奴隷
――男は日もすっかり落ちた街中を、ふらふらと散策していた。
鉄の鋳造をおもな産業としているこの街では、工業製品が累々と立ち並んでおり、町の中心に堂々と構える時計台は、人々を見下ろしている。
街の新聞売りの売る記事には、月の距離が一番近くなると書かれているが、蒸気・排気ガスの煙が皮肉にも夜の闇を一層深いものにしていた。
コツコツと音を立てて、石畳を歩いていく。
――男は昼夜孤独と共に生きている。
ふと、石畳を弾く音が止んでしまう。
――男には少女を愛する趣向は無かった。
男はとある奴隷店の前でふと足を止めた。
――店の窓から汚れた黒髪を長く伸ばした少女が、生気の宿らぬ眼でこちらを見ていた。
その眼は、生きているという実感を既に失っており、涙すら枯渇しているような感覚を滲みだしていた。そうして、こちらをずっと見ていた。ずっと、ずっと、怨嗟のように、呪詛のように、こちらを凝視していた。
男はその眼を見た瞬間に、体が何かに動かされたようにその店に引き込まれた。
店に入った瞬間、眼前に広がったのは生ごみの臭いと、太った店主の顔であった。店主はニコニコとこちらを見ていて、次に腐敗した子供たちに目を向けた。男は黙ってこちらを見ていた少女を指差した。
「こちらですね。わかりました。」
見た目に似つかない甲高い声で、店主はそう言い、少女の入っている檻の鍵を奥にあった箪笥から取り出すと、男に手渡した。
男は静かに頷くと、また店の石畳をコツコツと歩いていく。檻の前に到達すると、カチャカチャという金具と金具が擦れ合う音と共に檻の扉が開く。檻が開いても、少女は出ていく素振りすら見せず、絶望に塗りたくられたその眼で、まだじっとこちらを見つめていた。じっと。じっと。まるで蛇に見つめられた蛙のような目で、こちらを見ていた。
少女の手を握ろうと、男は手を差し伸べた。
「おいで。」
男は低い声で、不器用ながらに優しく言った。少女の眼は依然変わらず、みすぼらしい布から覗くやつれた肢体が、困窮に屈した姿を物語る。少女は差し伸べられた手を、力のない腕でそっと受け取る。
少女の手は痙攣している。怯えているようにびくびく痙攣していた。しかし表情はピクリとも動かずに、ただ腕だけをビクビクと震わせながらその手を受け取った。
少女は夜の街灯がぼんやり灯る街中を、男の手に連れられて歩いていく。コツコツと石畳を弾く音に対し、裸足の少女はぺたぺたと音を立てる。
街灯の橙と宵闇の黒色がほのかに混ざり合い、眠気に微睡むバーの酔客達を照らす。
頬を紅潮させた客たちは、ふらふらと地面が平行なことも認識せずに店から出ていく。そんな客たちを見て、少女は男の手を握る力を少し強めた。
路地裏の湿っぽい道を二回ほど通って、暗い扉に辿り着いた。木製の扉は路地裏の終着点にどっしりと構えている。扉の前の石の階段を三段ほど登り、男がゆっくりと、扉を開く。
少女は男の家に到着した。ビクビクと怯えていた手からは震えが消えていて、暖炉の消えかけの火がぱちぱちと音を立てる様子をみて、少女はほっこりとほほ笑んだ。男は少女に家の案内を軽くすまし、疲労も募っていたのでここらで横になろうと使い古されたベッドに横になった。
少女は困惑していた。少女は床で寝ることを選択し、男の静かな寝息を静聴しながら瞼を閉じた。