帝国編 十七話 殺し合い
「敗北ねえ……」
リアが肩をすくめる。
まるで目の前にいるのが、自分を殺しうる怪物ではなく、少し骨のある対戦相手でしかないような態度だった。
「いいのか? 俺は単純に調べ物があってこの博物館にきただけだ。それを貴様が馬鹿みたいに魔力を垂れ流すから仕方なく、こうして戦いに馳せ参じたわけだ」
「調べ物だと……?」
ロストが問う。
「ああ」
リアが頷き、そして鋭く睨む。
その眼光には、闘争心だけではない。探るような冷たさがあった。
「イルカムダムの架け橋事件だ。貴様ら魔物はよく知ってるんじゃないか?」
「随分ないいようじゃないか、闘王よ」
まあいい、とロストは笑った。
そして指を二本、静かに立てる。
「邪神龍ガウス=クロウ。その形態は二つある」
「な……」
レイドはケルトに肩を支えられながら、その言葉を聞いていた。
全身が焼けるように痛む。呼吸をするだけで胸が軋む。だが、それでも耳を塞ぐことはできなかった。
あの化け物に、さらにあと二つ変化があるだと?
「二頭の龍……邪神龍の第二形態だ。最終段階はその上だが、まあこの時は第二形態までだった。それが帝国建国直後に襲来した」
ロストの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「そしてその時の兵士、数百人がイルカムダム架け橋で惨殺されたのさ。たった一人の兵士を除いてな。そいつがどうなったかは誰も知らない。邪神龍に喰い殺されたか……それとも逃げ延びたか。まあ、最も生き延びたとしても、死より苦しい息のしづらさに取り殺されるだろうがなぁ」
ロストが嘲るように笑う。
その笑みには、命を命とも思わぬ底知れぬ悪意だけがあった。
だが、リアは眉一つ動かさなかった。
「それを、イルカムダムの架け橋事件というのだな。お前の言いたいことは分かるぞ。だが、死ぬほどどうでもいい」
吐き捨てるように言う。
その瞬間、ロストの目が細まった。
怒りか、苛立ちか。それとも、自分の愉悦を踏みにじられた不快感か。
「なんだと?」
リアは鼻で笑う。
「人間の矮小さが分かるとでも言いたいのだろう? そんなものは犬にでも喰わせておけ」
レイドは息を呑んだ。
あれほど濃密な殺気を前にしてなお、リアは一歩も引かない。
いや、引かないどころか、真正面から相手の誇りごと踏みにじっている。
「ほう……それでどうするのかな。戦えば、君はここで敗北を知ることになると言うのに」
「言うじゃないか。人間を下げたいだけのクズにしては」
そう言い合い……お互いに笑う。
その笑みは、友好的なものでは決してない。
ようやく自分を楽しませる獲物に出会えた、捕食者同士の笑みだった。
しばらくして。
「まあ……死ねよ!」
「貴様こそな!」
二人同時に駆け出す。
リアは剣を抜き、ロストは死の風を拳に纏う。
――最強同士が今、ぶつかる。
次の瞬間。
轟音と共に、ドーム型の衝撃波が突き抜けた。
博物館全体が揺れる。
天井から砂埃が舞い、展示物を覆う分厚いガラスに、蜘蛛の巣のような亀裂が一斉に走った。
遅れて、警報装置がけたたましく鳴り響く。
それでも二人は止まらない。
ロストの拳が空気を裂くたび、黒ずんだ死の風が尾を引き、床や壁を抉る。
触れれば肉も骨も腐り落ちるであろう死の気配。
対するリアは、真正面からそれを剣で弾き返した。
凄まじい剣圧が風を押し潰し、周囲の展示台ごと吹き飛ばす。
「はっ!」
「ぬるいなァ!」
拳と剣がぶつかるたび、火花と黒風が乱れ散る。
一合ごとに空間が悲鳴を上げているかのようだった。
レイドは歯を食いしばった。
自分たちが今まで繰り広げてきた戦いが、まるで子どもの喧嘩に思える。
あまりにも次元が違う。
あの場に踏み込めば、余波だけで肉塊にされる――本能がそう告げていた。
「っ……なんだよ、あれ……」
ケルトの声も強張る。
「人間と、魔物の戦いじゃない……怪物同士じゃないか……」
血が飛び散る。
肉が裂ける。
それでも二人は、その殺し合いこそが生きがいだと言わんばかりに笑っていた。
ロストが拳を振り下ろしながら言った。
「いいのか?」
「何がだ」
リアは答える。
ロストの右半身を潰さんと、胴薙ぎの一閃を放ちながら。
それを紙一重で躱し、ロストは続ける。
「ここで殺し合って」
「は?」
意図が分からず、リアが一瞬だけ眉をひそめる。
「お前はコロシアムに出るのだろう? 私と斬り合えば死ぬか、病院送りだぞ」
「抜かせ」
ギィンッ、と耳をつんざく金属音。
剣がロストの死の風に真正面から叩きつけられ、黒い奔流が左右に弾け飛ぶ。
「そうなるのはてめえ一人だけだ。安心しろよ」
ロストが愉快そうに肩を揺らした。
「寂しいことを言うなよ。ここまで楽しくなってきたんだからさ。やれるだけやりあおう!」
そして、死闘はさらに加速する。
リアが一歩踏み込むたび、床石が砕ける。
ロストが身を翻すたび、死の風が軌跡を描き、展示室の柱を腐食させていく。
剣撃は暴風のように唸り、拳撃は雷のように落ちた。
一瞬でも見失えば終わる。
その速度で、二人は何十、何百と殺し合った。
リアの剣がロストの脇腹を裂く。
ロストの拳がリアの肩口を抉る。
返す刃が頬を裂き、返す拳が肋骨を砕く。
もはや技でも駆け引きでもない。
互いの殺意と生命力、そのどちらが先に尽きるかという戦いだった。
やがて。
ロストが大きく後方へ跳んだ。
床に着地したその瞬間、片手を大きく広げる。
右拳に集っていた死の風が、今度は腕全体を覆うほどに膨れ上がった。
「穿て」
ロストが踏み込み、黒い閃光となって消える。
リアもまた迎え撃つため前へ出る。
剣を振りかぶり、真正面からその一撃を断ち割ろうとした。
だが――ほんの僅か。
剣筋より先に、死の風が蛇のようにうねって伸びた。
「っ!」
リアの左腕に触れた瞬間、黒い風が爆ぜる。
肉が裂け、骨が砕け、左腕が肘先ごと宙を舞った。
鮮血が噴き上がる。
「ぐ、ッ……!」
だがリアは止まらなかった。
左腕を失った激痛の中、なお右手一本で剣を握り締める。
その目は死んでいない。むしろ、より獰猛に燃えていた。
「とったぞ、闘王!」
勝利を確信したようにロストが笑った、その刹那。
リアが踏み込む。
床が陥没するほどの一歩。
それは瀕死の人間の動きではなかった。
「調子に……乗るなァ!!」
咆哮と共に放たれた一閃が、ロストの想定を上回る速度で閃く。
回避は間に合わない。
ロストは咄嗟に身を逸らしたが、完全には避けられなかった。
斬撃が顔面を掠め、右眼を深々と斬り裂く。
「がァッ……!」
眼球が潰れ、黒と赤の混じった液体が飛び散る。
ロストはたたらを踏み、大きく後退した。
静寂が、わずかに落ちる。
警報音だけが、館内に不気味に響いていた。
そして……長きに及ぶ死闘の末、闘王リアの左腕落ち、ロストの右目が潰れた。
互いに満身創痍。
それでも二人の口元には、まだ笑みが残っていた。
「まだ行けるだろ、闘王」
「ああ……互いに傷だらけだがな」
「死ぬまでやろう」
「当たり前だ、お前みたいな魔物を野放しにできるかよ」
そう言って互いに構えた時、人馬が黒いゲートを通って現れた。
ゲートはどこともなく現れていた。最初からあったかのように、霧が出るかのように。唐突に。
新手かと思い、リアが剣を握る。
そこにロストは手をかかげ制止した。
「少し待て」と。
黒い甲冑を着込み、大剣をその背に背負った人馬は言う。
「お楽しみのところ失礼致します、我がリーダー」
低い、声色。人間のそれとはかけ離れた人馬はこう続けた。
「準備は着々と進んでおります。お目通りをお願いしたく存じます」
「分かった。行こう」
着崩れた服を直し、踵を返す。
リアは叫ぶようにして言った。
「逃げるのか! まだ勝負はついてないだろう!」
「着いたさ……今しがた、貴様の腕を切り落とし……そして襲撃の準備が進んでいるとの情報も入った。貴様らの負けは濃厚だよ」
そう言ってロストと人馬は黒いゲートの中へと消えていった。
「クソ……」悪態を漏らす、リアを残して。




