【コミカライズ】姉が駆け落ちしましたので。
「やめて、お姉さま。私の大事なお人形なの。返して」
「うるさいわね、ピーピー泣かないでよ。ちょっと貸してって言ってるだけじゃない」
「だってお姉さま、いつも返してくれないんだもの」
「わかったわ。じゃあ返すわ、こんな物」
姉はそう言って私の人形を足元に叩きつけた。陶器で出来たそれは、呆気なく割れた。
「ひどいわ、お姉さま」
私は母に訴えに行ったが、母の返事はこうだ。
「エリザベス、アナベルは王太子様の妃になるのよ。ということはいずれ、この国の王妃になるの。国で一番偉い女性になるのよ。だから常に、アナベルの言うことをお聞きなさい」
姉は母の背中越しに得意気な顔で私を見ていた。
ウェルズリー公爵家の長女である姉のアナベルが王太子ヘンリー様の婚約者に内定したのは殿下が十歳、姉が八歳、私が七歳の時だ。
その頃、上位貴族の中に王太子殿下と釣り合う年齢の令嬢は姉と私くらいしかいなかった。それで姉が選ばれたのである。
父と母の喜びようはもの凄かったらしい。それからは、未来の王太子妃である姉を蝶よ花よと可愛がり、王妃にふさわしく気位高く育てた。
だが妹の私から見ると、気位が高いというより底意地が悪いと言った方が正しいと思う。
一方の私はといえば、公爵家を継ぐことが決まっている歳の離れた兄と、王太子妃に選ばれている姉の陰で、まったく両親から手をかけられずに育った。そのせいか、本ばかり読んで、家族愛なんて信じていない、随分と冷めた子供に育ってしまった。
姉の方は、たくさんの家庭教師がついて貴婦人になるべく教育を受けている……はずなのだが。
実は姉は努力嫌い、勉強嫌い、とにかくしんどいことはやりたくない人間だ。背筋を伸ばして長時間座っていることも出来やしない。
有名な家庭教師を高いお金を出して雇っても、「体調が悪い」「気分がすぐれない」と言ってすぐにサボる。
それで、私が代わりに引っ張り出されるのだ。
「エリザベスが授業を受けて、後でアナベルに教えてあげればいいじゃない。頭が痛いのに無理することはないわ」
母はそう言って姉を庇う。だが、後で教えようとしても姉はのらりくらり言い訳をして逃げてしまう。
教えなかった私が悪いと言われるのはわかりきっているので、必ず両親の前で言うことにした。
「お姉さま、昨日の授業をお教えしますわ」
「エリザベス、でも私、今日はお腹が痛いのよ。とても勉強なんて出来そうにないわ」
「まあアナベル、大丈夫? 昨日の頭痛が治ったと思ったら今日は腹痛なの? あなたは本当に病弱ね、可哀想に。いいからお部屋で寝ていなさい。後でお医者様を呼びますからね」
「私のことは心配なさらないで、お母様。きっと寝ていれば治るわ」
「そう? じゃあメイドに桃のコンポートでも運ばせるわね。あなたの好物なら食べられるでしょう」
何かしら、この茶番。まあ、毎日見せられているから珍しくもないけれど。それにしても父も母も、こんな娘を王太子妃に差し出そうなんてちょっと常識知らずにも程があるんじゃないかしら、と私は思う。
姉が十三歳になると、月に一度両親を伴い王宮に上がることになった。王太子様との親交を深めるため、一時間程ではあるが二人で時間を過ごすことになったのである。
初めて王太子様とのお茶会を終えて帰ってきた姉は興奮していた。
「エリザベス、王太子様ってとっても美しい方なのよ。サラサラの金髪に深い青の瞳、桜色の唇。あんなに美しい方は初めて見たわ」
以前から王太子様の美貌は評判になっていたが、予想以上だったらしい。
「あんな方の妃になれるなんて私、なんて幸せ者なのかしら。悪いわね、エリザベス。妬まないでね」
「別に何とも思っていませんわ。お姉様と王太子様が婚約なさってからもう五年も経っていますし、当たり前のことですから」
「でもねえ。私は王太子様のような美しい方が夫になるからいいけど、あなたはきっとオスロー男爵のような田舎の貴族に嫁がされるでしょう? だから可哀想だと思っているのよ、私」
私は思わず顔をしかめた。
オスロー男爵は、やもめで、脂ぎった顔をした地方在住の貴族だ。父とは仕事上の関係があり昔から我が家に出入りしているのだが、いつもこんなことを言うのだ。
「エリザベス様をぜひ私の後妻に迎えたいものですなあ。私は若い女の子が大好きなのですよ。あと五年も経てば立派な女性になるでしょう。妻になってくれたら、地方とはいえ豊かな暮らしはお約束しますよ」
そうして下品な笑いを私に向けるのだ。たった十二歳の子供にこんなことを言う神経がもう、虫唾が走る。
だが確かに、オスロー男爵はお金をたくさん持っているらしい。我が公爵家は父の代で浪費が多くなりそれほど金銭的に余裕があるわけではないので、私はおそらく身売り同然に嫁がされることだろう。
姉は王太子様とのお茶会に何回か参上した後、楽しそうにはしゃがなくなった。
「アナベル。王太子様とは仲良くしているの?」
母が心配して聞いてみると、姉は不機嫌な顔で答えた。
「王太子様って、とてもつまらない方なのよ。一時間の間、ずっと本を読んでいて、私の方を見ようともしないわ。退屈過ぎて、私、うたた寝してしまったくらいよ」
「まあアナベル。うたた寝なんて、失礼でしょう」
さすがに母も顔色を青くしていた。
「だって一言も喋らないんですもの。眠たくもなるわ」
「それは、お前が可愛らしいから照れていらっしゃるんだよ」
父が助け船を出した。
「王太子様は十五歳だろう。その年頃は可愛い女性に対して素直になれないものさ。もう少し時が経てば、自然と話すようになるだろうからそれまで待っておやり」
「そうなの? 私、婚約したのだから甘い言葉やプレゼントをたくさん貰えると思っていたのに」
「あと三年経てばヘンリー殿下も立派な青年になられる。その時はいくらでも甘い言葉を囁いてくれるだろう」
その言葉に機嫌を直した姉だったが、それ以降もヘンリー殿下が歩み寄る気配は無かったらしい。
「あの方は顔が美しいだけで全く気が利かないわ」
姉は、ヘンリー殿下を嫌うようになり、毎月のお茶会も行くのを嫌がり始めたが、両親が説得して渋々参上していた。
二年が過ぎた頃、またしてもお茶会に行くのを嫌がる姉を、両親が新しい宝石を買うからとなだめてやっと連れ出すことに成功したある日の午後のことだ。
うるさい姉と両親がいないので、私はのんびりと本を読んで過ごしていた。
そこへ、執事のポールが客の来訪を告げた。
「ダンストン男爵がお見えになりました」
「あら、困ったわ。お兄様も出掛けているのよね? 私では相手にされないでしょうし」
「いえ、男爵はエリザベス様にお会いしたいと仰っています」
「ええっ、私に? 何かしら。ポール、お父様から何か聞いていないの?」
「はい。何も伺っておりません」
「でも、お待たせするわけにもいかないわね。わかったわ、客間でお待ちいただいて頂戴。すぐに支度するわ。お茶の用意もお願いね」
ダンストン男爵という名前を聞いたことはないけれど、私はまだ十四歳だから社交界には疎い。きっと、父や兄なら知っているのだろう。
私はこざっぱりした、一応お出掛け用のドレスに着替え(それまでは普段着の古いドレスを着ていた。しかも姉のお下がり)、応対した。
ダンストン男爵は思いのほか若い方だった。もしかすると兄よりも若いかもしれない。短めの金髪をキッチリと撫で付け、黒縁の眼鏡を掛けていた。
「突然の訪問をお許しください」
彼は丁寧に謝り、話し始めた。
「私はちょっと訳あってなかなか王都に来られないのですが、今日は時間が空いたのでエリザベス嬢にお会いしたいと思い、失礼を承知で伺ったのです」
「まあ、そうだったんですか。でも、何故私に? 私はまだ社交界に顔出しもしておりませんし、学校などにも通っておりませんから、どこで男爵様とお会いしたのか全くわからないのですが」
「いや実は、あなたの家庭教師が私の元にも来ておりましてね。若いけれど素晴らしい女性がいる、と教えてもらったのですよ。教えたことをすべて吸収して身につけている、とても教え甲斐がある、とね」
「そんな。お恥ずかしいですわ。私はただ、知らないことを知りたい、学びたいと思う気持ちが強いだけなのです。家族からはつまらない本の虫だと言われていますわ」
「ふふっ、本を読まない人からするとそうでしょうね。本は素晴らしい知識の宝庫です。どれだけ読んでもまだ足りないくらいだ」
「そうですわ! 知れば知るほど、あれも読みたいこれも読みたいと思ってしまいますの」
初対面だというのに私達は夢中になって本談義をしていた。お互いの好みの本を教え合い、次に会う時には感想を言い合おうという約束までした。
「えっ、ということは、またいらして下さるのですか?」
「ええ。貴女が良ければぜひ」
「まあ、嬉しいですわ! また、楽しくお話し出来ることを楽しみにしております」
一時間程で男爵は帰って行った。私はとても満ち足りた気持ちで彼を見送った。
その日、王宮から帰って来た両親と姉は、険悪な雰囲気だった。
「もう絶対に嫌! こちらに顔を向けることもない婚約者なんて、聞いたこともないわ」
「もちろんそうよ、アナベル。殿下の態度は良くないわ。でも王妃様が仰っていたのよ。殿下はとても人見知りなので、失礼があると思うが許して欲しいって」
「はあ? 人見知りですって? もう二年も経っているのよ? ふざけたこと言ってるわね」
「これアナベル。悪い言葉を使うでない。だから帰りにサファイアの指輪を買ってやったではないか」
そう言われた姉は思い出したように手の甲を顔の前にかざして美しい指輪を見つめ、ニッと笑うと私の目の前でヒラヒラさせた。
「どう、エリザベス。流行りの型の指輪なんですって。私に似合うと思わない?」
特に似合うとも思わなかったが、
「ええ、お似合いよ、お姉様」
と答えておいた。
「あなたにはこんな指輪似合わないものねえ。それに、田舎の男爵との暮らしにはこんなもの必要ないんだし」
それを聞いて私はダンストン男爵のことを思い出し、父に聞いてみた。
「お父様、今日ダンストン男爵が私を訪ねて来られたのですが、どんな方かご存知ですか?」
「ううん? ダンストン……。昔聞いたことがあるような気はするが。どこか田舎の男爵だろう」
「うふふ、エリザベス。あなたって田舎者に随分と人気があるみたいねえ」
「エリザベス、ダンストンとやらはお前に求婚に来たのか?」
「いいえ、違いますわ! 本のお話をたくさんして下さいました」
「ぷっ」
姉は馬鹿にしたように吹き出した。
「やっぱり変わり者が寄ってくるのね。本の虫には本の虫ってね」
私は軽く姉を睨みつけた。
「エリザベスよ、そいつがオスローよりも金を持っているようなら結婚させてやっても良い。だが貧乏男爵だったら、絶対に許さんぞ。ワシが調べておこう」
せっかくの楽しいひと時が、この会話で台無しになった気がして、私は悲しくなった。
だが、翌週、父が上機嫌で帰って来ると私に言った。
「エリザベス。ダンストンは辺境に小さい領地を持つ男爵だ。だが、国外で商売を手広くやっていて、オスローくらいの金はあるようだぞ」
「では、お父様、またお会いしてもよろしいんですの?」
「いいとも。お前にも運が向いてきたのう。危うく、年老いたオスローの後妻になるところだったんだから」
なるところって、あなたがそうさせるつもりだったんでしょ……と私は心の中で毒づいた。
とはいえ、あの方の訪問の許しが出たことはとても嬉しかった。ただ、次は父が一緒に会うと言って聞かなかった。
「どんな商売をやってるのか、支度金はどのくらい用意してくれるのか、いろいろ聞きたいことがあるからな」
やめて欲しい、と心底思ったが、こればかりは逆らうことは出来ない。こんな父親を持っていると知ったら、あの方はもう来て下さらないかもと不安だった。
しかし、その心配は杞憂に終わった。その後も月に一度、ダンストン男爵は私を訪ねて下さったが、それはいつも姉と両親が王宮のお茶会に行って留守の時なのだ。そのため、父を紹介する機会が無かったのは幸運だった。
ダンストン男爵は何回目かの訪問から私をリズ、と愛称で呼んで下さるようになった。そして私にも自分のことをハリーと呼ぶように仰った。
そうして一年程が過ぎて行き、姉は十六歳を迎えた。十六歳になれば社交界にデビューし、舞踏会に参加することが出来る。だから姉は、誕生日を心待ちにしていたのだが。
「どうしてよ! なんで舞踏会に行ってはいけないの」
「アナベル、あなたは殿下の婚約内定者なのよ。殿下が三ヶ月後に十八歳の誕生日を迎えたその時に、あなたを伴って初めて社交界にお出になるの。そして正式に婚約発表をするのよ。だからそれまで我慢なさい」
「いやよ! 婚約者になってしまったら、他の人とダンスも出来ないじゃないの。あと三ヶ月くらい、自由にしたいわ」
「馬鹿なこと言うんじゃありません。まだ正式ではないとはいえ、あなたは婚約者に内定しているのよ。悪い噂でも付いたらどうするの」
「踊るだけで悪い噂なんか付くはずないわ。私は、ただ舞踏会に行きたいだけなのよ。着飾って、ダンスとお酒と音楽を楽しみたいの。あと三ヶ月しか無いんだから、それくらいのこと、してもいいと思うわ」
あまりに粘る姉についに両親は根負けし、兄がエスコートすること、ある程度踊ったら帰って来ることを条件に許可を出した。
初めての舞踏会から帰ってきた姉は、ひどく上機嫌だった。
「あんなに楽しいなんて思わなかったわ。いろんな素敵な方に、ダンスを申し込まれたのよ。口説き文句を耳元で囁いてくるの。もちろん、それは社交辞令でしょうから、軽くあしらっておいたけどね」
「アナベル、充分に楽しんだならもういいでしょう? 後は大人しくしておきなさい」
「あらお母様、来週も舞踏会は開催されるのよ? もちろん行くわ。私を待ってる、また踊りたいと言って下さった方もいたの」
それから、姉は毎週舞踏会に行くようになった。最初は早めに帰って来ていたが、段々と帰りが遅くなり始めた。
怒った父が舞踏会に行くことを禁じたが、姉は泣いて喚いて抵抗し、またも両親は許してしまった。
私はその様子に呆れ果て、ハリーに薦められた本を読みに自室に戻った。
そして、もうすぐ殿下の誕生日が来ようという日、事件が起こった。
姉の妊娠が発覚したのだ。
「アナベル、どういうことだ!」
父は烈火のごとく怒った。姉はそっぽを向いて気にする様子もない。
「アナベル、どうしてこんなことに……」
母は泣き崩れた。
「相手は誰なんだ!」
「ネビル子爵家のシャールよ」
「何? あのろくでなしか?!」
すると姉は鬼のような顔を父に向けた。
「ろくでなしですって?! シャールは本当に素敵な人よ。とっても優しいし、いろんなことを知ってるわ。私が王太子に虐げられているのを同情してくれたの」
「あいつは既婚・未婚かまわず手を出す女たらしだぞ。お前に本気な訳がない」
「そんなことないわ! 彼は、私こそ運命の女性だと言ってくれたもの。私のお腹に命が授かったことを知ったらすぐに迎えに来るわ!」
「何ということだ……」
父はソファにどっかりと腰を下ろし、両手で顔を覆った。
まだ内定とはいえ、王太子殿下を裏切ったことは大変な罪だろう。相手のシャール共々、ウェルズリー公爵家は貴族籍剥奪になるのではないか。
私もまだ父の庇護下にある者として、一緒に処分されるだろう。
(もう、ハリーとも会えなくなってしまうのね)
没落していくことよりも、ハリーに会えなくなることがとても悲しかった。
父は、姉の部屋に鍵をかけて姉を閉じ込めた。
「しばらく部屋から出て来るな。顔も見たくない」
すると姉は、これ幸いと窓から抜け出し、家を出て行ってしまった。私は真実の愛のために駆け落ちする、というメモを残して。
翌朝、朝食を持って行ったメイドが、もぬけの殻になった部屋を見て慌てて報告して来たのだ。
父は急いでネビル子爵家に向かった。すると、ネビル子爵家でも大騒ぎになっていた。王太子の婚約内定者が、着の身着のまま、宝石だけ持って朝早くに押し掛けてきたのだからそれは驚くであろう。
「ウェルズリー殿、これは一体どういうことですか」
「どうもこうもない。お前のろくでもない三男坊が、うちの娘を妊娠させたのだ」
「シャール、本当か?」
「……うーん、身に覚えはあるけれど……本当に俺の子?」
「な、何?」
「シャール様の子よ! 絶対にそう!」
公爵と子爵は頭を抱えた。このままでは両家とも取り潰しだ。
「仕方ない。シャール、お前は今日限りこの家の敷居を跨ぐな。勘当する」
「アナベル、お前もだ。二人でどこへとなり行くが良い」
「ええっ、嫌だよ、俺は。貴族じゃなくなったらどうやって生活するんだよ」
「知るか。今までも散々甘やかし過ぎたのだ。これからは自分でなんとかしろ」
「シャール様、私の宝石を売ればお金になりますわ。これでこの子と三人で生きて行きましょう」
「そんな……」
とにかく、責任を取って勘当したという事実を陛下に申し上げて、なんとか取り潰しだけは避けようという両家の苦肉の策であった。
すぐにこの話は王家の知るところとなり、ウェルズリー公爵は王宮に呼ばれた。だが、それには条件があった。
「エリザベス嬢を伴って来るように」
とのことだったのだ。
父は不審がり、私も首を捻った。一体何を言われるのだろう。不安なまま、王宮へと向かった。
初めて中に入った王宮は、広くて豪華で、私は完全に気後れしてしまった。
謁見の間に通された父と私は、緊張して陛下を待っていた。
やがて、陛下と王妃様が入って来られた。
「ウェルズリー。顔を上げなさい。エリザベス嬢も」
「ははっ。陛下、この度は我が娘アナベルが大変な間違いを犯してしまい、弁解のしようもございません。しかし、娘はすでに勘当し、我が公爵家とは関係の無い者となっております。どうか、寛大な措置をお願いいたしたく……」
「よい、ウェルズリー。少し黙っておれ」
「はっ」
「エリザベス嬢。顔を見せておくれ」
「はい、陛下」
私は恐る恐る顔を上げ、陛下のお顔を見つめた。すると、なんとも優しい眼で私を見て下さっていた。
「エリザベス嬢よ。実は、私の息子ヘンリーは、貴女に結婚を申し込みたいと言っているのだ」
「ええっ? ヘンリー殿下が私を?」
「そうだ。それも、是非にと、ここ半年ほど熱心に頼まれておってのう」
王妃様もニコニコと私を見つめていた。
「もうすぐ正式に婚約を発表する時期じゃ。だがアナベルに内定しておる以上、それを無視して貴女と婚約させるわけにはいかん。どうしたものかと思っていたのだ」
陛下は困ったような顔をしながら話した。
「そうしたら、この度の不祥事だ。もうアナベルには婚約者の資格は無い。これで、遠慮なくエリザベスを婚約者にすることが出来よう。本来なら、ウェルズリー家は取り潰しのところであるが、ヘンリーとエリザベスに免じてそれは許してやろう」
「ま、まことですか、陛下?!」
「お前は黙っておれ、ウェルズリー」
父はまたしても小さくなり、うなだれた。
「ヘンリー、後はお前がエリザベスの承諾を得るのだぞ」
陛下の言葉の後、部屋に入って来たヘンリー殿下を見た私は思わず声を上げた。
「ハリー!」
ハリーは優しく微笑み、私の手を取って立ち上がらせた。
「リズ、ずっと黙っていて済まない。ダンストン男爵の名を借りて君に会いに行っていたんだ。家庭教師から君の話を聞いて一度会ってみたいと思い、会ってみると予想以上に素晴らしい人で、もっともっと会いたくなった」
「でも、お会いした日はいつも姉とのお茶会の日で、殿下は王宮にいらしたのでは……」
「ああ、あれは、金髪の影武者に任せていたんだ。どうせアナベルは気がつきやしない。最初の数回で分かったんだ。アナベルとは合わない、結婚なんて出来ないと」
「全く、それなら早く言えば良かったものを」
陛下が口を挟んできた。
「気が合わないくらいで婚約内定を解消出来ないでしょう。それに、解消したらしたでまた、知らない誰かと婚約させられる。それなら、先に自分の気に入る人を探そうと思ったんだよ。そして、リズに出会った」
ヘンリー殿下はニコッと微笑んだ。今日は眼鏡を掛けていらっしゃらないから、綺麗な青い瞳がよく見える。
「エリザベス。私の妃になってくれないか」
私は、顔だけでなく耳まで真っ赤になっている筈だ。ものすごく焼けるように熱く感じる。
「はい、私で良かったらよろしくお願いいたします」
「良かった! ありがとう、リズ」
ヘンリー殿下は私を軽く抱きしめた。
「良かったわねえ、ヘンリー」
王妃様も喜んで下さっていた。
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翌週、誕生日を迎えたヘンリー殿下は、エリザベス・ウェルズリー嬢を伴って王宮舞踏会に現れた。そして、二人の正式な婚約が発表された。
婚約者がアナベルではないことに驚く人はいなかった。そのくらい、アナベルの不祥事は人々に知られていたのである。
不出来なアナベルの代わりにエリザベスを差し出した、と揶揄する者もいたが、二人の幸せそうな顔を見るとそんな陰口もいつしか消えていった。
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その後、ウェルズリー公爵家は取り潰しは免れたものの、娘の監督不行き届きの責任を取って父は母、兄と共に田舎の領地にて隠居することになった。叔父が代わって公爵家を継ぐことになった。
この叔父こそが生粋の本好きであり、私に本の面白さを教えてくれた人である。私は、落ち着いた、物腰の柔らかな叔父のことが昔から大好きだった。叔父も、私のことをとても可愛がってくれていた。
だから、今後も私の後見人として王宮とウェルズリー公爵家を盛り立てていってくれるだろう。
姉とシャールはしばらくはどこかで暮らしていたが、お金が無くなり生活が出来なくなったため、父のもとに身を寄せた。その後女の子が生まれたがシャールの浮気性は直らず、生活に余裕もない為、いがみ合って暮らしているらしい。
私は、今は王宮でお妃教育を受けながら過ごしている。ヘンリー殿下、いえ、ハリーが二十歳になったら結婚する予定だ。
私達は相変わらず、本ばかり読んでいる。そして面白かった本はお互い紹介し合い、毎日楽しく暮らしている。
いつか子供が生まれたらやっぱり本好きな子供にしたいね、と素敵な未来の話もしているのだ。
そして私は、子供を分け隔てなく可愛がり、仲の良い家族を作って行きたいと切に願っている。自分が得られなかった温かい家庭を、きっと。
お読みいただきありがとうございました!
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シリーズまとめしております。
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