第十四話:混酸
『ほーら、出ておいで坊や。大丈夫、手荒な真似はしないわ……私はね』
静まり返った森に、不釣り合いな機械音と女の嘲笑が響き渡る。
枝を跳ね除け、草を踏み荒らして進むその足取りは、隠れる獲物を追い詰める狩人の余裕に満ちていた。
『ったく、めんどくせぇ。ここら一帯、全部撃ち抜いて更地にするかぁ?』
『ホント馬鹿ね。そんなに弾持ってないでしょ、あんた』
ピンク色のバイク型傍白の背後を、カウボーイハットを被った傍白が気だるげについて歩く。
『いや、魔力弾なら……』
『それを撃ったら最悪「山火事」になるって言ったのは、どこの誰だったかしら?』
『あ、そうだったわ』
足並みの揃わない二人の猟犬は、確実に、そして着実に肇の潜伏地点へと肉薄していく。
だが、肇もまた、無策で死を待つようなタマではなかった。
「……今だ。やれ、テテ」
優の唇が微かに動く。
刹那、木陰から音もなく褐色の剛腕が伸び、カウボーイハットの背後を強襲した。
『うなっ!?』
テテの巨体がカウボーイハットの口を封じ、その足を力任せに払う。
予測不能の奇襲に、男のバランスが大きく崩れた。
『ッ!! そっちか……!!』
バイク型が即座に反応し、火器を向けようとしたその瞬間。
彼女の死角――背後の茂みから、一人の少年が弾丸のように飛び出した。
肇だ。
『……なッ! 後ろ――!?』
肇の冷徹な視線が、バイク型の胸部――燃料タンクが位置する一点を射抜く。
その手には、鈍く光るサバイバルナイフが握られていた。
(ナイフ……!? どこから……いや、今はどうでもいい! 狙いは…ガソリンタンク……? ハッ、馬鹿ね。そんな玩具で傷がつくほど、私の装甲はヤワじゃないわ!)
バイク型は確信していた。
ただの人間が振るうナイフなど、鋼の体には通じないと。
それは肇も百も承知だ。
だからこそ、彼が刃を向けたのは「装甲」ではなかった。
――ザシュッ!!
『なッ!!?』
バイク型の体から、ガソリンが鮮血のように激しく噴き出す。
「ハナからタンクなんて狙ってない。狙いは、剥き出しのラバー製の燃料ホースだ。人型に変形すれば、どうしても『隙間』から露出するよな」
『グッ…! あ、ああ……!』
燃料が失われると同時に、バイク型の心臓部であるエンジン音が急速に弱まり、彼女は力なく膝を突いた。
(……まあ、そもそもこいつがガソリンで動いてるか自体、賭けだったけどな)
肇は動揺するバイク型の体を強引に掴み、噴き出すガソリンの向きを「ある方向」へと調整する。
『何を…するつもり……っ!』
「あんたら、自分が焼ける時の感覚って、味わったことあるか?」
肇の視線の先。
そこにはテテに翻弄され、地面をのたうち回るカウボーイハットの姿があった。
カウボーイハットはテテに視界を奪われ、半狂乱でホルスターからリボルバーを引き抜く。
『こんの野郎……!! 風穴ブチ開けてやるッ!!!』
引き抜かれた拳銃が、カウボーイハットの指先で鋭く回転する。
次の瞬間、その銃口から放たれるオーラが、これまでとは比較にならないほど禍々しく膨れ上がった。
『ちょ、バカ!! 魔力弾は……!!』
『うるせぇ!! ここらは木が少ねぇ、すぐには燃えねぇよ! それにテメェに当たったところで、死ぬわけじゃねぇだろうが!!』
バイク型の制止を嘲笑い、カウボーイハットの銃口が極彩色に輝く。
「テテ! 今だ、離れろ!!」
肇の号令一閃。
テテは重力を無視した跳躍で上空へと逃れ、肇もまたバイク型を「盾」にするようにして全力でその場を離脱した。
『死ねぇぇ!!』
咆哮と共に放たれたのは、物理的な弾丸ではない。
剥き出しの魔力が結晶化した、高熱のエネルギー弾。それが四方八方へと無差別に撒き散らされる。
『ホント…大バカ野郎ッ……!!』
バイク型の呪詛も虚しく、放たれた熱線が、彼女の体から溢れ出していたガソリンに接触した。
――ドォォォォォン!!!
周囲の空気を一気に吸い込み、巨大な火柱が上がる。
ガソリンを浴びていたバイク型は文字通り火だるまとなり、その爆風に巻き込まれたカウボーイハットも無様に吹き飛んだ。
『が…あぁ……っ』
炎に包まれたバイク型は、激しいノイズ混じりの悲鳴を上げながら、光の粒子となって霧散していく。
吹き飛ばされたカウボーイハットもまた、修復不能なダメージを負い、粒子を振り撒きながら崩壊していった。
「……こんな稚拙な罠に引っかかるなんて。よっぽど頭が悪いんだな、あんたら」
頬にこびりついた泥を乱暴に拭う肇。
その横に、音もなくテテが着地した。
「さて、あとはあの狼を――」
『まったく、二人は連携が成ってないな……』
肇が魁の元へ向かおうとした、その瞬間。
死角から、あの「狼」が暴風のような速度で突進してきた。
「ガッ!!」
テテが反応するよりも速い。
狼の爪がテテを深く切り裂き、巨体を近くの巨木へと叩きつける。
そのままの勢いで、狼は肇の喉元を掴み上げ、背後の大木へと押し込んだ。
『お前の傍白…速度とパワーは評価してやろう。だが、主であるお前が三流だったようだな。傍白の扱いが成ってない。……あの白い奴は、ある程度の時間が経ったら勝手に消えていったぞ?』
大木に背中を打ち付けられた肇を見下ろし、狼が凶悪な牙を剥く。
肇は必死にその腕を振り払おうとするが、傍白の怪力には抗う術もない。
(流石に…キツイ……ッ!)
肺の空気が絞り出される感覚の中、優は「とっておき」の使用を決断した。
「は…なせ……ッ!!」
『おっと、危ないなぁ』
肇がポケットから、先ほど拾い上げていた麻酔弾を狼の腕に突き立てようとする。
だが狼は肇の腕を嘲笑うように掴み、阻止する。
その衝撃で、肇のポケットから「何か」が地面に転がり落ちる。
『なんだぁ、これ……水筒か?』
狼は落ちた水筒を片手でキャッチし、不審げに目の前へ持ってきた。
その瞬間、肇の瞳が、恐怖に大きく見開かれる。
「……っ、待て! それだけは、それだけは触るな!!」
『ほう、随分と大事なもののようだな。……液体か? 何かが入っているようだが』
肇を屈服させた優越感に浸りながら、狼は水筒の蓋を指にかける。
「やめろ! 返せ!! それは……開けるな! 絶対に、今だけは開けるな!!」
肇の顔から血の気が引き、額からは滝のような汗が流れる。
声は裏返り、必死に命乞いをするその姿は、冷徹な理数系少年の面影など微塵もなかった。
狼は確信した。
「冷静な転生者も、死を前にすればこれか」と。
その正体を暴き、少年の絶望を深めるために、彼は力任せに蓋を回した。
その刹那。
はの口角が、不気味に吊り上がった。
「……本当に、おめでたい野郎共だ」
蓋が開放された瞬間、内部で限界まで加圧されていた液体が、轟音と共に噴き出した。
『な、なんだコレ!!? ぎ、グオオオォォ!!!!』
吹き出したのは祝杯ではない。
あらゆる有機物を炭化させる超強力混酸。
狼の顔面の皮膚が、眼球が、強靭な牙さえもが、触れた瞬間にジュウジュウと不快な音を立てて溶け崩れていく。
『クッソォ……!! なんだこれはッ……!! 目が、目がぁぁぁ!!!』
顔を抑えて悶絶する狼。
肇はその隙を逃さず、暴れ回る狼の首筋へ、先程阻止された麻酔弾を深々と突き立てた。
『クソったれ……が……っ……』
狼は血走った瞳で肇を睨みつけるが、強力な薬液には抗えず、そのまま意識を失い沈黙した。
後に残されたのは、荒い息をつきながら倒れた狼を見下ろす少年一人。
肇は首の骨をパキリと鳴らし、冷淡な瞳で一瞥を投げた。
「ハァ……ハァ……。疲れるな、演技ってのは……」




