目の前の盤面いっぱいの違和感よ
篝火が焚かれている、リーダー・ヴィンセント一味の野営地のひとつ。
宵の底、木立の中に紛れるようにして、意外に丁寧な造りのコテージがある。外側から鍵が掛かっているその中に、花嫁は、丁重に閉じ込められていた。
あの死神さながらの奇岩との衝突を回避して、灌木の茂みに突っ込んだ後、リデルは失神してしまっていた。急遽コテージへ運び込まれたため、着の身着の――各所が破れて汚れた、純白の婚礼衣装のままである。
コテージの扉の外から、丁重なノック。次いで、鍵が外れる音。
ギクリとして身を起こし、緑の目を見開くリデル。震える手が、胴着の秘密のポケットに触れた。
扉が開いて人影が現れた瞬間、リデルは気合を込めて、隠し持っていた短剣を突き立てた――突き立てようとしていた。
強い衝撃が走った後、短剣は弾かれ、コテージの床に叩き付けられていた。
人影は、リデルの動きを予期していたかのように、熟練の身のこなしでもって短剣の突きをかわし、弾いていたのだった。
男ならではの凄まじい力で、リデルの手首が拘束される。
「放しなさい、無礼者! 騎士ルーファスとジョゼフィンをどうしたの! グレアムは!?」
戸外でランプが動き、辺りに光を投げた。
リデルの手首を拘束していたのは、茶髪青年。地味だが、均整の取れた人相。リデルの緑の目の鮮やかさに気付いた様子で、しげしげと注目して来る。
そして、妙に気品のある声音と共に、無精ヒゲのシニア男が新しく入って来た。意外に背丈がある。
「御父上におうかがいしていた通りのお転婆ですな、レディ・リデル。だが、ケガも無く、お元気なようで何より」
「だから申し上げたでしょう、リーダー・ヴィンセント」
ランプ担当の若い金髪青年が快活に笑っている。いつ拾ったのか、弾かれていたリデルの短剣は、既にその手にあった。
新たに登場した無礼者たちを、リデルはキッと睨み付ける。
「まぁまぁ、むさくるしい男たちが並んでたら、収まるモノも収まりませんよ。ささ、間を空けて下さいな」
さらに扉の向こうからテキパキと現れたのは、気の良さそうな丸い顔をしたシニア女性。整った言葉遣いや着衣など、何処かの貴族の正式な家政婦といった風。
荒んだ集団の中で、それなりの淑女が無事で居られるとは思えない。リデルは呆気に取られた。
シニア女性は、手押し車で持ち込んで来ていた湯桶を床に降ろすと、懐かしそうに微笑んで、淑女の礼をした。
「ブランドン侯爵令嬢レディ・リデル。お健やかにお育ちになられて。御母堂に似て、お小さい頃はよく熱を出されてハラハラさせられておりましたが。わたくし昔、ブランドン侯爵家の乳母、兼、家政婦でしたの。今は亡き侯爵夫人には大変よくして頂きまして」
リデルは、訳の分からない思いで見つめるばかりだ。既に手首の拘束は解かれていたが、戸惑いのあまり、脱走という考えすら浮かばない。
「もしかして……アガタ夫人? とか……」
「あら、名前を憶えていてくださってたなんて光栄ですわ」
「よく話してましたから……シスターと侯爵夫人が、いえ、母が」
丸い顔をしたシニア女性は、にこやかに笑いを返すと、テキパキと3人の大の男たちをコテージの外へ追い出したのだった。
「泥だらけで凄いことになって、お嬢様。お城の設備には到底及びませんが、湯あみしてサッパリしてしまいましょう」
アガタ夫人はリデルのほうを再び眺め、察し良く説明を加える。
「従者の方も、お馬さんも、別の所で元気にしてますよ。随分と疲れている様子でしたが」
「野盗の仲間なの? 戦斧とか、大斧槍とか……」
アガタ夫人は、気の良さそうな丸い顔に、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「詳しい事はお教えできないのですよ。ただ、ヴィンセント殿も、他の方も、公正で頼りになる方である事は保証しますわ。あの悪徳領主ホールデン子爵よりも、ずっと。そのうち皆さんとお話できる機会も下さるでしょう」
「悪徳領主? 王国第一の高潔な騎士って……」
「あんなの嘘っぱちですよ。地元の人たちは、みんな知ってます。すさまじい苛斂誅求で脱走する領民がドンドン増えてるし、貿易の品は禁じられた毒物やら密輸品やら、山吹色の賄賂だの、黒魔術だの、時代遅れの魔女裁判だの……魔女裁判を始めた元凶の狂信者は、既に地獄の底まで召されたというのに。まぁ、難しい話は後にしましょうね」
アガタ夫人の熟練の介助のお蔭で、リデルの湯あみは想像以上に快適なものとなっていた。
リデルは緑の目を閉じて、ウトウトし始めた。いっぺんに色々な事が起きて、疲労困憊だ。
やがて、アガタ夫人は、豊かな黒髪の巻き毛をかき分けて、リデルの背中を流し始め……
ハッと息を呑んだ。
うら若い貴族令嬢レディ・リデルの背中には。
既に癒えた状態とはいえ、ほぼ全面に、痛ましいまでの火傷痕が広がっていたのだった……
*****
疲労困憊のリデルが寝入った頃。
夜も眠らぬリーダー・ヴィンセントの野営地の一角。拠点コテージの中で、さらなる検討会議があった。
アガタ夫人が不安そうな顔をして、こっそりと包んだものを小卓の上に広げる。
リデルが着替えて寝入った後に……女性ならではの、縫い目の乱れ・ホツレ糸1本たりとも見逃さぬ緻密な手際でもって、婚礼衣装一式を隅々まで調べ上げた――その成果だ。
暗殺用の小さな短剣の数々。各所へ隠し持つための自作の剣帯。さらに、最初に取り上げていた短剣――婚礼衣装の胴着に隠されていたブツも追加される。
早速、金髪青年ローガンが刃物を改め、ヒュウと口笛を吹いた。
「禁術の毒物を塗ったのか? 色が其れっぽいが」
脇に控えていた毒見役が、刃部分に鼻を近付けて検分する。
「毒の臭いはしない。狩猟の定番の痺れ薬の類だ。かなり酩酊するが基本的に無害。加熱で作用成分が無効化する。何せ、その後、解体して料理して、食うんだからな。染色ハーブの匂い……草木染めで、特定の毒物の色を出した訳だ。かなり上手に染まってる」
「禁術を偽装? 手の込んだイタズラにしても、ギョッとさせられる代物だな?」
「うむ、こっちの色合いは誤り……薬物図鑑を参考にしたな。塗色ミスが指摘されてた旧版のヤツだ。だが、初めて見る組み合わせだ。実に興味深い」
しまいには、毒見役はウキウキとなって、メモを取り始めたのだった。
無精ヒゲのシニア男リーダー・ヴィンセントが、半ば面白がっている顔を『客人』の面々に向けた。
拘束済みの男女の警護騎士と老御者。名前は既に判明している。ルーファス、ジョゼフィン。そしてグレアム。
「大した重装備だな。誰にも気付かれずに、リデル嬢は、これだけの数を準備していた訳か?」
ブランドン侯爵家の忠実な家来は、3人全員、知らぬ存ぜぬだ。さすがに男性陣は呆然としていたが、女騎士ジョゼフィンは、チラリと訳知り顔を見せた。
令嬢の短剣の数々をどうするかについて、リーダー・ヴィンセントと、その側近たち――金髪青年ローガンや茶髪青年ジュードも居る――の間で、相談がつづいた。アガタ夫人も交えて。
充分な距離を取った野営地の他の場では、夜通し篝火が焚かれ、戦士たちのよもやま話が続いていた。酒が振る舞われていたが、話題は意外に堅い。
「まさか今日という今日に、例の黒魔術のギャングが釣れたとは」
「あの大斧槍の怪物を生け捕りに出来たのは大きいぜ」
「リーダー・ヴィンセントのご指示どおり、聖別済みの盾を準備して正解だったな。あんな本格的な黒魔術に当たるとは。狂信者が生きてた時代ならともかく、今は、王国あげて黒魔術の根絶に全力だから」
「特別に例の枠を空けて尋問中だ。奴は自慢の腕を失って相当ガックリ来たな、興味深い内容を喋り出した」
……小耳に挟んでいるうちに、ブランドン侯爵家の家来たちの胸の中には、違和感が育ち始めていた……
*****
ジュード青年を、レディ・リデルの食事及び世話、見張りの担当とする、というリーダー・ヴィンセントの決定が下った。
「何で、オレが?」
首を傾げたジュード青年に、金髪青年ローガンが苦笑いを返す。
「お姫様は天然のトラブルメーカーだ。対応できるのはジュードくらいだろう。偶然にして大斧槍男を釣り上げた件や、奇想天外な落馬と激突未遂の件も踏まえての決定だ。気を締めて、頑張ってくれ」
リーダー・ヴィンセントは無精ヒゲを撫でながら、思案顔になった。
「アガタ夫人の説明によれば、リデル嬢の背中一面に火傷痕が残っている」
「貴族令嬢には、むごい話ですね。異常な特殊性癖で有名なホールデン子爵、そんなこと気にしないような気もしますが」
「ブランドン侯爵令嬢が火事に遭ったという話は無かったような気がするんだ。いや、ブランドン侯爵は確かに昔、夫人と令嬢と共にアクシズ領を表敬訪問している。アクシズの丘の天文台が火事になった時、騎士仲間と共に救護と消火に尽力していたそうだ」
心得た顔をしている金髪青年ローガンが既に衣装棚を開き、必要な衣装を用意し始めている。その間にも、無精ヒゲのシニア男リーダー・ヴィンセントの話は続いた。
「リデル嬢が6歳の頃、アガタ夫人がブランドン侯爵家を退職した。その後、ブランドン侯爵一家はアクシズ領を表敬訪問し、余談ながら、例の天文台の火事騒ぎがあった。そしてブランドン侯爵一家は領地に帰還した。リヴェンデル女子修道院の派遣女医シスター・G・エルダーを伴って」
「優れた医療で知られる女子修道院ですね。火傷治療のための女医の派遣、不自然では無さそうですが」
ローガンが情報を補足する。
「古参の家来、老御者グレアム氏によれば、シスターはブランドン侯爵邸に、そのまま滞在していたとか。それも数年という長期にわたって。女医としてブランドン侯爵夫人の最期を看取ってくださったばかりでなく、使用人が病気や怪我をした時にも診てくださったので、たいへん心強かったと」
「だが、あのリデル嬢の緑の目……この深刻な違和感、ハッキリさせておかないと気が済まん」
リーダー・ヴィンセントは、そうボヤいた後、急な遠方出張へと出発して行った。
ジュードは首を傾げるばかりだ。
「……あの令嬢、予想のはるか斜め上を突っ走る、白の『ビショップ』なのか? 女ビショップ、か?」
「ホールデン子爵は、さしずめ、チェス盤の黒の『キング』だな……白の『キング』リーダー・ヴィンセント、どう動かれるのかな?」
ジュードが生真面目な顔になって『ギロリ』と睨んでも、金髪青年ローガンは面白がっているだけだった。