隆がそう説明すると、担任は「……そうか」とだけ言って、すっと視線を逸らした。

 和隆の左手に巻かれた血のついたハンカチに気付いたようだが、担任は深く追及しようとはしなかった。黒板に向き直って、構わず授業を続けようとする。

(春川の体調は大丈夫なのかとか、お前のその手はどうしたんだとか……聞いてこないんだな)

 面倒事を避けようとする日和見主義者。やっぱりこの担任は当てにならないなと思った。

 和隆は遥の机に歩み寄り、蓋が開いたままの食いさしのお弁当を手早く片付け、荷物をまとめた。



 荷物を持って教室から出て行こうとしたが、その時、黒板の隅に書かれた『遥係り』の文字が目に止まった。

 担任がこんなルールを作るから、遥はあんな目に……。

 他にも間山のような奴が現れるとは思えなかったが、程度の差はあれ、邪な思いを抱いて……介助の振りをして遥にセクハラまがいの事をする奴はいるかもしれない。

 和隆は忌々しげな顔をして遥係りという文字を見詰め、黒板消しを掴んでそれをかき消した。

「おい、何をしているんだ?」

 担任が尋ねてきた。

 和隆はくるりと振り返り、教室内を見回して宣言した。

「突然だが、春川の面倒は俺が見ることになった。『遥係り』は中止だ。彼女の面倒は俺が見る。じゃあそういう事で、以後よろしく」

 そしてそのまま、さっさと教室から出て行ってしまった。後ろ手に教室の引き戸をぴしゃりと閉める。

 教室の中は「……今のなに?」という感じでざわざわと騒がしくなっていたが、気にせずその場を立ち去った。



 生徒指導室に予備の制服が備え付けられていたことを思い出し、女子のブラウスを拝借してきた。

 物理準備室に戻る。

 扉を開けようと取っ手に手をかけたが、ふと、和隆の耳に少女のすすり泣きの声が聞こえてきた。

 必死に声を押し殺して泣いている遥の声が、扉越しに漏れ出している。

「お父さんっ……お母さんっ……」



 例え辛くとも、例え悲しくとも。

 和隆の前ではしっかりしなきゃと強がって無理をしていたのだろう。彼女は小さな声で、嗚咽交じりに両親の事を呼んでいた。

「しっかり……しっかりしなきゃ……」

 呪文のように繰り返し呟いている声が聞こえる。ぐすんぐすんと鼻をすする音が聞こえる。

 和隆はそっと扉から手を離し、静かに後ろに下がった。

 沈黙を守ったまま物理準備室の扉を見詰める。

 扉越しに、必死に声を押し殺して、ごしごしと目元をぬぐっている少女の姿が見えた気がした。


  ☆


 頃合いを見計らって、たった今帰ってきましたというような顔をして、和隆は準備室の扉を開けた。

「ただいま」

「あ……おかえり、赤坂くん」

 彼女はすでに車椅子の上に戻っていた。

「わざわざごめんね」

 遥はつい先程まで一人で涙を流していただなんて気配はおくびにも出さずに、平静を装っていた。これ以上和隆に心配をかけないようにと、無様な姿は見せてはならないと、何でもないような顔をして和隆を出迎える。彼女の目はウサギのように赤くなって少し腫れていた

 自分で励ましておいてなんだが、そうやって無理に気丈に振る舞おうとする遥の姿を見ると、なんだか余計に息苦しくなって……それは小さなトゲとなって和隆の胸に食い込んだ。チクリと心臓をえぐる。

 荷物と着替えを渡し、「じゃあ外にいるから」と言って、部屋から出た。



 廊下に出た和隆は扉に背を預けて、ズリズリと体を落としていった。その場にペタリと座りこむ。

 はぁと大きなため息をついた。今更ながら、疲労感がやってきた。

 静かすぎる午後の学校。

 しとしとと響く雨音。

 背中越しに、ごそごそと着替えをする衣擦れの音が聞こえてきた。

 いつもならば普通に授業を受けている時間なのに、俺たちはこんな所で何をやっているんだろうと思った。

 左手に巻かれたハンカチに視線を落とす。ハンカチについた血って簡単に落ちるのかな? 洗って駄目なら、新しい物を買って返そう。ぼんやりと、そんなことを考える。

 しばらくして内側から扉が開き、着替えをすませた遥が出てきた。

「お待たせ。ごめんね、上着ありがとう」

「ああ」

 貸していた上着を受け取った。



 二人で階段の前まで移動してきて、和隆はある事に思い至った。

「ああ、しまった……」

 一人では、遥を車イスに乗せたまま下に連れていくことが出来ない。おんぶをすれば一人でも連れていけるが、あんな事があったばかりだし、彼女も男に触れられるのは拒否感があるだろう。

 遥を見下ろして尋ねてみた。

「どうする、女の先生とか呼んで来ようか?」

「うーん……。今日に限って先生に頼んだりすると、変に勘繰られそうな気もするし……。別にいいよ。ごめんやけど、赤坂くんがおんぶしてってくれへん?」

「いいのか?」

「何が?」

 彼女は不思議そうに首を傾げた。

 まあ、彼女がいいと言うならいいか。あまり躊躇うのも変だし。

 和隆は遥の前にしゃがみ、彼女の小さな体をおんぶした。無人になった車イスの方は……仕方がない。遥を一階まで下ろした後でまた戻ってこよう。

 二人はゆっくりと階段を下りていった。



「ねぇ……」

 人気のない階段を下りながら、背中の遥が話しかけてきた。

「何だ?」

「ありがとう」

 ありがとぉと、彼女は関西弁混じりの独特のイントネーションで、改めてお礼を言った。

 和隆の首に腕を回し、その首筋に自分の顔を押し付けてきた。後ろからぎゅっと抱きしめられる。

「……来てくれて、ありがとう」

 顔は見えなかったけれど、声の感じで、彼女がどういう表情をしているのか分かった。

 和隆はそれに答えるように、ポンポンと無言で彼女の腕を優しく叩いた。



  ―9―


 車イスも一階まで運び、二人は下駄箱前に移動した。

 校舎を出る。雨は大分弱くなっていた。

「家まで送って行こうか?」

 和隆は玄関の所でそう申し出たのだが、彼女はふるふると首を振った。

「そこまでは、甘えられへんよ」

「なら家の人に迎えに来てもらうとか」

「あんまり大事にしたくないし、私なら大丈夫だよ。明日は……週末だから学校は休みか。月曜日には……うん、春川遥は完全復活してるから」

 彼女は気丈に答え、にこりと微笑んだ。

 遥はオレンジ色の傘を広げ、自分の力で車イスを転がして行った。

 和隆は去っていく少女の後ろ姿をじっと見詰めた。

 精一杯気丈に振る舞っているものの、その体は驚くほど小さく、か細く見えた。



 両手で車イスのハンドリムを回しているので、遥は傘をうまく差すことが出来ないでいた。傘の柄を太ももにはさみ、首と肩でそれを固定している状態だった。いまいち不安定である。

「っとと……!」

 強い風に煽られて、傘を吹き飛ばされそうになっていた。

(そうか、車イスだと、一人で傘を差していくのも一苦労なのか……)

 そこまで考えが回らなかった。

 やはり、このまま行かせられないな。

 和隆は雨の中駆け出し、彼女の傘を掴んで支えた。

「あ……」

「やっぱり送って行くよ」



「ん……ごめんね。何から何まで」

「気にすんな。俺も授業をサボれる」

 和隆は飄々とした口調で答えた。まさか間山が現れて再び彼女をかっさらっていくとも思えなかったが、やはり少し心配だ。

「俺が車イスの後ろを押して歩くから、お前は傘を差しててくれ」

「うん、分かった」

 和隆は車イスのグリップを掴んで押し始めた。

 二人で一緒に学校を出る。



 背後にいる和隆が濡れないようにと、遥は目一杯腕を伸ばして傘を頭上に掲げていた。

「赤坂くん、濡れてない?」

「ああ。だからそんなに傘を高く持ち上げなくても大丈夫だよ」

「でも赤坂くん背高いし。頭つっかえてない?」

「そこまで巨人じゃねーよ」

 これも一種の相々傘なのだろうか?

 雨の道を、一本の傘を差して並んで歩く。


  ☆


「車イスだと、雨の日は大変だな。一人じゃあんまり出歩けないだろ?」

 車イスを押して歩きながら、和隆は何気ない口調で遥に話しかけた。

 彼女は「そうやね」と言って、雨空を見上げた。

「車イスが濡れると、サビの原因にもなるしね。傘差してたら手も塞がってしまうし……。でも、車イスに傘スタンドとかを取り付けたら、ある程度一人でもやっていけるよ」

「そんなのがあるんだ?」

「引っ越しのゴタゴタで、今はちょっと行方不明中やけどね。風が強い日は、少し厳しいけど」



 たまに乗用車とすれ違うくらいで、通学路には人通りが少なかった。

 和隆は空を見上げながら呟いた。

「しかしよく降るな」

 地上のいざこざや人間の業などお構いなしに、雨はしとしとと降り注ぎ、世界を洗って浄化していた。全ての者の上に分け隔てなく平等に降り注ぐ。

 腕を伸ばして傘を高くに掲げながら、遥が質問してきた。

「赤坂くんは雨が嫌い?」

「好きな奴もあんまりいないだろ? ジメジメしてるし、服も濡れるし」

 注意して歩いていても、地面からの跳ね返りなどでどうしてもズボンの裾は濡れてしまう。外出するのも億劫になるし、雨の日はあまり好きではなかった。



 彼女は少し残念そうに言った。

「そっかー。私は結構好きやねんけどなぁ、雨の日も」

「そうなの?」

「雨の音も、雨の匂いも、ちょっと湿ったこの空気も。昔から、なんか好きやった。雨が降ると憂鬱になるって人もいるけど、私は割と好き」

 遥は傘の外にそっと手を差し出し、手のひらで雨粒を受け止めた。

 白くしなやかな指先に雨粒が滴る。



「子供の頃は……新しい傘を買ってもらった時なんかは、『早く雨が降らないかなー』って、逆さてるてる坊主を作ったくらいだよ」

 遥はわざと明るい口調でしゃべっていた。

 和隆もそれに習って、まるで何事もなかったかのような平穏な口調で会話を続けた。車イスを押しながら尋ね返す。

「逆さてるてる坊主って?」

「こう……てるてる坊主を引っくり返して吊るしたら雨が降るっていうやん?」

「ああ、あれか」

「で、実際に雨が降れば傘を持って、長靴を履いて、外に飛び出したもんだよ。絶対濡れるからって、お母さんにレインコートまで着さされたっけ」

 彼女はくすりと思い出し笑いを浮かべた。

 和隆も「完全武装だな」と言って微笑んだ。

「水溜まりを踏んで歩いたり、葉っぱの裏にかたつむりを探したり。そして、雨が上がった後は、色んな物の上に水滴が球になって乗っていて、全ての物がキラキラと光って見えて……。雨の日も、なかなか楽しいもんですよ?」



 和隆は小さい頃の遥の姿を想像してみた。

 幼稚園か、小学校低学年程度の女の子。

 その頃の遥は、普通に自分の足で立って歩くことが出来た。車イスに頼らずとも、どこにでも駆けていくことが出来た。

 想像の中の幼い彼女は、新しく買ってもらった新品の傘を振り回して、雨の中楽しげにはしゃいでいた。

 右手に雨傘。

 足には長靴。

 全身を覆うはカラフルな色のレインコート。

 それらを装備した小さな子供は無敵である。

 傘をクルクル回して雨粒を弾き飛ばしたり、魔法のステッキのようにシャラランと振り回したり。水溜りを見つけては、長靴を履いた小さな足でバシャンと飛び込み、水滴を蹴り上げる。

 降りしきる雨の中、少女は踊るように雨と戯れていた。

 ――その数年後、彼女は事故に遭って自力で歩く力を失う事になる。

 和隆は今、自分の目の前にいる車イスの少女のことを見下ろし、なんだか見えない手に心臓をぎゅっと鷲掴みにされたかのように胸が苦しくなって、息が詰まった。



 そんな和隆に対し、遥は今までと変わらぬ朗らかさで言葉を続けた。

「雨に濡れるのは嫌だっていうけど、服が濡れて肌にべったり張り付くあの感じも、子供の頃は何だか奇妙で面白くなかった?」

「まあ……子供の頃はな」

 和隆も子供の頃は、台風や嵐が来るたびにテンションが上がって、用もないのに傘を持って外に飛び出したものだ。靴の中がぐちゅぐちゅになるあの感触も、なんだか気持ちが悪くて、それでいて楽しかった。

 しかし、いつの間にか雨はたんに憂鬱でうっとうしいだけのものになっていた。子供の頃は、ただの通り雨でさえ大自然のアトラクションとして楽しんでいたはずなのに。

 遥は空を見上げながら言った。

「こんな体だと雨の中移動するのは大変やけど、それでも、今でも雨は嫌いじゃないよ。雨降りの後には、ちょっとしたご褒美がもらえる時もあるしね」

「ご褒美? なんだそれ?」

 和隆が首を傾げて尋ねかけると、彼女はなぞなぞを出すように「さあ、なんでしょう?」と言って、人差し指を唇に押し当てた。


  ☆


 二人は大きな公園の側を通りかかった。

「春川の家ってこっちでいいの?」

「あ、その公園の中入ってくれる? ここを通り抜けたら、家はすぐだから」

「ういっス」

 和隆は公園の中に車イスを進ませた。

 日頃は子供たちでにぎわっている公園も、雨降りという事で人気がなかった。

 雨に濡れた鉄棒。

 風に揺れる無人のブランコ。

 ペンギンの形をした、大きな滑り台……。

 あちこちに小さな水溜りが出来ていた。置き去りにされた誰かのゴムボールが砂場に転がっている。

 雨の日の公園というは、どうしてこうも物寂しい感じがするのだろう。

 濡れた草木の匂いがした。



 濡れた遊具を横目に公園内を歩いていると、ふいに遥が顔を上げた。傘を下ろして空を見上げる。

「雨、上がったみたい」

 そう言われて、和隆も空を見上げた。

 暗い黒雲は風にちぎれて追い払われて、空のまにまにうっすらと青空が覗いていた。太陽が遠慮がちにひょっこりと顔を見せる。

 雨上がりの空を眺めながら、何かに気付いたように遥が「あっ」と声を上げた。

「どうした?」

「ほら、あそこ。虹が出てるよ」

 遥は空の彼方を指差した。



 彼女の伸ばした指の先には、確かに七色の虹がかかっていた。色鮮やかに、空にアーチを描いている。

「綺麗……」

 彼女は、まるで一枚の絵画を鑑賞するように、空に掛かる虹の橋を眺めていた。眩しそうに空に手をかざす。

 雨降りの後のご褒美とは、この事か。

 和隆も足を止めて空を仰いだ。どこかで雨宿りをしていた鳥たちが、翼を広げて空に帰る。

(そういえば、虹を見るなんて……久しぶりだな……)



 鈴なりに水滴が連なった鉄棒。

 濡れたブランコ。

 公園の中央に鎮座する、大きなペンギンの滑り台。

 花壇の草花の上には、雨粒が球になって乗っかっていた。遥が言ったように、雨粒が光を反射して宝石のようにキラキラと輝いている。

 二人は眩しそうに目を細めて、雨上がりの空を見上げた。


NTRやら凌辱やらは苦手なので全力で阻止。


シリアスパートも終わったことだし、にゃんにゃんルート入ります。

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