第六話 水底の戦い
美しかったであろう景色は、湖底の奥に進むにつれて荒れていった。枯れたサンゴに、何かがぶつかったようにひび割れた石柱。小魚の小さな群れのような魔物まで我が物顔で泳いでいる。
その荒れた光景を見て、スピカは唇を固く結んだ。彼女の誇りである聖域が魔物に汚されている現実が、彼女の冷静な表情を微かに曇らせた。
そうして湖底神殿の中に入った途端、音が吸い込まれるように辺りが静まり返った。石壁には古代の文様と思わしきレリーフが飾られている。光苔が薄く光り、神殿の中を淡く照らしていた。
「件の魔物はさらに奥、祭壇の間にいます」
広間を抜けてさらに奥へ進む。すると不意に何かが伸びてきて、アルタイルは光の剣でそれを弾いた。
水流が神殿の奥へと流れるのを感じる。その流れに乗って一気に奥まで向かうと、ふと青白い光が揺らめいた。
水の流れに漂う無数の触手が、まるで生きた蔦のようにゆっくりと伸び縮みしている。中心に浮かぶのは半透明な巨大な傘――神殿の入口を覆ってしまうほどの大きさがあった。
時に無数の触手がひゅるりと伸びては、石壁や床に叩きつけられる。触れた箇所からは激しい光が散り、石が水泡を吹いて崩れる。それはただの物理的な力だけでなく、体内に雷撃を帯びていた。
巨大な傘に眼はない。しかし透き通った傘の奥には紫色の核が揺らめき、まるで生き物の意思を宿すかのように脈打っていた。その鼓動に合わせ触手が波打ち、水全体が震える。
静謐でありながら圧倒的に凶悪な存在が、神殿の空間すべてを支配していた。
「なんだこの大きさは……!?」
「アルタイルさん!触手の動きに合わせて攻撃してください!」
スピカの水の欠片が煌めき、そこから水を纏った長槍が現れた。
触手がうねりながらアルタイルに襲い掛かる。水中をしっかりと蹴り上げて浮遊し、光の剣を振るう。剣が触手に触れるとその身を焼き、表面に痛々しい裂け目が走った。しかし触手は再び水流のようにしなやかに伸び、次の攻撃を狙って迫る。
一方スピカは、水魔法でアルタイルをサポートしていた。水流を利用して触手の動きを止め、攻撃の軌道を制限する。思うように身体を動かせない怒りなのか紫色の核が震え、触手を乱暴に振り回した。
「くっ……硬い……!」
少しでも長く触手に触れていれば、雷撃で追撃されてしまう。すぐに剣で斬り返すが、触手は次々と別の角度から襲い掛かる。飛び退きながら剣で反撃を続けるも、触手の力強さに、剣を握る手が痺れてきた。
スピカも水魔法で触手の動きを封じようとするが、傘が波を立てるように水流を巻き起こす。水流が二人を押し戻し、アルタイルは何度も体勢を崩され、スピカも魔法を維持するのに精一杯だった。
触手が二人の肌を裂く。アルタイルは剣で触手の一部を斬るが、他の触手が脇腹を打ち付ける。
「ぐはっ」
触手の鈍い痛みと雷撃の鋭い痛みが走り、アルタイルは大きく息を吐いた。スピカは水魔法で新たな水圧の塊を生み、触手を弾き飛ばすが、次の瞬間には傘を大きく揺らし再び触手を伸ばしてきた。
「アルタイルさん! 私の魔力を最大にして魔物の動きを封じます! その隙に渾身の一撃をお願いします!」
「分かった! 君を信じる!」
スピカは水魔法で触手を縛り、動きを封じると、傘が身動き取れないよう巨大な水流の渦でその場に留めた。そんな中アルタイルは水中で踏ん張り、剣を回転させて次々と触手を切断していく。スピカは残った魔力全てで水圧を生み出し、傘を下から押し広げた。
「これで……!」
アルタイルは勢いよく水中を蹴り、傘の下にある紫色の核を目掛けて飛び上がる。無意識で発動した光魔法が彼の身体を包み込み、飛び上がる速度が増した。それは、これまで剣としてしか形を取らなかった力が、初めて身体そのものに宿った瞬間だった。
そして衝撃とともに、水中に眩い閃光が広がった。アルタイルは剣で傘の中心を貫いた。
魔物は悲鳴にも似た音を上げ、触手を縮めながら、やがて動きを止めた。水流が静まり、神殿内に静けさが戻る。
アルタイルは身体中の酸素を押し出すように深く息を吐き、スピカも疲れた表情ながら微笑んでいた。
「……やりましたね」
「ああ。まさかこんなに手強い魔物がいるとは……」
倒れた魔物の巨大な身体は水底に沈み、虹色のような光を放ちながら淡くなって消えていく。
これで水の国にひとまずの平穏が訪れる。戦いで消耗した二人が顔を見合わせて互いを労った、そのときだった。新たな気配が、二人の前に現れた。




