4.意識の範疇外
何してるんだろう、なんて。あの子への想いを自覚してから、俺は一体何度同じことを思ったのか。
困ってる女の子を見たら放っておけない子だって、俺はよく知ってた。だから何をしようとしているのか分かった上で、あえて止めなかったのに。どうしていつもいつも、そうやって年下の女の子に君は迫られてるんだろうね?俺には自覚を持てって言うくせに、愛ちゃん自身がそういう自覚を持ってないと思うのは俺の気のせい?
でもだから、俺は本気で困ってる様子の愛ちゃんを助けたくて。本当にただそれだけだったのに。
力尽くで女の子が愛ちゃんを害せるはずないけど、そういう子を無理やりはがすことも出来ないことを知ってる。だからこそ腕の中に閉じ込めて、わざと「何だと思う?」なんて曖昧な返しをして。勝手に誤解してくれたところで「邪魔しないで」と笑顔を返したのに。
なぜか、少し恥ずかしそうな愛ちゃんに告げられた言葉に、一気に体が熱くなって。そして次の瞬間血の気が引いた。
「あ、の……ありがとう、なんだけど……は、はなしてもらえる、かな…?その、あの……む、胸が、ですね…?」
「む……あっ…!!ご、ごめんっ…!!!!」
他意はなかった。本当に。何にだって誓える。
思わず両手を頭の上にあげて、何もしてませんとアピールしてしまう。どうしてこう、無実を証明しようとするとこのポーズを取ってしまうのか。
あぁ、いや。そんな現実逃避をしている場合ではなくてっ…!
「あのっ、そのっ…!!わ、わざとじゃなくてっ…!!」
「うん、あの…分かってるから」
でも愛ちゃんからしたら、わざとかどうかなんて関係ないわけで。事実としてあるのは、男の体に自分の胸を押し付けられたというただそれだけ。
「だから、そのっ…!ご、ごめんっ…嫌いにならないでっ…!!」
「……ん…?なんでそういう話になるの…?」
「あーー…もうホントごめん。俺考えなしだった…ちょっと頭冷やしてくる……」
「え?え?なんでそうなるの…?ちょ、聖也くん…!?」
今ここで俺が離れても、遠くからこっちに向かってきているみんなの姿が見えたから大丈夫だろうと。どこか冷静な部分でそう考えながら、急いで愛ちゃんの前から逃げ出す。
分かってる。意識なんてされてない。だから嫌われてもいないし、気にもされてない。分かっているんだ、そんなこと。
でもだからこそ、辛い。
言葉の通り少し頭を冷やして冷静にならないと、さっきまでの柔らかさを思い出してしまいそうで。どこか、と思いながら歩いた先で50mプールを見つける。ちょうどいいからと人もまばらなそこのど真ん中のコースに入って、思いっきり息を吸ってから潜る。足で壁を蹴って、そのまま力を抜いてただまっすぐ。音の少ない水の中なら頭を冷やすのにちょうどいいし、考え事をするのにももってこいだ。
あぁ、いや。考えたら意味ないのか。
でも……ふとバーベキューの買い出しに行った時のことを思い出す。昔から可愛いものに目がない愛ちゃんが好きそうだなって、ついあのお店を見かけた時に思ってしまったから。あまり出掛けることができないあの子をいつか連れてこられたら、なんて考えてた場所にようやく俺のわがままという体で行けることになって。目をキラキラさせて美味しそうに食べる愛ちゃんを、目の前の特等席で一人占めできる。正直それだけでも十分頑張ったご褒美になったのに。あろうことか、彼女の方から「食べる?」なんて聞いてくるから。もしかして食べさせてくれるのかな?なんて都合のいいことを考えながら口を開けて待っていたら、本当にスプーンを差し出された。しかもそれは、今愛ちゃんが口をつけていたはずのもので。
内心、動揺していた。けどそれ以上に嬉しくて。ぱくりと食いついた口元は、きっとそれを隠しきれていなかった。
でも、だから。もう少しだけ、許されるんじゃないかって。自分の分のパンケーキも差し出せば。
「はい、あーん」
「あー…っん!」
何一つ疑うことなく、素直に口をつける。とろけてしまいそうなほど幸せそうなその姿に、思わず笑みが零れる。
「ふふっ、美味しそうに食べるね」
「だって本当においしいんだもんっ」
「それならよかった。このお店当たりだったねぇ」
「うん!」
「また来ようね」
「うん!……うん…?」
勢いで返事をしたのだということは分かっていた。けど次の約束ができたことが純粋に嬉しくて。わざとじゃなかったから余計に。
だからつい、口にしてしまったんだ。
「なんだか本当にデートしてるみたいだね」
なんて。
その言葉にちょっとだけ焦ってたけど、結局は「もうっ…!」と少し唇を尖らせて頬を膨らませて。それで終わってしまった。
本当は、分かってる。間接キスだなんて、きっと愛ちゃんは思ってもいない。何の意識もしていない相手だからこそ、こんなことまで出来るんだって。
所詮俺はただの幼馴染。愛ちゃんにとっては、それだけの存在。そんなの、分かってるんだ。
まるでみっともなく足掻いているように見えるんだろうな、なんて。冷静に自分を分析すればすぐにわかる。けどだって、仕方がないじゃないか。諦められない。あの子だけがいい。あの子が、あの子の心が欲しくて。そのたった一つを、俺にだけ向けて欲しくて。
でもだからこそ、大切に大切に守ってきたあの子を俺が傷つけるわけにはいかない。もし俺まで遠ざけられてしまったら、万が一の時に一体誰があの子を守れる?男の勝手な欲望を押し付けられて、傷つけられてきたあの子を。
「はぁっ…」
いつの間にか辿り着いてしまっていた端に、立ち上がって空気を吸い込む。
冷静になろうと、頭を冷やそうと思って潜っていたはずなのに。どうして今あの時のことを思い出しているのか。
これじゃあ意味がない。
「ほんと、なにしてるんだろうなぁ、俺……」
こつりと目の前の壁に額を当てて、目を閉じる。瞼の裏に浮かび上がるのは、あの子の笑顔ばっかりで。「聖也くん」と、呼ばれた自分の名前の響きを、その声を、思い出すたびに苦しくて。痛いほど胸が締め付けられる。
もうずっと、愛ちゃんのことばかり考えてる。自覚したその時から、俺はあの子の意識の外にいるって…分かり切っていたのに。だから後ろから抱きしめたって、耳元で大好きって囁いたって、何一つ反応なんて返ってこない。拒絶されないだけマシ、と思うしかないんだ。
「こんなんじゃ、戻れないや…」
振り返って、もう一度大きく息を吸い込む。水の中に潜って壁を蹴って。ちゃんと頭が冷えるまで、何往復だってすればいい。泣きたくなるほど切なくなっているこの想いが、少しでも落ち着くまで。
そう、思っていたら。
「先輩、何してんすか……」
一往復目にして、声をかけられた。見上げればいつの間にか男子二人。
「あれ?どうしたの?」
「いや、それはこっちのセリフなんすけど」
「50m潜水ってどうして息続くんですか!?」
一人は呆れたように、もう一人はキラキラとした目をしてこちらを覗き込んできていて。
「というか、なんで一人で使ってるのかめちゃくちゃ謎なんですけど…」
「プールサイドには人いるのにねー。先輩しか泳いでないから貸し切りみたいに見えてましたよー」
「来た時からそんなに人いなかったよ?学生は授業で普通のプールには入るから、ここはあんまり人気ないみたい」
「いや、そういう意味じゃないんすけど…」
じゃあどういう意味だろうと首を傾げたけど、なんだかきまり悪そうに「あー……」と濁すだけで何も教えてはくれなかった。代わりに。
「先輩って泳ぎも得意そうですよね!俺もっとタイム縮めたいんです!どうしたらいいと思いますか!?」
「えーっと…じゃあ一度泳いで見せてくれる?もしかしたら何か分かるかもしれないから」
「分かりました!!」
素直にそう答えてクロールで泳ぎだした子を、二人でじっと見つめる。
「……いやいや、まだ縮める気かよ…!!」
「え?でもまだいけそうだよ?ちょっと体に余計な力が入ってるみたいだし」
「え、いや…何でそんなの分かるんすか?」
「え?う~ん……なんとなく?」
「…………チート性能すぎでしょ…」
小さく呟いていた言葉は、水しぶきの音でよく聞こえなかったけど。なんとなく呆れられたのだけは表情を見て分かった。
でもそんな顔されるようなことではないと思うんだけどなぁ?
「どうでした!?」
「君はあれだね、頑張ろうとして余計な力が入っちゃうタイプだね。一回体の力を抜いて、自然に水に浮いてごらん?」
けど彼らのおかげで、気づけば頭を別の方向に使うことに集中していて。先ほどの胸の痛みなど、すっかり忘れていた。
結局二人とも教えることになって、気づいたらあっという間に時間になっていて。探しに来た女の子二人を放っておいたことを申し訳なく思いつつ、それでもなんだかようやく本当の意味で友達になれたような気がして。
愛ちゃんとの関係には一切進展はなかったけど、これはこれで楽しい一日だった。




