8. ご案内をしておりましたら……(3)
「失礼でございますが…… 積もるお話は、まずは荷を解かれて、お楽な服装にお着替えになってから、ではいかがでしょう?」
ナターシャはさりげなく、無邪気な客人の発言に固まるシドに助け船を出した。
マーガレットたちの案内を終えて戻ってきたところだ。
……本当にシドったら可愛いわぁ、などと内心で萌えながらも、主人夫婦の危機を救うのも、侍女の勤めというもの。
もっとも、後程すぐに助け船から突き落とすことは見えてはいるが…… それはそれ、であった。
――― ナターシャとしては、お嬢様の方はひたすらに大切な主人であるが、その夫の方をいじるのに罪悪感は全くない。
むしろ、可愛いがゆえに、さまざまにいじり倒したい。
そこで、さりげなく一言付け加えることにする。
「お茶会の準備も、整っておりますことですし……」
――― すなわち。
今ここで、その場しのぎにサラリと逃れられるよりは、ゆっくりとお喋りを楽しめる場に持ち越すべし。
シドにとっては魔のような判断であるが、さりとて 「いえ、ここで是非とも語らせてください」 と主張するのもおかしい。
「………… そうですね、まずは少しご休憩を」
しぶしぶ言えば、お色気作家ルーナ・シーこと愛しの妻も、にこやかにうなずく。
「ええ、お身内だけで、少し旅のお疲れを癒してくださいませ。テーブルのお菓子も、ご自由に召し上がってね?
飲み物も、持って参りますね」
「お嬢様、それは私が」
「いや、俺が行きますよ」
「いいの! 『母さん』 に言って、とっておきを出してもらうわ」
早々にキャロラインの傍に戻ったマーガレットに、笑顔で 「ごゆっくり」 と声を掛ける妻。
イソイソと楽しそうに去っていくその背中を、シドは、若干恨めしげに見送った。
胸中に渦巻くのは、嫉妬と戸惑いである。
嫉妬は、『なぜか妻が自分とふたりきりの時よりイキイキしている』 ことによるもの。そして、戸惑いは……
「妻はすぐに戻って参りますので、しばし、お待ちください」
戸惑いは、棒な上にも棒を心掛けた物言いにも、臆することなくキラキラした瞳を向けてくる、異国の奥方たちに対するものである。
「奥様との出会いはどのようでしたの? お聞かせ願えたら、嬉しいですの!」
「奥様を女性として意識されたキッカケなど?」
「お付き合いを初めた時は、どちらから、言い出されましたのですか?」
「プロポーズは、もちろん、シドさんからでしょう?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、しれしれと 「さぁ」 「記憶にありません」 「それは妻との秘密ですから」 などと応じつつも、軽く眩暈を覚えるシドである。
――― シドにとって、『ノロケ』 とは他の男を牽制するために使うものである。楽しくお喋りするためのものでは、決して無いのだ。
「キャロライン、マーガレット。少し落ちついてくれ」
穏やかに助け船を出してくれたのは、今度はジョージ王子だった。
「シドさんが、困ってらっしゃるだろう」
「……いえ、それほどのことでは」
ご婦人方の手前 『助かった』 とは言えぬものの、内心ではほっとするシド…… ところが。
今度は、ジョージ王子の瞳が、やたらとキラキラしている気がする。
「それより、少しシドさんと男同士で話してみたいんだが…… いいかい? どこか、ふたりで落ち着いて話せる部屋などあれば、少しの間貸してもらいたいんだが……」
ナターシャが 「きゃ……まぁっ!」 と黄色い声を上げかけて寸前で抑える一方で、シドは、ギクギクと身を強張らせた。
――― そういえば、妻の方に集中しすぎて、そっちの可能性を、すっかり忘れていた……。
そうか、ままごと夫婦かと思ったが、もしかしたら別口の方が趣味なのかもしれない。
……失礼にならないように断るには、と、何食わぬ顔をしながら、忙しくシドが頭を働かせる間にも。
「さようでございますね」
ナターシャは、弾んだ声音でテキパキと提案する。
「今の時期ならバルコニーなどよろしいかと。森の香りの風などお楽しみいただきながら、ではいかがでしょう?」
「ああ、それはいいね!」
ジョージ王子の瞳がますます輝き、ついつい 『コイツもしや、そっちはかなりな手練れ……』 などと勘ぐってしまうシドであったが。
その辺を全く無視…… いやむしろ何か期待して、 「ではご案内しますね!」 と、いそいそ先に立つナターシャ。
「キャロライン様、マーガレット様、エドワード様…… すぐに戻って参ります。どうぞ、しばしごゆるりと!」
そうして、出会ったばかりの男ふたりは、バルコニーへと向かうことになったのだった。
ひとりは仏頂面を少々曇らせ、ひとりは期待に胸を弾ませて……。