饗宴の大広間~幕が切って落とされた
翌日は、朝から暴風が荒れ狂った。
海から押し寄せて来る壮大な黒雲の群れは、この辺り一帯に、唖然となる程の雨量をもたらすだろう。
天候の変化を熟知する地元の領民たちは、早朝から、嵐への対策に追われていた。
城下町の大通りを、ホールデン子爵の花嫁の婚礼馬車が行く。その豪華絢爛な馬車は、あわただしく行き交う領民すべての注目をひいていた。
警護するのは、華麗な薔薇色甲冑に身を包んだホールデン子爵と、同じく薔薇色甲冑に身を固めた親衛隊だ。
最初、野盗騎士団の拠点の近くまで実際に出迎えに来た勇敢な騎士たちは、装備も揃っていない下っ端のほうだった。城下町まで来ると、下っ端は不要とばかりに追い払われ、メンバーがごっそり入れ替わった。
――このようなやり方で、ホールデン子爵は、宮廷向けの『高潔な人物』という評判や華やかな経歴を捏造して来たのだ。
やがて、花嫁の馬車が城館に到着した。
城館の扉の前で、花嫁が下車する。上半身は分厚いヴェールで隠されていた。
「ブランドン侯爵令嬢。我がアバラ家にお越しいただき、恐悦至極」
ホールデン子爵は、華麗な甲冑に身を固めてなお、ふくよかな体型が透けて見えるシニア男だ。
その脇には、婚礼の儀を担当する禿頭の老司祭が居た。贅沢な薔薇色の法衣をまとっている。
ふくよかなホールデン子爵の体格と、禿頭の老司祭の枯れ枝のような体格は、並べて見ると、見事な極端である。
ホールデン子爵は、うら若き花嫁のヴェールをめくって、歓迎の口づけをしようとしたが……断念した。
折からの暴風でヴェールがめくれ上がらないように、花嫁の手が、端をきつく握り締めていたのだった。
ヴェールの中で、リデルは、禿頭の老司祭に怪異な印象を抱いた。
その禿頭は、光輪が異様にテカっていた。黒魔術の力を帯びた、不気味な光煙のような光沢だ……
*****
日没の空を分厚い雷雲が覆い尽くし、暴風雨が始まった。
だが、華麗なゴシック風の城館の大広間は、幾つもの贅沢な照明器具に火がともされていて明るい。
いよいよ城主ホールデン子爵の婚礼の儀が近づき、贅沢な料理の周りに大勢の賓客が集い饗宴たけなわである。
「今宵はめでたい日でございますな、ホールデン子爵! うら若き花嫁に乾杯!」
贅沢な衣装をまとう賓客の数名が、置き物のひとつに目を留めて大声で喋り出した。
「これは見事な古代機械、大型の天文時計ですな。各軌道を色分けするのに、惜しみなく宝玉を削り出して造形したと。古代金属と黄金と宝玉……国宝のものを除けば、古代の神秘の一族ゆかりのアクシズ天文台しか所蔵していなかったと聞いておりますよ」
「そう、かの天文台にあったものは、昔の火事の前までは現役で動いていて、暦作成に関わっていたとか」
身分の高い招待客のひとりが、酔いでフラフラになりながら、軽い調子で突っ込む。
「いやはや、ホールデン子爵ご自身が手を下して、アクシズ天文台に放火し中の人を皆殺し、天文時計から何から目に付く貴重な宝物や文物をすべて奪い取った、などという噂がございますが」
ホールデン子爵は呵呵大笑で応えた。
「ハハハ……! 何をおっしゃるかと思えば、クロフォード伯爵どの。その噂を立てたのは、下賤なヤツらの単なる嫉妬ですな!」
「そうそう、ホールデン子爵は、天文台が火事になった時、消火に尽力されていた側であられるのだから」
ホールデン子爵は、自慢話に余念が無い。
「あれは、すべて燃えてしまったから生存者は居ない。高潔なこと王国第一という私が、手を下したというようなフザけた内容など、根も葉もない噂に過ぎない。ハハハ……!」
ホールデン子爵の隣に着座していた花嫁は、ヴェールの下で硬い沈黙を続けていた。金糸銀糸が贅沢に使われた婚礼衣装をまといながら、その手は固く握り締められ、血の気を失って細かく震えていた……
…………
……壮年の上流貴族クロフォード伯爵は、たいていの上流貴族がそうであるように、貴婦人を同伴して饗宴に出席していた。
主だった賓客(男)の同伴女性は、贅を凝らした最新流行の華麗なドレス姿。対して、クロフォード伯爵の同伴女性は、上半身をヴェールで覆う旧式ドレス姿。重厚な雰囲気ながら、乗馬も想定した動きやすい衣装。
その不思議なヴェール姿の貴婦人は、花嫁が饗宴の料理にいっさい口を付けていない様子を見て取り、クロフォード伯爵と、ひそかに頷きあう。
後ろに控えているクロフォード伯爵の忠実な従者が、手品師さながらに、クロフォード伯爵と同伴女性に出されていた葡萄酒グラスを、持ち込みのものに差し替えていた……
…………
……高価な葡萄酒を次々にあおり、程よく酔いが回ったホールデン子爵は、怪異に脂ぎった額をテカらせつつ、「ニヒヒ」と笑いながら、にじり寄った。
「レディ・リデル。リデルで良いでしょうな、これから我々は一糸まとわぬ裸の付き合いになるのだから、ニッヒヒヒ、やはり、うら若い生娘の肌は、匂いも手触りも素晴らしい……」
手を握られ、薄気味悪いやり方で撫でられ、リデルの全身に鳥肌が立った。
舞踏会などで出る痴漢の如く蠢く手は、忌まわしい妖魔を連想させる感触だ。
もうひとつ、リデルの『直感』が、大声でハッキリと、『怪異』と叫ぶ対象が存在する。
城館のあちこちに――この饗宴の大広間の各所にも――贅沢な置き物よろしく陳列されている甲冑アート・コレクションだ。
通常の、実用的な甲冑では無い。神話伝説オカルトの類にハマった造形芸術家が、様々なオカルト幻想的なパーツを付け加えて組み立てた、甲冑モドキの怪物のようなオブジェである。
いずれの甲冑モドキにも、ギョッとするような大きな大斧槍が添えられている。装飾の偶然なのか、それとも『怪異』ならではの意図があるのか。
リデルの記憶を何度もつつく『直感』があるが、目下、ホールデン子爵の手の、怪異な感触への気持ち悪さが先に立って、それどころでは無い。
ホールデン子爵が、ついに、半ば恐怖に固まったリデルのヴェールを剥ぎ取った。
饗宴に集う大勢の賓客たちの好奇の視線が、花嫁の素顔に集中する。
次の瞬間、上座に近い位置に傲然と着座していた禿頭の司祭が、顔色を変えて立ち上がった。
「その緑の目……!」
枯れ枝のような老人のキンキン声が、大広間いっぱいに反響する。
「ホールデン子爵、『魔女の一族』の黒魔術に惑わされては、なりませんぞ!」
禿頭の司祭は、薔薇色の法衣の袖をひるがえして、花嫁を指差した。禿頭でテカっている光輪が、いっそう黒魔術のような怪異の色を帯びて、脂ぎったように光っている。
「この女は魔女だ。魔女裁判にかけよ。徹底的に火あぶりにして清めるのだ。その緑の目、忌まわしき妖魔契約の、黒魔術の証なり!」
窓の外で、激しい雷光が閃く。
城館全体を揺るがすような、大いなる雷鳴が、とどろいた。
*****
城館から隔離された位置にある、古く陰気なゴシック尖塔。通称『魔女封じ』。
ホールデン子爵と饗宴の酔客たち数名、そして禿頭の老司祭の手によって、リデルは塔の小部屋へ幽閉されてしまった。
饗宴の酔客のひとりクロフォード伯爵は、先ほどホールデン子爵に軽口をたたいたお詫びもあってか、熱心に、リデル幽閉作業を手伝っていた。
小部屋『魔女封じ』扉のロックが済む。
その鍵を渡されて手に持っていたクロフォード伯爵は、急に深酔いが回った様子で、勢いよく扉の脇の大窓を全開する。
暴風雨が吹き込んで来て、全員で仰天だ。雨水が顔面を襲い、腕でかばう羽目になる。
「クロフォード伯爵どの、何を?」
「酔い覚ましですよ、ファ、ファ、ファ……ハックション! ああ、しまった」
「しまった、とは?」
「踊ってたら、鍵を失くしてしまったみたいだ。この下、おっそろしい断崖絶壁だねえ。地面まで落ちてしまったな」
「何という事を! この世にひとつしか無い鍵を!」
ホールデン子爵は尖塔の螺旋階段を駆け下りて、城館へと走って戻って行った。家来へ命令する怒鳴り声が聞こえて来る。
禿頭の老司祭は、逆に喜色満面だ。落ちくぼんだ眼の奥には、極彩色の狂気が浮かんでいた。
「素晴らしいィィ! クロフォード伯爵に祝福を。あとは火を付けて、徹底的に燃やすのみ! 忠実な薔薇色聖騎士たちよ、油を、薪を、ありったけ持って来りゃれ!」
踊り狂いながら、禿頭の司祭は、尖塔の螺旋階段を駆け下りて行った。
そして、クロフォード伯爵その他の酔客も立ち去り、扉の前には誰も居なくなった。
*****
「落ち込んでいる時間は、終わりよ」
数刻ほども経過したと思われる頃、リデルは勢いよく椅子から立ち上がった。
瞬間、再び激しい雷光が炸裂し、口を引きつらせて硬直する。畏怖すべき大自然の猛威。
リデルは窓辺に近寄った。窓枠は木製だが、モノが良く、驚くばかり頑丈だ。
外側から封印してある鉄格子に当たって、窓は、それ以上大きく開いてくれない。暴風雨の圧力が、外から窓を閉じようとしている。リデルは踏ん張ったが、息が乱れた拍子に手の力が抜け、窓はビックリするような音を立てて閉じた。
完全に閉まり切る前の、その一瞬。
不思議な金属音が、長く残響した。
よく見ると、両開きの窓が、金属製のカギ爪を挟み込んでいる。
リデルが窓を開いていた間に、偶然に風雨の加速を受けて、内側へ飛び込んで来たのだ。窓辺を形作る段差に、カギ爪がシッカリ掛かった形になっている。
カギ爪のもう一方の端は、窓の外に飛び出している。端には孔があり、ロープが堅牢な結索を作っていた。そのロープは、端が長く長く延びていて……この尖塔の、はるか下まで垂れている。
――金属楔の一種? 忍者の道具?
目の前に出現した存在の意味が分からず、リデルはポカンとするばかりだった。
*****
ゴシック尖塔を構成する『狂気の石壁』。次の取っ掛かりが見つからず、難儀していたジュードとローガンは……いきなりの手応えに仰天した。
窓の鉄格子に金具が掛かってくれれば……と、この暴風雨の中、ほとんど邪道な、成功率の低い賭けに打って出たところだったのだ。
「成功したらしい」
「……何だと?」
再び突風が吹き、2人は滑落しそうになる。新たに掛かったロープは、命綱と同じくらいの確かな強靭さで、見事2人の体重を支えた。
「信じられんな」
ローガンは首を振り振り、複雑な組み合わせになっていた数多の連携ロープを一部回収した。別棟へつづくロープを残しておく。
この後は、単純な登攀となった。
一気に鉄格子窓まで到達する。
窓辺に置かれていたランプの光の中、リデルが緑の目を大きく見開き、口に手を当てていた。