クイーン・サイド・キャスリング
リデル、ジュード、ローガンの3人は、開いていた窓から城館の一角と入り込んでいた。最初に馬をつないだ城壁沿いの樹林帯まで、もう一息。
3人が、しばしの休息を挟んだ後、回廊を走り始めると……
再び青白い雷光が閃くや、恐ろしい絶叫が回廊じゅうに反響したのだった。
「あれは何?」
絶叫の音源へ接近すると、回廊が豪華絢爛なものに変わった。贅沢な装飾鏡が連続している。時折り閃く雷光を受けて、そこは御伽噺の宮殿のように、幻想的にキラキラ光る空間となっていた。
行く手に、三ツ頭と6本腕を持つ甲冑モドキが立ちはだかった。天井に届くほどの巨体。
「気を付けろ、ジュード! 中に人が居ないのに動いてるぞ」
「あの大斧槍……黒魔術か!」
甲冑モドキは、右3本、左3本ずつの各々の手先に、ひとつずつ大斧槍を構えている。
ローガンとジュードの手持ちの武器は、小回りの利く短剣のみだ。だが、即座にリデルを背中に回して、戦闘態勢を取る。
甲冑モドキは、6本の大斧槍を振り回して突進して来た。
互いの太刀筋が連続して激突し、怪異な火花が飛んだ。異臭の光煙が噴き上がる。
到達域の短い短剣は、大斧槍との接近戦において圧倒的に不利だ。しかも、中の人が居ない――致命傷の基準が違う――という異常性が、戦況判断を狂わせる。
不意に、リデルは正解に気付いた。記憶がよみがえる。
――この甲冑を動かしているモノは、最初に街道で襲って来た、あの大斧槍の巨漢の、複製だ!
「妖魔契約! 挿げ替えてた頭の脳ミソを使ってるんだわ!」
再び大斧槍が大回転し、ジュードは身を沈めて回避した。大斧槍の刃が回廊の壁に食い込み、貫通するかのような深い断裂を作る。
ローガンが、腰に巻いていたロープを解いた。先端には、あらかじめ結索済みの金具がついている。
「行くぞ、ジュード!」
無言の了解。
ジュードが甲冑モドキに急接近した。懐まで飛び込みそうな勢い。
挑発に誘われた甲冑モドキは、より大きく身をねじって前進した。踏み込みが浅い。
ローガンが金具付きのロープを床スレスレに放った。
屈曲部にできた防具パーツの隙間に、金具の爪が掛かる。『黒魔術封じ』を塗り込めてあった金具は、派手な火花を放った。
甲冑モドキは関節部にダメージを負ったかのように、滑らかに動かなくなる。
再び大斧槍が舞い、刃先をかわしてジュードは飛びすさる。距離を取りがてら、ジュードも、金具付きのロープを甲冑モドキの腕の1本に絡みつかせた。
次の一瞬、それぞれのロープに力が掛かる。2種類のアサッテな方向に引っ張られた巨体は、身をねじり、ドウと横ざまに倒れた。
ローガンとジュードは、同時に殺到した。甲冑モドキの三ツ頭を狙う。
派手なアートとして作られていただけの薄い兜は、あっさりと刃を通した。怪異な火花が散る。
刃が通った孔から、人類の脳ミソに似たドロリとしたモノが溢れた。なおも異臭の光煙を噴出しつつ、ブクブクと泡立つ。
いつしか、野盗騎士団そのじつ第一騎士団の先発隊が、集結して来ていた。
「……お見事……!」
次の一瞬。
リデルは後ろから身柄を拘束された。
首筋に、冷たい刃。
「終わらん、私は此処では、まだ終わらんぞ!」
「ホールデン子爵……!」
リデルを人質として拘束したのは、ホールデン子爵だ。
彼の姿を見た者すべてが、息を呑む。
ホールデン子爵の姿は、変わり果てていた。
左半身のみが枯れ枝のような姿だ。ふくよかなシニア男の右半身と――枯れ枝の左半身。その、あまりにも異様な落差が同時併存する姿。
もはや死に物狂いのホールデン子爵は、自らの異常な『特殊性癖』を爆発させていた。
「魔女裁判にかけられた生娘の血を浴びれば、元通りの姿になれる! 鏡よ鏡、そうとも、いつものように肝臓を食えば、私はいつまでも若々しく居られるのだ!」
「現実は何処かの御伽噺じゃないわよ!」
「だまれ! おとなしく我が血と肉になるが良い。その緑の目、先ほど思い出したのさ! こんな姿になってから気付くとは思わなかったがな。アクシズの天文台で――あの炎の中から、私を睨みつけていた、宝石よりも見事な緑の目の、ガキが居た、とな!」
次の瞬間、先発隊の面々の並びが、不意に分かれた。
左右に別れた人波の間から、ヴェール姿の、威風堂々としたシニア貴婦人が姿を現した。ヴェールは大きく上げられていて、素顔が分かる。
見えるのは、素顔だけでは無かった。頭頂部まで見える。その頭頂部は、見間違いようの無い――王室伝統の宝冠を戴いていた。
ホールデン子爵が、絶望にうめく。
「じ、女王陛下……!」
それは一瞬の隙だった。ホールデン子爵の、更に背後に立った人影が、小さな短剣で、肥満体の側の脇腹を軽く刺した。
「ななな……!」
ホールデン子爵は、瞬時に「チクリ」と鈍い痛みを感じた。次に、身体全身がグッタリして来るのを覚えた。
長剣が石床に落ち、「ガシャーン」と音を立てる。
拘束が消え、リデルは唖然として振り返った。
そこに居たのは、リーダー・ヴィンセントそのじつ国王であった。しがない(?)野盗騎士団の首領を演じていた王国最高位のシニア男は、ユーモアたっぷりに、ウィンクを寄越して来た。
「狩猟の定番の痺れ薬、定番というだけあって常に頼りになるな。作戦名『クイーン・サイド・キャスリング』、これにて完成だ」
そして、先発隊の面々が、ぐんにゃりとしたホールデン子爵を取り囲み、確実に縛り上げたのだった。
*****
城館の戦いは収束した。
別動隊が、手際よく禿頭の老司祭を拘束していた。
老司祭は黒魔術を使い続けた影響で、禿頭のテカりだけだった怪異な光輪が全身に広がっていた。
怪異にテカる枯れ枝のような体格。法衣を透かして、全身ボーッと光りつづけている有り様は、さながら薔薇色の亡霊である。
老司祭ともども縛られて、『鏡の間』と自称する回廊の隅に転がされたホールデン子爵が、身体全身、痺れていながらも、なおも口だけは元気よく動かしていた。
「此処に居て良いのは、貴族と、称号持ちの騎士だけじゃ! 下賤な庶民が騒いで良いところでは無いわ、『鏡の間』は! そこの地味な野盗あがりヘボ野郎など、まさに庶民だろう! 追い出せ、そうとも、不敬罪で処刑しろ!」
ホールデン子爵が名指ししたのは、ジュードだ。
別に本当のことなので屁でも無いが、ジュードは気が引けるような思いを感じた。第一騎士団として威儀を正した仲間たちと居ると、伝令の少年たちと同じような身軽な年齢立場では無い分だけ――最も信頼する相棒のローガンでさえ、その出自は貴族階級だ。
「おお、そうだった。出発前にやっておこうと思っていたのだが、忘れてたんだ」
いまや王室伝統の宝冠に荘厳された堂々たる姿となった国王ヴィンセント陛下が、ポンと額を打つ。
その隣で、偉大なる女王陛下が首を振り振り、溜息をついて、ブチブチと言い始めた。
「最も大事な部分が抜けるのは貴方の欠点ですよ、ヴィンセント。だから国内の未解決事件が増えて、混乱がなかなか収まらないんです。今回のことだって……」
「それ以降は、ホールデン子爵へのお小言にとっといてくれ。お前のお小言は、大主教猊下の説教などより、長くて正確で細かすぎるからな。私へのお小言を始めたら、私の威厳が減る」