9.伸ばした手
こんなに余裕がなくなるなんて思ってもみなかった。
愛ちゃんがモテるのは知ってたし、邪な目で見てる男がたくさんいるのも嫌ってほど見てきた。それは学校の中だって変わらずに。
けど今まで冷静でいられたのは、誰もかれも近づけなかったり相手にされていなかったから。
何より俺が傍にいれば変な男は近寄ってこない。それを経験で知っていたから、だから安心していられたのに。
登下校以外で会えなくなってから、どうしても気になってある日の休日家に行ってみた。母さんから頂き物の御裾分けがあるからってお願いされたのもちょうどよかった。だからそれを持って真正面から正々堂々と乗り込んだ先で、あの子はびっくりしたようにただ目を見開いているだけで。近寄っても来ないから「愛ちゃんも食べな?」と声をかけたのに。
「え、いや…さっきお昼食べたばっかりだから、今はいいかな」
「デザートにはちょうどいいと思うんだけど」
「お腹いっぱいだし……」
そう言いながらもなぜか体は後ろへ下がろうとしていて。目も合わせようとしないその態度に、何か嫌なものを感じたから。
モヤモヤとした気持ち悪さを覚えつつ、それでも近くに行こうとしたのに。
「なんかちょっと眠くなっちゃったからお昼寝してくるねっ…!」
まるで俺から逃げ出すようにそれだけ言い残して、自分の部屋へと上がっていってしまった。
「食べてすぐ寝るとブタになるぞー!」
「こーら。お姉ちゃんにそんなこと言わないの」
「聖也くん。お母さんに美味しかったです、ごちそうさまでしたって伝えておいてくれるかな?」
「あ、はい。それは、もちろん」
志野崎のお父さんにそう答えたけれど、俺はどうしても愛ちゃんのあの態度が気になって。
「……あの…俺、愛ちゃんに何かしました…?」
もしかしたら家族にだったら何か話してるかもしれないと思って、そう聞いてみる。あれは愛ちゃんに何かあったというよりは、俺が何かしてしまったから避けられていると考えた方が自然な気がしたから。
「あー……聖也くんのせいってわけじゃないんだけど…ごめんね?あの子の態度悪くて」
「いえ、それは…」
「でも悪いのは姉ちゃんだよ。甘えたくないなんて言ってること自体が甘いんだって気づいてないんだから」
「え…?」
「こら!もうホント、お姉ちゃんにだけはいつも厳しいんだから」
「だって……何にも悪くない聖兄ちゃんが一番気にしてるなんて、そんなの間違ってる…」
悔しそうなその横顔は、きっと理由も全て知っているからなんだろう。姉弟だからその表情はどこか愛ちゃんにも似ていて。
この子だって俺にとっては可愛い幼馴染で、何より本当の弟のような存在だから。
「ありがとう。俺の心配してくれて」
「聖兄ちゃん……」
頭をひと撫でしてあげれば、少し泣きそうな顔でこちらを見上げてくる。だから安心させてあげたくて、にっこりと笑って見せた。
「なんだか、なぁ…あの子の言い分も、分からないわけではないけど……せめてちゃんと本人に伝えておくべきだと思うから、俺が話してもいいかな?」
「そう、ね…それをどう判断するかは、本来聖也くん次第だもんね」
「俺が、どうかしたんですか…?」
「あー…ほら、今年聖也くんは受験生だろう?それに大学へ行くってことは、そろそろ将来のことを考え始めるってことだから。いつまでも一緒にいて守ってもらうわけにはいかないから、ちゃんと自立したいって言いだしてね」
「それは……でもまだあと一年以上ありますよ?それからじゃダメなんでしょうか?」
「本人としては、今の内からちゃんとしておきたいんじゃないかな?ほら、急には難しいだろうし。何より大変な時期の聖也くんに甘えたくないんだって、そう言ってたよ」
「正直私としては、聖也くんが傍にいてくれた方が安心できるんだけど…本人の意思が固くて…」
志野崎の両親はそう言いつつも、どこか困ったような顔をしていたから。きっと納得は、していないんだろう。それはそうだ。だって去年の文化祭であんなことがあったばかりなのに。またそういうことが起きないなんて言いきれないのに、どうして一年も経たないうちに自立するなんて言い出した娘の言葉を信じ切れるのか。
でもこれでようやく、俺から離れて行こうとしている理由が分かった。そして同時に、行かせちゃいけないこともよく分かったから。
「心配しなくても受験の方はどうにかなるので、俺は今まで通りでいますね」
先に宣言しておく。本人ではなく家族の了承さえ得てしまえば、結局はあの子も折れることを知っているから。
「そうしてくれると助かるよ」
「本当にごめんなさい。愛のこと、よろしくね?」
「はい、もちろんです」
笑顔で答える俺は、ずるいのかもしれない。でも志野崎の家族と同じで、俺だって心配だから。そこは嘘じゃない。
ただ、そこに。心配以外の感情も同じくらいあるっていうだけで。
だから気にしていたのに。ちゃんと目を光らせて、何事もないようにって。
それなのに…!!
「愛ちゃん、は?」
ようやく迎えに来られた俺が教室を覗いたら、そこにはいつものメンバーがいるのに。
愛ちゃんだけが、いなかった。
「あー…うん、え、っと…とりあえず、お帰り王子」
「それより、愛ちゃんは?まさか一人で帰ったの?」
気まずげに目をそらす全員が、なんだか怪しくて。まさかと思ってそう聞けば。
「いやいや!そんなことはさせないよ!?ほらここ、鞄あるでしょ!?」
友人が指さす先には、机の横に掛けられた愛ちゃんの通学鞄。確かに一人で帰ったわけではないらしい。
けど、それならどうして誰も俺と目を合わせようとしないのかな?
「その……先輩と、同じ理由なので……ちょっと遅くなってるだけですから…」
「同じ、って……まさか、一人で行かせたの…!?」
「さ、流石について行けなくて…!!しのちゃん本人にも断られちゃったんです…!!」
「…………あの子はっ、本当にっ…!!」
一人で行くことが危ないって、いい加減学んでくれないかな…!?学校だから安心、なんて思ってたら大間違いだよ!?
「あ、ちょっ…!王子、どこ行くんだ!?」
「もう暗くなるし探してくる!!」
「探すって、場所知らないだろ!?」
「目星ならいくつかあるから!!」
「目星って…そういう時だけ有効に使うなよ!人気者アピールかっ…!!第一他人が首突っ込んで…って、おいこら王子ー!!」
後ろから聞こえてくる友人の声を無視して、そのまま走り出す。ごめんなさい。今この時だけは廊下を走るのを許してください。
だってもしかしたら、また愛ちゃんに何かあるかもしれないから。暗くなってきている今は特に危ない。どこで誰が何をしているのかなんて、もうほとんど見えなくなってしまうから。
「ホントっ、なんでっ…!!」
俺たちがこんなに心配してるのに、分かってくれないのか。何かあってからじゃ遅いって、どうしてちゃんと理解してくれないの。
俺は君を守りたいのに…どうして素直に守られててくれないの?どうしてそんな必要もないのに、俺から離れて行こうとするの?
大切すぎて安易に触れることすら出来なくて。けど誰にも渡したくないからって、必死になってる俺のことなんかいつも無視して。こんなにも欲しくて、手を伸ばしているのに。
それなのに。
「あい、ちゃん……」
ようやく見つけたその矢先、まだ何かを言い募ろうとしている先輩が愛ちゃんの腕を掴んだのが見えて。
君はどうして、俺じゃない男にそんなにも簡単に触れさせているの?
先輩だからとか、会話の流れ上とか、きっとその手を振りほどかなかった理由はあるんだろう。
けど。
胸の中が重くて、暗くどす黒い何かに支配されそうになる。
君に他の男が触れているなんて、許せない。
こんな思いを、これからもずっとし続けないといけないの?待ってるだけじゃ、君は俺から離れて行っちゃうの?
それならもう、俺は待たない。今度こそ、君に請おう。俺の気持ちに応えて欲しい、受け入れて欲しい、って。
だから。
まずはその君に迷惑がられてる先輩を先にどうにかしないとね。すぐに追い払ってあげるから。
そうしたら次は、俺を見て?誰よりも何よりも、君を大切にするから。
そのためにも俺は手を伸ばす。他の男の手から愛ちゃんを取り戻して、そして今度こそその心を手に入れるために。




