【11話】 告 白
生成り色の紙面を広げて、ユーリは書き取りをしていた。
コウィスタ村のロッコやマーナに手紙を書きたかったユーリは、アークルフに「こういうことを手紙に書きたい」と口頭で伝えて、手本を書いてもらったのだ。今、ユーリはその手本をせっせと書き写している。ややミミズが這ったような文字になっているのはご愛嬌だ。
魔法局に来てからというもの、ユーリはこの客室で午前中を過ごすことが多かった。
イーガンの研究室から近いこの部屋は、奥まった位置にあるせいか、住民課付近のにぎやかな気配も失せ、静かで日当たりの良い場所だった。
ユーリはここでアークルフからは読み書きを、イーガンからは魔法の基礎を習っていた。
基本的にはアークルフから読み書きを習っている時間が多いのだが、時折仕事の合間をみてイーガンがふらりと現れる。その場合は魔法学習の時間に変わる。急に横入りしてきたイーガンに不満も言わず、アークルフは同じ部屋でユーリが魔法を学ぶ様子を見守ることが常だった。
どうやら今日はイーガンが訪れる気配は無い。
先ほどアークルフが「王宮に呼ばれたようだ」と言っていたので、もしかしたら一日不在かもしれない。
書き取りが一段落すると、ユーリは窓の外を眺めていたアークルフに目をとめた。
「どうした、ユーリ? 終わったのか?」
視線を感じたアークルフがユーリに振り返り、にこりと笑った。
「あ、はい。終わりました……。ちょっと汚い字になったけど……マーナは僕の字、読めるから、大丈夫」
「どれ、見せてごらん」
手を差し出したアークルフから逃げるように、ユーリは書き上げた手紙を背に隠した。
「だ、だめ!」
「どうした、ユーリ。恥ずかしがる必要は無いだろう、俺は内容も知ってるんだし」
ユーリが口頭で内容を伝え、アークルフがそれを文字におこして手本を作ったのだ。彼は手紙の内容を知っている。けれど、ユーリとしては自分の下手な書き文字をアークルフに見られるのは嫌だった。
「でも、でも……僕の字、汚いです。……だから、アーク、読めないと思う」
「ユーリ、誰だって習い始めは上手くないさ。それに、君に読み書きを教えている立場としては、きちんと書き写せたか確認したいな。間違えて覚えている字があったらまずいだろう?」
そう言われて、ユーリはしぶしぶと手紙をアークルフに手渡した。
「ありがとう、ユーリ」
手紙を受け取ると、アークルフは文面に目を通していく。ユーリは恥ずかしくて自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
「よく書けているよ、ユーリ。ここの文字だけ少しわかりにくいかな。少し練習してごらん?」
アークルフがユーリの背後に回りこみ、手紙を広げて一つの文字を指差した。
「は、はい……」
背後に男の体温を感じて、思わずユーリは体をこわばらせた。
―― ライラがあんなこと言うから、変に意識しちゃうよ……。
毎夜ユーリの元を訪れる長毛種の猫は、昨晩ユーリの枕元で、いかに男が危険な存在かということを滔々と述べ続けた。おかげでユーリは少し寝不足なのだ。
指摘された文字を別の用紙に書き写しすと、
「ああ、そうか。書き順を間違えて覚えてしまったんだな。この文字はこう書くんだ」
ぎこちなく体を固めるユーリの小さな右手を取り、アークルフは正しい書き順で書いてみせた。
「はい」
今、ユーリはアークルフの体に背中からすっぽりと覆われるような形で文字を習っている。
初めて会った時のアークルフは見事な白銀の甲冑を身にまとっていたが、魔法局に通うようになってからは平服を着るようになっていた。背もたれの無い椅子に腰掛けたユーリは、男のがっしりとした胸板を背中に感じて、恥じらい、居心地の悪い思いをした。
緊張しているユーリを知ってか知らずか、覚えなおした書き順通りに書いたユーリを褒めるように、アークルフは少女の頭の天辺にキスをした。
「あってるよ、ユーリ。これで少しは書きやすくなっただろう?」
「は、はい……」
―― は、恥ずかしいよぅ……。
ぎゅっと目をつぶって何度も頷くユーリの頭を撫でると、アークルフはユーリから離れた。ユーリは少しほっとして肩の力を抜いた。
しかし、しばらくアークルフが無言でいたので、ユーリは少し怪訝に思って振り返った。
すると、
「ユーリ……」
「はい?」
いつになく真剣なまなざしのアークルフがいた。
不思議に思ってユーリは小首をかしげる。一体どうしたというのだろう。
アークルフの青い瞳の奥に自分が写っているのが見えた。長いこと見つめられて、ユーリはまた少し照れくさくなる。
「ユーリ、俺は……」
大きな手の平に左頬を包まれた。
ユーリは一瞬目をつぶり、すぐに開いた。
視界に、思いつめたような表情のアークルフが飛び込んでくる。
時間が止まったかと錯覚するほど、
「ユーリ……」
長いこと見つめられて、無意識にユーリは体の力を抜いた。
少し潤んだ美しい青の瞳に魅せられる。
頬に感じる熱が心地よい。
―― この手は怖くない。
目を閉じて、自分の左頬を包む男の手に小さな手を重ねると、今度は男のほうがギクリと体をこわばらせたようだった。
「ユーリ、俺は君が大切だ……自分でも驚くほど……。その……」
最後の方の言葉を、唇の上で吐息と共に感じ、ユーリはゆっくりと瞳を開いた。
不思議なことに、あれほど感じていた羞恥心が麻痺していく。
「ユーリ、その……キスしても?」
今さらのように尋ねてきた男に、ユーリの方がじれったくなって、請求するように目を閉じた。
すると、唇に熱く湿った息がかかり、ためらうように一瞬離れたかと思うと、次の瞬間熱く柔らかな感触になってユーリの上に重なった。
一度ためらいをみせたことが嘘のように、大きな手がユーリの後頭部を支え、きつく抱きしめてきた。熱い唇は何度も角度を変えて、ユーリのそれと重ねられていく。
熱い。
熱に浮かされて、すがるように男の胸に手をすがらせていたユーリは、ふと一瞬だけ正気に戻った。
―― あ! ライラにお守りもらったけど、大丈夫かな?
先日猫のライラに男よけ(?) のお守りをもらったユーリは、少しだけ心配になった。
しかし今さら止めてもらおうにも、アークルフの方はすっかり盛り上がっていて、放してくれそうに無い。
―― それに、私も嫌じゃない……。
抱き寄せられて唇を重ねる心地よさに、ユーリはライラのことをしばし忘れた。
結局のところ、年頃の少女らしく、ユーリも女友達の忠告よりも目先の幸せを優先したのだ。
猫が渡したお守りは、感極まったアークルフの抱擁に最後まで発動することは無かった。
***
何度も重ね合わせられた唇を離し、熱を冷ましあうように今度は額を重ね合わせた二人は、至近距離で視線を合わせて、はにかみ笑った。
ユーリは照れくさかったが、それよりもアークルフに子ども扱いされずに求められたことが嬉しかった。
後にアークルフに「二人でいて平常心でいられることの方が少なかった」と言われて、少々誇らしくなった程だ。
「アークは……僕のこと、好き?」
この時ばかりは視線を外してユーリが尋ねると、
「ああ。ものすごく。自分でも驚くぐらいに」
アークルフが断言したので、ユーリははにかんで、今度はアークルフの肩にこてんと額を乗せた。すると、やんわりと抱きしめられたので、また少し微笑む。
好かれるのは嬉しい。安心する。そこに自分の居場所を感じる。
ロッコやマーナとは違う親しみをアークルフに感じ、あれだけどぎまぎとしていたのに、今は落ち着きさえ感じていた。羞恥心よりも、誰かに受け入れられたという安心感の方が強いのかもしれなかった。
アークルフがユーリを想うのと同じように、想い返せているのかはわからない。同じような情熱が自分にあるのかも知らない。けれど、求められて感じる嬉しさは確実にユーリに自信を与えてくれた。
記憶を無くし、行く宛ても無かったユーリにとって頼りになる者は少なく、いつだって不安だった。地に足をつけてしっかりと立っている感覚が希薄だったといってもいい。
けれど今、ユーリは記憶を無くしてから今まで感じることのなかった充足感を得ていた。
「僕も……アークが……好き」
言葉に出して言ってみると、ストンと自身の胸の内に「好き」という感情が落ちてきた。
―― そうだ、私はアークが好き。
照れながらもアークルフを見上げると、嬉しそうに微笑んでいた。ユーリも照れ笑いを返す。
アークルフの目が伏せられ、また唇が近づいてきたので、ユーリもまた目を閉じた。
そこへ、
コンコン
ノックがして、
「おーす! 勉強頑張ってるか、ユーリちゃん?」
陽気なクレッドウィンが現れて、固まる二人に得意げなウインクをして見せた。
ちょっと性急だったかな……(;^_^)。でも、早いうちに両思いになるのは決めていたことでした。
アークルフはヘタレでユーリはちょっと早熟さん、かな……。
クレッドウィンがいいタイミングで押しかけてくるのは、この小説のお決まりのパターンです(笑)。