【03話】 謎の刺客
変わった娘だ。アークルフはそう思った。
記憶を無くしていることも言葉が話せないということも現地に行ってから知りえた情報だった。だがそれを踏まえてもこの娘は少し変わっている。
あどけなさの残る無垢な表情を見せたかと思うと、油断ならない目つきで周囲を伺っていることもある。王都へ連れて行くと告げた時も、不安げに村長夫婦に泣きつくかと思いきや、瞬時に思考を切り替え「是」と応えた。かと思うと、馬に触れるのが初めての幼児のように、馬のいななきを怖がり、馬の背の高さに怯える様を見せた。必死になってこちらにしがみついてくる様子は可愛らしく、抱きながら宥めるのは楽しいものだった。
王都を出る前に「娘」と言われていなければ、初対面で少年だと勘違いしたかもしれないユーリの肢体は存外やわらかく、抱きしめた体は成長期の娘のものだった。村長は十三歳前後だろうと言っていたが、……十五歳にはなっているだろうと思う。
焚き火に照らされた寝顔は無垢な少女そのものだ。
髪の長さは確かに短いが、王都の魔法局や魔法学院へ行けば髪の短い女もいる。
女性騎士でさえ長い髪を邪魔にならないよう結い上げているというのに、魔法士や魔法剣士の女性達は先進的なものの考え方をしているらしい。曰く「実験に邪魔だし」、「なぜ女は髪を長くしてないといけないの? 文句があるなら論文にまとめて」、「じゃあ男も全員髪を長く伸ばしたら? そしたら考えてもいい」などなどだ。
―― 俺は似合っているなら何でもいいと思うが……女はいろいろと面倒くさいものだな。
王都へはあと二日もあれば到着できるだろう。娘が馬に乗りなれていないため、ゆっくり走らせてはいるがさほどの距離ではない。
まずは魔法局へ行かねばならない。アークルフは、彼を使い走りにした幼馴染の顔を思い出し顔をしかめた。
眠っている娘は無垢そのもので、起きているときよりも更に子供に見える。
―― この娘が魔力のひずみの原因かもしれない……か。ありえない話だな。
ただの無力な少女にしか見えない。記憶も言葉も無くした哀れな少女だ。
―― 一旦魔法局で申請さえ済んでしまえば、また村へ送り届けてやろう。村長夫婦も娘もそれを望んでいるだろう。
アークルフが考えをまとめ、自らも休息を取ろうと身を横にしたその時だった。
矢が風を切り、アークルフの頭上と焚き火を越えて、対面にそびえる木に深々と突きささった。
「!!」
アークルフはすぐに身を伏せた。剣を取り、辺りを伺いながら、寝ている少女のもとへ近寄る。刺客だ。こんな時に! とにかく娘を守らなければ。
「おい」
“起きろ”と呼びかけようとして、驚いた。
「だれ?」
娘の目は開いていた。
辺りを伺うように目だけがきょろきょろと動いている。
「俺だ、アークだ。俺達は狙われている。この場から離れるぞ、ユーリ」
「黒い人間。……五,六人いる」
夜目には慣れているはずのアークルフでさえ、強い焚き火の明るさに邪魔されて相手を伺い知ることができずにいるのに、娘、ユーリは暗闇に六人の刺客がいるという。
「行くぞ!」
起き抜けで混乱しているのだろう、そう考え、アークルフはユーリをかかえて暗い森の中へ走った。
明るいところにいつまでも留まっていると危険だ。狙い撃ちにされる。
娘を抱え光の届かない暗い方へ暗い方へ走る。この辺りは王都直轄地で、子供の頃によく遊んだ森だ。
一体誰からの刺客かわらかないが、地の利はアークルフにあるように思えた。
だが、大分離れながらも相手もしっかりとついてきているようだ。
一つ舌打ちすると、アークルフは大木の根元の空洞に娘を隠した。ここならば娘の姿がすっぽりと隠れる。容易には見つからないだろう。
「ここから動くな。かがんで小さくなっているんだ、いいな?」
言い残すと、アークルフは元来た道をかけ戻った。
今度は誰からの刺客なのか。アークルフは証拠を探るために一人を残し、後は一掃するつもりでいた。脳裏に浮かぶ王宮の狐と狸の顔。あいつらのどちらか、もしくはそれに連なる誰かの仕業か……。
闇に目を慣らしながら、しばらく走ると、殺気が全身に降ってきた。
剣を抜き、飛び掛ってきた影に切りつける。手ごたえは感じたが致命傷ではない。矢が頬を掠めたので、次に飛び掛ってきた影の胸倉を掴み、盾にする。次なる矢が数本影の背中を射た。次の瞬間、屈んで、落ちた敵方の剣を拾い、矢が飛んできた方向へ投げつけた。くぐもった声と共に弓を射た者が倒れる音がした。間髪いれずに影が次々と襲い掛かってくる。アークルフは冷静に攻撃をかわし、一人ずつ順々に止めをさした。
地面に叩きつけられるように最後の影が崩れ落ちると、空気を冷えさせた殺気は消え、辺りにはアークルフの呼吸と血の匂いだけが残った。
―― これで終わりか……?
辺りを見回しても人の気配は無い。足元に転がっている死体は四体。少し離れたところに矢を放った者の死体が一体。
しばらくそのままで周囲を見回したが、木々のざわめきしか聞こえてこなかった。そうしている間にもアークルフが切り捨てた人間の体液の匂いが生臭く立ち上ってくる。
「……」
アークルフは踵を返し、ユーリのもとへ戻ろうと歩き出した。
その時。
真っ赤な炎がアークルフの背中を襲った。
「ぐあっ!」
咄嗟に身をよじったものの、左肩を焼かれ、アークルフはうずくまった。
振り返ると、人の頭ほどの大きさの火の玉を左右二つの手に浮かべた魔法士が木の陰から姿を現し、こちらを見て笑っている。
―― 魔力で気配を隠していたか……。
アークルフは焼かれた左肩をかばいながら、木の陰へ逃げた。
しかし、魔法士は標的を狙いやすい位置に体を転移させ、再度火の玉を投げつけてきた。
一つ目はかわしたが、二つ目の火の塊は避けようが無く、アークルフを焼き尽くさんと目の前へ迫ってくる。
アークルフは今度こそ全身を焼かれることを覚悟した。
「だめー!!!」
甲高い悲鳴と共に雷が魔法士とアークルフの間に落ちる。
アークルフを襲った火の玉は彼の目の前で霧散した。
魔法士は飛びのき、落ちた雷から逃げるように距離をとった。
ぽつり、雫が頬を濡らしたと思うと、唐突に豪雨へと変わった。
警戒する魔法士とアークルフの前に暗闇から姿を現したのは、雨に打たれた少女だった。
少女は俯き、彼女の表情は見えない。雨に全身を濡らした姿は静である故にいっそ不気味でもあった。
―― ユーリ!
「お前が……。炎よ!!」
瞬時の差で魔法士の方が速く動いた。
魔法士の繰り出す炎がユーリを襲う。
「やめろー!!」
アークルフは叫び、娘をかばおうと走り出したが、間に合わない。
ユーリは左手首を押さえ俯きながらぶつぶつと何かを呟いており、逃げる気配を見せない。
「ユーリ!!」
アークルフは叫んだ。
魔法士の手から離れた炎は娘に近づくにつれ巨大になり、その体を飲み込むかに思えた。
しかし、巨大な火の塊は娘に届く直前に霧散した。
「……」
魔法士は呆然としている。彼の目の前で、自身が作り出した炎が消えうせてしまったのだ。
一体何が起きたのか把握できていないのだろう。それはアークルフも同じこと。
「えい!」
唐突に、ユーリが叫んだ。この場にそぐわない可愛らしい掛け声だ。
すると、滝のように降り注いでいた雨が、意思を持ったように一塊になり、ついには水の集合体となった。大きな水の塊はユーリの頭上で轟音と共に膨れ上がり、ついには竜の形へと変化した。周囲の木々より高く聳える巨大な水竜が、地鳴りを響かせ、ユーリの背後にそびえ立つ。威嚇するような竜の嘶きは、その場の空気を切り裂き、ビリリと鼓膜を振動させた。
―― これは何だ……!?
アークルフも魔法士も呆気に取られて、雨水で作られた巨大な竜を見上げた。
すると、一瞬の後に、竜はすさまじい速さで魔法士の鳩尾に頭から突っ込んだ。
「ぐあっ!」
驚愕に目を見開いた魔法士が弾き飛ばされる。
「えい!」
再びユーリが叫ぶ。右手を伸ばし、攻撃対象を特定するように魔法士を指差している。
竜はユーリの掛け声を合図に、猛々しいその尾で魔法士を弾き飛ばした。
最初の一撃で魔法士は気を失っていたようだった。その体は呆気なく跳ね上がる。
「えい!!」
止めとばかりにユーリが叫ぶ。
竜の尾が魔法士めがけて振り落とされ、魔法士は尾と地面との間に押さえつけられた。
爆音と共に地面を削るその様子は、尾の力の凄まじさを物語っている。
グアアアアアアアア!!
獲物を捕獲したことを宣言するように、水竜はうなり声をあげ、再び空気を震えさせた。
「……」
アークルフはその様子を言葉も無く見守っていたが、はっと気づいてユーリのもとへ駆け寄った。
少女は水竜に怯えることもなく、冷静に立っていた。降り続く雨に全身びしょ濡れだ。
「ユーリ、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「怪我はないか?」
「僕は、けがありません。……アーク、怪我あります」
そう言うと、ユーリはアークルフの左肩を見て顔をしかめた。
「痛い?」
「ああ、大丈夫だ。それよりも……」
一体あれは何だったのだ。いや、何なのだ。雨で作られた水竜は未だ二人の目の前で魔法士を尾で押さえつけている。透明で色の無いその竜は、その巨体の向こう側をゆらゆらと透けさせながら、悠然とそこに存在していた。その瞳はこちらを見据え、主であるユーリの次の指示を待っている。
「ユーリ、あいつは何だ?お前が出したのか?」
竜の視線を感じながら、アークルフは少女に尋ねた。
「……そうです」
ユーリは少し気まずそうな顔をした。
もしかしたら自身の強大な魔力の存在を秘するつもりだったのだろうか。
アークルフは少女の塗れた頬に触れた。
これだけのことをしておきながら、少女の顔に怯えの色は一切見えない。
「ユーリ、……あいつは死んだのか?」
アークルフが尾に押さえつけられている魔法士を顎で示すと、ユーリは首を振った。
「いいえ、死んではいません。でも、たくさん、水を飲みました。このままだと、えーと……死ぬかも?」
文法の正否を問うように首をかしげながらこちらを伺ってくる少女に、アークルフは苦笑を返した。この娘は存外強い肝を持っているらしい。
「では、あの魔法士を一旦解放してくれ。誰の企てか吐かせるためにもあいつは王都へ連れて行く」
「わかりました。……えい!」
ユーリの掛け声と共に一瞬で水竜は形を失い、竜を形作っていた大量の雨水が勢い良く魔法士と地面を叩いた。竜が発していた威圧が消えうせると、えぐれた地面と仰向けに倒れた魔法士だけが残った。
「……まずは水を吐かせるか」
アークルフは頭を振って気持ちを切り替えた。水しぶきが顔にかかる。
とてつもない魔力の追求は王都に着いてからでもいい。どうやらユーリは普通の娘ではないようだ。
じゃかじゃかとぬかるんだ土の上を大股で歩いて、アークルフは魔法士の胸倉をつかんだ。ぐったりとしている。水竜にいたぶられ、大分水を飲んだらしい。魔法士の胸を何度か押すと彼は水を吐き出し、身じろぎしながら目を開けた。
「お前を拘束させてもらう。一緒に王都リグゼンドラへ行ってもらうぞ」
アークルフが男の拘束して言うと、魔法士はニヤリと笑った直後に苦しみだした。
「おい!」
「ぐあーっ!!」
叫びと引きつるような呼吸。
押さえつけたアークルフの体から逃れるように痙攣が始まり、男の顔色はみるみる紫色へ変わった。
「くそっ、自害用の毒か!!」
アークルフは男の体を引き起こし、吐き出させようと鳩尾を突いた。
が、その甲斐もなく、
「かはっ!」
最後の一息を吐き出すと、男は白目をむき、やがて動きを止めた。
「くそっ!」
アークルフは男の体を地面に叩き付けた。
その様子をユーリは顔面蒼白になりながら見守っている。
「大丈夫か?」
アークルフがユーリを支えるように肩に手を回した途端、
「!」
ユーリは気を失い、アークルフは慌てて崩れ落ちる少女の体を支えた。
動きのあるシーンは表現が難しいですね……伝わることを願ってます。