2. シドとリジーと異国の手紙、でございます!
ナターシャ ⇒ シド・リジー サイドです。
シド : ノーマルな皮をかぶったヤンデレ夫。
リジー: シドの妻。一応、伯爵令嬢。
ナターシャ: リジーの侍女。リジー生誕時より、乳母として仕える。
リジー のペンネームが、ルーナ・シー です。
作中では、リジー または、ルーナと呼ばれます。
……あら、長いお散歩は楽しかったようですねえ……
高原の風とそれ以外のアレコレに衣服を乱しつつ、寄り添って別荘に帰ってくる主夫妻の仲睦まじい様子に、ナターシャは思わずニッコリした。
生まれた時には乳母として、成長してからは侍女として仕えているリジーお嬢様。主といえど、ナターシャにとっては娘のようなものである。
そして今、ナターシャが見ているのに気づきつつも、しれっとリジーをお姫様抱っこに処しているのが、シド青年。
こちらも、子供の頃から成長を見守ってきたナターシャにとっては、甥っ子のようなものである。
新婚3ヶ月めになる7月。
クローディス伯爵家のお嬢様夫妻が、この別荘にやってきてまずチャレンジしたのが……
森の中の樹齢千年といわれる巨木のウロまでの、『長い散歩』 なのだ。
――― どうやらそれは、シドが結婚前に作っていた 『選べる初めてプラン』 の中の1つだったようで、ふたりは 「初めてではないけど挑戦はしたいの♡」 と張り切って出掛けたのであった。
若いって羨ましい。
――― ちなみに、ナターシャも昨日のうちに念のために下見をして、ウロの中に柔らかな苔をしきつめておいたのは、秘密である。
わざわざ言わなくても、ふたりの満足そうな笑顔さえ見られれば、それが、ナターシャにとっては何よりの御褒美なのだ。
「お帰りなさい! お散歩楽しかったですか?」
「ええ……でも、夏でもやはり、ここらは涼しいのね。脱ぐと少し、肌寒かったわ」
「そんなの♡ もちろん、シドさんが温めてくれたんでしょう♡」
「…………」 「ふふふっ……内緒」
無言で素知らぬ顔をするシドと、バレバレなのに隠したがるリジーが可愛くて、ナターシャは思わず 「きゃぁああっ♡」 と黄色い声を上げたのだった。
☆彡♡☆彡♡☆彡♡
ウッドデッキに出されたテーブルの上には、ナターシャが淹れてくれた紅茶と、別荘の 『母さん』 お手製のクッキー。
そして、数通の封書。
長い散歩の後の心地良い倦怠感を覚えつつも、表情をキリッと引き締め、よくデキた従者然として紅茶をふたりのカップに注いでいたシドは、「まぁぁあ!」 という珍しい妻の感嘆詞にももちろん、ちっとも慌てなかった。
――― 少なくとも、外面は。
大体、リジーがその感嘆詞を心から発する相手というのは、格別に仲の良い数人に限られているが、その中にはシドは入っていない。
……感嘆されることなど、今さら何ひとつないほど、ふたりは長い付き合いなのだ。
ということは、今リジーの手にある封書がその誰かから、ということになり……
別荘まで、わざわざ手紙で追いかけてこなくても、と、若干イラっとしているのが、シドの本音である。
ところが。
「ねえ、シドさんもご覧になって」
リジーから手渡された手紙の差出人は、『キャロライン』 ……知らない名前であった。
冒頭から、女性らしさを感じさせる文字で、『シー先生の作品はとっても奥が深くて…… 匂いは…… 脚が……』 等々の賛辞が並べられている。
「海の向こうの国からのファンレターだなんて…… こんなの、はじめて……!」
頬を両手で挟む乙女な仕草で、瞳をキラキラさせ、ほうっとタメイキなどついてみせる妻……こと、"月刊ムーサ" の人気お色気作家ルーナ・シー。
『こんなの、はじめて』 はシドにとっては、別のシーンで言ってほしい台詞であるが、それを素直にリクエストすることなど、彼にはできそうもなかった。
その代わりに。
「ほう…… じゃあ、こんなのは、どうですか……?」
紅茶にブランデーを垂らして口に含み、妻の顎をクイッと指先で持ち上げ、口づけする。
「ん……んんっ……」
唇から漏れて鎖骨から胸へと伝わる雫を音を立てて吸い、舐めとりしつつ上目遣いに反応を伺う。
「はじめてですよね?」
「あ……ん、も……ぅん……っ」
どうやら感じすぎて、言葉にならないらしい。
小さな喉首を仰け反らせ、まぶたを閉じて吐息を漏らす姿…… それは、彼に新たな活力を与える天使そのものである。
「中に入りましょう」
薄く柔らかい耳に唇をつけて熱い息をかけると、妻は可愛く身をよじって、答えたのだった。
「では、お返事は 『ぜひおいでくださいませ』 よね、もちろん」
「え……」
しまった、と思うシド。
海外からの手紙の内容に、一瞬渋い顔をしたのを、見られてしまっていたのだ。
――― 手紙には、こんな文言が連なっていた。
『……ぜひ先生にお目にかかりたいのです。先生とお茶会などできたら、どんなに楽しいでしょう。わたくしの夢なのです……』
正直に言うと、イヤである。
現状だって、実の両親やら友人やら "月刊ムーサ" 編集長やらの手前、独占欲をギリギリに抑えている状態なのだ。
ぽっと出の1ファンが入る隙など、これ以上どこにも、1mmたりともない。
「それとこれとは……」
「もちろん、良いですわね?」
妻の口調は、子供のように無邪気に、ワクワクと弾んでいる。
そしてその顔面に貼り付くのは、物事を押し通したい時に多用される、天使の笑み。
――― シドは、悟った。
このまま、ウッカリ元気になった息子に本懐を遂げさせるためには、「ウン」 と言うほか、無いのだ……。
「はい、もちろんです。俺に聞くまでもないでしょう」
棒読みの返答に、天使の笑みがさらに明るく弾けた。
「シドさん、大好き!」
次の日の朝早く。クローディス家の別荘から、1通の手紙が、旅立ったのだった。
海を越えた国の、もう1組の新婚夫婦へ、向けて……。