黒魔術の中のボーイ・ミーツ・ガール
ジュードとリデルの出会いは、1週間ほど前――
*****
年頃の娘に成長したブランドン侯爵令嬢リデルのもとには、縁談がやって来ていた。
ホールデン子爵との政略結婚。
海沿いの広大な土地を領有するホールデン子爵は、王族に近い高貴な出自を誇り、王国第一の高潔な騎士としても知られている。宮廷重鎮たちの覚えめでたく、領内の港における数々の貿易事業も成功しているとのことで、王族もうらやむ金持ちだ。
国王・女王と、王国教会の大主教の連名による結婚命令書が届いた、その日の夜。
添えられていた肖像画を一瞥した瞬間、リデルの緑の目は凍り付いた。次に、熱心な承諾と……青ざめた笑み。
ブランドン侯爵は不審を覚えた。
婚礼馬車が出発した後になってから分かった事だが。
令嬢の部屋に運び込まれていた、等身大のホールデン子爵の全身肖像画に起きた変化が、言外の真意を示していた。
きらびやかな衣装をまとった、年齢・立場相応にふくよかなシニア男性の肖像の、その心臓の位置に……短剣が、深々と突き刺さっていたのだった。
*****
その日、ブランドン侯爵令嬢は婚礼衣装をまとい、特別あつらえの馬車に乗って出発した。
馬車を警護する、壮年の男騎士と女騎士。馬車を操縦するのは、老御者。いずれもブランドン侯爵家の忠実な家来。
やがて……鬱蒼とした岩山樹林エリアを縦断する、細いながらも重要な街道に差し掛かる。
木立と巨岩が密集していて、木漏れ日はあるものの路上は薄暗い。
道路整備は大いに不足していた。馬車の通行は相応に可能だが、激しく揺すぶられること確実な、荒れた道だ。
街道の入り口。
石塚さながらの道標の周りは、『黒魔術封じ』のオマジナイで一杯だ。『聖別の盾』を模した護符、ありとあらゆる道中安全の護符……エキゾチックかつ奇妙なオブジェの数々。
男女の騎士は、馬上で『聖別の盾』と長剣を構え、戦闘態勢となった。
老御者も片腕に『聖別の盾』を装着した。馬車の連絡窓を通して、老御者は令嬢に警告を投げる。
「この辺りを跋扈しとる罰当たりな騎士クズレの馬賊ども、ホールデン子爵が討伐に力を入れておられるが、なかなか根絶が難しいとか。お嬢様、くれぐれもご注意を」
リデルも顔を引き締めて、頷いた。揺れに備えて、馬車に取り付けられている吊り革をシッカリつかむ。
「地図には、奇岩街道と書いてあったけど。追剥街道という二つ名で有名なだけのことはあるわね」
「御意」
老御者は、馬車の速度を上げた。高速移動に伴い、木漏れ日が目まぐるしく移り変わる。
予想どおり、気を抜けば舌を噛みそうなガタ揺れが馬車を襲って来た。不規則な凹凸の連続に、車輪が悲鳴を上げる。
馬車の窓をゆっくり眺める余裕があれば、本来の名前どおりの、不思議な奇岩・巨石の群れが、緑濃い樹林と共によぎって行くのを楽しめたであろう。
そして、この日、この婚礼馬車は不運だった。
早々と、複数の盗賊団や野盗騎士団の見張りの目に、引っ掛かっていたのだった……
*****
「デカいシノギだ。気を引き締めて行け!」
街道を見下ろす位置に鎮座まします偉大なる巨岩、通称「見張り岩」の上。無精ヒゲのシニア男、リーダー・ヴィンセントが指令を下した。
口々に「応」と返したのは、いかにも野盗という出で立ちの馬賊だ。
正式な作法での長剣の扱いや騎乗に長け、かつては本物の騎士だったという過去をうかがわせるものである。
そして実際、リーダー・ヴィンセント率いる野盗騎士団は、数多くの騎士クズレ、落伍者といった罰当たりな面々を抱えていることで知られていた。
*****
「敵襲!」
リデルの馬車を警護する女騎士が、鋭い警戒の声を上げた。
奇声を上げながら襲って来る、戦斧持ちの覆面男。徒歩の戦斧持ちが4人、5人ほど。
女騎士は馬に拍車をかけて突進し、長剣を振るって、先頭の覆面男の戦斧を弾いた。
異形音と怪異な火花。異臭の光煙を噴いて、覆面男が転倒する。
老御者が『聖別の盾』を掲げた。『聖別の盾』に触れた光煙は、怪異な火花と散る。
続いて、木立や岩陰の間から、徒歩の戦斧持ちが20数人ほど。
そして別の一団が、別の岩陰の分岐から新しく現れた。馬賊である。話に聞く野盗騎士団だ。
「ヴィンセントの悪魔! 大斧槍で皆殺しじゃ!」
戦斧持ちの1人が、怪異な煙幕に包まれて変身した。
煙幕から出現したのは、大斧槍を持つ半裸の巨漢。全身、邪悪な記号を組み合わせた暗色の刺青だらけだ。
妖魔さながらの異形の奇声。大斧槍の攻撃で、その辺の巨岩が砕けてゆく。
あおりを食らったかのように騎馬戦士の1人が馬もろとも倒れ、落馬した。
一瞬の間をおいて、騎馬戦士の後ろの巨岩に壮絶なヒビ割れが走った。巨岩は、異臭の光煙を噴出し砕け散った。
「大斧槍の怪物だ!」
周囲にいた騎馬戦士たちが、警戒の大声を上げて素早く散開する。
「黒魔術!」
「盾を装着! 聖別の盾!」
大斧槍が舞い、黒魔術の爆炎が閃き――異臭の光煙どころではない――それを受け止めた『聖別の盾』の表面で、壮烈な火花が散った。
盾が間に合わず、無防備に構えられていた一部の長剣は、異形の爆炎を浴びるや、一瞬にして錆びたかのようにボロボロになって形を失った。
野盗騎士団の足並みが混乱し始めた。
大斧槍の狂戦士は、野盗騎士団の、若くて弱そうな1人へと殺到する。
その地味な騎馬戦士は、曲芸さながらの手綱さばきで、馬を方向転換した。
いきなり空いた間隙――返って来ない手応え。巨漢がよろめく。
脇から新しく出現したのは、金髪の騎馬戦士だ。
すれ違いざまの、疾風迅雷のごとき斬撃。
肉と骨を、鉄剣が断つ音。
――木漏れ日の中を舞い上がる、大斧槍を握り締めたままの極太の片腕と……黒魔術を帯びた、怪異に光る血しぶき。
その金髪青年は、天才的なまでの長剣の腕前でもって、化け物のような巨漢の腕を斬り飛ばしていたのだった。
反動は大きかった。黒魔術の成分に触れた長剣は、瞬く間に錆びたかのように崩れ、刃の形を失った。
一瞬の、静寂の後。
徒歩の戦斧持ちの盗賊団が、パニックのままに散る。
チャンスを見て取った警護の男騎士が「行け!」とハッパをかける。
婚礼馬車は混乱を押し通った。数人ほどが車輪の下になり、骨折の音と悲鳴が連続する。
「ローガン、馬車が!」
「確保しろ! 誰か、剣を貸せ!」
「それ、持ってけ!」
野盗騎士団は、手際よく二手に分かれた。素早い戦況判断。寄せ集めのくせに、見事に統率の取れている軍事行動。
その有り様を見て取った男女の騎士は、敵ながらあっぱれ、と舌を巻いていた。
程なくして後。
婚礼馬車は、本来の路線を外れて危険な獣道へ追い込まれていた。元は巨岩だった大きな砕片が車輪を歪め、車軸を損傷している。
戦斧持ちの盗賊団の数名と、10人編成ほどの野盗騎士団が、見る間に迫って来る。
男女の騎士が迎撃のため方向転換する。走行能力を失った馬車の周りで、混戦が始まった。
あっという間に全滅したのは、戦斧持ちの徒歩の盗賊団だ。大斧槍の巨漢を失って、無力に近い状態になっていたという風だ。
野盗騎士団の戦闘力は、正規の騎士団に匹敵するレベルだった。
「いざ参る!」
金髪の騎馬戦士――ローガンと呼ばれていた――が、新たに調達したばかりの長剣を構えて、警護の男騎士へ呼ばわった。
男騎士が「応」と返す。
双方ともに突進し、人馬一体の一騎打ちが始まった。何故か、周囲の野盗騎士団は、礼儀正しく距離をおいて控えている……
一騎打ちは、伯仲していた。互いの太刀筋が、尋常に金属の火花を散らして交差する。
勝負を決めたのは馬の足取りだ。凹凸の地形を知り尽くす野盗の馬のほうが、足さばきが一段上だったのだ。
最後の会心の剣撃でもって、金髪青年ローガンは、警護の男騎士を馬上から振り落としていた。
警護の女騎士のほうも多勢に無勢で、速やかに長剣を奪われ、あの手この手の武器でもって馬上から引きずり降ろされる。警護の騎士は、2人ともに拘束された。
「逃げるのだ、リデル!」
まだ猿轡をされていなかった女騎士の、鋭い指令が飛ぶ。
老御者が、馬車馬を既に自由にしていた。
かねてから叩き込まれていた手順に沿って、リデルは馬車の緊急ドアを開き、前面部から飛び出した。御者席を踏み切って、馬へとまたがる。そして、駆け出す。
木下闇にも目立つ婚礼衣装が、ひるがえる。
リデルの『直感』が、ホールデン子爵の領地への正しい方向を選び取る。道なき道と見えた濃い茂みには、微かながら、明らかに人と馬の足によって踏み分けられている隘路があった。
「マズいぞ、此処はいいから追え、ジュード!」
ローガンの声に応え、地味な茶髪の騎馬戦士ジュードが、リデルの追跡を始めた。
木立が密に並んで薄暗い隘路の中の、逃走追跡劇がつづく。
リデルの馬は、パニックのままに、突如として行く手に現れた泥濘へ突っ込んだ。深みにハマって、つんのめる。
衝撃で、リデルの身が馬上から放り出された。高々と。
目の前に奇岩。
鋭く飛び出した突起が、死神の大鎌のように高速で迫って来る。
リデルは、叫ぶことすら忘れていた。
ジュード青年の馬が、矢のようにすべり込む。
曲芸師さながらに馬上の鞍から跳躍したジュード。宙に浮いたリデルの身を捉え、地上へと引きずり落とす。
わずか指三本ほどの差で、死の突起との激突を回避して。
重なったジュードとリデルの身体は、隘路を縁取る灌木の茂みへと、勢いよく突っ込んだのだった。
*****
その夜。
街道を見下ろす位置に鎮座まします神さびた巨岩、通称「見張り岩」にほど近い野盗騎士団の野営地に、多くの篝火が立てられた。
レディ・リデルの婚礼馬車が、約束の刻にホールデン子爵のもとへ到着しなかった事。
いつもより多くの篝火が、奇岩街道――その二つ名「追剥街道」――の、あちこちに見える事。ホールデン子爵の自慢の城からバッチリ見えるような高台を選んで、見せつけるかのように盛んに焚かれている。
この二つの事実から、ホールデン子爵が、この状況をどう理解するかは明らかだ。
ホールデン子爵のもとには、既に、うら若き花嫁の身代金の要求が届いていた。
目玉の飛び出るような金額だが、野盗騎士団の要求に応じなければ、十中八九、花嫁の無残な死体がホールデン子爵の領地にうち棄てられる……そうなれば、富と名誉と権勢を誇るふくよかなシニア男、ホールデン子爵は、王国の中で、それなりに気まずい立場に立たされる事になるだろう。