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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

貴族院調査室

貴族院調査室です! ドアマット令嬢を作るのは違法です!

作者: 若桜なお

貴族院調査室シリーズ②。

前作を読んでいなくても単品で読めます。

前作が気になる方は

「貴族院調査室です! その婚約破棄ちょっと待ってください!

https://ncode.syosetu.com/n4059lk/」

をご覧ください。

「本日よりお嬢様の教育担当として参りました、アリア・フォルッカです。よろしくお願いいたしますね」


 そう言って笑みを浮かべて見せると、目の前のソファにだらしなく座り、ぽろぽろと食べかすをスカートに落としながら焼き菓子を貪っていたドルック子爵家の「お嬢様」は、忌々しそうに鼻を鳴らして見せた。あらあら、勢いがよすぎて鼻水まで出てしまいましたわよ。淑女教育のし甲斐があるお嬢様ね!


「また新しい人ぉ? あたし難しいの苦手なんだけどぉ」


 このお猿さんを淑女にするにはたしかに苦戦するだろう。今までの教師は、一向に話を聞く気のないこの「お嬢様」に手を焼き、諦めて手を引くか、厳しくしたために勘気を被って馘首(クビ)を切られていったのだという。


「デブのおばさんから教わるのやだぁ」

「これ、ニーナ、やめなさい! 彼女はトーレス伯爵家の紹介できてくれた、有能な家庭教師だぞ。彼女の教え子である令嬢は、学園でも成績がよいと評判なのだ」


 脚をばたつかせるお猿さんの隣で、父親のドルック子爵代理は貼り付けたような笑みをこちらへ向けた。──まぁ、褒めていただいたその過去の実績は、わたしではなく他人のものだけれど。

 アリア・フォルッカ男爵夫人は潜入捜査のために作り出された人物ではなく、現実にいる女性だ。トーレス伯爵家で、有能だと褒められるお嬢様を教育したのは彼女である。

 その素敵なお嬢様──マリアンヌ・トーレス嬢は、現在メインリィア王立学園の淑女科二年として、お友達と楽しい学生生活を過ごしている。最近裕福な伯爵家継嗣との縁談がまとまったようで、彼女を知る身としては嬉しい限りだ。

 有能な家庭教師であるフォルッカ夫人は、日々の実績が必要な職種に潜入する場合、その存在を貸してくれる協力者のひとりだ。ベアトリス(わたし)が彼女になりすましている間、貴族院の所有する豪華な別荘でバカンスを楽しんでもらっている。


「いや、ニーナはうちに来てまだ日が浅いのですが、とても見どころのある娘でして……。来年の学園入学までに基礎のおさらいをお願いしたく……」


 いや、お猿さん、淑女の基礎どころか、人としてのマナーもできてませんけど?

 そんな本音は表には出さず、わたしはフォルッカ夫人と同じ笑みを浮かべる。彼女はマナー教育も完璧にこなす有能な家庭教師だけあって、表情に癖がなくて真似しやすい。


「お嬢様はお若いですし、大丈夫ですよ。かわいらしくあどけない見た目から、美しい所作や難しい知識がこぼれ出たら、きっとどんな殿方も目を(みは)ることになりますわ」


 言外にマリアンヌ嬢のような縁談が来るかもしれないと匂わせたからか、ドルック子爵代理が笑み崩れ、お猿さんも目を輝かせた。


 いやいや、平民出の愛人の娘が子爵家に入ってから、もう二年も経ってるの知ってるからね?

 その間やりたい放題してるのも、父親である子爵代理がお猿さんを甘やかしまくってるのも、入り婿の子爵代理が後妻に迎えた元娼婦を筆頭に、家族三人で先妻の娘であり成人後はこのドルック子爵家を継ぐ予定のマーガレット嬢を虐げてるのも、ぜーんぶ知ってますよ?


 女子爵であった先代子爵が亡くなった後、継嗣であるマーガレット嬢が成人するまでの代理当主だというのに、ドルック子爵代理はやりたい放題やっていた。長年の愛人と、愛人との子であるその娘を、葬儀の直後に屋敷に迎え入れ、親戚からの連絡を絶ちつつ実の娘であるマーガレット嬢を虐待していたのだ。

 病身とされたマーガレット嬢は領地で静養していると表向きにはされているが、この家の屋根裏に押し込められ、下働きとして使われていることはわかっている。

 辞めさせたり、耐えられないと辞めていった使用人や家庭教師の人たちの密告でね!


 最初の通報があったのが半年前。下調べや潜入準備があるため遅くなってしまったが、お家乗っ取りは重罪──個人的には子どもの虐待は本当に許せないが、法律的には家の乗っ取りの方が断然重罪──である。

 裁判に使う証拠の確保とマーガレット嬢の保護。いたいけな少女をこれ以上つらい目には置いておけないので、さっさと片を付けよう!

 貴族の犯罪を取り締まる機関。それが我々貴族院である。


  ◇


「まずはマナーのおさらいから始めましょうか。ニーナ嬢の甘い顔立ちはお母さま譲りなのかしら? 微笑むとさらにかわいく見えますけれど、歯を見せずに笑うだけでさらに上品な美しさが生まれますよ」


 むっすりしているお猿さんに笑顔を作らせる。貴族女性は大っぴらに歯を見せられない。だから扇子が手放せないのだが、お猿さんは扇子すら持っていないようだった。子爵家に来た十二歳の頃はもっとひどかったようだが、二年間勉強をさぼっていただけあって、立ち姿すら美しくない。

 努力しない子は好きじゃないんだけど……まぁ、あんまり自分の立ち位置を理解できてる気もしないし、なにより高級ではない普通の娼館で生まれ育ったら、マナーより美貌の磨き方とか娼婦としての手練手管の教育が先にくるしね。床入り前にお客様との貴族的な交流が必須な高級娼館とは違い、顔合わせののちすぐ肌を合わせる娼館では、教養溢れる会話より男性への媚び方が優先なのは仕方ない。長年そういった教育を受けた子が、貴族的な優先順位や感覚をすぐ身に着けられるはずもないのだ。


「歯を見せないで笑うとかむずいじゃん」

「そうですね。でも、ニーナ嬢は口を閉じることができてますもの。そのまま口角を上げるだけですわ。難しかったらまずは扇子で隠してしまいましょうね」

「え、隠していいの? 今までの先生はダメって」


 そう告げて扇子を渡すと、珍しいものでも見るように扇子を開いたり閉じたりする。おもちゃにするのはやめてほしい。扇いで涼を得るための扇子ではない、貴族女性向けの繊細なデザインの扇子は高いのだ。わたしは私物を使うタイプではないのでこれは貸与品であるが、好みのデザインのものなので破損を歓迎できるわけでもない。


「反復練習で身につけるものです。扇子の後ろで練習を繰り返したらいいの。今までの先生たちは進捗状況が知りたいのもあって扇子を禁止されたのだと思いますが……。扇子を手放すのはニーナ嬢がわたくしへ見せられると思ったらでいいわ。まずは練習をしましょうね」


 貴族として生きるなら隠さなくてもできなくてはいけないから、家庭教師たちが扇子がなくても自然にできるように叩き込むのは道理にかなっている。が、彼女は貴族籍に残ることはできないため、これから生きる世界で不必要なことを教えるつもりはない。


「最初から完璧になんてできなくてもよろしいのですよ。苦しいと、イライラしてしまうでしょう? 貴族令嬢にはたおやかさや穏やかさが望まれます。それは心に余裕がないと生まれないものです」

「めんどくさーい。でもこの家を継ぐためだもん、仕方ないよね」


 おっと証言来たー!

 子どもの言うことだけれど、継嗣とならない異母妹がこんなことを気軽にいうような教育をしていたという証拠にはなる。よしよし、この調子でどんどんしゃべっておくれ。


「そうですね、自分の感情を思うままに表せないのは不快ですよね。でもドルック家は子爵なので、学園に入ると上位貴族の方が多いです。貴族世界では、基本的に自分より格上の方に歯向かうわけにはいきません。人の噂話をするとき、イラついても顔に出せないときなどは、扇子で口元を隠してしまうことが多いので、扇子で口元を隠すということは、すなわち後ろ暗い感情を持っていると相手に伝わってしまうの。だから皆様、できるだけ扇子を使わずに笑顔を見せるようになさっています。疑われるのは嫌ですものね」


 大きな証拠獲得に嬉しくなった気持ちを押し隠し、微笑む。わたしの笑顔を真似するようにお猿さんが口角をあげようとぷるぷるしている。

 お茶会や夜会などでは逆に扇子で口元を隠しつつおしゃべりするのだが、今は関係ないし、彼女が覚えなくてもいい知識であるから置いておくか。


「立派な子爵になるためにニーナがんばるね」


 きちんと寄り添いつつ説明すると、お猿さんは思ったより素直な様子を見せた。うーん、これは叩き直せる可能性、あり?


「ニーナ嬢は素直にお話を聞ける方なのですね。なら大丈夫、あなたは成長できる方です。わたくしと一緒に、まずはお父様をびっくりさせてあげましょう? さぁ、背筋を伸ばすことはできる? そう、イメージとしては頭まで一直線に、たとえば頭のてっぺんにに糸があって上へひっぱられている感じで。……できていますよ、上手です。頑張る子はとても素敵ですよ。まぁ、これではわたくし、すぐにお役御免になってしまいそうね」

「えっ、そうかなぁ!」


 褒めて伸ばすと頑張るタイプだったお猿さんは、今までのだらしなさが噓のように背筋を伸ばし始めた。ちょっと頬が赤くなっている。

 立場が上の貴族令嬢(あね)を虐げ、貴族家を乗っ取ろうとした罪で、彼女もまた断罪対象ではあるけれど……頑張れるようなら調査室(うち)で引き取るのもありね。

 貴族家の乗っ取りを企んだ人間──特に平民は間違いなく処刑対象なので、できたら斬首刑(そこ)からは逃がしてあげたいものだ。両親の方は無理だけれど。


  ◇


 思った以上にすんなりとお猿さんの教育は進んだ。今までの教師がさぼっていたとも思えないので、授業内容の低下と、なにより彼女が反抗しようとしなくなったのが原因だろう。反発しない相手なら授業はやりやすい。


 ひとしきり授業を行い、そのまま晩餐の席へと移る。本来なら家庭教師は家族ではないのでひとりで食事をとるのだが、今日は思った以上に懐いてきたお猿さんの希望と、食事マナーの授業の一環として一緒に食卓を囲むらしい。

 後から見返せる教材としてという、表向きの理由によって許された記録珠を手に、わたしは正餐室へ向かった。


「せんせー、あのね、せんせーはニーナの隣の席だからね」

「そうですね、よろしくお願いいたします。ニーナ嬢、楽しく思ってくださっているのは嬉しいのですが、跳ねずに歩くことはできますか? そう、優雅にね。”先生”の発音も、”せんせー”ではなく、”先生”とはっきり言えますか?」

「できるよーだ。今日はしっかり立てるようになったもんね! ね、せんせい!」


 にっこりと前歯を見せて笑ったお猿さんは、しかしすぐに「歯を見せて笑わない」という教えを思い出したのか、手にした扇子で恥ずかしそうに口元を隠した。

 これはねー、うん、環境が悪かったわね。素直にマーガレット嬢に謝れるようならば、部下として育成するか。


 そんなことを考えているとはおくびにも出さず、わたしはお猿さんに着席するように言う。着席の際の指導もすると、ゆっくりだが教えをなぞるように頑張っているのが見て取れた。よろしい、まじめに頑張る子は好きよ。

 しかし、わかってはいたけれど……正餐の席にマーガレット嬢の姿はない。席すら用意されていないので、これが毎日なのだろう。「家族は三人だけ」という無言の主張が苛立たしい。得意げに食前酒をたしなむ子爵代理への怒りに口元がひきつりそうになるが、そんな姿を調査対象たちに見せるわけにはいかない。


「揃ったようだね。では運んできてくれ。フォルッカ夫人、我が家自慢の料理を楽しんでください」


 わたしが着席するのを見届けると、子爵代理はいない長女のことなど気にもせず、そう言い放った。継子など食事の場にいないのが当然であると、その隣ですまし顔の夫人がグラスを傾ける。

 子爵代理の合図ののち、ひとりの少女がワゴンで前菜を運んできた。可哀想なくらい痩せていて、サイズの合わないお仕着せから覗く身体は実年齢より幼く見えるが、間違いなくマーガレット・ドルック子爵令嬢、その人である。


(胸糞悪ーい!)


 こういう仕事をしていると、加害者が自慢げに被害者をいたぶる場面に出くわすことも多いのだが、何度見ても気分が悪い。表には出さない訓練はしているのでわたしの余所行き顔は完璧だが、本当に不快だった。

 これは早く助けてあげなくては。


 テーブルの上に置かれた記録珠は、お猿さんの方を向いている。自分のマナーを客観的に見返すためという名目上、この記録珠にマーガレット嬢の姿は映らない。が、記録珠はひとつではないのだ。わたしは襟元に留めたブローチ型の記録珠で、マーガレット嬢の姿を映す。記録珠の持ち込みの許諾並びにこの記録が偽造ではないと示すための証拠が、お猿さんの前の記録珠だ。本命はわたしの身に着けたブローチとイヤリングに仕込まれている記録珠である。


 マーガレット嬢は全員に前菜をサーブすると、ぺこりと頭を下げて正餐室を後にした。イヤリングに移るように角度に気を付けて、それを見送る。


「ドルック子爵、記録珠をお許しいただき、ありがとうございます。食卓に持ち込むものではないのですが、これはニーナ嬢がさらに美しくなるために必要なものですので、助かりますわ」

「いやぁ、ニーナから言われた時にはびっくりしましたよ、夫人」

「ニーナ嬢をご覧になってください。美しく食べられるように気を使っているでしょう? 自分を客観視するということは、成長につながるのです」


 実際お猿さんはちらちらと記録珠を気にしながら、丁寧にカトラリーを使っていた。初対面の時の焼き菓子の食べ方からすると、別人のようである。


「素敵ですわ、ニーナ嬢」


 微笑んで見せると、口に料理を含んだまま笑おうとしたので、目配せする。ピッと背筋を伸ばして口を閉じたので、教育の成果は上々だ。やはり受け手にやる気があると伸びが違う。

 愛娘の姿に見違えたのだろう。子爵代理たちが満足そうな笑い声をあげた。咀嚼しながら口を開くのをやめた愛娘を見習ったほうがいい大人たちである。


 そんなこんなで前菜とスープが終わり、魚料理が提供された時のことだった。


「やだ、わたくしお肉の気分だと言ったじゃない! なんでお魚なんて持ってくるのよ!」

「え、でも……」

「口答えする気⁉ 本当にダメな子ねマーガレット! 罰として食事は抜きです。後で──」


 目の前にサーブされた魚料理を見て、夫人が刺々しい声を上げた。サーブの順番としてスープの後に魚料理が出るのは正しいのだが、彼女の気分とは違っていたのだろう。いつも難癖をつけて食事を抜き、あとから鞭打つと聞いていたが、その通りのことが目の前で行われるとは思いもよらなかった。

 さすがに客人(わたし)の目を気にしてか、鞭の一言が出る前に子爵代理が止める。


「ターニャ、今日は夫人のために魚料理を提供しているんだ。君の分は下げてすぐ肉料理を持ってきてもらおう。マーガレット、早くしなさい」

「はい、お父様」


 鞭打ちの証言が取れたらよかったのになーと思っていたところに、子爵代理とマーガレット嬢の会話が落ちてきた。よしよし、これでドルック子爵家が正当な継嗣であるマーガレット嬢を使用人扱いし、同時に身体的にも虐待をしていた証拠になる。

 さすがにマーガレット嬢の返答にはまずいと思ったのか、焦った顔で子爵代理がわたしの方を窺ったのがわかったが、わたしはお猿さんの方を向き、いかにも家庭教師としてマナー指導をしていて見なかったといった風を装っている。

 やり取りを聞かれていなかったと安堵したのか、子爵代理が太い息を吐くのを耳にしながら、わたしは微笑みを浮かべた。


 証人による証言はたくさん集まっている。言い逃れできない証拠として鞭打ちの場面の映像もほしいから、あとでこっそり撮影しよう。でもなぁ、実際鞭打ちを見逃すのは嫌だから、一打ちしたところで割って入るか。ごめんねマーガレット嬢。本当なら鞭打たれる前に止めたいけれど、あのあほ夫婦をあなたの目の前から消すためには、ちょっと難しいんだ。鞭打ちは痕が残るからそれを証明としたいのだけれど、義母が実行犯だと突きつけるためには現場映像が欲しい。

 しかしなぁ、家の乗っ取りの罪を突きつけるには、先にとれたお猿さんの証言だけでは弱いんだよね、継子の虐待。マーガレット嬢虐待の罪で拘束して、その線から追い詰める? うーん難しい……。


 屋敷の見取り図を脳裏に浮かべてわたしは、今後の算段を組んだ。


 ◇


「マーガレット! この愚図! お前は本当に何もできないね! 魚と肉の区別もつかない愚か者! お客様の前でわたくしに恥をかかせるなんて、お前は何様のつもり⁉」

「お義母様……わたくし」

「奥様と呼べと何度言っても覚えられないのかこの間抜け!」

「奥様、申し訳ありません奥様!」


 上半身をはだけられ、おびただしい鞭の痕が残る背中を露出したマーガレット嬢が、頭をかばうようにしてうずくまった。ひゅん、と空を切る鋭い音がして、鞭が振り上げられる。


「こんな頭の悪い娘は娼館に売り飛ばしてやる! お前などいらないのよ! この家はニーナのものなの!」


 革が強く肌を打って裂ける。瘡蓋(かさぶた)にもなる前の傷を再度打ったために鮮血が飛ぶ。

 マーガレット嬢が低く呻いたそのタイミングで、わたしはドルック子爵夫人の手をつかんだ。証言が取れたんだもの、あとはこっちのものだ。


「な、あんたどこから入ってきたのよ! 放して! 男爵夫人風情が邪魔しないで!」

「貴族院調査室です。貴族法第三十一条ならびに貴族継承法第十条に違反したものとして、拘束させていただきます」


 貴族家の子どもの虐待とお家乗っ取りのため捕らえると宣言し、わたしは持っていた拘束具を作動させた。対象登録済みなので、即座に仕込まれた魔法によって愚かな夫人の動きは止められる。


「頑張ってくれてありがとう。本当にごめんなさいね、助けに入るのが遅くなって。第一級調査官、ベアトリス・アスキスです。マーガレット・ドルック嬢、あなたはこれから貴族院の保護下に入ります」


 傷に障らないよう、ショールで優しくマーガレット嬢の半身を包む。続いて変身の魔法を解いて身分証を提示すると、目を見開いたマーガレット嬢の身体から力が抜けた。


「貴、族院……あの、メモの……」


 二年前まで令嬢教育と共に当主教育も受けていた彼女は、聡明にも貴族院の存在を知っていた。目を見開いたのち、緊張の糸が切れたのか、ふっと意識を失う。華奢な少女の身体を受け止めたわたしの耳に、玄関の方から騒がしい物音が届いた。


 必ず助けるから、つらいだろうがドルック子爵夫人を煽るよう伝えたメモを、ひそかにマーガレット嬢のもとへしのばせ、またそれと同時に、貴族院所属の騎士団へうまくいけば捕縛可能になる伝達を、わたしは晩餐の後こっそり行っていた。

 しかもうまいこと加害者本人からの証言が取れたので、身分証による任務完了の知らせを予定通り行うことができた。多分彼らは屋敷のすぐ近くに待機していたのだろう。完了連絡直後に玄関から急襲したようだった。ここにもすぐやってくるだろう。

 騎士たちに見られる前に、この背中の傷に軽くガーゼを当てて服を着せなおそう。それをするくらいの(いとま)はあるはずだった。


  ◇


「お疲れ様」

「まさかの潜入当日に任務完了という進行具合にびっくりしたよ」


 被害者加害者含め、ドルック子爵家一同と使用人たちをまとめて貴族院へ送致したのち、わたしは報告のため調査室に戻った。深夜であろうが昼間だろうが、誰かしらいるのがこの部署である。


「腐りきってましたからね。あとフォルッカ夫人を舐め切ってた。男爵夫人だから黙らせられるとでも思ったんですかね? トーレス伯爵家の紹介だっていうのに。まぁ、それだけ考えなしだから家の乗っ取りなんて気軽に実行したんでしょうけど」


 計画のためとはいえ、マーガレット嬢に鞭打ちの痛みを新たに味合わせてしまったふがいなさに、わたしは若干不貞腐れながら告げる。あんな目に遭わせておいて証言が取れませんでしたはダメだと思う。うまくいったからいいものの、あの時は完全に頭に血が上っていた。未熟すぎる。


「証拠は完璧だから、このまま落とせるよ」


 記録珠の確認をしていた事務官が片手をあげた。ホッとした空気が部屋に満ちる。


「あ、それなんですけど、次女の方は環境如何によっては矯正可能です。きちんとマーガレット嬢に謝ることができたなら、更生の余地ありと、処刑から隔離調教コースに換えたりできません?」


 まだ十四歳の彼女は、連座で散らせてしまうのは惜しいと思う。証拠品の一つである、晩餐の席の記録珠に触れながら、わたしは幼い少女を思う。マーガレット嬢はまごうことなき被害者だが、加害者であるニーナもまた、両親による優しい虐待の被害者ともいえた。教わるべきことを教わらず、親の言う噓だけを信じ切って義姉を虐げた義妹。


「ふむ……教育の結果、能力的に潜入調査官が無理だとしても、協力者としてどこかに置くことはできるな。娼館配置要員として育てることもできるか」


 わたしの報告に、室長が顎を撫でつつ頷いた。

 貴族院に所属するときには、様々な制約魔術を取り交わす必要がある。出身がどうであっても、貴族院を裏切らず貴族院のために行動できるのであれば、生きる道はある。それで命を繋いだ人間もたくさんいる。そう、一族の連座から免れたうちの夫のように。


 また新たな潜入調査を行っている夫と、その背にいまだ残る虐待の痕のことを思い浮かべ、わたしは手にしていた記録珠をそっと机に戻した。


  ◇


 ドルック子爵家の一件は、お家乗っ取りという重罪ではあったが、なにぶん下位貴族である子爵家のことであったため、そこそこ早く裁判が終わった。


 これの前の仕事であった第二王子殿下の婚約者への冤罪事件は、王族が主体となって公爵家へ起こした事件だった上、関連貴族も多かったので、かなりの時間がかかっているし、なんなら第二王子殿下への最終判決はまだ行われていないけれど、元凶の男爵令嬢への処罰はこの間決まり、彼女とその家族は貴族籍を失って娼館や鉱山や修道院などに散っていった。多分ほとぼりが冷めたころに公爵家の手の者によって行方知れずになるだろうが、そこは貴族院(うち)の管轄外だ。我々は法によって処罰を決めるが、それは貴族の体面を守るには少し弱い。高位貴族を舐めたらどういう結末になるか、彼らは身をもって知るだろう。第二王子殿下は──多分幽閉かな。その後毒杯を頂くことになるかは、王家の采配であろう。


 さて、ドルック子爵家の話である。

 お家乗っ取りの主犯として、子爵代理とその夫人は公開処刑となった。彼らは代理とその妻なので厳密な貴族ではない。そのためすぐに判決は下ったし、処罰も近々行われる。前述の王子殿下の事件は民衆にも知れ渡ったものの、誰も処刑まではいかなかったため、そのガス抜き兼見せしめとして城下町の広場で行われる手はずだ。

 子爵代理の実家であった男爵家も、犯罪者を出した家として連座での処罰を受けた。こちらは直接かかわっていなかったために処刑は免れたが、それでも多額の罰金を求められている。可哀想だが、他家の乗っ取りを防止するためにも必要な処置なので、逃げることはできない。あの家の財政状況からして没落するかしないかぎりぎりのところだろう。

 夫人が代理と出会い、お猿さんが生まれ育った娼館も、同時に査察が入った。後ろ暗いところが山とあった店ではあったが、上をごっそり挿げ替えて実質貴族院の手の内としたので、こちらは存続をしている。


 お猿さん──ニーナは、表向きその娼館へ堕としたことになっている。

 驚くことに自分の判断できちんと義姉に頭を下げることができた彼女は、処刑からは免れた。現在はわたしが担当として教育しつつ、見込みがないなら情報取得要員の娼婦に、あるようならば娼館の運営側に回ることになっている。場合によっては娼館(ここ)からこっそり出して潜入調査官になるかもしれないが、すべては彼女の頑張りにかかっている。


「先生!」


 娼館の下働きをしながらわたしの教育を受けるニーナが、愛らしく微笑みながらわたしを呼ぶ。貴族ではなくなったため、優雅に笑わなくてもよくなったというのに、彼女はあのときのわずかな教育をきちんと実践している。その手にあのとき渡した扇子が握られているのを見て、わたしは微笑んだ。


「ねぇ、先生。マーガレット様がお手紙をくださったの。わたし、あんなにひどいことをしたのに……わたしが正しく学んで生きることができるなら、許してくださるって」


 もう彼女は自分と、義姉であったマーガレット・ドルック嬢の地位の差を理解している。きちんと敬称をつけて接することができている様子に嬉しくなる。

 貴族院の保護下にあるマーガレット嬢は、現在療養院に入って心身を癒している。憔悴が激しかった彼女も、手紙をしたためられるまで回復してきているのは嬉しいことだ。健康になったら、学園に通うことになるだろう。マリアンヌ嬢たちがまだ在籍中だったら、つなぎを取って彼女を紹介しよう。


「ニーナ、頑張ってるわね。見込んだ甲斐があるわ。あなたならできるから、どこまで伸びることができるか見せて頂戴ね」

「……! はい、先生!」


 わたしの言葉で思わず弾けるように笑い、慌てて扇子で顔を隠す新たな教え子に、わたしは未来の光を見た。

 大丈夫、環境で人は変われる。わずかでもその手伝いができるならば、本当に嬉しい。


 さぁ、次の任務はなんだろうか。

三人称はやっぱり難しかったので、一人称に戻しました。

そしてやっぱりざまぁシーンが欲しいってことで、今回はざまぁまで含めてお送りいたしました。

ただ、その代わりに恋愛ジャンルから抜けちゃった……。

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― 新着の感想 ―
わりと処刑まで一直線な役割の多い義妹がきちんと更正してるのが良かった。大抵の場合毒親の教育が原因で猿化してるから無事に人類に進化できたようで安心した。 この調子でいくと娼館運営か工作員側にジョブチェン…
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