緑の目のレディ・リデル
長岡更紗さま主催『騎士コンビと恋愛企画』(2023/07/07~2023/07/18)参加作品です。
闇夜を切り裂く青白い雷光。つづいて爆裂する雷鳴。
荒れ狂う天候の脅威が、華麗なゴシック様式に彩られた城を、その高い塔の数々を揺るがしている。
目を遠くやれば、壮絶な時化の海が望めたであろう――岩壁を打つ荒波の響きが、此処までとどろいて来ている。
領主の城を取り巻く緑の木々が、暴風雨にあおられて大きく揺れ動き、騒々しい葉鳴りの音を立てていた……
*****
――自分が、この世で最もバカな所業に及んでいることは分かっている。
ジュードは、短丈マントを異国ターバン風に巻きつけただけの無防備な頭部を、勢いよく振りかぶった。
顔面を止めどもなく流れる雨水を振り払い、歯を食いしばる。
特殊な道具を駆使して、最初の難関である高い城壁を、速やかによじ登って行く。
――少年だった頃、群を抜く身軽さを、リーダー・ヴィンセントに見い出され……厳しい特殊訓練を受けて来た。
それ以来、尊敬するリーダー・ヴィンセントのもとで、数々の大きな作戦の中で、重要な片腕として動いてきたことは、誇りだ。
だが。
――この信じがたい愚行が、リーダー・ヴィンセントにバレた上に、目下の作戦すなわち、昼も夜も徹底的にマーク中の、この大きな城の攻略を左右する事態になれば。
ヴィンセントも、内偵に入って城内の逐次情報を流してくれている仲間たちをも、命の危険にさらしかねない。場合によっては、即座に縛り首か、火刑だ。
何故なら、この一帯を荒らしまわる野盗騎士団のひとつとして……しかも騎士クズレの、外道な落伍者ならず者の馬賊として、この大きな城の主に、生死問わずで名指しされているのだから!
再び大きな雷光が走った。
一瞬、ジュードの人相が青白く浮かび上がる。
地味な茶髪をした若者。険しく眉根を寄せ野盗らしく荒んだ風だが、均整は取れていて清潔な印象。
早くも眼下に見下ろす形になった樹林から、ジュードの愛馬のいななきが微かに聞こえる。さすがに、これほどの悪天候には、馬も不安を覚えている様子だ。
「もう少し我慢してくれ……必ず生きて戻るから、お姫様も一緒に」
愛馬のいななきが、返事のように返って来た。そして、静かになった……
程なくしてジュードは、吹き付ける雨風をものともせず、城壁の上へ到達した。
城壁をつなぐ空中回廊は複雑に折れ曲がっているが、あらかじめ頭に叩き込んである城の見取り図のとおりだ。迷わず分岐のひとつを選び、目当ての見張り塔へと忍び寄る。
見張り塔の警備は、城主の財力を見せつけるかのような、華麗な薔薇色の甲冑をまとう『薔薇色聖騎士団』の騎士1名。
ジュードの殴る蹴るを受けて、あっという間に失神し……石床に沈む。
石床と甲冑とがぶつかった時のけたたましい金属音は、外を荒れ狂う嵐の轟音にまぎれてゆく。ほかの見張り塔へ、その異変が伝わることは無かった。
猿轡をかませ、支柱に縛り付け。必要な処置を済ませたジュードは、はやる胸のままに、見張り塔のバルコニーへと駆け寄った。
激しく降りそそぐ雨を透かして、はるかに望むのは……さらに高所へとそびえている、ゴシック尖塔の黒い影。
その塔の頂の窓辺に、ささやかなランプの光。重厚な鉄格子に閉ざされた古い窓の形が浮かび上がって見える。貴人の幽閉のための、塔。
目を凝らしてみれば、窓辺のランプは、愛しいあの娘がいつも置いている位置だ。間違いなく。
ジュードの心臓が、大きくドキリと跳ねた。せつないまでに痛く、苦しく。
緑の目の、レディ・リデル。
明日の婚礼の儀で――早ければ今宵にも、この大きな城に住まう領主の奥方に――
いや、させない。断じて。
これから、オレがさらいに行く。
闇夜の中を荒れ狂う天候は、ひっきりなしに突風の向きを変えていた。ざあっと流れる雨が、若者の顔面を再び、びしょぬれにする。
ジュードは今一度、顔面をぬぐい。異国ターバン風にまとめた当座の頭巾を、締め直した……
…………
……到達して見てみると、見るからに手ごわそうな、硬度の高い石で出来た壁だ。王国を代表するような名工が手掛けたのは明らかで、古い時代の物にしては、驚異的なまでに凹凸が少ない。
雨水が滝のように流れ落ちる石造りの尖塔の壁は、この手の侵入に慣れた青年ジュードでさえも、相当ためらいを覚えるところだ。
「だが、やるしかない」
ジュードは腰に巻いたロープを繰り出した。先端には、石壁へ打ち込むための、登攀用の金属楔が取り付けられている。
「そういうと思ってたよ」
不意打ちの、背後からの男の声。
ただでさえ過敏になっていたジュードは、ビクリと振り返り……振り返りざまに、手に持っていた金属楔を、過たず音源へ振り下ろした。
嵐にまぎれてゆく鋭い金属音。声の主もまた、相当の手練れだ。
信じがたいまでの神業でもって――金属楔を短剣で受け止めた声の主が、苦笑を漏らす。聞き慣れた、おそろいの鎖帷子の音。時折閃く雷光が照らす琥珀色の双眼と、長めの金髪。
「落ち着け。兄弟子を攻撃するとは、あとで夜通し、シンクレア流の腕立て伏せの罰だ」
「ローガン! 何故――」
闇の中で、それほど年齢の違わぬ若者は、お互い瞬時に刃を退いて残心をとる。
「変なところで一途だからな、ジュードは。まして、忍ぶれど色に出でにけり……それはさておき、あの馬は自分で引綱を解いて、俺の馬を連れ出した。それで俺も、ジュードの行き先が分かったという訳だ」
「前から疑ってたが、あの――シンクレアの馬たち、本当に妖魔の子孫だったりするのか?」
「妖魔では無いぞ、妙に勘が良いのは、かの神秘の『一族』と同じく王国の七不思議のひとつだが……おい、ロープを間違えるな、こっちだ」
「ローガンも登ると?」
「こいつは難敵だ。黒魔術の全盛期ゆえの技術。妖魔契約による怪物的なまでの破壊力に耐えられるように、造成された――現代の名工さえも再現できない『狂気の石壁』。1人よりは2人がかりで」
「リーダー・ヴィンセントは……」
ローガンは、グッと詰まったかのように沈黙し、わざとらしい咳払いを返した。それが答えだ。
その後は、もはや最強のチームとなった2人の青年の間に、言葉は要らなかった。
*****
最低限の家具のみの、殺風景な石造りの小部屋。
華麗な城館とは別に分けられている、古く陰気なゴシック尖塔に、その小部屋はあった。
その窓は鉄格子によって封印されている。暴風雨に翻弄されて、ビリビリと震えているところだ。
簡素な椅子に腰を下ろしたのは、うら若い令嬢だ。金糸銀糸に彩られた豪華な婚礼衣装をまといながらも、椅子の背に、憔悴したように上半身をあずける。
窓の外でひときわ大きな雷光が炸裂し、令嬢はギョッとするままに頭部を起こした。
黒髪の巻き毛の下に輝くのは、真夏の木々の万緑よりもなお鮮やかな緑の目。
――『この女は魔女だ。魔女裁判にかけよ。徹底的に火あぶりにして清めるのだ。その緑の目、忌まわしき妖魔契約の、黒魔術の証なり!』
城館の贅沢な大広間で――饗宴の場で放たれた激しい侮蔑と殺意の言葉は、婚礼の儀を執りおこなう事になっていた禿頭の司祭からものだ。
雷鳴がボンヤリとして来る……極度の緊張と心労で疲れ切ったリデルは、いつしか、まどろんでいた。
まどろみの中で、記憶は過去へとさかのぼり……
……最初の鮮烈な記憶は、目の前で両親が長剣による斬撃を浴び、2人とも意識を失って石床へ横たわったところ。
リデルは6歳から7歳という年頃だった。
だが、その襲撃者の顔は、よく覚えている。その名前も、記憶に深々と刻まれている――もっとも先方は、血まみれの男女に取りすがって泣きわめいていた幼女のことなど、覚えてもいない。
先ほどの贅沢な饗宴の場で、本人が、そう言ったから間違いない。
――『あれは、すべて燃えてしまったから生存者は居ない。高潔なこと王国第一という私が、手を下したというようなフザけた内容など、根も葉もない噂に過ぎない。ハハハ……!』
放火を主導していた本人が、何を言うか。片腹痛い。
襲撃者の一味が笑いながら去って行った後、偶然に通りかかった勇敢な騎士の決死の救護が入らなかったら、リデルは、両親もろとも瓦礫の下で、一握りの灰になっていたところだ……
……リデルは華麗なドレスの硬い胴着に、そっと手をやった。
胴着の狭間に慎重に仕込んである短剣は、変わらず其処にある。何の装飾も無い実用一辺倒の品だが、特にこれを選んで、持ち出したのは……
不思議に甘やかに思い出される。たった数日の出来事なのに。
張りつめていた何かがゆるみそうになり、痛む胸を抑えながらも、リデルは素早く頭を振った。
先ほどは想定外の、司祭からの糾弾で呆然となったうえ。『魔女封じ』とされる古いゴシック尖塔の小部屋へ幽閉されて、チャンスを逃してしまったけれど。
(次は、必ず仕留める。あの憎むべき仇の心臓を)