【09話】 赤の部屋
『魔力保持申請』の手続きはすぐに終わった。
申請書に名前と出身地と魔力属性を記入して、身元保証人の項目にイーガンのサインをもらって、書類を提出したら終わり。
申請書の提出先は魔法局の一階の住民課だ。住民課とはいっても魔法局の住民課が取り扱うのは魔力を持っている住民のみ。ユーリはそこに行き申請書を提出した。
黒ぶちメガネをかけた窓口のお姉さんが、ペンをくるりと反対に持ち替え、インクのつかない方で一箇所ずつ項目を叩きながら確認していく。最後の身元保証人欄を見て、彼女はにこりと笑った。
「局長が身元保証人ですね。問題ありません。本日中に受理しましょう」
赤毛をぴたりと後ろでまとめた、なかなか美人なお姉さんはにこりと笑って、ぽんと受理印を押した。
「ありがとうございます」
お姉さんがすぐに発行してくれた申請書控えを受け取り、ユーリはぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。それにしても、あなたも大変ね。配属されたと思ったら、すぐに“ひずみ調査”の手伝いをしているんでしょう? それも局長付きと聞いたわ、ご苦労様。住民課には外からの差し入れもよくあるから、そこに置いてあるお菓子は自由に食べていいわよ。時々息抜きにいらっしゃいな」
カウンターにはお菓子がたくさん入った籠が置いてあり、ちょうど出入り口の近くにあることもあり、魔法局を出入りする従業員が住民課を通るついでにお菓子を置いたり、持ち帰ったりしているようだ。ユーリは再度「ありがとうございます」とお礼をいって、キャンディーを二個取ってポケットに入れた。
「ところで、あたしはデリアって言うの。よろしくね」
手を差し出されたので、ユーリは慌ててその手を取り、握手をした。綺麗に整えられた爪はベージュ色に染められていて、彼女の雰囲気に良く合っていた。
「あ、僕、ユーリです。よろしくお願いします」
「よろしくね、ユーリ」
デリアは感じの良い人だ。
ユーリが魔法局に来て一週間が経とうとしていたが、環境の変化についていくのにやっとで、本当にあっという間に時が過ぎてしまった。毎日イーガンの部屋か語学学習用に与えられた客室で日中を過ごすので、こうして魔法局の職員と話す機会も今まで無かった。そもそも毎日顔を合わせるのはイーガンとアークルフ、時々やって来るクレッドウィンの三人に限られており、他の人、しかも妙齢の女性と会話をするのは一週間ぶりだ。何だかほっとする。
“妙齢の女性と会話”という点ではその機会は毎晩あるともいえる。が、彼女のことを“妙齢の女性”というのはいささか語弊があるとも思う。少なくともデリアのように見るからに大人の女性という姿かたちでは無いので、ユーリは彼女のことは数に入れないことにした。
「はい。よろしくお願いします、デリアさん。じゃあ、僕はこれで……」
もう一度頭を下げると、ユーリは同じ1階にあるイーガンの部屋へ向かった。
ユーリの一日のスケジュールはこうだ。
朝起きて、朝食を取り支度をする。
午前中は勉強の時間だ。アークルフに読み書きを習ったり、時々イーガンから魔力の基礎を習ったりする。イーガンの魔法講座はその日の流れで丸一日かけて行なわれることもある。
午後はイーガンの部屋で“魔力のひずみ調査”の手伝い。とはいっても、ユーリにできることはほとんど無いので、イーガンの部屋の書類の整理や片付けをしている。
夕刻になったらイーガンと夕食を一緒に取り、そこでユーリの予定は終了。時々アークルフが一緒に夕食を取ることもあるが、忙しい時は顔を出さない。
夜は自分に宛がわれた部屋で過ごすのだが……毎晩現れる珍客と話すことが日課になっていた。
「師匠、ユーリです。もどりました」
扉をノックすると、「入れ」と中から声がしたので、ゆっくり開けた。
あれ?
ユーリは驚いた。イーガンがいつもの焦げ茶色のローブ姿ではなく、若草色のローブに金色のマントを羽織っていたからだ。
「どこか、行くんですか?」
いつものシンプルなローブでは無く、金糸の刺繍の入った豪奢なデザインのローブを来たイーガンはいっそう美しく見えた。淡い金髪と左右異なる目の色、とりわけ緑色の目の色に良く映える装いだ。
「ああ。王宮に行ってくる。夕食は部屋で取るように」
「わかりました」
出かけるイーガンを見送ると、ユーリは部屋を出る前に室内をぐるりと見回した。
また書類があちこちに置きっ放しになっている……。
一つため息をついて、ユーリは軽く部屋を片付け、部屋を出た。
***
魔法局の門に一番近い建物の一階にイーガンの研究室はある。同じ区画に住民課があり、その真上である二階の同じ間取りに職員用の食堂がある。ユーリとイーガンの部屋は三階にあるので、一日の行動範囲が一つの建物の中でおさまってしまう。イーガン曰く「合理的」な生活スタイルなのだそうだ。
この日もユーリは寄り道する事無く三階の自室に戻った。
廊下には全く同じ造りの重厚な扉が等間隔で並んでいるが、どの部屋も使用者に合わせて内装が違うらしい。今この階を利用しているのはイーガンとユーリだけだが、ユーリは自室以外の部屋に立ち入ったことは無かった。
ユーリが使用している部屋は通称「赤の部屋」である。
内装が全て赤を基調にデザインされており、家具や調度品も女性向けに作られた可愛らしい部屋だ。壁紙も赤とワインレッドの縞模様、絨毯もワインレッド、椅子やカウチのクッションもワインレッドか濃いピンク色。ベッドカバーも天蓋もワインレッド色のビロード素材ときている。初めてこの部屋を訪れた際は、その色調に面食らったユーリだったが、一週間も暮らしているとだんだんと慣れてきた。
この部屋にまつわる逸話は、部屋の色調とは別のところにあった。
女性が使用する分には問題が無いが、男性が立ち入ると不吉なことが起こるという噂があるらしい。そのため、当初アークルフやクレッドウィンはユーリがこの部屋を利用することを心配していた。そもそも彼らはこの部屋の前の使用者と知り合いらしく、そのことも懸念材料の一つであるらしかった。
実際、部屋に初めて入った時、ユーリもピンと張り詰めた空気を感じた。
が、すぐにそれが消え失せ、柔らかな暖かい空気が満ちたので、扉の向こうでこちらを伺う男性三人に心配無いと頷いてみせたのだった。
今ではすっかり部屋にも馴染み、アークルフやクレッドウィンもユーリの落ち着いた様子を見て安心しているようだった。
「ただいま~」
実はこの部屋には三人には明かしていない秘密がある。
部屋に入った初日、男性三人が去り、ユーリが一人になった時のことだ。
「ありがと~」
部屋には魔法がかかっていてユーリの行動の補助をしてくれたのだ。今も、ユーリから上着を受け取るとクローゼットに自動的に閉まってくれた。まるで有能な透明人間の執事がいるようだ。ブーツを脱ぐと片付けて皮の手入れまでしてくれるし、顔を洗うと目の前にタオルが現れる。痒い所に手が届く、非常に便利な「お手伝い機能」が部屋に装備されていて、ユーリはとても満足していた。なろうことなら、この機能がイーガンの研究室にもあればいいのに。そうすればユーリは毎日書類と格闘しなくてもよくなる。
ユーリはぽいぽいと衣服を脱ぎ捨てた。脱いだ傍から自動的に衣服が片付けられていく。浴室に入ると「今日はどれが良いですか?」と尋ねんばかりにシャワージェルがいくつも目の前に現れた。
「今日は普通のがいい。におい、きつくないもの」
ユーリがそう言うと、一つを残してシャワージェルが棚に戻った。ユーリは残ったシャワージェルを受け取ると、鼻歌を歌いながら適温に準備されたお湯に浸かり、一日の疲れを洗い流した。バスタイムを楽しみ、差し出されたタオルで髪や体の水分をふき取ると、ユーリは用意された下着とガウンを着て浴室を出た。すると、食卓には夕食が準備されていた。ユーリが出るタイミングを見計らって準備されたのだろう、スープからは温かい湯気が立ち上っている。
「おいしそう」
今日はイーガンもアークルフもいない、一人きりの食事だ。
けれど、ユーリは今あまり寂しさを感じていなかった。この部屋、赤の部屋にいると、あまり一人でいる感じがしない。常に誰かに見守られているような気がする。それは決して嫌な感じでは無く、ともすれば村に帰りたくなって心が沈むユーリを慰めてくれるものだった。それでも最初の頃はこの部屋にいても寂しさを感じないわけでは無かった。
日中は平気だ。アークルフは毎日のように顔を出してくれる。イーガンも当初思っていたよりもとっつき難くは無い。クレッドウィンも時折やって来る。三人の男達に慣れてきたし、魔法局での生活もそれなりに忙しく充実している。読み書きの勉強も楽しいし、何より魔法を学べるのは興味深かった。ユーリは独学で魔法を使っていたため、一度に魔力を放出し勝ちだったのだが、それも適量に補整できるようになってきた。魔法局に来なければこんな機会も無かったのだろうと思う。
しかし、夜になり、一人になるとどうしても寂しさが勝ってしまう。突然の環境の変化に戸惑い、村での生活を思い出してしまう。ロッコやマーナの顔を思い出すと寂しくなるのだ。
そんな時にライラは現れた。
「あら、今日はこっちで夕飯なの?」
今日もこうして夕飯の席に着くユーリの元に彼女は突然現れた。
「ライラ。うん、今日は師匠、でかけました」
「ふーん。アークルフは?」
ひらりとライラが腰掛けるユーリの膝に飛び乗った。
ライラは淡い金色の長毛種の猫だ。紫色の瞳がとても美しい。その色合いは、イーガンのもう一つの瞳の色によく似ている。話し口調からしてメスなのだと思う。赤の部屋で眠りにつこうとしていた最初の晩、ホームシックにかかり落ち込んでいたユーリのベッドの中に潜り込んで来たのが最初の出会いだ。言葉を話す猫にユーリは驚いたが、ライラがあまりに何でも無いことのように振舞うので、そういう存在もあるのかもしれないと考えを改めた。
何よりライラは大人とばかり接していたユーリにとって初めての“友達”といえる存在になりつつあり、夜一人で時間を過ごす際の慰めにもなってくれていた。
「アークは午後からお仕事。明日来ます」
「そう。アークルフもイーガンもきっと王宮ね」
「ライラ、良く知ってる。師匠、王宮に行くと言いました」
「まぁ、今この国もごたごたしてるからね。イーガンも魔法局に篭もってばかりはいられないわよ」
「ごたごた?」
「大変ってこと。あいつらも何かと忙しくなると思うわ」
「……僕、お仕事の邪魔かな……」
「あら、そんなことないわよ。あいつらだって好きでやってるんだから! ユーリだってわざわざコウィスタから出てきて、あいつらに付き合ってやってるんでしょ? 言葉や魔法だって教えてもらって当然よ!」
「そう……かな?」
「そうよ! ほらほら、夕食が冷めちゃうわよ! 私はここで寛いでるから、さっさとお食べなさいな」
急かすように言うと、ライラはユーリの膝の上で丸くなり目を閉じた。
ユーリは膝の上に長毛種の美しい猫を乗せたまま、夕食を取り始めた。
一通りの食事を終え、ユーリが食後のお茶を楽しんでいると、ライラが目を開け尋ねてきた。
「ねぇ、ユーリ。しんどいことない?」
「んん? 僕、大丈夫」
「そう。何かあったら言うのよ。溜め込まないでね。……イーガンは人使いが荒いし、クレッドウィンは図々しいし、アークルフはちょっと頼りないところがあるから……心配だわ」
「師匠、そんなに怖くない、初め会った時よりは。クレッドさんは楽しいし、アークは優しいです」
「ふん。そもそもあなたに“師匠”なんて呼ばせてるところが気に食わないわ。一体何様のつもりなのかしら」
「他にも候補はあったけど、“師匠”が一番発音しやすかったから……」
「そうなの? それならいいけれど」
不服そうに前足の毛繕いをし始めたライラの背中を、ユーリはゆっくりと撫でた。
「……僕、お手紙かけるようになりたいな……」
「手紙? ……もしかして、コウィスタ村の村長へ書くのかしら?」
「うん。心配してると思うから……」
「そうね。魔法局から連絡はいっているとは思うけど、あなた自身から手紙をもらったら村長夫婦も嬉しいと思うわ。明日はアークルフと読み書きの勉強をするのでしょう? その時に手伝わせなさいよ」
「うん、……アークに手伝ってもらう。明日お願いする」
「あら? 何、ちょっと赤くなってるの、ユーリ?」
「え? な、なんでもない……よ」
「何でもないって感じじゃないわ。……あなた、まさかアークルフのこと……」
「ちがうちがうちがう! アークは格好良いけど、僕と年が違うし。アークは僕のこと、子供と思ってるし……」
「何かされたの、ユーリ!? 変なことされたらすぐに言うのよ?」
「へ? ……うん、だ、大丈夫。……前に、お尻に湿布貼られたけど……それだけ」
「な、何ですってぇ!?」
ライラがユーリの膝の上から飛び降り、猫特有の金切り声をあげた。
かと思うと、一心不乱に絨毯で爪を研ぎ始めた。
「ラ、ライラ! どうしたの?」
「何て事なの、あの野郎! 今度会ったらめっためたのぎったぎたにしてやる!!」
「ライラ、落ち着いて。絨毯、壊れるよ?」
「このくらいすぐに直せるわよ! 気にしないで、ユーリ。こうやって怒りを静めてるの!」
「え? 怒ってるの? 怒らないで、ライラ! アークは僕のこと、子供と思ってるだけ……」
「そんなわけないじゃない! あいつは絶対わかっててやったに決まってる! 他の二人に比べたらまともだと思ってたのに、何てこと! 女の敵だわ!!」
「ラ、ライラ。あの、僕、もう怒ってないから。大丈夫」
ユーリは絨毯をぼろぼろに崩していくライラを止めるべく、自身も椅子から降りて床の上に座り、ライラを抱き上げた。
「あなたはまだ怒っているべきよ! どうしてあんな奴許しちゃったの?」
ライラはまだ怒っているらしく、肉球の間から鋭い爪が飛び出したままだ。
「え、でも……アーク謝ってたし。ちょっと可哀想で。……それに、ずっとケンカ、嫌だった……」
「そう! そうなのよ! あいつは昔からそうなの! 申し訳無さそうな顔しながらも押しが強いのよ! それを許しちゃダメよ!」
「え……でも、もう終わったし。僕も、もう怒ってない」
終わったことだからもう良いだろう、というユーリの意見に賛同できずに、ライラはユーリの腕の中から飛び降りた。
「ユーリ、今度何かあったらすぐに言いなさい! 確かにアークルフは見た目はちょっと格好良いかもしれないし、可愛げもあるから許してあげたくなるかもしれない。でも流されちゃダメ! 絶対ダメ! むぅぅ……よし! 念のためにこれをあげるわ」
ライラは自分の体から毛を一本抜き取り、ユーリの右手の小指の上まで銜えて持ってきた。金色の毛が小指の上に落ち、絡んだかと思ったらすぐに消えた。
「あれ? 無くなった……」
「そう。でも実際はまだ小指に絡んでいるわ。一種の防犯用のおまじないよ。あなたに危険が迫ったら反応するの。期限は無いし、普段は気にならないから安心してね」
「うん……ありがと、ライラ」
これがアークルフに危害を加える事は無いだろうか、と少し心配しながらもユーリは猫に礼を言った。
「どういたしまして、ユーリ。……いい? 男は獣よ。もっと用心しなさい!」
「へ? ……う、うん」
自身も獣であるはずの猫に鋭い口調で言われて、ユーリは思わず頷いた。
その日は機嫌の悪いライラと共に眠りに着いた。
ライラの説教はしばらく続き、ユーリは途方に暮れながら早く眠れるよう祈った。
翌朝、いつも通りの時間に起きたユーリが枕元を見ると、
「おはよう、ライラ。また夜にね」
長毛種の猫のぬいぐるみが転がっていた。
ライラは夜にしか現れない。彼女は、昼間は猫のぬいぐるみの姿で、ベッドサイドに飾られている。夜になると再び生きた猫になってユーリに話しかけてくるのだ。
これもまた「赤の部屋」の不思議の一つ。
ユーリは部屋の便利機能に助けられつつ朝の支度を整えると、
「いってきまーす」
今日も元気に部屋を後にした。
しばらく更新頻度が落ちると思います。申し訳ありません。
書き溜めて放出する予定ですので、今しばらくお待ちくださいませ。