逃走する者、追撃する者~黒魔術の怪物たち
ホールデン子爵は、城館の中庭に家来を集め。雷鳴と暴風雨が殴りつけてくる中、大声で号令をかけた。
ゴシック尖塔『魔女封じ』扉の鍵を探し出すのだ。
――うら若い生娘の肉体で、あらん限りの『特殊性癖』を楽しむために、何としてでも。
次の雷光が、闇夜を照らした瞬間。
城館の中庭の向こう側――城門が、つづく雷鳴と調子を合わせたかのように、大きく開いた。
「何だ!」
ホールデン子爵が目を剥く。薔薇色甲冑で固めた家来のひとりが大声を上げた。
「何をしておられる、裏切ってるのか、クロフォード伯爵!」
勝手に城門を開いたのはクロフォード伯爵だ。壮年の上流貴族はいつの間にか、王国騎士の甲冑姿をしていた。
「裏切っているのではなく、表返っているのだ。済まんな」
人を食った言い方ながら、クロフォード伯爵の眼差しは冷静沈着である。
入城して来たのは、あの野盗騎士団だ。
ホールデン子爵が仰天のあまり飛び上がり、ひときわ威風堂々とした馬上の騎士を指さして、叫ぶ。
「ききき貴様は……野盗ヴィンセント!」
「余の顔を見忘れたか、ホールデン子爵!」
再び雷光が閃き、辺りは真昼よりも明るくなった。
野盗らのマントの下に、王国騎士の甲冑。装着している盾は、王国の第一騎士団の紋章盾!
「国王ヴィンセント陛下!」
「皆の者、禁術・黒魔術の盗賊団の首領、ホールデン子爵を捕縛せよ!」
「誤解だ! デッチ上ゲだ!」
「奇岩街道に出現した黒魔術、大斧槍の狂戦士が証言した! いさぎよく縛につけ!」
第一騎士団が、ホールデン子爵と、彼を取り巻く薔薇色甲冑の集団へ向かって、殺到する。
中庭は、混戦と捕縛の場となった。
捕縛が進行中の中庭の端で、クロフォード伯爵と、毒見役の中年騎士が情報交換を始めた。
「貴殿の言う『ツルッパゲ野郎』が居た、饗宴の場に。昔の『赤党』『白党』を統一した証としての、薔薇色の法衣で」
「何ですって?」
「リデル嬢の天然のトラブルメーカー気質、ヤツを白日のもとに……いや、雷光のもとに釣り上げた訳だ。あやつ、リデル嬢を『魔女の一族』として、魔女裁判にかけると宣言していたよ」
安全な回廊で待機していた、あの謎のヴェール姿の貴婦人が出て来た。ヴェールを上げて素顔を見せている。野盗騎士団の野営地に現れた、威風堂々としたシニア貴婦人だ。貴婦人は、第一騎士団の別動隊の面々に、テキパキと声を掛けた。
「急がなければ。かの狂信者の第一の高弟、リデル嬢の『血筋』を瞬時に判別しました。枯れ枝のような姿になったとは言え――アカデミー学園闘争の際に、魔術的逃走の禁術を使った影響でしょう――なお王国随一の黒魔術の使い手です」
「枯れ枝? あやつ、確か、ハンプティ・ダンプティ並の肥満体だった筈」
「どれだけ捜索網を広げても発見できなかった訳だよ、毒見役どの」
*****
古いゴシック尖塔『魔女封じ』の窓を封印している鉄格子は、教会の『赤党』『白党』党争の頃に、新たに取り付けられた構造物だ。鉄格子には、永久に暴走するタイプの黒魔術が仕掛けられていた。
「ホントに幸運だったな。『赤党』『白党』全盛期の頃の邪悪な鉄格子じゃ無くて、それより古い時代の堅牢すぎる窓枠のほうに、金具が引っ掛かって」
金髪青年ローガンが、いまだに怪異な火花と光煙を発する短剣を眺めて、呆れていた。
鉄格子を切断しようと、短剣を触れた瞬間に、黒魔術ゆえの怪異が起きたのだ。防護を施していなかったら、あっと言う間に錆びたようにボロボロになって、異常粉砕していただろう。
「この鉄格子、外から鍵が掛かってるし、この鍵穴に普通の金属が突っ込めないとなると……」
ジュードは、雨水で垂れて来た茶髪を再度かき上げ、鉄格子を隅々までチェックし直す。
不意に、リデルの『直感』が急に閃いた――『鍵』?
扉の近くに、何かがある。リデルは振り返り、すぐに気付いた。
上質な絹のハンカチでくるまれた、明らかに黒魔術仕様の『鍵』が落ちている。
「黒魔術の鍵があるわ。気を付けて。このハンカチの刺繍、何処かの紋章ね」
「この紋章、クロフォード伯爵のだ。クロフォード伯爵領にも港へ通じる運河があって、ホールデン子爵と取引していて……王都から離れたところに豊かな領地を持っていて、面従腹背の噂も。リーダー・ヴィンセントいわく、ただでさえ人を食ったような言動をする人だとか」
「だけど、黒魔術の鍵に、ハンカチ越しで、直接には触ってないわね……?」
「決まりだな。クロフォード伯爵は、こっちの味方だ。特別な内偵かも。試してみよう、ジュード」
ローガンはハンカチ越しに慎重に鍵を持ち、鉄格子の鍵穴に突っ込んだ。
カチリという、確かな手ごたえ。
「開いた!」
その時、扉の隙間から、焦げ臭い黒煙が噴出し始めた。明らかに火事の気配。
一斉に注目する3人。
真相はすぐに判明した。扉の外で、禿頭の老司祭のキンキン声が響いている。耳を澄ますと、尖塔の螺旋階段を行き来する集団の足音も。
「正義の火炙りじゃ、火刑じゃ! 薪を突っ込め、そっちの油も注げ、全部だ! おぉ、爆薬も持って来たのだな、察しの良いそなたに、あらん限りの祝福を。われらが真にして聖なる神の名において、この尖塔ごと、かの忌まわしき緑の目の『魔女』を、粉々に粉砕して、地獄の底まで燃やし落とすのだ!」
「まさか、黒魔術の爆薬に火を!?」
鉄格子は、跳ね上げ戸と同じ形式で大きく開いた。ローガンが鉄格子を上げたまま押さえ、ジュードがリデルへ向かって手を差し伸べる。
全開となった両開き窓から、リデルは身を躍らせた。ジュードが受け止める。
3人はロープの端に取り付き、飛び降りた。
凄まじい衝撃が扉を吹き飛ばし、まばゆい爆炎と共に襲って来る。
昔の名工による『狂気の石壁』――窓枠は耐えた。金具ごと。
長く垂れたロープは次の瞬間、3人分の体重を抱えてピンと張った。ブランコの要領で大きく揺れ始める。
ゴシック建築にお馴染みのフライング・バットレスが林立する間へと、意外なほどに、ゆっくりと――揺れてゆく。
この状況のせいか、過敏になったせいか、リデルの『直感』は、緊急的に全開となっていた。
――爆発が収まった『魔女封じ』の小部屋へ、あの禿頭の老司祭が飛び込み、真相を悟って烈火のごとく怒り狂っているのが『見える』。薔薇色の法衣の袖をひるがえし、手に刃物を持って、ロープを――
「ロープが切れる!」
リデルは叫んだ。
3人の前に、別の組み合わせのロープが迫って来た。フライング・バットレスの各支点に打ち込んであった金属楔と連携しているものだ。
「行け!」
ローガンの指示が飛ぶ。
ジュードはリデルを抱えたまま、ローガンと息を合わせて、一斉同時に今までのロープを放り、目の前に迫って来た別のロープへと、渡っていった。
フライング・バットレス沿いに斜めに張られたロープを、3人は少しの間だけ滑り、別棟の屋根へと到達した。
今までのロープは、尋常に、はるか下の地面へと落下して行った。無人の状態で。
禿頭の老司祭が地団太を踏み、妖魔のような奇声を上げた。薔薇色の法衣姿が、尖塔の螺旋階段を駆け下りてゆく。
古いゴシック尖塔は、端々から黒魔術ならではの怪異な色をした炎の舌を出しつつ、燃え落ちた。
*****
城館の各所で、出会い頭の剣戟がつづいていた。
進撃するのは国王ヴィンセント率いる第一騎士団。
防戦するのは、ホールデン子爵に与する――狂信者の高弟である禿頭の老司祭に忠実な――薔薇色聖騎士団。押され気味だ。
「あのホールデン子爵のクソが。至高の栄誉栄達の術を、授けてやったものを」
禿頭の老司祭は、忌まわしい呪文を叫んだ。余りにも忌まわしく、人類の言語では、とうてい説明できない呪文を。
異形の陳列物『甲冑アート・コレクション』が、一斉に動き出した。大斧槍を構えて。
兜から異形の翼や角が飛び出しているもの。胴体部の背中から妖精の羽を生やしているもの。神話獣との合体モノ。三ツ頭の兜を持ち6本の腕が生えているもの。
いずれの甲冑モドキも、全身、邪悪な記号を組み合わせた暗色の刺青だらけ――いや、異形の紋様だらけだ。街道を荒らした、大斧槍の狂戦士のように。
甲冑モドキの振るう大斧槍が、異臭の光煙を噴出しつつ、襲い掛かる。
新参騎士のひとりが手持ちの盾を掲げた。
大斧槍を受け止めた通常の盾が、瞬時に錆びたようになって異常粉砕する。
「く、黒魔術の怪物め!」
「お任せを」
女騎士ジョゼフィンが長剣を振るった。伝説の『黒魔術封じ』をまとう刃だ。
黒魔術の大斧槍を受け止めた女騎士の長剣は、怪異の火花を散らしたものの、異常粉砕せず……2回目の太刀筋が、甲冑モドキの兜部分を破壊する。
異形の爆裂音と怪異の蒸気。
砕けた兜部分から、ドロリとした何かが、こぼれ落ちた。人類の脳ミソに似た何かが。
甲冑モドキは、動力源を失ったかのように動かなくなった。バラバラの防具パーツに分解してゆき、石床へ崩れ落ちる。中身は空っぽだ。
女騎士ジョゼフィンにつづく、訳知りの野盗騎士団そのじつ第一騎士団の面々が、目を剥く。
「……脳ミソを食らう妖魔契約の、アレか!」
「妖魔契約をしていたとか言う大斧槍の巨漢、50回かそれくらい、頭を挿げ替えたとか」
「各個撃破しろ! 甲冑モドキの数は多くても、奴等は差し引き50人ないし60人の戦力だ!」
*****
ふくよかなシニア男ホールデン子爵は、老司祭から秘密裡に入手した『魔術的逃走』を使い、厳重な包囲を突破して、逃走に成功していた。
次々に捕縛されてゆく家来の全員を見捨てて。
禁術の代償は大きかった。
「チクショウ、走りにくくて、しょうがない!」
凄まじいばかりの、身体の違和感。
この世で何よりも愛する、秘密の宝物庫へつづく贅沢な回廊『鏡の間』へと走り込む。
ホールデン子爵は、不意に、回廊にならぶ装飾鏡に映った自らの影姿に、不審を覚えた。
反対側の窓の外で、再び青白い雷光が閃き、真昼のように明るくなる。影姿が、いっそう明瞭に映し出された。
ホールデン子爵の絶叫が響きわたった。




