【05話】 悪友登場
目を覚ましたら、視界に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。
赤いビロードでできている。
ぐるりと周囲を伺うと、ビロードの天井には限りがあり、その長方形のふちの部分には金糸で出来た房がいくつも下りているのが見えた。
これは天蓋というやつだろうか。ユーリは更に広範囲を見回した。どうやら大きなベッドの上に寝ていたことがわかった。今までに見た事も無いような豪華なベットだ。赤いビロードの天蓋付。どこのお城だ、ここは……。怪訝に思いながら体を起こすと、少しふらついた。
体がだるい。一つため息をついて、部屋を見回すとピンクと赤を基調にした、それはそれは可愛らしくも上品な部屋にいることがわかった。家具の類は高級そうな木材で統一されており調度品も美しいものばかりだ。
一体ここはどこなのか。
少し考えて、王都からやって来た騎士と一緒に村を出たのだと思い出した。
―― そうだ、私達襲われて……これを使ったんだった。
左手首に装着した銀色の腕輪。ユーリが初めてこの世界で目覚めたとき手に入れた森の追剥縁の品だ。今やすっかり私物化していて、村の裏山で時折人目を盗んで練習をしたりしたものだった。昨晩は思いがけず大きな力が出たようで、いろいろあって力が抜けた後のことはよく覚えていない。
くるりと辺りを見回したが人の気配は無い。
恐らくここへは同行の騎士が連れてきたのだろう。では、ここは王都だろうか。
ユーリが思いのほか高いベッドから苦心して降りようとしていたときだった。
「ユーリ!」
左奥の扉が開き、件の騎士が顔を出した。
やはり彼がここへ連れてきたのだな。そう思い、ユーリがベッドから降りると、駆け寄ってきた騎士に抱き上げられた。
「駄目じゃないか、まだベッドから出ちゃ!」
騎士は子供を抱えるようにユーリを抱き上げ、ベッドへ戻した。
仕方なくユーリは上かけを腰の位置まで被り、ベッドの上に座った。
「あの……ここはどこですか?きしさんが、僕を、つれてきた?」
「ユーリ、騎士さんなんて止めてくれ。アークルフだ。アークって呼んでくれてたろ?」
懇願されるように自分よりも年長の大きな騎士に見つめられ、ユーリは戸惑った。
何だか真剣にお願いされているみたいだ。名前を呼ぶかどうかというだけの話なのに。
「……アーク」
「ああ」
戸惑いながらもユーリが名前を呼んでみると、騎士、アークルフは、嬉しそうに微笑んだ。
―― 可愛いなこの人。初めて見たときはもっといかつい感じだったんだけどな。
少し気まずくなってユーリが目を泳がせると、額に大きく硬い掌を置かれた。
「もう熱は無いようだな」
「ねつ……?」
「ああ。丸一日熱を出して臥せっていた。ここは王都に近いカイファという宿場町だ。」
「……あの……すみません」
「なぜ謝るんだ?」
「えと……」
なんだか迷惑をかけたみたいだから……そう言おうと、ユーリが足りない語彙を探しているうちに間があいてしまった。
するとアークルフがユーリの顎をすくい上げ、上向きにさせた。
「?」
ユーリが不思議に思っていると、アークルフの顔が近づいてくる。
「アーク?」
両手で頬を包まれ、間近で正面からアークルフを見つめる形になり、ユーリはうろたえた。
近くで見るアークルフの顔は、大きな体に反して繊細で美しいともいえる代物だった。長い睫と深い青色の瞳。少し上がり目で冷たそうに見えるが、笑うとくしゃくしゃになって可愛いらしい。通った高い鼻筋は男性らしくしっかりしている。少し下唇は厚め。でも全体のバランスが良い。顎は男性にしてはやや細めで整っている。決して女性っぽくはないのに細部が美しく調和がとれている。
―― こんなに格好よかったんだ、この人。大きくて筋肉がすごそうな人っていうイメージだけだったのに……。
自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
“離してください”
ユーリがそう言おうとするのと、アークルフの唇が近づいてくるのは同時だった。
その時。
「よぉ、アークルフ。病み上がりの女性をまたベッドに戻す気か?」
からかうような楽しげな声に、ユーリもアークルフも動きを止めた。
アークルフは少女から手を離すと、腹立たしげに ― 少し恥ずかしそうに ― 開けっ放しにしていた扉の向こうを睨んだ。
「クレッド!勝手に入ってくるな!」
「そうは言っても、医師さんに“娘さんが起きたらすぐに診察します”って言われてるんだから仕方がねーだろ」
くだけた調子で言いながら、クレッドと呼ばれた男は部屋に入ってきた。
アークルフよりもやや背の高い ― とは言ってもアークも充分背が高いけど ― 筋肉隆々とした青年は見るからに「戦士」という感じで、アークルフが厳しい中にも優美さを持つ騎士だとしたら彼は気さくで粗野な傭兵か、というくらいタイプの違う男だった。アークルフと同じ白銀の甲冑を身に着けているところを見ると、彼もまた騎士なのだろう。髪も瞳も濃い茶色で目鼻立ちにアークルフのような美しさは無いが、男らしく整っていてる。いや、良く見ると鼻が少し歪んでいる。けれど決して不恰好ではなくそれもまた彼の魅力の一つのように見えた。口は大きめで、笑うと更に大きくなる。眉もアークルフより太い。豪快そうな人だ、とユーリは思った。
ユーリがあっけに取られていると、男は二人に近寄り、少女の目の前で腰を折って挨拶をした。
「こんにちは、お嬢ちゃん(シルフィ)。俺はクレッド。クレッドウィン・アーウィル・システィクレイド。クレッドって呼んでください、レディ?」
目の前で優雅にお辞儀をされ、ユーリは更にあっけに取られた。
急に目の前の男が洗練された貴人のように見えた。粗野な傭兵なんて思って申し訳ない。
ユーリは慌ててベッドから降りた。
マーナから習ったお辞儀の仕方しか知らないし、この返しであっているのかわからないけれど、一応きちんと礼を返す。
「あ……はい。えっと……僕は、ユーリです」
「僕?……あれ、女の子だよな?……アークルフ、お前にお稚児趣味は無かったよな?」
クレッドウィンは一瞬きょとんとすると、アークルフに視線を移し楽しそうにからかった。
クレッドウィンとユーリの自己紹介の様子をむっとした顔で見ていたアークルフは、クレッドウィンの言葉に更に青筋を立てた。
「俺にそんな趣味は無い!」
「だよなぁ。じゃあ、お嬢ちゃんは“僕っ子”てやつか。アークルフめ、乙な趣味だな」
クレッドウィンは更に楽しそうに笑い、アークルフは我慢するのを止めたのか、それとも元々する気も無かったのか、クレッドウィンの肩に拳を一発入れた。ユーリは驚いて目を見開いた。痛そうだ。けれど、クレッドウィンはそれをものともせずお腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
「あ・・あの。……“僕(カイ)”はおかしいですか?“ぁぁたし(ゥヴリュシャイ)”は、言いにくいのです」
ユーリが、自分が使っている一人称がおかしいせいでアークルフが笑われているのだろうか、と少し不安になってクレッドウィンに言い訳すると、
「いやいや、“僕(カイ)”で良いと思うよ。可愛いし、君に合ってる。そうか、言語習得中だって話だったな。悪ィ!」
笑いすぎて目に滲んだ涙を拭いながら、クレッドウィンは少女を見て優しく笑った。
「今のはお嬢ちゃんを笑ったんじゃなくて、アークルフをからかって遊んでいただけだ。すまねぇな」
クレッドウィンとアークルフは気のおけない仲のように見えた。あまり気にすることもないのかもしれない。
アークルフは未だクレッドウィンを睨みつけていたが、ユーリは二人を友人だと判断し、気にしないことにした。
笑うと若くなると思っていたアークルフだったが、クレッドウィンと話している様子を見ると更に若くなって最初の印象が薄れる。
―― 悪いけどもうちょっとおじさんだと思ってたんだよね、アークのこと。
それにしても……シルフィっとはどういう意味だろう。ユーリは初めて聞く単語に疑問を覚えた。
―― たぶん、私のことをそう呼んでいるんだよね。
「アーク」
アークルフの服の裾を引き呼びかけると、
「ん?なんだ、ユーリ」
さっきまでの怒った顔から一変し、アークルフは優しい顔でユーリを見た。
「あの……“シルフィ”とは、どういう意味ですか?」
「ああ。シルフィとは“ミ・シルフール(お嬢さん)”を崩した言葉でもっとくだけた表現だ。“ミ・シルフール”は知ってるか?」
「ん、わかります。シルフィ、意味わかりました。ありがとう、アーク」
少女の頭を撫でるアークルフと納得して頷いたユーリの様子を見て、クレッドウィンは驚いて言った。
「なんだ、“アーク”って。お前の新しい愛称か?」
「アークルフは言いづらい。短縮した名を覚えてもらった」
「へぇ~」
「何だ」
今度はニヤニヤと笑出だしたクレッドウィンにアークルフは思い切り嫌そうな顔をした。
「随分と気に入っているみたいじゃねぇか。昨日一昨日会ったばかりのお嬢ちゃんなんだろ?何があったんだか」
「黙れ。さっさと医師を連れてこい!」
アークルフが怒鳴るとクレッドウィンはもう一度ニヤリと笑い、観念したように大げさに両手を広げた降参のポーズを取てみせた。
「はいはい。了解しました、殿下(ディ・マークド)」
クレッドウィンは優雅なお辞儀を今度はアークルフの前ですると、出てきた時と同じ扉から出て行った。
―― “ディ・マークド”ってなんだろう
ユーリの知的好奇心がまたくすぐられる。
村を出て何日も経っていないのに、村では聞いた事が無いような単語がいくつも出てくる。 早く言葉を覚えたい一心でユーリはアークルフの裾をもう一度引いた。
「アーク、“ディ・マークド”とは、どういう意味ですか?」
「……ユーリ、それは……」
アークルフが何か答えようとしたその時、クレッドウィンがまた顔を出した。
「医師さんがお見えだ。お嬢ちゃんは診察してもらいな」
クレッドウィンの後ろから医師が続いて入室し、ユーリの質問はうやむやのまま流されてしまったのだった。
ユーリは本来の“僕っ子”とはちょっと違いますが、木下が好みに走ってこういう形になりました。
クレッドウィン登場です。彼のことはこの先ふくらましていきたいと思っています。
昨日は思いがけずたくさんの方に読んで頂いたようで、感激しています。ありがとうございます。
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