1.お姫様にはなれません。
あれから月日は流れて、私は高校一年生になった。
「あ。愛ちゃんおはよう」
男性にしては細い線に、さらりと流れる黒髪。向かいの家から出てきたこの男こそ、私が小さい頃告白した相手。高神聖也。
一つ年上のこの男は超がつくほどのド天然で、普段は割とボーっとしているように見える。けれど実際にはその見た目もさることながら、成績は常に上位、スポーツは何をやらせても上手い。その上誰にでも優しく人当たりもよく、さらに180cm越えの高身長と、まさにハイスペックお化け。学校では「王子様」と呼ばれているくらい、どこの物語から飛び出してきたんだというほどの有能さ。
それに比べて私はといえば。
「おはようございます、先輩」
170cmとまではいかないけれど、女子にしてはかなりの高身長。クラスどころかおそらく学年で一番背が高いだろう。それに加えてツリ目がちなせいもあって結構きつめの顔つき。女子にはカッコイイと喜ばれることもあるけれど、一部男子からは怖がられていることもある。彼らよりも背が高いからなおさらなのかもしれないけれど。
「まだ学校じゃないよ?」
「今から登校ですよね?制服着てますよね?」
「そうだけど…」
「それなら私とあなたは先輩後輩です。何度も言ってますよね?学校に関係する場合は今度から先輩って呼びますよ、敬語で話しますよって」
「でも俺、愛ちゃんと普通に話したい…」
「私に被害が及ばない場所でお願いします。…遅刻したくないので、お先に失礼しますね」
「あっ…!待ってよ愛ちゃん…!!」
可愛くないと言うなかれ。これもまた、自己防衛手段の一つなのだ。
何せこの男、昔からそれはそれはおモテになっていたわけで。小学生の時まではまだよかった。ずっと一緒だったから周りも幼馴染だと認知していたのだろう。けれど中学に一足先に上がったこの男の周りには、いつの間にやら小さくてふわふわしていて可愛い女の子が常に何人もいたのだ。しかも、そう言う女子たちは可愛いのは見た目だけで。何も知らない私が今までのように聖也くんと呼びかけて、普通に話しているのを見て嫉妬したのもあったのだろう。彼女たちはあろうことか私のところに集団で押しかけて、先輩後輩なんだからちゃんとしなさいと説教を始めたのだ。
初めは私もなんだこいつらと思ったさ。幼馴染なんだから関係ないだろうと。
けれど女子の結束というのは恐ろしいもので。毎日毎日放課後に、ある日は待ち構えられてある日は教室まで来て、私をどこかへ連れ出しては説教説教。それが一か月も続けば、嫌になろうという物だ。
流石の私も先輩とはいえ女の子に手を出すわけにもいかないし、何より振られた身の上だ。もうどうにでもなれという気持ちである日分かりましたと頷いて。それからずっと、学校ではこの男のことを先輩と呼ぶようにしている。言葉遣いも敬語に直して、徹底してやった。
おかげで、呼び出されることも待ち構えられることもなくなったけれど。代わりになぜか高校生になった今でも、こうして本人から定期的に軽く文句を言われることになった。
とはいえ、だ。学校が関わらない場所では今まで通りに聖也くんと呼んでいるし、敬語だって使っていない。ちゃんと使い分けをしているからいいじゃないかと思うのだが、本人的には納得いかないらしい。
けれど私は自分が可愛い。もう二度と、先輩方からお小言を聞かされる毎日なんて過ごしたくないのだ。
「今日もいい天気だね~」
「…そうですね」
なぜか隣に並んで歩いているその顔を視線だけで見上げてみれば、目ざとく気づいてにっこりと笑顔を返される。少し下がった眉が柔和な印象を与えているからなのか、笑うと穏やかさが増すその表情がきっと、男女関係なく虜にしている原因の一つなのだろう。
そう、男女関係なくだ。
「今度のゴールデンウイークも晴れるといいね!」
「月間予報だとしばらく晴れが続くそうですよ」
「そっか~。バーベキュー楽しみだねぇ~」
「……」
我が家とこの男の家は真向かいにあり、父親同士は幼馴染、母親同士は学生のころからの大親友と、まさに驚くほど縁がありすぎるのだ。そのせいもあって、私たちが生まれるより前からずっと家族ぐるみのお付き合いという物をしていて。いつからか夏前と秋口に両家でバーベキューに行くというのが恒例行事と化していた。私たちはもちろんのこと、同い年の弟たちも含め全員が毎年参加しているのでこういう話題が出てきているわけなのだが。
さっと辺りに目を走らせれば、向けられる視線は嫉妬、嫉妬、切望、嫉妬、と。八割以上が嫉妬な上に、これが困ったことに男女関係ないと来たものだ。
あちらからは近所のOLのお姉さんから嫉妬の視線が、そちらからは大学に上がったばかりのお兄さんからの嫉妬の視線が。どれもこれも私にだけ向けられているそれは、全員が王子様と呼ばれるこの男狙いなのだと分かりやすく伝えてくるもので。私の存在は彼らにとっては邪魔でしかないのだろう。とはいえ何かされるわけでもないので、この程度のことならば特に気にする必要もない。言い方は悪いかもしれないが、既に日常茶飯事過ぎて慣れてしまったのだ。
だが学校に近づけば近づくほど、そうは言っていられなくなる。
「王子おはよー!」
「よー王子!昨日の宿題提出前に答え合わせしようぜー!」
「おはよう。うん、いいよ。後でね」
クラスメイトなのだろう。気安く朝の挨拶をして、男子の先輩は肩まで組んでいる。それに応えていると、今度は別の所からまた声をかけられて挨拶を返して、と。そうやってたくさんの人たちが彼の周りに集まってきて、わざと自分たちにしか出来ない会話を始めるのだ。
被害妄想?いいや、断じてそんなことはない。だって先ほど肩を組んでいた先輩が、こちらを一瞬見て鼻で笑ってきたのだ。しかもちゃんと私以外の人からは見えない位置で。
これがわざとでないというのであれば、一体何だというのか。しかも相手は男なのだ。男の先輩が、私に勝ち誇ったような笑みを向けたり嫉妬したりしている。明らかに、普通の状況ではないのが分かるだろう。
正直他人の嗜好に口を出すつもりはないが、勝手に嫉妬して勝手に対抗心を燃やすのだけはやめて欲しい。いい迷惑だ。
じゃあ離れればいいじゃないかって?そんなこと、もうとっくにやった。けれど少しでも歩みを止めれば振り返って「どうしたの?」と聞かれ。じゃあ少しずつ歩みを遅くして離れていこうとすれば、その速度になぜか合わせて隣をキープされて。おかしなところで優しさを発揮するこの男本人のせいで、未だに成功したことは一度もないのだ。
だから校門までは我慢しなければならない。どんなに先輩たちに睨まれようが、一言も言葉を発しなければいないものとして扱ってくれるから。
え?どうして校門までなのかって?
それは……
「きゃああぁぁ!!王子様ーー!!」
「王子おはよー!!」
「せんぱぁ~い!おはようございますぅ~」
小さくて、ふわふわで、可愛い女の子たちに。学校の王子様は囲まれるからだ。
こうなってしまえば、今まで私を牽制していた先輩ですら近づけなくなる。逆に言えば私が離れてももうこの男は追い付けないし、何より学校に着いたのだ。教室どころか学年も違うのだから、向かう先が違えばここで分かれても何ら不自然ではない。
だから私はいつも、この場所で。女の子たちに囲まれたあの男を置いて、ようやく一人で歩き出せるのだ。
私とは全然違う、お姫様みたいな女の子たちを横目に、自分はやっぱりお姫様にはなれないなと思いながら。
じくじくと鈍い痛みを訴える胸には、気づかないふりをして。