願いを聞く流れ星
なんてことはない話である。仲良しの幼い男の子と女の子が親に連れられて天体観測ショーに参加しただけの話。
「わぁ~!きれー!!」
今日は約10年に1度やって来る流星群が降り注ぐ日。冬のピンッと澄んだ空気で夜空を翔ける星々は神の手から零れ落ちた白い宝石のように煌めく。そんな冬空の劇を参加者達は静かな歓声を挙げつつ目に焼き付けていた。
しかしその中で、とある女の子は目を閉じて祈っていた。それを隣で見ていた男の子が何をしているのかを訊いた。
「マイちゃんどうしたの?」
「ながれぼしにおねがいしたの」
「おねがい?」
「うん!ながれぼしにさんかいおねがいごとをとなえたらかなうんだって!ママがいってた」
「へぇ~」
「マイカね、おとなになったらリョーくんのおよめさんになるの!」
たわいない、されど微笑ましい会話をしてからその二人の子は夜空を再び見上げた。
時が流れれば人も不変ではいられない。あの時の男の子と女の子も高校生になった。
「…」
廊下を歩く男子生徒の名前は江流亮平、あの時の男の子である。
黒縁眼鏡に平均よりぽっちゃりとした体格をした容姿は下、勉強の成績は中程度、性格は内向的で良くも悪くも河原に落ちている石コロのような少年である。
そんな亮平は廊下を進み、自分の教室の手前の教室に差し掛かると一瞬だけ視線をその中に向ける。
「ねぇねぇ。帰りさ、駅前に新しくできた店行かない?」
「さんせ~!舞華も行く?」
「もち!そこのパフェ映えるらしいんだよね」
朝から群れてうるさく話す女子達の中にかつての女の子、天星舞華がいた。
幼い頃は黒髪で地味なおとなしそうな子だったが、金に染めた髪をポニーテールに結ってヘアピンで飾り、流行りの化粧を施して派手になっており、学級はおろか学年でも有名な女子になっていた。
(さすがに昔の約束なんか無効だよなぁ…)
亮平は幼少時の思い出を惜しみながらスッと横目で舞華を見てから教室を通り過ぎる。
かつて、亮平と舞華は同じ幼稚園に通っていてご近所同士ということもあり仲が良かったが、舞華の父親の転勤を理由に卒園と同時に地方に行ってしまい疎遠になっていた。
年月が経って亮平が高校に入学すると学級分けの表に舞華の名前を見つけてその存在を知り久々に会おうとしたが、目にした舞華は見た目も雰囲気も別世界の人間になっていた。燦々と陽光が降り注ぐ庭で咲いている花のような舞華とジメジメとした日陰で蔓延る黴のような自分がどう顔を合わせれば良いのか、いや、そもそも釣り合う訳がないと劣等感を抱き、亮平は舞華に声を掛ける勇気を持てず、入学式から冬休み直前の今に至るまで遠目でチラリと見つつ他人のフリに徹するしかなかったのである。
亮平の教室は舞華の教室の二つ隣にあり、亮平はそこに入って一番後方の自身の席に座る。
「おはよう」
「うん、おはよ」
「江流氏、昨夜の『白金の魔剣学園』見ました?」
「見た見た!最後の再会シーンからの告白は胸熱でしたな」
『白金の魔剣学園』とは魔法の学校を舞台にしたアニメであるが、その再会シーンというのが主人公の男性が偶然幼馴染みの女性に再会し、そのまま女性から子どもの頃からずっと好きだったと告白を受ける、というものである。これを見て亮平は色々と思いを巡らせた。
自分もこんな風に再会できたらなと思う憧れ─
だけど男性はカッコいいからこそ、そうなるんだろという妬み─
そして勇気を持たないままそんな風に僻むことしか能がない自分への惨めさ─
そんな鬱屈さを隠しながら亮平は同じ趣味の友人達と楽しげに語り合った。
数週間後、高校の終業式が終わって明日から冬休みに入るという日の放課後、亮平はいつもの友人達と共に下校しようと校門を出た時である。
「あっ!」
「江流氏?」
「先生の課題取りに行かなきゃ」
亮平が通う高校では冬休みの課題の他に期末テストの結果が悪かった科目の追加課題が出される決まりがあり、亮平は帰る直前にそれを思い出して急いで学校に戻っていった。
職員室に赴き追加課題を受け取った亮平は今度こそ帰ろうと下への階段に向かう途中であった。
「…ん?」
ほんの一瞬だが教室の方向に舞華が歩いていったのを亮平の視界が捉えた。すぐ曲がり角に入って見えなくなったが派手な舞華の後ろ姿を見間違う筈がなく、既に帰っていたと思っていた亮平は不思議に思ってこっそりついて行くことにした。
舞華を追うと舞華は自身の教室に入った。ただの忘れ物なのかと亮平が教室を覗くと中には舞華の他にも男子生徒が1人いた。亮平はその男子生徒に見覚えはないが、その線は細く、顔はどこかのアイドルグループに属していてもおかしくない程に整っている、自分とは対極の人間だろうなと判断した。亮平はそのまま成り行きを窺う。
「で、先輩。なんか用ですか?」
口振りからどうやら舞華は上級生に呼び出されたようである。
「あのさ。俺と付き合わねぇか?」
「…!」
亮平は思わず驚嘆を叫びそうになるが必死に抑える。都合の良い話だがあのアニメのように舞華に振り向いて欲しいと思う一方で、今の舞華は自分なんかよりもああいう人間の方が似合うだろうと諦める心境の方が強かった。
「すいませんけど、アタシ好きな人がもういるんで」
「誰だよそれ」
「…片想いっていうか、まだ言ってはないですけど…。じゃあそういう事で」
舞華はキッパリと男子生徒をフッて立ち去ろうとした時だった。
「待てよ!」
「きゃっ!」
男子生徒は急に舞華を後ろから抱き捕らえた。
「ちょっ、何するんですか!」
「色んな奴と遊んでるって噂だよなぁ?なら俺も良いだろ?」
男子生徒の言う遊びとは当然みんなでカラオケやゲーセンでワイワイ遊ぶという意味ではない、男を誘惑して享楽的に性を求めている、という意味である。
「はぁっ!?誰がそんな…離して…」
舞華はもがくが男の力には敵わず振りほどけない。
ガラッ!
「んっ?」
「…!」
教室の扉を開いて亮平が二人の前に姿を現す。亮平自身、カッコつけの見栄であったりあわよくば関係が進んで欲しいとかの計算で飛び出した訳ではない。ただ嫌がる舞華の姿を見るに耐えかねて反射的な正義感で出てきたのだ。
「なんだデブ?」
「ちょ、ちょっと物音がしたから何かなって…」
ここでかっこよく啖呵でも切れれば良かったが、一瞬の正義感が解けて威圧的な態度に気圧されている亮平にそこまでの度胸がある訳もなく、体と声を震わせながら弱々しい言い訳っぽい言葉しか出なかった。
「…この!」
「いっ!」
亮平の登場に気取られた男子生徒の隙を突いて舞華は力一杯に腕を振りほどいて男子生徒を突き飛ばした。男子生徒は後方に並んでいる机にぶつかりながら転んだ。
「この…ぜってい許さねぇ」
「こら、騒がしいぞ!何やってる!!」
男子生徒が立ち上がった瞬間、教室を見回っていた教師がやって来た。
「ちっ!」
男子生徒は舌打ちをしながら足早に教室を出ていった。
「君達もだ。今日は早めに施錠するから速やかに下校するように」
亮平と舞華は突然の幕切れに安堵しつつ、教師の言うことに従って教室を出た。
それから亮平と舞華は本当に久々に一緒の道を歩いた。
「…」
「…」
ただ昔のように無邪気に仲良しという訳にはいかず、片方が手を伸ばせば届きそうなくらいの距離を保ちながら無言で歩く。
「…あのさ。久しぶりだよね」
「う、うん」
口を開いた舞華に合わせて亮平が短く返答する。
「アタシ誰か覚えてるの?」
「マイちゃ…あっ」
咄嗟に昔の呼び方で言ってしまい気持ち悪がられると思った亮平は口を閉ざす。
「覚えてたんだ。…あのさ24日って暇?」
「うん」
「じゃあさ、その日の夜10時くらいにさ。あの公園に来てくれない?ほら、幼稚園の頃に天体観測ショーやったあそこ」
無論、亮平は舞華の言う公園を覚えているのですぐに首を縦に振った。
「良かった…じゃあね」
舞華は言うだけ言うと慌てるように走り去ってしまった。
それから亮平は自宅に帰ってきたものの、久々に会話した舞華の姿が頭から離れず上の空だった。
(そう言えば、なんで24日なんだろう…)
亮平はカレンダーを見るがクリスマスイブ以外には特に何もなく、疑問が引っ掛かったままテレビのスイッチを入れる。
「それでは続いてのニュースです。今年の24日、クリスマスイブはロマンチックな天体ショーになりそうです」
ちょうど夕方のニュース番組が放送されており、その内容に亮平は釘付けになった。なんと24日に流星群が観測されるとのことで亮平の疑問は一気に解け、絶対に行こうと決心させた。
日にちが経って舞華が指定した12月24日。待ち合わせの時間には1時間半程早いがバスに揺られて亮平は例の公園に向かう。
「着いた…」
例の公園は町外れの小高い山の上にあり、クリスマスイブで賑わう街の灯りで彩られる絶景を見下ろせる場所である。とはいえバスは1日に数本しか来ず、観光ガイドにも載っていない、地元の人間しか知らない穴場なのだ。
「…」
亮平はバスを降りると少しキツい坂を登って公園に入る。公園とは言っても遊具は小さなお城のように建てられた木製のこじんまりしたアスレチックしかなく、あと目立つものと言えば記念樹らしい大きな樹が1本あるくらいの寂れた公園である。寒い場所だが余計な光がない分、星空の黒には小粒の水晶のような輝きがあちこちに散りばめられていた。
「来てくれたんだ」
声を掛けられた亮平が視線を向けると舞華がベンチに座っていた。舞華はチェック柄の厚手のシャツワンピースにダウンジャケットを羽織りニット帽を被ってオシャレさを保ちつつも防寒もしっかりした格好である。しかし舞華の耳は真っ赤になっており、ずいぶん待たせてしまったなと亮平の表情は曇る。
「ごめん…待たせた…よね」
「ううん。アタシが勝手に早く来ただけだし」
「あ、これ下のコンビニで…」
「へぇ、気が利くぅ。…ありがと」
亮平は背負ったリュックから温かい缶のココアを取り出して舞華に渡す。
「って言うか覚えてたんだ。アタシが好きな物」
「うん…まぁ」
幼少の頃、家に遊びに行った際に舞華がいつもココアを飲んでいた事を覚えていた亮平は直感的にこれが良いと思い選んだのだ。舞華ははにかんだ表情を見せるとベンチに座るように亮平に促し、二人は隣同士に座る。
「…」
「…」
今日はクリスマスイブの筈なのに街の喧騒がない、まるで世界中の人が消えて二人ぼっちになってしまったように思える程、公園は静かだった。
「…あのさ。学校じゃ、ごめんね」
静寂を切ったのは舞華だった。
「なんで…謝るんだ?」
「実は知ってたんだ。亮平が同じ学校にいたこと」
「そう、なんだ…」
「でも…こんな娘になって幻滅されたらどうしようって思ったら…声、掛けれなくて…」
「…それは俺だって同じだよ。こんなデブの陰キャのアニメオタクになって…気持ち悪いと思われるなら、って…」
初めて互いの心境を吐き合うと舞華の不安そうな顔は微笑みに変わった。
「それなら全然気にしてないよ」
「別に気を遣わなくたって…」
「ううん」
「…!?」
舞華が亮平の腕に絡まるように抱き寄る。フワッとした女の子特有の甘い香りと服越しから伝わる体の感触に亮平は赤面する。
「慰めや冗談じゃこんな事しないよ。デブって言っても大きいクマさんみたいで可愛いって思うし、難しいドラマなんかよりもアニメの方が気楽に見れそうだし…それに…」
「それに?」
「冬休み前のあの日に助けに来てくれた亮ちゃん…かっこよくてキュンってしちゃった」
昔の呼び方と相俟って、亮平の目に映る舞華は無垢な仔犬や赤ん坊のような、自然と愛しいと思える魅力に溢れていた。
「あの先輩、めっちゃ女癖悪いって噂があってね。抱きつかれた時、キモいよりも怖いって思ったんだ。そんな時に亮ちゃんが来てくれて嬉しかった…」
亮平の腕に抱き着く舞華は甘える猫のように頬を亮平の肩に乗せる。
「あっ…」
異性とここまで接近した事がない亮平は羞恥と困惑の極みに瀕した時、一筋の流れ星が空を駆けていく。
「覚えてる?アタシが流れ星にお願いしたこと」
「…」
当然亮平は覚えているが気恥ずかし過ぎて口が裂けても言えなかったものの、その照れた様子から舞華は覚えてくれているのだと察した。
「あれから経ってさ。ちょっと夢変わったんだ」
「えっ…」
「お嫁さんの前に恋人かなーって…さ」
恋愛経験ゼロの亮平だが、舞華の照れ隠しでおどけるように言う言葉と、期待と不安が混じって潤む視線が幼馴染み特有の冗談やからかいではなく、純粋な恋する乙女のそれにしか見えなかった。
「ギャルっぽい見た目が嫌いなら直すしさ、だから…」
「ううん。別に良いよ」
「そう…なの?」
「こんな俺でもそう言ってくれるなら…俺も今のマイちゃんを好きでいたい」
「…やった…あっ!」
亮平と舞華の想いが通じ合って結ばれた時、それを祝福する花吹雪のように幾つもの流れ星が夜空に煌めいて駆けて消え、煌めいて駆けて消えを繰り返す。
「流れ星のお願い事って叶うんだね」
「そうだね」
「じゃあ今度は…初デートは遊園地に行きたい。来年の春上映の映画も一緒に見に行きたい。あとあと…」
無邪気な子どものように願い事を流れ星に向けて口ずさむ舞華を見ながら亮平は静かに頷く。
「…それと…卒業して大人になったらウェディングドレス着て、お嫁さんになって…」
未来を夢見る舞華の願い事を聞いてあげるように流れ星は永く幾つも流れ続けた。