【10話】 王位継承権
リグゼンディスタ第七代国王、クラウディス・コーネリアウス・リグゼンディスタ。
弱冠十八歳で即位した彼の治世は、三十四歳になる今、十五年にわたるものとなった。
死後はおそらく「商業王」と呼ばれると推測されるかの国王は、周辺の国々に比べて新興国であるリグゼンディスタの王都リグゼンドラを一躍商業都市へ発展させた。
大陸の西の端に位置するリグゼンディスタは気候も穏やかな平地に在り、西側に大海を抱き、王都付近にラウト、ミティス、イーニスの三つの河川を有する。そのため船での物品輸送に適しており、また場所柄南方と北方を繋ぐ中継地点として優れていた。
しかし、建国当初は領土拡大のための侵攻を繰り返していたこともあり、クラウディスの祖父の代までは情勢も不安定であった。
中央集権が確立されて久しいクラウディスの治世になり、初めてその有利性を活かし交易都市として発展することができたのだ。つまり、南方の国際商業地帯と北方商業地帯の中継地として年に六回の交易市を開催し、商人の保護、国内の経済活性を行なうことで、リグゼンディスタはかつてない富の時代を迎えていた。
そのリグゼンディスタ国王には弟が一人いる。
アークルフ・ルーグラスティス・リグゼンディスタ。国王と七歳年の離れた王弟は、王が王妃との間に儲けた王子を差し置いて第一位王位継承権を持っている。
もちろん王子が生まれる前までは、当然のように継承権の最高順位はアークルフにあった。クラウディスの男の兄弟はアークルフしかいなかったからだ。しかし、十年前に国王に嫡男が生まれ、アークルフの順位も二位に繰り下げになると思われたそのとき、
「継承権第一位はアークルフ・ルーグラスティス・リグゼンディスタに据置くものとする」
他でもないクラウディス国王が並居る臣下の前で告げたのだ。
もちろん国は揺れた。
嫡男に継承権の最高順位を与えない理由は「病弱であるから」とされたが、王妃と王妃の周辺貴族はそれで納得するはずがない。
しかし、王は考えを変えることは無かった。
病弱とされた王子が十歳になるまで成長した現在も、王弟の王位継承順位は一位のままである。
***
「イーガン、お前も来ていたのか……」
「ああ。陛下にはお会いしていないが、宰相殿に呼ばれてな」
「ひずみの件か……。被害に遭った者は多くは無いが、その被害が重大だからな……」
「財務大臣の孫も被害に遭ったらしい。魔法学院では優秀な生徒だったそうだ」
「魔力の回復の見込みは無いのか?」
「無い。この三ヶ月回復する様子は見られない。元々優秀な魔力持ちだったようだから、気落ちも人一倍だろうな」
王宮の廊下でぱったりと顔を合わせたアークルフとイーガンは、小声で会話しながらアークルフの私室へ入った。アークルフは王宮内に敵が多い。彼の行動を監視している者も少なくないため、王宮内での会話はどうしても小声になりがちだった。
重厚ながらも美しく整えられたアークルフの私室には応接室が設置されている。主に来客用に使用されているその部屋で、二人が椅子に腰かけると、すぐに侍女が茶を運んで来た。
イーガンは侍女が退室するの確認すると、詠唱を始めた。
「よし、いいぞ。結界を張った。これで外部に会話は漏れない」
イーガンが詠唱を終えそう告げたので、アークルフは頷いてみせた。
イーガンはこの国の魔法士として最高位にあり、第一人者だ。彼が張った結界をおいそれと破れるものはいないだろう。
イーガンは茶を一口飲むと、早速切り出した。
「俺はやはりひずみの件とユーリは関わっていると考えている」
「しかし、ユーリはいたずらに他人に害をなそうと考える娘ではない」
「わかっている。俺もこの一週間あの娘と過ごしてみて、少なくともこの国に害をなそうと企む間者では無いことはわかった」
「お前……あれだけユーリをこき使っておいて、そんなことを考えていたのか……」
少しばかり不服そうに睨んできたアークルフを、イーガンは鼻で笑った。
「ふん、お前だって最初の頃は疑っていただろうに、今ではすっかり骨抜きだな。俺は正直驚いているぞ。お前がこれだけ一人の人間に執着するところは初めて見た。いつだって女には冷静に対処してきただろうに……」
「いや……俺も戸惑っている。こんなことは初めてだ」
「ふっ、お前に少女を好む性癖があったとはな。今まで言い寄ってきた女共もあの女狐だって驚くに違いないさ」
「うるさい、黙れ。俺は別に少女が好きなわけではない!」
「だが、ユーリはまだ子供だぞ。お前とは年も十以上離れているだろうに」
「確かに年は離れているが……ユーリは特別だ」
「……折角お前に真剣に想える相手ができたんだ。俺も生暖かく見守ってやりたいところだがな……」
生暖かくとは一体どういう意味だ、笑うイーガンを見てアークルフは少しぞっとした。
子供の頃から一緒に過ごすことの多かったイーガンだが、アークルフはこの従兄のことが少し苦手だった。幼少の頃から才長けていたイーガンは、よくアークルフやクレッドウィンを魔術でからかって遊んだし、その苛烈な性格は容易に他者を受け入れず、よく問題を起こしては二人を巻き込んだ。特にアークルフはイーガンに好かれていたらしく、ちょっかいをかける度合いもクレッドウィンに比べてひどいものだった。
大人になった今でもイーガンはこちらを気にかけてくれているようだが、アークルフにとっては、有り難いが勘弁して欲しいことだった。
「あの娘に心を許すのは早すぎる。そもそも正体が不明だ。先ほど間者では無さそうだと言ったが、もし記憶を無くした間者だったらどうする? お前の立場を考えれば、容易に他人を信じるわけにはいくまい。俺が言っているのは国外からの侵入者だけが間者では無いってことだ。むしろお前は国内に敵が多いだろうに」
目を細めるイーガンは、獲物を狙う肉食獣のようで不気味だ。だが、一応こちらを案じているのだろうとアークルフは思った。
しかし、ユーリのこととなると、イーガンが示唆した通りに不明な点が多く疑わしいにも関わらず、何故か守りたいという保護欲がかきたてられてしまう。
「お前の言いたいこともわかるが……、ユーリは善良な少女だ。魔力が無ければ本当に無害な存在だ」
「確かに性質は善良そうだが、あの娘は警戒心が強く油断ならないところがある。それに、あの娘の魔力は強大だ。まだ俺に全てを見せたわけでは無いだろうがな……」
アークルフはユーリが生み出した水竜のことをイーガンには話していなかった。にも関わらず、イーガンはユーリの魔力の強大さを肌で感じているらしい。
「お前達魔法士は……他人の魔力の大小を見ただけで判断することができるのか?」
「人によるだろうが、俺にも多少わかる。一番良くわかるのは魔力で戦う相手と対峙する時だな。俺は基本的に他人のことはどうでも良いのでこの程度だが、メリンダは見ただけで大体わかると言っていたな」
イーガンの口からその妹の名が飛び出したので、アークルフは背筋の凍る思いをした。
イーガンには双子の妹がいる。彼女の名はメリンダ。イーガンには及ばないながらも、彼女自身相当な魔力の持ち主であり、長じてからは筋金入りの男性嫌いで有名でもあった。
メリンダもまた、アークルフの幼馴染にして従姉であり、イーガン以上に苦手な存在である。幼少の頃は、メリンダが「実験」と称する拷問からクレッドウィンと二人でよく逃げ回ったものだった……。
「そうか。……それで、ひずみの件は進展はあったのか?」
アークルフはそれとなく話題を変えた。
「無い。今のところはな……。そもそも魔力のひずみ自体文献を漁らねば確認できないほど滅多に無い事象だが、今回コウィスタ周辺で起こったひずみは過去に例を見ないからな」
「一時的にのみ使えなくなるはずの魔力が、いつまで経っても回復しない……か」
「ああ。過去の文献には、魔力が使えなくなるのは一時的なもので、ひずみから離れれば回復するとあった」
「しかし、実際三ヶ月前に起きたひずみの被害者は、魔力を失ったままだ」
「そうだ。この先も魔力が回復しないとすれば、これは重大な問題だ。この国の魔力持ちの数が減る。ひずみは今は無くなったように見えても、またいつどこに現れるかわからない」
優秀な魔力持ちの人数は国の防衛に影響する。魔法局、魔法学院に所属する魔法士や見習いの生徒達、軍に所属する魔法剣士等は、戦時になると国を背負って戦うことが義務付けられている。他国も大方同じだ。魔法士一人で一般的には敵兵十数人を相手にすることができる。魔法士や魔法剣士は戦時中における充分な戦力であり、その数が減るとなると、それはそのままその国の軍事力の低下を意味する。
「リグゼンディスタ国内でのみ起こっているのか?」
「それも今のところ不明だ。少なくとも周辺諸国では起こっていない」
「そうか……」
「それとお前達を襲った刺客のことだが……」
イーガンも話を変えてきたので、アークルフは興味深げに聞く姿勢をとった。
「局の魔法士を派遣したところ、魔力の残骸を感じたそうだ。そこで大きな水属性の魔力が使われた可能性があると報告されたが、心当たりは無いか?」
アークルフは内心ひやりとしたが、そ知らぬふりを装った。
「いや、知らない」
「本当か、アークルフ? 俺はてっきりユーリの仕業なんじゃないかと思ったが……」
「何のことだ?」
「お前は左肩に火傷を負っていた。それが刺客からの攻撃だとしたら、そいつは火属性の持ち主だったんだろう。では、水の魔力は誰が使った? 言っておくが、水属性の魔法も刺客のものだということは通じんぞ。春夏生まれが火と水の属性を持つとはいえ、一時に複数の属性の魔法を使えるものはそうはいない。いたとしたら天才の部類だ」
アークルフは先日イーガンに治癒してもらった左肩を押さえた。今はすっかり癒え、火傷の痕も残っていないが、受けた衝撃は忘れられるものではない。
イーガンは一時に複数の属性の魔法を使えるものはそうそういないと言っているが、では、雷を落とした後に水竜を生み出したユーリは一体どれほどの魔力の才を持っているというのか……。
「……」
「何も言わないつもりか?」
「ああ。今のところは……」
イーガンは未だユーリを疑っている。それも至極当然のことだが、アークルフとしては今のユーリの立場を危ういものにはしたくなかった。
「ふん、まぁいい。お前に頑固なところがあるのは知っているからな。だが、必ず何があったのかは解明させるぞ。……それから、ユーリのことだがな……」
「何だ?」
「一度習得した言語ならば呼び戻すことも可能だろうと考えて、試してみたが……あの娘は大陸の共通語を習得した経験は無かった。つまり、大陸の外から来たと考えていい」
確かにイーガンはユーリが単に言葉を忘れているだけなのか魔力を使って確かめると言っていた。その結果、ユーリはこの大陸の共通語を全く知らなかったという。
「……そうか、良かった」
「どういう意味だ? ますます正体不明になったじゃないか」
「少なくともユーリはこの国の、王妃やその配下の放った刺客では無いということだろう? それに諸外国が放った間者でも無いはずだ。リグゼンディスタは大陸外の国と国交は無いわけだから……」
「まったく、お前はあの娘を良い方に考えすぎる。確かに性格も善良でなかなか使える娘だが、不明な点が多すぎるというのに……」
イーガンはひとつため息をついた。イーガンはアークルフのことを昔から弟分だと思って可愛がってきたつもりだ。それ故に、彼の頑固な性分もよく理解している。
それにしても、最近のアークルフは人が変わったように、突然現れたという記憶の無い少女に夢中だ。傍から見ていて心配になるほどに……。
「使えるとは?」
アークルフが尋ねてきたので、イーガンはしれっと言ってのけた。
「掃除の才能がある。文字の読み書きも覚束ないというわりに、書類の分類に長けている。どうやって仕分けているのか聞いてみたら、文書の標題に記載されている文字の形を覚えたそうだ。それと文書の形式もな。なかなか頭の回転が良い娘だ」
「お前、ユーリをこき使いすぎだ。……やはり魔法局に預けるのでは無かった」
アークルフは不愉快そうに顔をしかめた。
それに、イーガンはニヤリと笑ってみせる。
「例えばユーリの記憶が戻って、害の無い少女だとわかったとしても、未だお前の側に置いてはおけないだろう。この国の王位継承権の最高順位をしかるべき者に譲るまでは……」
「……ああ、そうだな。この問題にユーリを巻き込みたくは無いな」
「俺としては、このままお前が王位を継いだ方が良いのではないかと考えるがな」
「ごめんこうむる。俺には過ぎた権利だ」
アークルフはため息をついて、目頭を揉んだ。
この十年というもの、刺客に狙われる日々が続いている。アークルフを亡き者にしなければ、王妃が産んだ王子が次の王位につけないため、王妃勢はやっきになってアークルフを狙う。
国の中枢にいる者たちもアークルフの存在をどう扱うか決めかねている節があり、望んで軍に属した後も配置換えや急な出世が多く、目まぐるしい日々が続いていた。
先日までの休暇も、王都警備の騎士団長から王国軍の将軍位に異動になるにあたり、手続きに時間がかかると言われて無理やりに取らされたものだった。
兄に頼まれ承諾したとはいえ、アークルフにとって国の世継ぎであり続けることは過酷なことだ。
「もう少しだ。もう少しで王妃の不貞の証拠が掴める。それさえできれば、兄上もご自分の御子を正式な世継ぎに据えられるだろう」
「ああ、そうだな。王家の血を継がない者を次代の王に据えるというのは業腹だものな」
イーガンが面白そうに笑うので、アークルフは苦笑を返した。
結局のところ、この十年の間腐らずにやって来られたのは、イーガンやクレッドウィンという友が側にいてくれたからかもしれない。
「とにかくユーリはしばらく預かるぞ。魔法局にいてもらった方がお互いのためだからな」
イーガンにそう言われ、アークルフはまた一つため息をついたのだった。
申し訳ありませんが、しばらく週一の更新になりそうです……。
気長にお付き合い頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。