最近買ったイヤホンがゴミだった件と不満から生まれる創作について
このクソ暑い中、ヘッドホン使うなんて頭いかれてんじゃないか。
いや、いかれてるのは自分の耳だわ、と思い立ってbluetoothのイヤホンを求めるようになった。スマホにイヤホンジャックがあれば持っているイヤホンを差し込めるのだが、今持ってるスマホには残念ながらついてない。ちくせう。
で、アマゾンとか楽天で良さそうなのを探す。そこまで音にこだわりはない。昔のiphoneに付属してたイヤホンぐらいの性能があればいい。いくつか巡るうちに本来6000円のが、でかでかと半額アピールされているのを見つけて少しお得な気分になった。どうせ常に半額になってるやつなんだろうと高を括りつつも、レビューも悪くないしこれでいいやと適当に決めた。
数日後、ポストに届いた。包装を解くと皮を剥いたタケノコみたいに箱が潰れていたが、まあ、問題は中身だと気を取り直してイヤホンを取り出す。中身の方はタケノコではなかったので安心した。ちなみに自分は、きのこ派です。きのこの山、おいしいよね。
わくわくしながら耳に装着しyoutubeから音楽を鳴らすと、あまりに音の悪さにトイレに駆け込――
ということはなかったが、音が酷かったのは事実である。
アマゾンで1000円程度で売ってるiphone付属のイヤホンの音質を10とするなら、今回半額で3000円したイヤホンは2、良く見積もっても4程度。
とんでもねえ詐欺商品に引っかかっちまったと、イヤホンを放り投げ、ネットの商品ページを開いて睨みつける。
美男美女たちと目が合う。しょぼい中華製のイヤホンをかっこよくキメていて、その周りにぎこちない日本語翻訳の美辞麗句がぎっしり詰まっていた。商品の中身についての説明はほとんどない。
再びレビューを見ると、やはり中身のない賞賛ばかりだった。
自分はこんなものに騙されるほど中身のない人間だったのか、と衝撃を受けた。しかも、映っているモデルたちと違って特段外見に優れているわけでもない。
最近は広告だけ派手で中身のない宣伝文句だらけじゃないか、どれも一緒だ、これに限ったことじゃないと納得しようとしても、流れる音質の酷さを前に愚かな自分自身と向き合わざるをえなかった。
呆然としたままタケノコ状に潰れた箱を拾って手に取る。
「あなたは中身も外見もゴミイヤホン以下ですよwww」
と煽られているような気さえした。
これは何かの陰謀だ。タケノコ派の仕業に違いない。じゃないとこんな形に箱が歪むわけがないじゃないか。やつらめ……絶対に許せねえ。
まず、このイヤホンのレビューをボロクソに書いた後は、次はたけのこの里の番だ。きのこの山の崇高さに比べ、たけのこの里がいかに劣っているか、そっちのレビューでも思い知らせてやる――
みたいなことを一瞬考えましたが、結局止めてなろうのエッセイで書くことにしました。
「不満」の持つ力というのは侮れないな、と改めて思った出来事です。
普段書きたい小説についての文章は何も浮かんでこないのに、ネットショッピングではずれ商品を買わされたというよくある話でもこうやって文句がつらつらと出てくる。
不満と言えば、最近エッセイ界隈で流行っている、文章ルールを守れない奴は小説書くのやめろ的な文章とそれに対する反論的な文章がありますね。
自分もあのエッセイを読んで色々と文章が浮かんだのですが、その内容については置いておきます。既にいろんな方が触れているので特に言うことはないです。
もし、逆にあのエッセイが「文章ルール気にし過ぎて何も書かないよりさっさと小説書け!」みたいな文章だったらエッセイランキングはいつも通りだったかと思います。
そのタイトルで不満を抱く可能性が低いからです。不満があると何か言ってやりたくなります。あのエッセイもルールを守れていない文章に対する不満から生まれたものだと思われます。
今回の外れイヤホン引いた話に関しても、もし3000円払って一万円クラスの音質だったら、ラッキーだったと満足しつつもエッセイにしなかった可能性大です。
満足よりも不満の方が創作しやすい、少なくとも自分は。エッセイジャンルもそんな気がする。なろうに対する不満が流行ってた頃もあったし、逆になろうに対する満足感的なものが流行っていたのは見たことが無い。
ざまあ、異世界等のなろう系、なろうに限らずそれ以外の多くの作品も、現実の不満が出発点になっているという観点があるかもしれません。
満足が不満を乗り越えることができるようになるか、いつかその瞬間を見ることができることに期待したいです。
で、ここからが大事な話なのですが、自分にタケノコ箱とゴミイヤホンを送ったたけのこの里信者に告げます。
即刻イヤホンの販売中止、きのこ派に改宗し、お詫びとして自分にきのこの山一年分を上納してください。よろしくお願いします。