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そして、届いた釣書は30通を超えた

作者: のぞ
掲載日:2026/09/19

エレオノーラが、


「そろそろ婚約者を考えたほうがいいかしら」


と、ティータイム中に呟いた。


それを聞いたグランディア侯爵家のメイド、侍従たちは固まった。


そして、すぐに秘密裏に会議が開かれた。


グランディア公爵家の地下にある秘密会議室では、十人の側近たちが集まっていた。


机の上には、一冊の分厚い冊子。


表紙には、


『エレオノーラ様婚約者候補・審査規定』


と書かれている。


その厚さ、三センチ。


ページ数、百二十六。


そして、審査担当は十人。


「まず確認する」


侍従長ヴィクトルが口を開いた。


「我々はそれぞれ、自分の専門分野から候補者を審査する」


「異議なし」


全員が頷く。


「ただし、最終的に婚約者を選ぶのはお嬢様ご本人だ」


ヴィクトルが念を押す。


「我々がするのは、候補者が本当にお嬢様を幸せにできる人物かを見極めること」


「承知しております」


マリアンヌが頷いた。


◇◇◇


グランディア公爵家には、異変が起きていた。


最初に届いたのは、侯爵家からの釣り書きだった。


次に、伯爵家。


その次には王都でも名の知られた公爵家。


そして――。


「ヴィクトル様」


マリアンヌが、一通の手紙を持って会議室へ入ってきた。


「どうしました?」


「第二王子殿下の側近からです」


「……第二王子?」


十人の視線が集まる。


マリアンヌは封筒を机の上に置いた。


「エレオノーラ様との婚姻を希望する旨の打診です」


「……」


沈黙。


ヴィクトルが封筒を見る。


「王族ですか」


「はい」


「なるほど」


ヴィクトルは頷いた。


「では、通常通り審査を」


「当然です」


ギルバートが即答した。


「王族だからといって、審査を免除する理由にはなりません」


「その通りです」


ノアも頷く。


「むしろ王族なら、確認すべき項目が増えます」


「外交関係も考えなければなりませんね」


マリアンヌが言う。


「王族との婚姻なら、国同士の関係まで絡みます」


「戦闘能力も」


セバスチャンが真顔で付け加える。


「王族でも、お嬢様を守れなければ意味がありません」


「健康管理も」


クララ。


「食事の好みも」


フィオナ。


「衣装への理解も」


ユリア。


「移動時の護衛能力も」


ロイ。


「魔法防御も」


エドガー。


最後に。


ヴィクトルが言った。


「では、審査を始めましょう」


――こうして。


王族候補者の審査が始まった。


◇◇◇


最初にやってきたのは、自国の第二王子だった。


王族らしい華やかな衣装。


完璧な礼儀作法。


周囲の護衛も一流。


普通なら、それだけで十分に好印象だっただろう。


だが。


「第一問」


ヴィクトルが口を開く。


「エレオノーラ様が王妃ではなく、公爵領の経営を続けたいと仰った場合、どうしますか?」


第二王子は少し考えた。


「王妃としての務めを優先していただきたい」


「不合格です」


「早い!」


ヴィクトルは淡々と書類に記入する。


『本人の意思より王族としての役割を優先する傾向あり』


「お嬢様が望む人生より、立場を優先する方にはお任せできません」


第二王子は愕然とした。


「しかし私は王族だぞ?」


「存じております」


「それだけで不合格なのか?」


「いいえ」


ヴィクトルは微笑んだ。


「王族であることは、合格条件ではありません」


◇◇◇


次に来たのは、第一王子。


自信に満ちた青年だった。


「エレオノーラ嬢とは、幼い頃からの付き合いだ」


「なるほど」


マリアが微笑む。


「では、お嬢様の苦手なものを三つ」


「……」


「好きな食べ物を五つ」


「……」


「疲れた時に出る癖を二つ」


「…………」


「不合格です」


「待て!」


マリアは首を傾げる。


「幼い頃からのお付き合いなのでしょう?」


「それは……」


「それなら、もう少しご存じかと思いまして」


「…………」


第一王子は撃沈した。


◇◇◇


三人目。


隣国の王太子。


国際的にも有力な婚姻相手だった。


「私はエレオノーラ嬢を王太子妃として迎えたい」


マリアンヌが尋ねる。


「エレオノーラ様が社交界で誰かに侮辱された場合、どう対応しますか?」


「私が相手を叱責します」


「その相手が自国の有力貴族なら?」


「それでも叱責します」


「相手国との外交問題になったら?」


「……」


「では、どうしますか?」


王太子はしばらく考えた。


「まず本人の意思を確認します」


マリアンヌの目が少し細くなる。


「続けてください」


「エレオノーラ嬢が望むなら、正式な抗議をします。本人が望まないなら、別の方法を探します」


「……」


マリアンヌは頷いた。


「社交面、合格」


王太子がほっとする。


しかし。


「次は財務です」


「え?」


ギルバートが立ち上がった。


王太子の顔から笑みが消えた。


◇◇◇


その後も。


次々と候補者が訪れた。


侯爵家令息。


公爵家嫡男。


辺境伯家の嫡男。


大商会の後継者。


隣国の公爵。


さらに――。


「マリアンヌ」


ヴィクトルが書類をめくる。


「これは?」


「他国の王女殿下からです」


「王女?」


「はい」


「お嬢様との婚姻を希望?」


「そのようです」


十人が顔を見合わせる。


「……同性婚が可能な国でしたか?」


ノアが資料を確認する。


「法的には可能です」


「では、審査を」


「当然です」


なぜか候補者の性別すら問題にならなかった。


重要なのは一つ。


――エレオノーラを幸せにできるか。


◇◇◇


そして。


二週間後。


グランディア公爵家の応接室。


机の上には、山のような書類が積み上がっていた。


「……何通あります?」


ロイが尋ねる。


ノアが数える。


「三十二通です」


「三十二……」


「そのうち、正式な釣り書きが二十七通」


マリアンヌが続ける。


「王族からの打診が五件」


「他国王族も?」


「はい」


「……」


全員が沈黙した。


ヴィクトルが一枚目をめくる。


「自国第二王子」


「不合格」


マリア。


「自国第一王子」


「不合格」


マリアンヌ。


「隣国王太子」


「一部合格。ただし財務審査で不合格」


ギルバート。


「北方王国の第三王子」


「戦闘試験で不合格」


セバスチャン。


「東方王国の王女」


「魔法試験で不合格」


エドガー。


「西方王国の公爵令息」


「食事の好みを間違えたので不合格」


フィオナ。


「……そこまで厳しくする必要があります?」


ロイが呟く。


フィオナは真顔で答えた。


「お嬢様の好きな料理を三回間違えました」


「三回も?」


「三回です」


「それは……」


ロイも黙った。


◇◇◇


別の日。


十人はまた審査をしていた。


「次の候補者です」


「どうぞ」


入ってきたのは、隣国の王弟だった。


彼は自信満々に微笑んだ。


「エレオノーラ嬢ほどの女性なら、私の妃に相応しい」


ヴィクトルのペンが止まった。


「今、何と?」


「私の妃に相応しい、と」


「……」


ヴィクトルが書類に一行記入する。


『不合格』


「まだ何も聞いていないぞ!」


「今の発言で十分です」


「なぜだ!」


ヴィクトルは穏やかに答えた。


「お嬢様は、あなたの妃になるために存在しているわけではありません」


「…………」


王弟は何も言い返せなかった。


◇◇◇


さらに別の日。


自国の有力侯爵家の嫡男が来た。


「公爵家との婚姻には、我が家にも大きな利益が――」


ギルバートが顔を上げた。


「不合格」


「まだ最後まで話していない!」


「最初の一文で十分です」


「…………」


「お嬢様の財産を目的とする方に、財務審査を受ける資格はありません」


「横暴だ!」


ギルバートは静かに微笑んだ。


「ありがとうございます」


「褒めていない!」


◇◇◇


そして。


三十二通。


そのすべてに目を通した。


審査した。


調べた。


試験した。


結果。


「……残りましたね」


クララが言った。


机の上には、三十二通の釣り書き。


その横には。


大量の不合格通知。


「二十九名、不合格」


ノアが記録を確認する。


「三名、再審査」


「王族は?」


マリアンヌが尋ねる。


「全員、再審査または不合格です」


「他国王族も?」


「はい」


「……」


ヴィクトルは深く息を吐いた。


「まさか、これほど来るとは」


「お嬢様ですから」


ユリアが当然のように答えた。


「美しく、聡明で、公爵家の後継者候補。そして財産も領地もある」


ギルバートが続ける。


「さらに本人の性格も良い」


フィオナ。


「料理も喜んで食べてくださいます」


クララ。


「無理をしがちですが、人に優しい方です」


セバスチャン。


「剣術の才能もあります」


エドガー。


「魔法適性も高い」


ロイ。


「馬もお好きです」


マリア。


「そして何より――」


マリアンヌが微笑んだ。


「お嬢様は、相手の身分ではなく、その人自身を見ます」


全員が頷く。


だからこそ。


彼らは妥協できなかった。


王族だから。


公爵家だから。


名門だから。


そんな理由だけで、エレオノーラの人生を任せるつもりはない。


◇◇◇


翌朝。


エレオノーラは朝食の席で首を傾げていた。


「ねえ、ヴィクトル」


「はい」


「最近、郵便物がずいぶん多くない?」


「……」


十人が固まった。


「昨日なんて、王家の紋章がついた封筒まであったでしょう?」


「…………」


「何かあったの?」


ヴィクトルは一瞬だけ考え。


完璧な笑顔を浮かべた。


「お嬢様への釣り書きが届いております」


「まあ」


エレオノーラは驚いた。


「そんなに?」


「はい」


「何通くらい?」


沈黙。


ノアが小声で答える。


「三十二通ほど」


「三十二!?」


エレオノーラが目を丸くする。


「そんなに……?」


「はい」


「王族からも?」


「……はい」


「他国からも?」


「……はい」


エレオノーラはしばらく黙った。


そして。


「でも、みなさんどうして私と結婚したいのかしら?」


十人は顔を見合わせた。


答えは簡単だった。


美貌。


家柄。


財産。


領地。


能力。


そして、エレオノーラ自身。


だが。


ヴィクトルは静かに答えた。


「それを確かめるために、我々が審査しております」


「……審査?」


「はい」


「私が知らないところで?」


「…………」


十人全員が視線を逸らした。


エレオノーラは目を細める。


「まさか……」


「お嬢様」


ヴィクトルが深々と頭を下げる。


「どうかご安心ください」


「何を?」


「不適格な者は、一人もお嬢様の前に通しておりません」


「……」


エレオノーラは呆れたように笑った。


「もう……」


そして。


少しだけ嬉しそうに。


「ありがとう」


その一言。


たった一言で。


十人全員の表情が明るくなった。


「……!」


「お嬢様が!」


「今!」


「ありがとうございますと!」


「全員、持ち場へ戻れ!」


ヴィクトルだけが必死に冷静さを保つ。


だが。


その日の午後。


秘密会議室。


「……次の候補者について」


ヴィクトルが資料を開く。


「隣国の王太子殿下です」


「再審査ですね」


「はい」


ギルバートが頷く。


「財務項目を追加しましょう」


「社交も」


「戦闘も」


「食事も」


「健康管理も」


「衣装も」


「魔法も」


「法律も」


「諜報も」


「移動も」


十人全員が立ち上がる。


ヴィクトルが最後に言った。


「お嬢様の人生を任せる相手です」


「はい」


「三十二通届こうが」


「百通届こうが」


「王族だろうが」


「他国の王族だろうが」


「関係ありません」


十人の声が重なる。


「――お嬢様が幸せになれる人物だけを通します」


そして。


机の上には、新たな書類が置かれた。


『婚約者候補・第33号』


その表紙を見たヴィクトルは、静かに息を吐いた。


「……さて」


ペンを握る。


「審査を始めましょう」


――エレオノーラの知らないところで。


三十名が落ち。


そして三十三人目の候補者が。


史上最も過保護な十人の審査へと挑むことになった。


◇◇◇


それから数日後。


最後まで残った候補者は、三名になっていた。


一人目は、隣国の王太子。


社交、外交、教養、財務のすべてにおいて高い評価を得ていた。エレオノーラの意思を尊重し、彼女が公爵領の経営を続けたいと望むなら、王太子妃となった後も領地運営を任せると明言している。


二人目は、北方辺境伯家の嫡男。


剣術と戦略に優れ、実戦試験ではセバスチャンをあと一歩まで追い詰めた。口数は少ないが誠実で、エレオノーラが危険にさらされた時には、身分も立場も捨てて彼女を守る覚悟を示した。


三人目は、王都の名門公爵家の令息。


穏やかで聡明な青年だった。エレオノーラの好みや生活習慣を細かく調べるのではなく、実際に彼女と向き合い、彼女自身の言葉を聞こうとする姿勢が評価されていた。


「三名とも、これまでの審査は合格です」


ヴィクトルが書類を閉じる。


「ならば、最後の審査を行います」


「最後の審査?」


マリアが尋ねる。


ヴィクトルは静かに頷いた。


「お嬢様とのお茶会です」


「……ついに」


マリアンヌが息を呑む。


「お嬢様ご本人に、三名を見ていただくのですね」


「はい」


「しかし、お嬢様には選考会のことを伏せたままでは?」


「婚約者候補との顔合わせとして、お茶会を開くとお伝えします」


「それでよろしいのですか?」


ノアが尋ねる。


ヴィクトルは迷いなく答えた。


「最後に決めるのは、我々ではありません。エレオノーラ様です」


その言葉に、十人は静かに頷いた。


どれほど審査を重ねても。


どれほど条件を満たしていても。


エレオノーラが心から望まなければ、意味がない。


◇◇◇


お茶会の日。


庭園には、春の花が咲き誇っていた。


白いテーブルクロスがかけられた丸いテーブル。


銀のティーセット。


エレオノーラが好む焼き菓子と、季節の果物。


そして、向かい側には三人の候補者が座っていた。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


隣国の王太子が、丁寧に頭を下げる。


「こちらこそ。少し緊張しますわ」


エレオノーラが微笑む。


「私もです」


北方辺境伯家の嫡男が、正直に答えた。


王都の公爵令息も、穏やかに笑う。


「私も、これほど緊張するお茶会は初めてです」


その様子を、少し離れた場所から十人の側近たちが見守っていた。


もちろん、全員が給仕や護衛を装っている。


だが、視線は一瞬たりともエレオノーラから離れない。


「では、まずは簡単な質問から」


エレオノーラが言った。


「皆様は、私と婚約した場合、どのような生活を望まれますか?」


王太子が答える。


「私は、あなたと共に国を支えたいと思っています。ただし、あなたが公爵領を大切にされていることも理解しています。王太子妃としての務めと領地経営を両立できるよう、制度を整えたい」


「制度を?」


「あなたが無理をせず、望む仕事を続けられるようにするためです」


エレオノーラは感心したように頷いた。


次に、辺境伯家の嫡男が口を開く。


「私は、あなたが望む場所にいます」


「それは?」


「領地でも王都でも。戦場であっても、屋敷であっても。あなたが一人で抱え込まないよう、隣に立ちます」


「……」


エレオノーラの表情が、少し柔らかくなった。


公爵令息は、しばらく考えてから答えた。


「私は、あなたがあなたらしくいられる生活を望みます」


「わたくしらしく?」


「はい。公爵令嬢としてではなく、領主としてでもなく、一人の女性として。笑いたい時に笑い、疲れた時には休み、やりたいことをやれる生活です」


エレオノーラは、目を瞬いた。


「……皆様、ずいぶんとわたくしのことを考えてくださっているのですね」


「当然です」


王太子が答える。


「あなたと人生を共にしたいと願っているのですから」


「ですが」


エレオノーラは、少し困ったように笑った。


「皆様は、わたくしの何を知っていらっしゃるのですか?」


三人が黙る。


エレオノーラは続けた。


「わたくしは、強くもありませんし、いつも正しいわけでもありません。領地のことばかり考えて、周りが見えなくなることもあります。疲れていても平気なふりをしますし、助けてほしいと言うのも苦手です」


三人は、黙って彼女の言葉を聞いていた。


「それでも、わたくしと一緒にいたいと思われますか?」


最初に答えたのは、辺境伯家の嫡男だった。


「はい」


迷いのない声だった。


「強くないあなたも、間違えるあなたも、助けを求められないあなたも、すべてあなたです。私は、都合のいい部分だけを愛するつもりはありません」


王太子も続ける。


「あなたが弱さを見せられる場所を、私が作ります。王太子妃として完璧である必要はありません。私の前では、ただのエレオノーラでいてください」


公爵令息は、静かに微笑んだ。


「私は、あなたを変えたいとは思いません。ただ、あなたが自分を大切にできるよう、そばにいたいと思っています」


エレオノーラは、しばらく何も言わなかった。


庭園を風が通り抜ける。


花びらが一枚、テーブルの上に落ちた。


やがて、彼女は小さく笑った。


「皆様とお話しできて、本当によかったです」


その笑顔を見た瞬間。


少し離れた場所にいた次女のマリアが、両手で口元を覆った。


「お嬢様が……」


隣にいたマリアンヌも、目を潤ませている。


「心から笑っていらっしゃいます」


「まだ結果は出ていません」


ヴィクトルが小声で注意する。


だが、その声もわずかに震えていた。


エレオノーラは三人を見つめた。


そして。


「わたくしは……」


言葉を探すように、胸元で手を握る。


「わたくしは、誰かの妻になることで、自分の人生を失うのが怖かったのだと思います」


三人は黙って聞いている。


「けれど、皆様とお話しして、少し安心しました。わたくしの望みを聞いてくださる方がいる。わたくしの弱さも受け入れてくださる方がいる」


エレオノーラは、辺境伯家の嫡男を見た。


次に、王太子を。


そして最後に、公爵令息を見つめる。


「その中でも、わたくしが一番自然にいられたのは――」


彼女の視線が、公爵令息のもとで止まった。


「あなたです」


公爵令息が、息を呑む。


「私、ですか?」


「はい」


エレオノーラは頷いた。


「あなたと話していると、無理に立派に見せようとしなくてよかったのです。沈黙しても苦しくなくて、笑う時も、心から笑えました」


公爵令息は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。私も、あなたといる時が一番自然でいられました」


エレオノーラは、少し照れたように微笑む。


「わたくしと婚約していただけますか?」


「もちろんです」


公爵令息は立ち上がり、彼女の前で跪いた。


「エレオノーラ様。あなたが望む人生を、あなたと共に歩ませてください」


「はい」


その瞬間。


「……っ」


マリアが、とうとう涙をこぼした。


「お嬢様が……お嬢様が、幸せになれる方を……!」


「マリア、声を抑えてください」


ヴィクトルが注意する。


しかし、彼自身も目元を押さえていた。


「無理です、ヴィクトル様……!」


マリアンヌは両手を胸の前で組み、涙を流しながら微笑んでいる。


「見つかりました……ついに、見つかったのですね」


「お嬢様を幸せにできる方が」


ノアの声も震えていた。


「本当に……よかった」


ギルバートは眼鏡を外し、何度も目元を拭っている。


「財務審査も、社交審査も、すべて合格です……!」


「そこですか?」


ロイが呆れたように言う。


だが、彼の頬にも涙が伝っていた。


セバスチャンは拳を握りしめ、静かに天を仰いだ。


「これで、安心してお嬢様をお任せできます」


クララは泣きながら、エレオノーラの好きな焼き菓子を追加で皿に盛っている。


「お祝いです。今日は好きなだけ召し上がってくださいませ」


フィオナは鼻をすすりながら、紅茶を淹れ直した。


「お嬢様が一番お好きな茶葉です」


ユリアは涙で滲む視界の中、エレオノーラの髪に花びらがついているのを見つけ、そっと取り除いた。


エドガーは魔法で花びらを舞い上がらせる。


ロイが慌てて止めた。


「派手な魔法はまだ早いです!」


「ですが、祝福の演出を」


「お嬢様が驚かれます!」


その騒ぎに、エレオノーラが振り返った。


「皆さん、どうしたの?」


十人は一斉に姿勢を正した。


だが、誰一人として涙を隠しきれていない。


「お嬢様……」


ヴィクトルが、深々と頭を下げる。


「ご婚約、おめでとうございます」


「ありがとうございます」


エレオノーラは、嬉しそうに笑った。


「皆さんが、わたくしのために頑張ってくださったことも知っています」


「……!」


「本当に、ありがとう」


その言葉に。


次女のマリアは、とうとう声を上げて泣き出した。


「お嬢様ぁ……!」


「マリア!」


「だって、だって……! お嬢様が、ちゃんと幸せになれる方を見つけられたんですよ!?」


マリアンヌも涙を拭いながら頷く。


「はい……本当に、よかったです」


「お嬢様が笑っていらっしゃる」


クララが呟く。


「これからも、その笑顔を守れます」


セバスチャンが力強く言った。


「ええ」


ヴィクトルも頷く。


「我々は、これからもお嬢様をお守りします。ただし――」


彼は婚約者となった公爵令息を見た。


「お嬢様を泣かせた場合は、婚約者であろうと容赦しません」


「もちろんです」


公爵令息は真剣な表情で答えた。


「私も、エレオノーラ様を泣かせるようなことは決していたしません」


「その言葉、忘れないでください」


ギルバートが念を押す。


「契約書に記載していただきます」


「契約書?」


公爵令息が目を丸くする。


「当然です」


十人の声が重なった。


エレオノーラは、そんな彼らを見て笑った。


「もう、皆さんは本当に過保護なのですから」


「お嬢様のためです」


ヴィクトルが答える。


「ですが、これからは」


マリアンヌが、婚約者となった公爵令息を見つめる。


「お嬢様を幸せにする役目を、共に担っていただけますね?」


「はい」


公爵令息は、エレオノーラの手をそっと取った。


「必ず」


その返事を聞いた瞬間。


十人の側近たちは、堪えていた涙を一斉にこぼした。


「よかった……!」


「本当に……!」


「お嬢様が……!」


「幸せに……!」


次女のマリアは、泣きながら拍手をしている。


侍従たちは互いの肩を叩き、抱き合い、感涙にむせびながら喜びを分かち合った。


長い審査だった。


三十二通の釣り書きを読み。


二十九名を不合格にし。


三名を最後まで見極め。


ようやく見つけた。


エレオノーラを、家柄や財産ではなく、一人の女性として見てくれる男。


彼女の望みを尊重し、弱さを受け止め、隣で共に歩いてくれる男。


――エレオノーラを、本当に幸せにできる男。


「これで、ようやく安心できますね」


ノアが涙を拭いながら言った。


「いえ」


ヴィクトルは、婚約者と微笑み合うエレオノーラを見つめた。


「これからが始まりです」


「始まり?」


「はい。お嬢様が幸せであり続けられるよう、我々の仕事はまだ終わっていません」


「もちろんです」


ギルバートが頷く。


「婚約式の準備」


「結婚式の準備」


ユリア。


「新居の設計」


ロイ。


「護衛計画」


セバスチャン。


「健康管理」


クララ。


「食事の好みの共有」


フィオナ。


「魔法防御の確認」


エドガー。


「外交手続き」


マリアンヌ。


「すべて、完璧に整えます」


エレオノーラは、呆れたように、けれど幸せそうに笑った。


「皆さん、本当にありがとう」


その笑顔を見て。


十人は、また涙を流した。


今度は、悲しみではない。


長い間願い続けていたものが、ようやく叶った喜びの涙だった。


――こうして、史上最難関の婚約者選考は、終わりを迎えた。


残った三名の候補者の中から、エレオノーラ自身が選んだ、たった一人の婚約者。


そして、次女と侍従軍団は、感涙しながらその婚約を祝福した。


お嬢様の幸せを願い続けた彼らにとって。


それは、何よりも嬉しい合格通知だった。

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エレオノーラ様 ご婚約誠におめでとうございます♡ …審査が厳しすぎて「…そして誰もいなくなった」オチだったらどうしようかと気をもみましたが無事に決まって本当によかったです そして…最後の最後で恐らくは…
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