【07話】 王都到着
「よぉ、お嬢ちゃん。まだ怒ってんのか?」
窓を開けていいと言われたので、馬車の中から外の流れ行く景色を眺めていると、その窓枠の動く絵画の中にひょっこりとクレッドウィンが顔を出した。クレッドウィン自身は馬に乗っているのだが、馬車に並走して近寄ってきたのだろう。ユーリは驚いて小さな声をあげた。
「馬車酔いしてないか、お嬢ちゃん?」
「……はい、大丈夫です。クレッドさん」
「名前覚えてくれたのか~、嬉しいね」
「クレッドさんも、僕のこと、ユーリと呼ぶ、いいですか?」
「お。じゃあ、お言葉に甘えよう。ユーリちゃん、もう少~し走らせたら休憩するんで、あとちょっとの我慢な。何か不足してないか?」
そう聞かれて、ユーリは困ってしまった。
魔力を放出して寝込んでしまう前は、アークルフと二人で一頭の馬に乗って王都へ向かっていた。それなのに、宿場町を出る日にはこの大きな馬車が用意され、ユーリはその中で絹のワンピースを着て貴婦人よろしくゆったり座っているだけなのだ。やたらとクッションが積み上げられた車内のベンチはふかふかで、揺れも少ないし、お尻もほとんど痛くない。
“お尻”に思い当たって、ユーリは嫌なことを思い出し顔をしかめた。
熱が下がって目覚めた昨日、アークルフに捕まりお尻に湿布を貼られてしまったのだ。
つまるところ、アークルフは子供の世話をするようにユーリの面倒を見ていたんではないかと思い当たり、ユーリは憤慨していた。ユーリは自分の年齢を覚えていなかったが、もう子供ではないという自覚があったし、娘なりの恥じらいも持っていた。アークルフの仕打ちはユーリの羞恥心を限界まで高め、その恥ずかしさと怒りから、ユーリはアークルフと口もきかずにこの一日を過ごしていた。
「……何もないです。大丈夫」
「なぁ、ユーリちゃん。アークルフも下心はあったんだろうが、悪気は無かったと思うぜ。許してやってくれよな」
にっこりと笑うクレッドウィンに、ユーリは曖昧な笑みを返した。
―― “したごころ”ってどういう意味だろう?
答えを聞こうにも、この数日言葉を教えてくれていたアークルフはユーリの乗る馬車の前方で馬を走らせており、クレッドウィンに尋ねるのも気が引けたので、ユーリは意図的に話題を変えた。
「あの、王都へは、あとどれくらいですか?」
「今日の夕刻には着くよ。あともう少しだ」
一行は既に昼食を取り、街道を王都へ向かって走っていた。
次が最後の休憩になるようだ。
王都に着いたら、まず魔法局へ行くのだと聞かされていた。
魔力があることを申請したらそれで終わりなのだろうか。村へ返してくれるのだろうか。せっかく打ち解けたアークルフとも王都に着いたらお別れなのかもしれない。それを考えると、いつまでも怒っていては良くない気もした。アークルフには随分と世話になったし、お尻のことを除くと、概ね良い人だったのだから。ユーリは、次の休憩でアークルフに話しかけてみようと思った。
***
“アークルフと話をして最後くらいお礼を言わなければ”。そう思っていたのに、ユーリはすっかりタイミングを逃してしまっていた。先刻の休憩時に顔を合わせたにも関わらず、恥ずかしくてすぐに馬車の中に戻ってしまったのだ。アークルフが何か話しかけようとした途端に顔が真っ赤になり、逃げ出してきてしまった。
馬車の小窓からちらりと外を覗くと、心配そうにこちらを見るアークルフの姿が目に入り、ユーリは気まずくなってすぐに目をそらした。あんなに怒ってしまった後で、どう話しかけて良いのかわからない。
―― アークのバカ。あんなことするから、恥ずかしくて顔も見れなくなっちゃったよ。
昨日の仕打ちを思い出し、馬車内で一人で悶絶しているところへ、クレッドウィンが乗り込んできたので、一緒にお茶を飲んだ。気まずい思いをしていたユーリの憂さを吹き飛ばすように、クレッドウィンは面白おかしく色々な話をしてくれた。初めて聞く単語ばかりで戸惑うユーリに、新しい言葉を教えてくれたりした。アークルフとは話せなかった休憩の間に、ユーリはすっかりクレッドウィンと打ち解けて話すようになった。
「お嬢ちゃん、もうすぐ王都だ」
先ほどと同じように、馬車の小窓に顔を近づけてクレッドウィンが言った。
少しの休憩を挟み、馬車は再び王都へ向けて走っていた。天高く照り付けていた太陽も、今や暮れかかっている。
「王城が見えてきたぞ。ほら、あの白いのだ」
そう言われて、ユーリは馬車の小窓から少し身を乗り出すようにして、クレッドウィンの指差す方向を見た。馬車の直進方向に大きな街が見えた。その後ろに、中央に高い塔を擁した白亜の城が控えていた。今、その城は夕日に照らされ紅色に染まっている。
「わあ、すごい……」
「美しい城だろ。この国の王がおわす城、リグワール城だ」
クレッドウィンが目を細めて、彼が仕える王の居城を讃えていると、
「ユーリ、危ない! 身を乗り出すな!」
前方で馬を走らせていたアークルフが振り返り、焦ったように怒鳴った。
「ご、ごめんなさい!」
ユーリは慌てて馬車の中に引っ込む。だから彼女は気がつかなかった。アークルフが思わず怒鳴ってしまったことを後悔し、顔をしかめたことを。
クレッドウィンはユーリに肩をすくめて見せると、アークルフが馬を走らせている前方へ移動していった。彼は彼で怒鳴ったことで落ち込むアークルフを慰めに行ったのだ。
―― アークに怒られちゃった……。もうすぐ王都でお別れかもしれないのに……。
ユーリは落ち込んでしまい、華やかな王都の街並みを楽しむこともなく、目的地に到着し馬車の扉が開くまで俯いていたのだった。
***
「ユーリ、着いたぞ」
馬車が停まったのは、三角に尖った塔をがいくつも夕空を突くように建つ赤レンガの立派な建物だった。
扉を開け、降車を手伝おうと手を差し伸べたのはアークルフだ。
「はい」
ユーリは気まずく思いながらも、アークルフの手を取り、馬車から降りた。
「ユーリ」
「はい」
「その、すまない。さっきは怒鳴ってしまって」
「いいえ。アーク、悪くないです。僕、危なかったのでしょ?」
「ああ、肝が冷えた。もうしないでくれると助かる」
ユーリがおずおずと顔を上げると、アークルフはぎこちないながらも優しく笑っていた。
ユーリはほっとして、やっと言いたかったことを言えた。
「アーク、ありがとうございました。アークは、僕を、王都へつれてきました。それに、おいしいご飯も、服もくれました。馬車も……。ありがとう」
ユーリがそう言うと、
「ユーリ、そんなことは些細なことだ。俺がやりたくてやったんだから。そうだ、馬車の乗り心地は大丈夫だったか? 移動中不自由は無かったか?」
アークルフは首を振って、心配そうに聞いてきた。
移動中、聞きたくても聞けなかった懸念事項が次から次へと口をつく。
「ア、アーク、もう少しゆっくり話してください。僕、わからない。“ささい”って何ですか?」
「ああ、そうだったな。すまない。……些細というのは……」
「ちょっとちょっとちょっと、ストーップ!」
いつの間にかユーリの手を両手で包み込み、少女の小さな体に覆いかぶさるようにして接近していたアークルフを、クレッドウィンは引き剥がした。
「言葉説明すんのに、そんなに近寄る必要があんのか。落ち着け、ここは王都だぞ」
暗に、誰の目があるかわからないと目配せしたクレッドウィンに、アークルフははっとしてユーリから節度ある距離を取った。
一緒に王都へやって来たクレッドウィンの部下は彼の遠く後方に控えており、馬車を降りたユーリの周りにはアークルフとクレッドウィンしかいない。けれど、ここは既に王都で、しかも魔力のある者達が務める魔法局の門前だ。誰の目と耳がこちらを伺っているかわからない。
「すまない、ユーリ。……その、些細というのは取るに足りないこと、つまり、それほど重要ではない、ということだ。だから、俺が言いたかったのは……気にしないでくれってことだ。俺がやりたくてやったことだから」
アークルフはゆっくり話すことを心がけながらユーリに説明した。
「……はい、アーク。でも、僕、感謝してるので、“ありがとう”言いたいです」
「わかった。どういたしまして、ユーリ」
ユーリは彼女より大分背の高い ― ユーリの背丈はアークルフの肩にやっと届く程度だ ―アークルフを見上げて笑った。
世話になったアークルフに、お礼が言えたことに満足していた。
アークルフも少女を見下ろして小さく笑っている。
二人の間にお互いを思いやる優しい空気が流れた。
が、
「アーク。アークはヘンタイさんです」
「!!」
少女の突然の言葉に、その空気がピシリと固まる。
「僕、アークはヘンタイさんだと思います。ありがとう」
「!?」
にこにこと嬉しげに笑いながら、少女が重ねて礼を言う。
アークルフはうろたえて、少女の意図がわからないまま、笑みを湛える小さな顔を凝視してしまった。心当たりがあるだけに、アークルフの背筋に冷たいものが走る。バレたか?バレてしまったのか、いろんなことが……。
「アーク?」
「い、いや……」
怪訝な顔でこちらを伺うユーリの視線から逃げるように、アークルフが目をそらすと、横で腹を抱えて小刻みに震える悪友の姿が目に飛び込んできた。
「……クレッド、これはどういうことだ?」
「ぶはっ!! ……ちょっと待て、今話しかけんな! マジで、腹イテー……ぶふっ!」
睨みつけるアークルフと笑いを堪えきれないクレッドウィンの様子を見て、ユーリは不思議に思っていた。
―― あれ?使い方合ってるよね?“ヘンタイさん”って“良い人”って意味だ、ってクレッドさんに教えてもらったんだけどな。
そして、“アークルフに言うと喜ばれる”とも聞いていたユーリは、素直に本人の前で口にしてみたのだ。けれどどうやらユーリの意図通りにアークルフに伝わっていないようだった。
「アーク、あの、僕の言葉変でしたか?」
笑い続けるクレッドウィンの胸倉を掴み、その屈強な体を持ち上げんばかりに引き上げるアークルフを見て、ユーリは焦った。
そこへ、
「お前達、これは嫌がらせか? 私の研究室の前でこれ以上煩くするなら、相応の覚悟をするんだな」
低く通る美声が降ってきて、三人の動きを止めた。
年内最後の投稿です。読んでくださりありがとうございます。
お話はまだまだ動き出したばかりで、登場予定のキャラクターの半分も出てきていませんが、遅筆な自分を叱咤しながら頑張りたいと思っております。
それでは皆さん、良いお年を!
来年もどうぞよろしくお願いします。