【02話】 ユーリという少女
居心地の良い村だった。
ロッコは言葉数は少ないが親切で、マーナはまるで母親のように甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
こちらの言葉を教える時は鬼教師にもなったが、マーナはとても優しく、ユーリにとって離れがたい存在になっていた。
あの日。
村にたどり着き、名前を聞かれた時、急に単語がひらめいた。
村上祐里子(むらかみ ゆりこ)
それが自分の名前だった。
どうやらここの言葉では発音しにくい名前のようだったので、呼びやすいように呼んでもらうことにした。その結果、祐里子はユーリと呼ばれるようになった。
ユーリが村での生活に慣れ、マーナ曰く“脅威の速さ”で言葉を覚えていた頃、王都から騎士がやって来た。
王都で「魔力を使える」ことを申請しなければならないと聞かされ、ユーリは納得した。
だが、ロッコの様子を見ているとあまり楽しいことではなさそうだったので、警戒しつつ慎重に行動しようと思った。
そして、今に至る。
***
ぱちぱちと音をたてて焚き火の火が跳ねる。
夜も更けた静かな森の中、ユーリは王都の騎士と火を囲んでスープを飲んでいた。
初めてこの森を歩いた時の絶望に比べれば、暖かさも居心地のよさも格段に違う。
何より一人では無いことが少女を安心させていた。
「ユーリ、寒くはないか?」
騎士が心配そうに聞いてきたので、ユーリは営業スマイルで応えた。
「大丈夫。僕は、寒くありません」
「……ユーリ、少し前から気になっていたのだが、君は自分のことを“僕”というな。なぜだ?」
「変ですか?」
「いや。……驚きはしたが」
「“ぁぁたし”は発音、難しいです。“僕”は発音、しやすいです。ダメですか?」
「いや、ダメということはない」
騎士は少し慌てたように言って、微かに笑った。
「むしろ君のような華奢な娘が“僕”と言うと、少女なのか少年なのかわからない中性的な良さがあると思う」
騎士の言っていることの半分がわからなかったので、ユーリが首をかしげると
「君に合っている。良いと思う」
少し簡単な言葉に代えてくれたので、ニッコリ笑っておいた。
「ありがとうございます。きし様」
「アークルフでいい」
「あーくらふ」
「アークルフだ」
「あーくりゅふ」
「アークならば言えるか? 私の名前の短縮語だ。アーク。言ってみろ」
「あーく。……アーク?」
「そうだ。上手いぞ!」
嬉しそうに笑った騎士、アークルフは何だか可愛かった。笑うと思ったよりも若い。何歳くらいなんだろう、三十代くらいかなと思っていたけど違うのかもしれない。ユーリにしてみれば三十代はおじさんで、アークルフも立派にその対象だった。何しろ、アークルフの初めの印象は厳つくてごつい戦士で、威圧感も威厳も村の人とは大分違っていた。けれど、今日一日を一緒に過ごしてみて、悪い人では無さそうだし、もう少し若いのかもしれないと感じていた。
濃い茶色の髪に印象的な鮮やかな青の瞳。白銀の甲冑の左胸の処には吼える動物の横顔と花の模様が描かれ、格好が良い。アークルフ本人も、結構良い男だ。
騎士が喜ぶので、ユーリはもう一度「アーク」と言ってにっこり笑った。
少女の無害に見える笑みに微笑み返すと、アークルフはユーリの頭を撫でた。ちょっと強めに撫でられたので、ユーリは乱れた髪を手櫛で直した。ユーリの髪は直毛なので乱れるとぐしゃぐしゃになる。目の前の騎士や村の人々は多かれ少なかれ髪に巻きクセがついていて、整えやすそうに見え、ユーリは羨ましく思った。
村で出会った人々もアークルフも基本的に茶系の髪色で、ユーリと同じような黒髪は見たことがなかった。
茶色にもいろいろあって、アークルフやロッコのように濃い色の茶髪もいれば、マーナや村の女性達のように金髪に近い茶髪もいる。
目の色は様々で、アークルフの青やロッコの緑、マーナの琥珀や村人の茶色など種類は豊富だったが、黒はいなかった。
珍しい髪と目の色だね、とは言われたが特に忌避されることも称賛されることもなく普通に暮らせたので、たくさん人が行き交う場所へいけばそんなに珍しいものではないのかもしれない。むしろ珍しがられたのは髪の色ではなく長さだった。ユーリの髪は彼女が気づいた時から短かかったが、マーナはすっかり追剥に襲われた時に髪を切られたと思い込んでいて、嘆いていたものだった。
どうやら女性は髪を長く伸ばすものらしい。未婚の女性は髪の上半分を結い上げ下半分は腰まで垂らすし、既婚の女性は髪を全て結い上げる。そういう決まりだ。この三ヶ月で伸びたとはいえ、ユーリの髪はまだ肩につくかつかないかという長さで、どちらかというと少年の髪型らしい。ユーリは短い方が楽だったので特に気にしていなかったが、マーナに伸ばせといわれているので、このまま伸ばしてもいいかなと思っていた。
ユーリが一つあくびをすると、アークルフが
「もう寝ろ。明日も早い」
と寝床を整えてくれた。ありがたい。
今日は本当に疲れる一日だった。村では机にかじりついて言葉の勉強をする他は屋内の手伝いばかりだったのに、今日は一日馬で移動などという急激な運動をしたので体が悲鳴をあげている。何よりお尻が痛い。
どうやら馬に乗るのは初めてだったユーリは、乗り方もわからなくて、アークルフを少してこずらせた。けれど、アークルフは存外丁寧に彼の前に乗せてくれたし、休憩も多くはさんでくれた。言葉数は少なかったがそれはロッコで慣れていたし、ユーリが話しかけたら易しい言葉で丁寧に応えてくれた。時折こちらを気づかっている気配も感じていた。こうして日も暮れて焚き火を囲む頃には、二人の間に少し打ち解けた空気が流れている。ユーリは自分の中の「良い人リスト」の中にアークルフを加えても良いかな、と考えていた。
―― 王都で何かあったらアークをすぐに頼れるように交渉してみよう。
アークルフが王都でどれくらいの地位にいるのかもわからないし、魔法局というところがどんなところかもわからないので無駄骨かもしれない。けれど、ユーリはこっそりそう思った。まずは「言語習得中の記憶をなくした可哀想な少女」という路線でいこう。同情をひいて動きやすくなるかもしれない。それに、無くした記憶の断片を拾い集めるのは村よりも王都のほうが適しているだろう。情報が多いだろうという点で。
―― 身の危険を感じたら腕輪に変形させたこの魔法具を使って逃げ出そう。
物騒なことを考えつつ少女は左手首にはめた腕輪をさすり、眠りについた。
無邪気(に見える)寝顔にアークが苦笑したのも知らずに……。
静かに夜は更けていく。
ユーリとアークが少し打ち解けたところで、次回に続きます。
誤字脱字などございましたら教えて頂けると有難いです。