第6話「静寂を破る足音と忍び寄る影」
冬の寒さが底を打つ頃、ヴィオの帰りが遅くなる日が増え始めた。特務機関での任務が佳境に入っているらしく、朝早くに屋敷を出て、深夜に疲れ切った様子で戻ってくる日々が続いていた。
その日の夜も、ルカはリビングの暖炉の前でヴィオの帰りを待っていた。ヴィオは火の匂いを嫌うが、彼がいない間の底冷えする屋敷の中で、ルカ一人では到底温まりきらないからだ。パチパチとはぜる薪の音を聞きながら、ルカはウトウトとまどろんでいた。
ふと、玄関の方から微かな物音が聞こえた。いつもよりずっと早い時間だ。ルカは目をこすりながら立ち上がり、廊下へと向かった。
「ヴィオさん、お帰りなさい……?」
ルカの言葉は途中で途切れた。玄関ホールに立っていたのは、ヴィオではなかった。見知らぬ男が数人、黒い外套に身を包み、音もなく屋敷の中に侵入していたのだ。彼らから発せられるのは、血の匂いと、冷酷な殺意が混じった不穏なフェロモンだった。
『だれ……? ヴィオさんの部下の人じゃない』
ルカは本能的な恐怖を感じ、後ずさりをした。しかし、侵入者の一人がルカの存在に気づき、冷ややかな視線を向けた。
「おい、こんな所にカピバラのオメガがいるぞ。ヴィオの趣味か」
「どうでもいい。目的はヴィオの暗殺と、機密書類の奪取だ。邪魔な奴は消せ」
男の一人が懐から鈍く光る短剣を取り出し、ルカに向かってゆっくりと歩み寄ってきた。ルカは恐怖で足がすくみ、声も出ない。平和な薬草園で育った彼にとって、これほどむき出しの悪意に触れるのは初めてのことだった。
「ヴィオさん……」
ルカは震える声で、その名を呼んだ。その瞬間、玄関の重厚な扉が轟音を立てて蹴り破られた。
冷たい吹雪と共に現れたのは、銀色の髪を振り乱したヴィオだった。彼の金の瞳は怒りと殺意で燃え上がり、周囲の空気を一瞬で凍りつかせるほどの強烈なアルファのフェロモンを放っていた。
「俺の屋敷に泥足で踏み入り、俺の所有物に手を出そうとは……万死に値するな」
ヴィオの声は地を這うように低く、氷の刃よりも冷酷だった。侵入者たちはヴィオの圧倒的な威圧感に一瞬怯んだが、すぐに短剣を構えて襲いかかってきた。
ヴィオの動きは、蛇獣人特有のしなやかさと恐るべき速さを持っていた。手にした細身の剣が閃くたびに、侵入者たちは声を上げる間もなく床に倒れ伏していく。血飛沫が舞い、冷たい大理石の床を赤く染め上げていった。
ほんの数瞬の出来事だった。すべての侵入者を排除したヴィオは、荒い息を吐きながら剣を振るって血を払い、鞘に収めた。そして、その鋭い視線を、壁際で震えているルカへと向けた。
「……ルカ」
ヴィオが名前を呼んだ瞬間、彼が纏っていた恐ろしい殺気と氷のフェロモンが、嘘のように消え去った。ヴィオはルカに駆け寄ると、血で汚れた自分の外套を気にすることもなく、ルカを力強く抱きしめた。
「ヴィオさん……」
「怪我はないか。怖がらせたな」
ヴィオの体は、戦闘の興奮と外の寒さで氷のように冷たかった。しかし、彼を抱きしめる腕の力には、ルカを失うかもしれないという恐怖と、無事だったことへの深い安堵が入り交じっていた。
「僕は大丈夫です。でも、ヴィオさんが……」
ルカはヴィオの背中に腕を回し、その冷たい体を必死に温めようとした。ルカの甘い干し草のフェロモンが、血の匂いと恐怖を優しく包み込み、中和していく。ヴィオはルカの首筋に顔を埋め、震える声でつぶやいた。
「お前は俺の半身だ。お前を失ったら、俺は二度と温もりを感じられない。だから……絶対に俺のそばから離れるな」
それは、もはや命令ではなく、切実な願いだった。ルカはヴィオの言葉を胸の奥深くに刻み込みながら、彼をより強く抱きしめ返した。静寂を取り戻した屋敷の中で、二人の心はこれまでになく深く結びついていた。




